第16話 嘘つき女子にとっての過去


 人に本心を尋ねる。それは気が重たくなる行動であった。しかし不動さんとのファーストコンタクトのときを思い返せば、今回はそこまで気が重たいということはなかった。一応雑談を交わした相手であるので、また関係ない雑談から入ってそれとなく本題に移ればいいわけだしな。まあ僕が業を煮やして唐突に尋ねたとしても、そこまで変な話になるとは思えなから、気楽に構えておこう。


 僕としてはさっさと用件を済ませたかったので、最初のときと同様朝一で不動さんに話しかけようとした。だがどうやら彼女はまっとうに部活動しているらしく、今朝は卓球部の朝練に顔を出していたようだ。そのため、話しかけるタイミングそのものがなかった。


 結局休み時間に一言「ちょっと話がある。時間作ってくれないか?」と伝えると、不動さんは「じゃあ昼休みに」と即答したので、今こうして不動さんと向き合っている。


 場所は屋上に通じる階段の踊り場である。ここは普段人が立ち入らないところなので、秘め事を話すのに適した場所だ。


 光源は屋上の扉の窓から差し込む日差しのみであるため、昼間なのに薄暗い場所であった。屋上は安全のため立ち入り禁止となっており、扉は施錠され固く閉ざされている。そのせいか空気の流れ自体がなく、埃が漂い、陰鬱で重たい空間だった。


「全然人が来ない場所だから、ボクはこの場所、結構気に入っているんだ」


 ここには余った机や椅子が放置されており、不動さんはこの場所に到着するやいなやそう呟きながら椅子を取り出して埃を払い、それに座った。僕もそれに倣い、椅子を用意して埃を払ってから座った。


「お昼まだなんだ。食べていいかい?」


「別にいいけど、よくこんな埃っぽいところで飯食えるな」


「ボクはそういうの、あまり気にしていないかな。確かに大量に吸い込むのは身体に毒かもしれないけど、それにしたって即効性のあるものでもないからね。一時的なら別にいいでしょ」


「まあ、そんなものか」


「そんなもんだよ。それに便所飯よりは衛生的だと思うけどね」


「そうりゃそうだな」


 僕としては、いくら食べる場所がないからといっても、流石にトイレで飯は食えない。でも実際にトイレで飯を食べる人はいるのだから、不思議なもんだ。


「まあ言うても、ここもゴキブリとかネズミとか出るけどね」


「マジかよ! 勘弁してくれよ」


 不動さんの言葉に、僕は思わず立ち上がって周囲を警戒した。


 しかしそんな僕の反応がおかしかったのか、不動さんは吹き出して笑った。


「嘘だよ。ボクはこの場所でゴキブリとかネズミとかは見たことないよ。でも見てないだけでいるかもしれないけどね」


 しまった! またしても自然に嘘をつかれたぞ。そしてまんまと騙された。なんて人なんだ、この人は。侮れない。


「キミは面白いリアクションするね。騙しがいがある」


 一方不動さんは満足した様子であり、楽しそうに笑っている。しかし笑っているこのときも不動さんの目は笑うことなく真面目な視線を僕に向けてくる。この人本当に表情が器用だな。表情豊かと言うことはあっても、表情が器用なんて表現は初めてしたよ。不動さんは実に不思議な人だ。


 そんなこんなで、一通り笑い終えた不動さんは、制服のポケットに押し込んでいたパックのジュースを取り出し、ストローを差して飲み始めた。


「そういえば飯がまだとか言っていたな。でも肝心の飯はどこだよ。まさかポケットにしまえるものでもないし」


 不動さんは現在手ぶらである。これといって弁当やパンなどを持っている様子もない。不動さんは昼飯として一体何を食べるつもりなのだろう?


