第10話 痛む過去


 卓球部の汚点とも言える〝全中四天王〟集団退部事件。その真相を語る前に、一人の女子部員について語る必要がある。


 彼女の名前は不動ふどう真理菜まりな。番匠風香と直江凛子と同様、学校とOGにスカウトされ、この北総高校に入学してきた〝全中四天王〟の一人である。


 番匠風香が究極のせっかちであり、直江凛子が歪んだ生真面目であるならば、不動真理菜は愉快な嘘つきと言える人物であった。


「ポーカーフェイスとでもいうのか、不動さんはとにかく平然と、そして自然に嘘をつくの。だから嘘を言われた瞬間は全く気づかなくて、いつもあとからになって嘘が判明するの。嘘が発覚してわたしたちが困惑しているその様子を見て楽しむのが、不動さんという人。でも不動さんはとても愛嬌のある人で、いつも場を和ませようとして嘘をついている感じだから、憎むに憎めない人かな」


「真理菜さんはとても利己的な人よ。嘘をつくのも、嘘をつくことで自分が得するから嘘をつくのであって、そうではないときは素直に受け答えしてくれるわ。そのため真理菜さんの嘘を見破るには、真理菜さんにとって得になるのかそうではないのかを考えれば、おのずと答えが出てくるのよ。ただ、真理菜さんが得と感じる要素に愉悦が含まれているので、相手にするには非常に厄介な存在なのだけどね」


 門脇さんと直江さんが語る不動真理菜はこのような人物であった。そして僕はそれらの情報をもとにまとめた結果、不動真理菜は一言に道化師のような人物であると解釈した。


 さて、不動真理菜という人物像がはっきりしたところで、本題である。


 既述の通り、全国の頂点を競い合った四人の選手こと〝全中四天王〟は、弱体化に歯止めがきかなくなった北総高校を憂いた学校とOGによってスカウトされ、提示された条件をのみ北総高校の推薦入試を受験し、何事もなく合格して特待生として入学を果たした。


 そして予定通り卓球部に入部した四人の少女たちだが、四人が四人とも卓球部の現状を見て失望してしまった。


 北総高校は全国的に見て、知る人ぞ知る強豪校であった。昔は全国大会の常連校であったし、弱体化した現在でも県内に限ればまだまだその名が通じる学校だった。だからこそ、別段練習をサボっているとか怠けているということもなく、皆強くなろうと真剣に練習に打ち込んでいた。部員の誰もが本気であった。


 だがその練習風景を見た〝全中四天王〟の感想は、一様にこうであった。


 非効率である、と。


 確かに強くなろうという思いのもと練習に打ち込んではいるが、その練習で得られる成果が少ないと〝全中四天王〟は判断した。そして北総高校の弱体化の原因はこの練習にあったと断定した。


 具体的に何がいけないのか、四人の少女はそれぞれの意見を述べ、いくつもの問題点が出てきたが、四人に共通して指摘されたことが二つあった。


 一つは、皆が皆全く同じ練習メニューをこなしていたこと。


 これがもしサッカーや野球のような団体競技であれば、チームの連携をとるため皆で練習するのだろうが、それでも各ポジションに応じた個人練習をするはずである。そして団体競技ではなく個人競技である卓球なら、なおさら重点的に個人練習をする必要がある。つまり練習メニューは人それぞれ違うはずなのである。


 だが北総高校卓球部の練習メニューは、全員同じであった。皆右へ倣えして練習をしていたのだ。それにより個人の個性は伸びず、むしろ個性を殺すものでしかなかった。門脇さんは卓球のことを「十人十色の競技」と表現したが、彼女たちが入部した当時の卓球部は、残念ながら没個性の集団でしかなかった。


 そして二つ目であるが、これがことのほか大きな問題であった。この問題点が根本部分にあるからこそ、一つ目の問題が生まれたといっても過言ではなかった。


 部長を含めた部員全員が、練習そのものを理解していなかったのだ。


 この練習はどのような成果が得られるのか、この練習である意味はなんなのか、それらのことを全くといっていいほどに把握していなかったのだ。だからこそ今自分たちがなんの練習をしているのかわからず、結果として得られるべき成果が激減してしまっていた。


「いうなれば、それはルーチンワーク。皆が皆真剣に練習に取り組んではいるけど、客観的に見れば、それは練習した気になるだけの練習でしかなかったのよ。そして残念なことに、そのことに誰も気がついていなかった。北総高校が弱体化してしまったのも納得せざるを得なかったわ」


 直江さんは当時のことをそう言い表した。それは辛辣な言葉であったが、ある種説得力のある言い方であったので、僕はすんなり当時の状況を理解することができた。


 そして〝全中四天王〟が入部早々取り掛かったのが、それらの問題点をまとめ、改善してもらうよう上級生に進言することであった。だがこのことが、新入部員と先輩たちの間に溝を作る切っ掛けとなってしまった。


