第15話 疑惑
「あとで話がある」
卓球部の練習が終了し部員が後片付けをしているときに、急に直江さんからそうと言われ、僕は小首を傾げた。しかし相手はあの直江さんである。自分の予定を狂わされると激怒する直江さんの用事であるから、断ったらまた面倒なことになりそうだと思い、そこは素直に従うことにした。
片付けが終わり、部員たちがシャワー室で汗を流している間、僕は彼女を待ち続けた。そして制服に着替えた直江さんが出てくるが、その後ろにはぞろぞろと集団がいた。部長である門脇さんを始め、成瀬さんと番匠である。どうやら話があるのは僕だけではないようだ。
部活動を終え体育棟を出ると、外は既に夜闇に包まれており、寒気が身体を冷やしてくる。冬の日没時間は早い上に遅くまで練習していたのだから、当然といえば当然である。しかし話があるといっても、更に遅くまで居残ることもできないので、僕たちは速やかに学校から出ることにした。そして行き着いた先は駅前のファミレスであった。
「奇妙だわ」
五人が席について一息つく。そして開口一番にそう言ったのは直江さんだった。だが同時に、直江さんの隣に座った番匠が呼び出しボタンを連打し始め、その音で直江さんの言葉は打ち消された。……それ店員さんに迷惑になるからやめてほしい。というかそれ以前に、まだ誰も注文するもの決めてないんだけど。どんだけせっかちなんだよコイツは!?
その行為に出鼻をくじかれた直江さんは、番匠のことをすごい形相で睨みつけたが、その手にはちゃっかりメニューが握られていた。内心怒ってはいるものの、店員さんが困らないよう即座に注文を決めたようだ。生真面目な直江さんらしいや。
そんな二人の対面に座った僕と門脇さんと成瀬さんは、直江さんに習って急いで注文するものを決める。そして程なくして現れた店員さんに滞りなく注文を済ませると、直江さんは咳払いをして場を仕切り直し、再度「奇妙だわ」と言う。
「何が?」
なんか他の女子三人から無言の圧力があったため、僕がそれに返事することになった。
「真理菜さんのことよ」
しかしそんな周りの空気を気にしていない直江さんは、反応してくれた僕のことを真っ直ぐ見つめながらそう答えた。
「不動さんがすんなり復帰したことか?」
「ええ。あまりにも従順過ぎるわ」
それは僕も思ったことだ。過去に〝全中四天王〟は上級生から嫌がらせを受けており、その上級生が仕組んだ窃盗事件の犯人に仕立て上げられた不動さんは、それを切っ掛けに部を退部することになった。そのことで卓球部にいい印象を抱いていないのは火を見るよりも明らかである。いくらもう上級生がいないとはいっても、戻ろうとも思わないのが普通だ。
しかし実際はそうではなかった。僕が不動さんに復帰してほしいむねを伝えると、不動さんはそれに承諾したのだ。しかも逡巡することなく即答だった。正直僕は不動さんの意図が読み取れず、それ故彼女に懐疑心を抱くことになった。そしてそれは僕だけでなく、直江さんもそうであった。
「何か、真理菜さんに騙されているような気がするのよ」
「流石にそれは考えすぎじゃないか。……まあでも、腹に一物ある感じではあるな」
僕は不動さんの表情を思い出す。あの口元は微笑んでいるが目が一切笑っていない独特な表情を。あの表情はどこか不敵な笑みに見えてしまい、それ故彼女の本心を覆い隠しているかのように思えてしまう。それはまるで仮面のようだ。僕たちは、仮面越しに不動真理菜という女子と向き合っているかのようだった。
「もう気にしてないんじゃない」
「もしくはウチと同じでなんも考えていないとか」
僕と直江さんの会話に、成瀬さんと番匠が口を挟んできた。確かに二人の言う通り、僕たちが過度に悪い方向に考えているだけなのかもしれない。不動さんが愉快な嘘つきであるために僕たちは彼女に疑念を抱かざるを得なかったが、そもそもその前提が間違っている可能性があるのだ。不動さんだって純粋に部に戻ったかもしれないのだ。
「部長は、どう思います?」