「ああ、教室にあるよ。話が終わってから食べるつもり。早弁もしたから、食べ終わるのにそこまで時間かからないからね。流石にこんな埃っぽい場所でご飯は食べられないよ」


「ちょっと待てッ!! それすらも嘘だったのかよ!」


 アンタさっきあまり気にしていないとか言ってなかったか!? それも嘘だとすると、さっきまでの会話全てが無意味なものになっちまうじゃねぇか。なんて人だ。もうこの人が話すことはなにも信用できないぞ。


「アハハハハ。やっぱりキミのツッコミはいいね。ボクはますますキミを気に入ったよ」


「あ、ああ。それはよかったな」


 相変わらず顔の下半分だけで笑う不動さんだが、嘘つきな彼女からそんなこと言われても素直に喜べない。僕はこめかみの辺りを指でかきながら、適当な反応をするしかなかった。


「まあ別に飯食ってからでもよかったんだけどな。不動さんも付き合いとかあるだろ? なんか邪魔して悪かったな」


「全然気にしてないよ。むしろ嬉々として見送られたくらいだ」


「嬉々として?」


 不動さんの友人は、不動さんと一緒に飯を食うことが嫌なのだろうか? クラスメイトとして不動さんと友人のやり取りを見ている限り、そんな雰囲気は感じ取れなかったけどな。不動さんは個性的で愛嬌のある人だから、嘘つきという個性があっても別段人に嫌われるような人物でもない。そもそも不動さんの嘘を許容できるからこそ、周りの人間は友人として人付き合いができているはずである。だからこそ、そのやり取りはなんとなく腑に落ちなかった。


「ほら、キミが真剣な表情で『話がある』って言ってきたから。ボクはてっきり愛の告白をされるもんだと思って、それを理由に今日はお昼を一緒にしなかったんだ。あの子達も流石に人の恋路を邪魔するような野暮なことはしないからね。むしろ恋バナに興味津々な高校生だから応援されたよ」


「お前なんてことを言うんだッ!!」


 不動さんは目を閉じ、自分自身を抱きしめてクネクネと身を捩りながら恍惚と言った。それは正しく恋に焦がれる乙女のような態度だった。確かに不動さんも女子だが、しかしそれ以上に彼女は嘘つきである。自分が得すること、自分が面白いと思えるようなことになるなら、どんなことでもする人なのである。


 問題があるとすれば、それを本当に不動さんの友人に言ったかどうかである。もし本当にその理由でお昼を断ったのなら、僕は世間的に不動さんを恋慕していることになってしまう。そして人の口に戸は立てられない。故に、このことが門脇さんの耳に入る事故が発生しかねないのだ。そんなことになれば、僕が想いを寄せている門脇さんはそれを信じてしまうだろう。もしそうなったら、僕はとても立ち直れそうにない。


「いやー皆驚いていたよ。まさか渡部がねーって」


「ほ、本当にそう言ったの?」


「言ったよ。何か問題でも?」


「問題しかねぇだろ!?」


「そうかな? ボクとしてはお昼を断る口実になったし、皆の反応を見て楽しむこともできたし、なによりこれからキミが好奇の目で見られることになるのを楽しみにしている。いいこと尽くめじゃないか」


「それはお前の都合でしかないぞ!」


 そうであった。不動さんは利己的な人であり、楽しさを追求する人でもある。だからこそこういう事態に陥る可能性もあるのだった。これまで騙されつつもちょっとした雑談を楽しんでいた僕だが、どうやら不動真理菜という女子を少し見誤っていたようだ。彼女の個性を、少し甘く見ていた。なんてこった。この人恐ろしい。


「間違った噂が広がったらどうするんだよ!」


「まあまあ、そういきり立つなよ。人の噂も七十五日っていうだろ」


「そうだとしても、そういう噂が流れた事実には変わりない。それにそんなに長く耐え続けられるほどの忍耐力は僕にはない。七十五日も待ってられるかッ」


「確かにそれも一理ある。七十五日なんて僕たち学生にとっては膨大な時間だからね。嫌気がさすのも仕方がない。ちなみにこの『七十五日』は、季節一つ分とする考えがあるんだ。日本には四季があるけど、厳密には季節と季節の間に土用の丑の日があって、それもカウントすると日本の季節は五つあることになる。そして一年間を五で割ると七十三。七十五に近いだろ。だから『人の噂も七十五日』って言葉は、噂は季節が過ぎれば忘れられるって意味なんだ」