 上級生たちは、〝全中四天王〟の進言を却下するところが、聞く耳を持たなかった。


 上級生たちの言い分はこうであった。


「わたしたちは伝統ある北総高校のやり方を引き継いでいる」と。そして「全国大会常連校だったときの練習をしているのだから、そこに間違いはない」と。


 それは過去の栄光にすがるものでしかなかった。確かに、その練習方法で全国大会に出場していたことには変わりない。しかしそこには、今とは決定的に違うことがあった。


 その練習を行う人が、そもそも違うのである。


 過去の強かった時代では、当時の部員に合わせて練習メニューを作成した。だからこそその練習で選手の個性を引き伸ばし、実力を上げることができたのである。もちろんそこには、部員自身の才能も加味されている。


 だが現在はそうではない。当時のメンバーに合わせて試行錯誤されたのだから、現在のメンバーにもそのまま適応できるかといえばそうではない。言わば上級生は、意味を理解しないまま部員に合わない練習をしていたに過ぎないのであった。


 しかし先人たちを崇拝し神格化している上級生は盲目的であり、それ故今の練習方法に物申した新入生、とりわけ〝全中四天王〟に強い敵意を向けざるを得なかった。


「一応強豪校なのだから、コーチや監督とかいただろ。その人は、なにも言わなかったのか?」


 僕は当時の状況を理解した上で、浮上した疑問を投げかけた。大人が上手く舵取りさえできていれば、そもそもこのように悪化することはなかったはずである。


「反発が大きかったの。練習方法を改善しようとしても、それに異を唱える部員が後を絶たなかったのよ。そして部員が従わないのであれば、コーチも監督も匙を投げるしかなかった」


 僕の疑問に、門脇さんが答えてくれた。しかしすんなり納得はできなかった。


「……なんか、大人の立場弱くね?」


「いくら大人たちが言ったところで、当人は部員たちだもの。部員がいなければコーチも監督も意味をなさない。先輩たちはその一人一人がある意味問題のある人だったけど、一枚岩だったから、反発はもちろんボイコットとかも日常的に行っていたの。そのため、コーチも監督も腫れ物に触るような扱いしかできなかったの」


「なんだ、そりゃ。無茶苦茶じゃないか」


 卓球部荒れすぎだろ。不良の集まりかよ。


 僕はそう感想を漏らすが、門脇さんも直江さんも諦観しているかのような表情でそれに頷いた。


「うん。わたしたちの先輩、とくにここ数年の世代が、北総高校を弱体化させたと言ってもいいわ」


 そして門脇さんはどこか遠慮がちに、しかし言葉だけははっきりと先輩を非難した。


「そもそも、上級生たちの行動が理解できない」


 運動部であるなら、自分たちが強くなることを第一に考えるはずである。そしてその機会は幾度もあった。しかし上級生たちはことごとくそれらを跳ね除けた。正直意味がわからない。


 だが、僕の呟きに反応した門脇さんの言葉によって、それを理解することができた。


「先輩たちはね、強くなりたいというよりも、北総高校卓球部というのに憧れていただけなの。ただ単純に強い組織に所属して、強くなったと錯覚したかっただけなのかもしれない。たからこそ、先輩たちは北総のスタイルを大事にした。そしてそのスタイルが崩れるのであれば、それはもう北総ではない、と。致命的だったのは、全員が全員そういう考えであったということなの」


 僕は「なるほど」と返すしかなかった。何がなるほどなのかわからないが、一世代前の部員たちがどういう思考回路であったかはわかったような気がする。上級生たちは過去の栄光にすがり、先人を神格化していた。それはまさに虎の威を借る狐であり、そのブランド力に頼っていたのだ。そのぼろが出た結果が北総の弱体化である。


 そんなこんなで、コーチも監督も、そしてあまつさえ〝全中四天王〟すら跳ね除けた保守的な上級生たちは、部としての規律と言い張って自分たちが踏襲している練習を〝全中四天王〟に強要し、従えないのなら退部しろとまで言ってきた。特待生であり大会での活躍を期待されている身としては安易に退部などできるはずもなく、〝全中四天王〟は上下関係の都合上それを断ることができなかった。


 一応は上級生に従った〝全中四天王〟であったが、それで上級生たちの関係が修復されることはなかった。一度でも自分たちに歯向かったとして、上級生たちは〝全中四天王〟を目の敵にしていた。そしてそれは嫌がらせというかたちで表に出てくる。


 僕はその嫌がらせについて詳しくは聞かなかった。というより、聞きたくなかった。女子である分、その嫌がらせは非常に陰湿なものであることなど想像に難くない。僕はその嫌がらせの一つ一つを聞いていられるほどメンタルは強くはないのだ。