僕もそうだが、直江さんも頭の中が混乱してきたのか、これまで黙っていた門脇さんに意見を求めた。
「わたしは……わたしもよくわからない。卓球部に戻ってきてくれたということは、不動さん自身何か折り合いをつけたのかもしれないけど、それにしたって普段の不動さん、入学したばかりの不動さんとなにも変わっていない。復帰して自然に振舞っているけど、その態度があまりにも不自然であるのは、確かにわたしも思った」
「自然に振舞っているのが、逆に不自然ってことか」
その通りだと思う。不動さんの態度は、普段教室で友人と過ごしているときとなにも変わっていなかった。
それはまるで、過去の事件などそもそもなかったかのような錯覚をこちらに抱かせるものだった。気にしていないとか考えていないとかのレベルではないのだ。上級生が強いた無意味な練習も、上級生による嫌がらせも、それがエスカレートした窃盗事件のでっち上げも、全ては悪い夢であったかのようになかったことになっているのだ。それは過去を忘れてしまったといっても過言ではない。
では本当に忘れてしまったのか? 馬鹿な。実際にその場に立ち会ったわけではなく当事者から聞いた話しか僕は把握していないが、それでも卓球部で起こった騒動は簡単に忘れられるようなものではないと断言できる。それほどまでに、強烈な出来事であったはずだ。到底忘れることなどできるはずがない。
ならば、こういうことではないだろうか。
「卓球部の騒動は不動さんにとってトラウマであり、それを自分の中に封じ込めた。臭い物に蓋をする的なアレで、故意に忘れたとか。だからこそ、過去のことはなかったことにして、普段通りの態度で練習しているんじゃないかな?」
僕はそう不動さんの真意を忖度する。故意に忘れるという行為を果たして人間にできるのかどうか怪しいけどね。
「それはないわ。トラウマなら、卓球部という言葉が出てきた時点で拒絶反応を起こしているはずだもの。復帰どころではないわ」
だが懸命に考えた僕の意見は、直江さんにあっさりと否定された。まあ、確かにそうですよね。
「ちなみにこの場合、『臭い物に蓋をする』は適さない表現だと思うのだけれども」
「わかってるよそんなの。他にいい例えが出てこなかったんだよ。察してくれよ」
こんなところで文学少女スキルを発動されても困るんだが。話が脱線してしまうだろ。
「部活に復帰することで、不動さんは何か得することってあるのかな?」
しかし門脇さんの問いによって、話は脱線することはなく本題に戻ることができた。そしてそれは今までとは違うものの見方であった。
「以前直江さんは、不動さんのことを利己的な人と言っていたから、もしかしたら過去の出来事を相殺するだけの得が、不動さんにあるのかもしれないね」
「なるほど、それは盲点だったな」
僕は門脇さんの言葉に頷き、直江さんも口元に手を添えながら思考を巡らせている。
不動さんは利己的な人物である。彼女が嘘をつく理由は、嘘をつくことで自分が得するからである。そしてその得に愉悦という要素が含まれているため、彼女は嘘をつくことで他者をからかって楽しんでいるのだ。しかしそれは裏を返せば、彼女の嘘を見破るのは容易いということだった。単純に不動さんが得するか否か、面白いと思うか否かで、嘘か本当か識別できるのだ。
ならば、不動さんにとって卓球部に復帰することにどんな得があるのか、どんな面白いことがあるのかを考えれば、おのずと彼女の真意が見えてくるのではないだろうか。
僕たちがそのことについて議論しようとしたそのとき、店員さんが複数の皿を器用に持って現れた。そしてこちらに笑顔を振りまきながら注文した品々をテーブルの上に並べていき、眼前の彩りが華やかになる。そして持ってきた品を全て置き終えた店員さんは、愛想のいい言葉を述べてから立ち去っていった。
「取り敢えず、食べましょうか」
湯気に包まれた料理は、同時に芳しい香りも放つ。その香りは空腹な身体を刺激し、加速度的に食力が湧いてくる。大して動いていない僕ですらこの状態なので、激しい運動をした彼女たちはもっと腹を空かせていることだろう。門脇さんの一言に全員が頷き、皆が料理を口に運んでいく。