「なんだよ、急に。そんなうんちくはいいよ」


「うん。そういうと思ったよ。ちなみに今のは思いつきで言っただけで、真実かどうかは自分で調べてくれ」


「長々とうんちく語っておいて、確証のある話じゃなかったのかよ!?」


 もうヤダこの人。言っていること適当過ぎるよ……。


 しかし当の不動さんは実に楽しそうであり、僕のツッコミを受け、腹を抱えて大爆笑した。ちなみに案の定、不動さんの目だけは笑っていなかった。


 だがこのままでは不動さんの独擅場だ。面白い雑談だけして昼休みが終わりかねない。ここは強引にでも本題を切り出すしかないようだ。


「そろそろ本題に移っていいか?」


「ああ、愛の告白のこと?」


「それはもういい。そうじゃなくて、僕はどうして不動さんが卓球部に復帰したのか聞きたいんだ」


「そりゃあ、キミにお願いされたからだよ。おかしなこと聞くね」


「そうれはそうだが、そうじゃないんだ。一応僕も卓球部で起きた騒動のことは聞いている。卓球部での不動さんの立場も知っている。だからこそ、すんなり復帰する気になった不動さんが不思議でたまらないんだ」


 僕は喋りながら不動さんの表情を伺った。核心に迫った質問をしたので、いつもと違う表情になるのではないかと期待していたのだが、残念なことに不動さんの表情はいつもと変わらなかった。いつも通り、口元だけ微笑み目は笑っていない独特の表情。不敵な笑みを思わせる仮面のような表情である。


「多分誰かから聞いていると思うけど、ボクは利己的な人間であるらしい。損得勘定で物事を判断していると。ボクとしてもそういう自覚はあるから、キミの疑問にはこう答えるべきだろうね。ボクにとって、卓球部に復帰することが得となる、と」


「その得がよくわかないんだ。僕だけじゃない。卓球部の皆がそうだ。こういう言い方はよくないとは思うけど、不動さんは嘘つきである故に完全に信用することができない。だからこそ何か企んでいるのではないかと勘ぐってしまうんだ」


「それは杞憂だよ。もう何かを企んだりしてないよ。得といったのも、過去の卓球部に比べれば今の卓球部の方がマシってことだけ。言わばマイナスがゼロになっただけのことだよ。過去の事件のことを聞いたキミなら、納得してもらえると思うけど」


 確かに不動さんの言うことはもっともだ。酷かった部活がまともになったのだから、それだけでも得となる。


 しかし僕としては、不動さんのその言い方が気になった。厳密に何が気になったのかははっきりとしないが、何か釈然しないというか、違和感を覚えた。


「その、過去の騒動について、もう恨んでないのか?」


「恨む? どうして? ボクがやったことだから恨むのは筋違いでしょ」


「ん?」

「ン?」


 僕は思わず訝しんで不動さんを見つめた。一方不動さんは、どうしてそんな視線を投げかけられるのか不思議でいる様子だった。


 なんか、話が噛み合っていない。僕が認識している卓球部の事件は、〝全中四天王〟を快く思わない上級生が彼女たちに嫌がらせをし、それがエスカレートしたことによって窃盗事件がでっち上げられた。そしてその犯人にされたのが目の前にいる不動さんなのである。それを切っ掛けに不動さんは部を辞め、他の三人も続くように退部したのだ。


 言わば不動さんは被害者である。なのに「ボクがやったことだから恨むのは筋違い」とは、どういうことなのだろう。


 僕は不動さんの言葉を反芻して思案する。すると先程の釈然としない何か、言い知れない違和感の正体が判明する。


 先程不動さんは、「もう何かを企んだりしてない」と言った。それはどういう意味なのだろうか?


