第22話 僥倖のブロック(2)


 完璧すぎる予知と誘導。黒木智美が持つ最強の能力。こんな能力、どう太刀打ちしろというのだ。


 しかし僕のそんな懸念も、隣から打ち消された。


「じゃあ、凛子も負けたことだし、次はボクが相手になるよ」


 その不動さんの発言に、僕は驚愕を禁じ得なかった。


 不動さんが黒木さんに試合を申し込んだのだ。あの絶対無敵の能力を持つ黒木さんに。僕には不動さんの意図が読み取れず、頭の中に疑問符が浮かび上がった。しかし当の不動さんは、いつもと変わらず不敵な笑みを思わせる独特な表情を浮かべているだけであり、その表情からは彼女が何を考えているのかを窺うことはできなかった。


「どうして、真理さんと試合しなければならないのかしら?」


 そして僕と同様に、黒木さんも不動さんに訝しんだ眼差しを向けた。


「いや、だって、智美さっき言っていたじゃないか」


 そして問われた不動さんは、その真意を語りだす。


「凛子と試合する前、智美が勝ったら今までのことはなかったことにして仲良くしようって。そして智美が負けたのなら許してもらえるまで謝るって。このとき凛子の勝ち負けではなく、あくまで智美の勝ち負けでしか要求を言っていない。つまり、誰が相手でもいいから、とにかく智美が勝って負けるという構図になれば、謝罪して和解するってことにならざるを得ないってことだよ。だから智美、ボクと勝負しよう」


 僕は思わず呆けた顔になり、唖然してしまった。でも確かに、不動さんの言う通りである。黒木さんの言葉は、ある意味ではそういう解釈ができてしまうのだ。そしてその解釈であれば、直江さんも黒木さんも互いに理解を示し、全てが丸く収まってしまうのだ。


 これはまさに妙案であった。


 しかしながら、不動さんはいかにして黒木さんを下すつもりなのだろうか?


「フフフ……フフフフフ」


 僕が疑問を抱いたまさにその瞬間、黒木さんが口元に手を添えて笑い出した。


「フフフ、アハハハハハ!」


 そしてそれは爆発したかのように、哄笑に変わった。その笑いは収まる気配はなく、しまいには腹を抱えてその場に蹲ってしまった。五人しかいない第三トレーニングルームに黒木さんの笑い声だけが反響する。


「あーあ。やっぱり真理さんは面白い! ワタシにとってアナタはまさにジョーカーね。とてもかなわないわ。いいでしょう。その勝負、受けて立ちます」


 黒木さんは必死に笑いを収めようとしながら、そう返事した。突然の妙案に黒木さんも予測しきれなかったようだが、様子を見る限り別段不快に思ったわけではないようだ。黒木さんは笑いすぎて溢れた涙を指で拭き取り、再び台についた。そして不動さんも直江さんと入れ替わりで台につく。


 二人はサーブ権を決め、早速試合を始めた。攻撃型である不動さんは積極的にドライブを打ち、果敢に攻め込んでいる。一方防御型の黒木さんは、飛び交う高速の打球をラケットで防いでいる。


 不動さんのドライブの威力があまりにも強いため、黒木さんは最早ラケットを振ってすらいない。ただドライブに立ち塞がるかのようにラケットを添えるだけであり、不動さんの打球の勢いをそのまま反射させていた。それはまるで斬撃を弾き返す盾のようである。黒木さんは不動さんのドライブによる猛攻をひたすらブロックしていった。


「どこにボールが飛んでくるのかがわかる。それは防御をする人にとって最大の武器になり得る。打球予測という能力と防御型というスタイルは、まさに鬼に金棒よ」


 僕は夢中で目の前の試合を見ていたが、不意に隣から声が聞こえてきた。それは不動さんと立ち位置を入れ替えた直江さんだった。直江さんは相変わらず怒っているかのような険しい表情をしていた。


「まあ……そりゃそうだろ」


 それは卓球に限らず全てのスポーツでも同じことが言えるだろう。来るとわかっている攻撃など容易に防げるはずだ。黒木さんの場合は、それが極限まで磨きぬかれているだけである。


 ただその黒木さんの能力も、まだ相手を観察している段階なのか、時々ブロックに失敗して点を取られていた。そしてそれは徐々に積み重なり、不動さんと黒木さんの点差は大きく開いてしまった。


「なんか今回は、能力の発動が遅くないか?」


 不動さんはとうに五点目を獲得しており、試合は折り返し地点に到達していた。段々と打球予測が発動されブロックの精度は増しているが、しかしまだ打球誘導を発動するまでに至ってなく、黒木さんが巻き返すことはなかった。