ただ話は食べながらでもできる。
「不動さんの得が全然わからん。面白いこと以外に得と感じることはあるのか?」
「食事中に喋るのは行儀が悪いわよ」
先程の続きとして僕は話を進めようとしたが、何故か直江さんに一刀両断された。
「……行儀よく話せばいいんだな」
直江凛子の持論、「理由さえクリアしてしまえば、無理してそれを守る必要はない」を発動させる。相手の調子に合わせればなんも問題はないはずだ。
「やってみなさいよ」
「……すみませんでした」
しかし直江さんは冷え冷えとした瞳で僕を睨みつけた。その瞳は相手を射竦めるものであったため、僕は続きを言うことはかなわなかった。
だが、まだ手はある。
「でもアレだ。確かに行儀よく話すことは難しいが、別にそれでもいいんじゃないかな? これといって咎められるわけでもないし」
直江凛子の持論その二、「罰則されない規則なんて規則じゃない」を発動させる。行儀が悪い云々は所詮マナーでしかない。そしてマナーには拘束力はないのだ。流石に度が過ぎる態度は店から追い出されかねないが、飯の途中で喋ったくらいではそんなことはされない。僕たちは目下最優先で話し合わなければならない事柄があるため、マナーは二の次でいいはずだ。
「私が不愉快なの。いいから黙って食べなさい」
「……はい、すみませんでした」
しかしそれはまたしても失敗した。しかも今回は、直江さんは眉をひそめ露骨に不機嫌な態度をとり、あまつさえ手にしていたフォークを逆手で握り直して今にも突き刺してきそうな姿勢を示したので、僕はすんなり引き下がった。恐らくこれ以上直江さんの気に障ることをすると、とんでもない惨事が起こりかねない。無理して危険を冒す必要はないのだ。
そんなやり取りあったため、僕たちは一言も言葉を発することなく、黙々と食事をすることになった。途中早く食べ終わった番匠が追加注文するためまたしても呼び出しボタンを連打し始めたが、僕は直江さんを恐れていたためそれを注意することができなかった。というか、その行為は直江さんにとって行儀悪い行為じゃないのかよ。明らかに不愉快な行為だけど。でもそれを注意しないということは、直江さんは番匠の行為を許容できるということなのだろう。もうこの人よくわかんないよ……。
そんなこんなで、番匠と更に成瀬さんが追加注文し、その料理が運ばれてきた頃に僕たちは食べ終わった。二人が新たな料理を口に運んでいる一方、僕と門脇さんと直江さんは気を取り直して話を再開させる。
「で、不動さんの得についてだが、なんか思い当たることはあるか?」
「大会に出られる、とか?」
僕の問いに門脇さんが答えてくれるが、その答えに現実味はなかった。何故ならもし本当に大会に未練があるのなら、他人に言われて復帰するのではなく、自ら復帰するはずだからである。他人に言われてから行動している以上、不動さんにとって卓球部はそれだけの価値でしかないのだ。その程度の価値しかないのだから、そこに得があるとは到底思えない。
そのことを僕たち三人は察してしまったため、とくに否定の言葉が出てくることなくその見解はないものとなった。
「誰かのためとか」
「その誰かは誰よ」
「さあ?」
僕は思いつきを述べてみるが、やはりというか、直江さんに即否定された。例えそうだとしても、不動さんの交友関係を把握していない僕たちでは、その答えに得心が行くことは決してないのである。
「内申点を気にし始めたとか?」
「部活動に内申点は関係ないでしょ。まあ素行という意味ならわからなくもないけど、それも今更どうこうなるものでもないわ。部活動の成果を期待されて特待生になったのに、肝心の部活を辞めてしまったのだから、その時点で悪い印象しかないわ」
「確かに……」
僕の思いつきは、またしても直江さんに否定された。まあそうだよな。