「一応確認するが、不動さんは仕組まれた窃盗事件の犯人にされて退部したんだよな?」


「そうだよ。ボクが先輩のものを盗んでもなんの得にもならないからね。ボクはありもしない罪を咎められただけだ」


 不動さんの口からそのことを聞けて、僕は内心でホッとした。僕の認識に間違いはなかったようだ。


 しかし不動さんは唐突に「ただ……」と言い、言葉をつなげた。


「キミの認識は完璧ではない。テストで言うならば、百点満点中七十点くらいの答えだ」


 そして不動さんは何気なく重大なことを明かしたのであった。


「そ、それは、どういうこと?」


「どうって、実際に起きたことは、〝全中四天王〟を嫌っている先輩たちが窃盗事件をでっち上げ、ボクを犯人にしたけど、そもそも


 僕は驚愕のあまり声が出なかった。というよりも、不動さんが何を言っているのか理解できなかった。


「なに? そんなアホみたいな顔して」


「いや……え? どういうこと?」


「だから、練習に異を唱えた〝全中四天王〟だったけど、それは先輩たちに拒否された。そのことが切っ掛けで先輩たちはボクたちを嫌ったんだ。そこでボクは先輩たちの鼻につくような態度を自然にとることで、嫌がらせを誘発させた。そしてそれを段階的にエスカレートさせ、先輩たちがボクたちを追放するくらいの事件を起こすよう仕向けた。言わばことになる。OK?」


「いやOKもなにも、はぁ? 直江さんや門脇さんの言っていることとまるで違うぞ」


 僕の知っている事実は、直江さんと門脇さんから聞いたものである。そこに悪意などなければ、その事実はそのまま二人が認識している事実になる。当事者である二人の証言なのだからそこに間違いはないと思っていたけど、そうではないようだ。


 どちらかが嘘をついている。であるなら、嘘をついているのは嘘つきという個性を持っている不動さんとなる。不動さんはまたしても僕を騙しているというのか!?


 しかし不動さんは僕の疑念を無視し、


「先輩たちも騙したけど、それ以外に凛子も騙した。まあ風香は周りの判断に任せるきらいがあるから放置したけど、基本的には卓球部の部員全員を騙したことになるかな」


 と、平然と答えた。不動さんは卓球部そのものを騙した、そう言ったのだ。


「どうしてそんなことをする必要があったんだ?」


 僕は尋ねずに、いや詰問せずにいられなかった。


 しかし不動さんは意外だとでもいうかのように目を見開いて僕を見つめた。


「え? ボクのところまで辿り着いたんだから、てっきり全容を把握しているものだと思っていたよ。違うの? じゃあ教えない」


「教えないじゃないだろ。教えろよ」


「んー、ダメだね。本来なら、キミはボクに到達する前にもう一人と接触するべきだったんだよ。そうすればボクのところで躓くこともなかったのに。……いや、遠回りになるけど、こっちの方が面白いかもしれないね。認識が転覆したことで、真実に辿り着くみたいで」


 不動さんは言葉の途中で一度ニヤリと微笑み、含みのある言い方をした。


「どういうことだよ。もう一人ってなんのことだ?」


だよ。過去に卓球部で起きた出来事の。ボクは個性を買われて言うことに従った、言わばに過ぎないのだよ」


「黒幕……だと?」


「そう、黒幕。そして〝全中四天王〟の一人。他人を観察して誰がどう動くかを完全予測し、思うがままに相手を動かして人間関係を粉々に砕いてしまう。そんな悪魔みたいな腹黒い女だよ」


 その言葉に、僕はハッとした。そういう人物に、心当たりあったのだ。


 


「ま、まさか……」


 そして〝全中四天王〟は全員僕の知り合いである。そのような人、一人しかいない。


「そのまさか。黒幕の名は黒木智美。現生徒会長で、かつて〝僥倖〟と呼ばれた女だよ。〝全中四天王〟の中で最も守りが固く、そしてどこまでも真っ黒な奴だよ」


 不動さんはいったん区切り、そして続きを言う。


「ボクと智美の二人で、卓球部を潰したんだよ」





〈第三部『虚偽のドライブ』、了〉


〈第四部『僥倖のブロック』に続く〉


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