「こんなものよ。いつも能力が発動するのは、マッチポイントギリギリのタイミングだもの。場合によっては一ゲームを犠牲にすることだってあるわ。私との試合は単純に、私の卓球が真面目で真っ直ぐ過ぎるから、傾向を読み取るのが容易であっただけよ」


 僕の質問に、直江さんは嫌な顔をしつつも律儀に教えてくれた。確かに相手の行動を観察してそこから予測を立てるなど、簡単にできる芸当ではないな。納得した。


 黒木さんの打球予測は完成に近づいているのか、不動さんの放つドライブを先読みして反応し始めた。不動さんがラケットを振るったそのときには、もう既に打球の方向や勢いに加えてボールの回転までを算出しており、それに対応できる動作に入っている。そんなこんなで、ドライブの猛攻によってどんどん加速していくボールを、黒木さんは打球予測によって加速度的に増した反応を駆使して的確に捌いていく。黒木さんの防御力は格段に上昇していた。


「それでも、真理菜さんのひねくれた卓球に対応することはできないわ」


 僕は直江さんのその呟きに同意する。確かに黒木さんは打球予測により強固な防御力を築いているが、それでも不動さんの攻撃は通るのだ。


 絶対に見抜けないフェイントを、絶対に対応できないタイミングで打ち込むその技。不動真理菜の能力、虚偽の打球。


 動きと実際に放たれる打球がちぐはぐなその技は、例え黒木さんの打球予測があったとしても見破れない。


 いや、打球予測という能力があるからこそ、虚偽の打球は威力を発揮する。


 相手を観察することで行動パターンを予測する。しかしその観察に綻びがあったとすれば、予測にも綻びが生じてしまう。


 一つの動きから予測したいくつかの行動パターンだが、もしそれ以外にも行動パターンが存在していたのなら、その予測は破綻する。また、もし観察結果に偽りが混じっていれば、やはりそこから構築される予測は使い物にはならない。


 本物は一つだが、偽りは常に無数に存在している。


 そして偽りから得られるものは、どうあがいても偽りでしかないのだ。


 だからこそ、不動さんの欺瞞は、黒木さんに効果覿面なのである。


 観察から予測を構築し、それを発展させて誘導する。そんな戦法の黒木智美にとって、嘘の塊である不動真理菜はまさに天敵であった。これがただのフェイントであれば、黒木さんもそれを加味し予測して対応しただろうが、今回ばかりは相手が悪かった。


「もしかして、黒木さんの『絶対に勝てる相手』というのが直江さんで、『絶対に負ける相手』というが不動さんなのか?」


 僕は以前直江さんから聞いた〝全中四天王〟の関係性を思い出していた。彼女たちには「絶対に勝てる相手」と「絶対に負ける相手」、そして「勝つか負けるかわからない相手」というのがあり、四人ともこの三種類の相手がいるとのこと。現に黒木さんは直江さんに圧勝しているし、不動さんに対して圧倒的に劣勢でいるので、それぞれがそう当てはまるのだろう。


「そうね。その通りよ。真っ直ぐ過ぎる卓球をする私には勝てて、ひねくれた卓球をする真理菜さんには負ける。能力故にそうなってしまうのよ」


 そしてその直江さんの言葉を証明するかのように、不動さんの虚偽の打球は黒木さんの防御を打ち抜き最後の点を奪っていった。結果を見てみれば、黒木さんは一点も得ることなく負けていた。不動さんの圧勝である。


「続き、やる?」


 一ゲームが終わったところで、黒木さんが直江さんに言った言葉を、今度は不動さんが黒木さんに言い放った。


「いいえ。真理さんの嘘は底が見えないから、これ以上やっても勝ち目はないわ」


 そして黒木さんは間欠泉の如く吹き出てくる汗を用意したタオルで拭いながら、負けを認めた。


 これにより、黒木さんは勝って負けたことになった。


「なら早く済ませよう。卓球部の皆が戻ってくる前の方がいいでしょ」


 これまで審判を勤めていた番匠は、手に持っていた得点板を振り回しながら急かす。せっかちである番匠らしい催促であった。


「そうね。そうしましょう」


 そして黒木さんは番匠の催促に従い、直江さんに向き直る。直江さんも真剣な表情で黒木さんを見つめる。


「卓球部の過去の騒動にて、ワタシの策略によって迷惑をかけてしまったこと、本当にすみませんでした」


 黒木さんは謝罪の言葉を述べたのち、深々と頭を下げた。


「ええ。約束ですもの。その謝意、しかと受け止めました。これからもどうか、よろしくお願いします」


 そして直江さんも頭を下げた。


 こうして直江さんと黒木さんは、ぎこちないながらも和解したのであった。





〈第四部『僥倖のブロック』、了〉



〈エピローグに続く〉





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