最早この三人ではそれらしい答えを導き出すことができずにいた。そこで僕は助けを求めるように番匠と成瀬さんの方を見るが、二人共ガッツリと飯を食っているので、話しかけることがかなわなかった。また直江さんが不機嫌になるのも嫌だしな。というか、もしかしてこの二人は話に介入したくないから飯食っているんじゃないだろうな! もしそうだとしたらすごい回避方法だな。僕も見習いたい。
「結局、その得は不動さん本人にしかわからないじゃないかな」
「そうね。部長の言う通りだわ。外野の私たちがあれこれ議論を重ねたところで、その答えは本人にしかわからないのだから」
つまるところ、そういうことなのだ。他者がその人の本心を推量するには、それだけ判断材料を要する。しかし今の僕たちにはその情報量は不足しており、最悪なことに僅かな情報も信用性の欠けるものでしかない。そしてそれらで一応の結論を出したところで、それは嘘つきである彼女が用意したミスリードである可能性もあるのだ。結局のところ直江さんの言う通り、嘘つきの本心など本人にしかわからないのである。
ならば、本人に聞くしかない。
「私が聞いてもいいけれど、恐らく話が拗れるわ」
「そうだろうな」
「何かしら?」
「なんでもない」
事実そうなるだろうと思ってそう反応したのに、どうして直江さんは僕にそんな冷めた目線を送るのだろう。怖いんだけど。まあ直江さんがツンツンしているのは、今に始まったことではないけどな。
「じゃあ、わたしが聞こうか?」
「いや、僕が聞く」
せっかく門脇さんが名乗り出てくれたけど、悪いがこれは僕が引き受けなければならないようだ。多分だけど、門脇さんの場合不動さんに押し負けそうな感じがするからな。これ以上下手な情報に左右されるのも癪だ。だったら僕自身が疑り深く聞いて真意を確かめるしかない。
「僕は仲介役だから、その役目を全うしたい。それに不動さんを復帰させたのは僕だからな。その不動さんが何かを企んでいるのなら、それを聞き出すのは僕の責任であるわけだし」
僕は適当に言い訳を述べ、その役割を僕が引き受けた。
「そう、ならお願いするわ」
そしてそのことに直江さんは納得してくれた。
話が一段落したところで、番匠と成瀬さんはタイミングよく追加注文した料理を平らげた。もしかして話が終わるタイミングをはかっていたのかもしれない。そう思うとすごくイラってくるな。せっかくこっちは頭使って悩んでいたのに。
「では皆食べ終わったところだし、そろそろ出ましょうか」
直江さんの提案に、僕は「だな」と同意してテーブルの上に置かれた伝票を手に取る。
「割り勘でいいか?」
「冗談は顔だけにしておきなさい」
「僕がブサイクだとでも言いたいのか!」
まあ容姿に関しては自信ないけど、流石にその言い草は傷つくな。なんかいつにもまして直江さんが毒舌だ。
直江さんは徐に僕から伝票を奪い、それに目を通していく。
「風香さんと成瀬さんは明らかに食べ過ぎよ。なのに割り勘にしてしまえば、私と部長が損することになるじゃない。そんな不公平は認めないわ。ちゃんと個人が食べたものは個人で払うべきよ」
うん正論だな。ただそこに僕がカウントされていないことが気になったが、いちいち反応していたら面倒なことになるからあえてスルーしておこう。
そうこうしている間に直江さんはスマホの電卓アプリを起動させ、律儀にもそれぞれの支払い金額を算出していた。
「いや、レジで個別精算すればいいから、今計算する必要ないだろ」
「レジでもたつくのが嫌なの。あらかじめ金額を用意しておけば、スムーズに会計を済ませることができるでしょ」
「そ、そうだな」
この人はどこまでも几帳面で生真面目だな。まあそれが長所でもあり短所でもあるけどな。
そんなこんなで、僕たちはレジに向かう前に財布を取り出し、支払い金額を用意することとなった。そしてせっかちな番匠はまたしても財布を忘れ、そのことで僕と直江さんの堪忍袋の緒が切れたのであった。
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