 そんな陰湿な嫌がらせと無意味な練習の毎日を送っていた〝全中四天王〟だが、ある日とある事件が発生する。


「卓球部で窃盗事件が発覚したの」


 門脇さんはそのとき起こった事件のことを語ってくれた。そしてその事件の容疑者とされたのが、先程語った不動真理菜という女子であった。


 概要としては、スマホをなくした上級生の一人が、他の部員に鳴らしてもらって捜索したところ、そのスマホは不動さんの荷物の中から出てきたということだった。


 そして上級生たちは集団で不動さんを糾弾した。一方他の〝全中四天王〟は不動さんを擁護した。それにより、上級生と〝全中四天王〟は完全に対立してしまった。


 流石にことが大きくなり過ぎたため、大人たちが介入し、両者の間に立って騒動の解決をはかった。しかし両者の対立は平行線を辿り、もはや収拾がつかない状況になっていたのだ。


 そしてその結果、不動さんは折れ、退部届けを提出した。退部理由としては「窃盗事件により他の部員に対する信頼関係が消失したため」とされ、事件を知っている学校側もその理由で承認するしかなかった。そして不動さんに続くかのように他の三人も退部届けを提出。理由は「部に不信感を抱いたため」とされ、こちらも承認された。


 これにより、〝全中四天王〟全員が卓球部を辞めてしまったのだ。


「でも真理菜さんは犯人ではないわ」


 その一連の騒動の当事者であった直江さんはそう語る。


「だって真理菜さんは利己的な人であるから、そんな意味のないことをするわけがないのよ。そんなことをしても、真理菜さんの得にはならないもの。確かに嘘つきである彼女は信頼に欠けるところはあるけど、どうしたって彼女には動機がないのよ」


 しかしそのときは、不動真理菜の嘘つきという個性を逆手にとられるかたちになってしまった。嘘つきである故に、不動真理菜の主張に信用性はない、と。そしてそれは正当な主張であっても強引に否定され、上級生が主張する証拠だけが一人歩きしていたのだ。


 それはまるで、不動真理菜を犯人にすることで、それを口実に〝全中四天王〟を痛罵するためだけであるかのようだった。


 そして事実、その窃盗事件の犯人は不動さんではなかった。


「その事件そのものが、上級生が仕組んだものだったの」


 それは嫌がらせがエスカレートしたものだった。不動さんはただその標的になってしまっただけであった。


「わたし、その現場を見てしまったの。先輩たちが悪口を言いながら不動さんの荷物にスマホを仕込むその場面を」


 そして門脇さんは伏し目がちにそう告白する。


「わたしの存在に気がついた先輩は、わたしに『見なかったことにしてくれる?』って聞いてきたの。口調としてはとても柔らかかったけど、そこには命令するかのような威圧感があった。……そしてわたしは、それに頷いてしまった」


 門脇さんは次第に涙声になり、時折言葉を詰まらせた。


「わたしも一年生として、直江さんたちがされた嫌がらせを見てきたの。そしてその矛先がわたしにも向いてくると思うと、怖くてそのことを皆に知らせることができなかった。……そしてことが大きくなっても、真実を打ち明けることができなかった。報復が、怖かった。でも、……もしわたしが、どこかのタイミングで真実を打ち明けていれば、こんなことにはならなかった」


 それは激情に任せて語られた。そしてそれに伴い門脇さんの瞳から涙がこぼれ落ちる。僕はその傍らで、静かに見守りながら耳を傾けるしかなかった。


「わたしに勇気があれば……こんなことにはならなかった……」


 門脇さんは騒動の渦中、上級生と〝全中四天王〟の間で板挟みになっていた。そしてその立場は、門脇さんを蝕み続けた。それが今現在まで続く門脇さんの痛みであった。


 こうして、


 結局全てが終わった頃、〝全中四天王〟が退部して全てが終わってしまった頃、門脇さんは自分が知っていることを四人に打ち明け、何もできなかったことを謝罪した。四人の少女はそれぞれ違った反応をしたが、一様に門脇さんを許したのであった。


 その後門脇さんは不本意ながらも上級生に媚びへつらい、機嫌を損ねないように気を遣いながら部活動を続けた。その一方、騒動に無関心であり中立の立場をとっていた成瀬さんに協力をしてもらい、市民体育館等で自主練習に励み、部活動以外のところで卓球の実力を磨いていった。


 そして二年生に進級し、その夏に上級生が引退して部長の座を引き継いだ門脇さんは、コーチの指導のもと練習方法を改正し、部を変えた。ただまだ学校に上級生がいるため、その改正は上級生に気づかれない程度にとどめていた。しかしそれでも成果はあり、卓球部は数年ぶりに全国大会に出場することができたのだ。


 そして冬、上級生たちが卒業を控えて自由登校となったのを見計らい、門脇さんは部を一新した。その一環が、今回の〝全中四天王〟の引き戻しであった。



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