第18話 策士な女の子(2)


 黒木さんに言われ、卓球部の騒動をおさらいすることにした。


 北総高校卓球部に入部した特待生こと〝全中四天王〟の四人は、入部早々卓球部の問題点を見つけ、それをまとめて異を唱えた。しかし先人を尊ぶ保守的な上級生はそれを跳ね除けた。そのことにより、〝全中四天王〟と上級生の間に亀裂が生じた。


 そして上級生は〝全中四天王〟に無意味な練習を押し付けると共に嫌がらせを始めた。それがエスカレートした結果、上級生は窃盗事件をでっち上げ、その事件の犯人を〝全中四天王〟の一人である不動真理菜にすることで彼女を糾弾した。それにより不動真理菜を擁護していた〝全中四天王〟との亀裂は明確化され、完全に対立してしまったのだ。


 その後不動真理菜は、窃盗事件の冤罪を理由に部を退部。他の三人も部に不信感を抱いたために退部していった。


「確かに……全てが上手く行き過ぎている」


 僕は一つ一つ整理しながら把握していることを述べていった。そして一連の騒動の概要を改めて見直すと、確かに不自然なほどにスムーズにことが運んでいた。まるで誰かがその結果に至るようお膳立てしていたかのように。その誰かは不動さんであるのだが、それは真実の一端を知った僕だからこそそう言えるだけであり、表面上の出来事だけを見ればやはり何かがおかしいのだ。


「不自然な点その一。どうして先輩方はワタシたちに嫌がらせをしようとしたのか」


 僕が騒動の不自然さに気がついたところで、黒木さんは唐突にそう質問してきた。立てられた指はそのままに。


「何故って……、そりゃあ、一年生である〝全中四天王〟が先輩に歯向かったからだろ」


 不動さんが上級生をけしかけたことが主な要因ではあるが、今は何故誰も不自然さに気がつかなかったかの話であるので、裏側の要因は除外した。


「ならば、上級生という威厳をもってして釘を刺せばよかったのよ」


「それが無意味な練習の押し付けじゃないのか? 部の規律を維持するということで、強制したのだろ」


「ならそこで話は終わるはず。嫌がらせに発展する根拠がない。いくらワタシたちを嫌っていたとしても、嫌がらせは流石にやりすぎよ」


「ああ、確かに……」


 そう言われてしまえば、僕は納得せざるを得なかった。下級生の意見に反対し、その後上級生が念押しすればそれで済む話である。そしてそれでも言うことを聞かないのなら、嫌がらせされても――決して褒められた行為ではないが――仕方がないことなのかもしれない。


 だがそうではない。〝全中四天王〟は従来の練習を言われた通りこなしていたので、言うことを聞いていないわけではないのだ。しかし事態はそこで止まらず発展した。


 つまり客観的に見てみると、〝全中四天王〟が異を唱え、それが否定されたのち、何故か嫌がらせが発生したのだった。普通に考えれば、過去の騒動の発端は何かが抜けているのだ。


「そして不自然な点その二。何故嫌がらせはエスカレートしていったのか」


 そして黒木さんは立てた人差し指をそのままに、新たに中指も立て、二本の指を僕に見せつける。


「先輩たちの性格がアレだったというのもあるだろうが、多方嫌がらせを受けても平然としている一年生に苛立ちを覚えたのだろう」


 やはりこれも不動さんというイレギュラーを除外して、表面上のことだけで話を進める。


「でもそれにしたって、短期間で発展しすぎよ」


「短期間?」


「そう。凛さんが図書部に入部した時期を覚えているかしら?」


 そう問われ、僕は数秒間記憶を探ってその答えを見つける。


「確か僕が入部してから一ヶ月か二ヶ月後くらいだったかな。妙な時期に入部してきたから、そのことは印象が強かった」


 まあその後の直江さんのキャラクターが強烈過ぎて、そのことは段々薄れていったけどね。


「じゃあ長く見積もって二ヶ月としましょう。四月に入学して卓球部に入部したわけだけれども、六月までに退部して凛さんは図書部に入部した。その間に嫌がらせがあり、それがエスカレートしていき、最終的に窃盗事件が発生し、そのことで揉めたということになるわね」


「ああ……」


 僕はその事実を認識して唖然とする。


「これが仮に半年とか一年の出来事ならまだ理解できるけど、二ヶ月間の出来事としては異常よ。よほどの悪意がない限り、このような事態にはならない」


 黒木さんの言うことはもっともだ。確かに濃密過ぎる二ヶ月である。そこまで事態が悪化するにしても、明らかに早すぎるのだ。


「そしてこの二つの不自然な点に共通することがあるの。それは悪意よ。最初の段階で嫌がらせをするよう先輩方に悪意を抱かせ、その後その悪意を増幅させた」


「つまり、そこには誰かの作為があった」


「そう。そしてこれまで誰もその作為に気がつかなかった」


 何てこともない。深く考察すれば誰でも気づくことである。しかし不覚にも、僕を含めた全員、それに気がつかなかった。


「でもアナタなら、もうその誰かはわかっているのでしょ」


 黒木さんは立てていた指を引っ込め、僕を見つめながらそう言う。


「ああ。その誰かは不動さんだろ。本人から聞いた」


 ここでようやく、裏側の要因を絡めていく。


「ワタシとしては、是非とも推理してその答えに到達してほしかったけどね」


「あいにく僕には、ミステリー小説に出てくる探偵役のような器量はない」


 黒木さんは「そうね」と短く、上品に微笑みながら返事した。


「不動さんは自分で嫌がらせを誘発させ、段階的にエスカレートしていくよう仕向けたと言っていた。仕組まれた窃盗事件を仕組んだとも言っていた。それは本当なのか?」


「ええ、そうよ。人を騙すことに長けた真理さんなら、そういうことは造作もないはず。その証拠に、その窃盗事件の犯人は真理さんということになったわ」


「証拠? 犯人にされたことが証拠になるのか?」


「そう。だって犯人に仕向けられたということは、先輩方の標的が真理さんだってことになるでしょ。他の三人ではなく真理さん一人に。それはつまり、先輩方が一番嫌っている人物は真理さんということになるわ」


「でも、先輩たちは〝全中四天王〟を目の敵にしていたのだろ?」


「ええ。ワタシたち〝全中四天王〟、とくに不動真理菜が嫌い、というのが先輩方の認識よ」


 僕はそれを聞いて瞠目した。僕は前提を間違えていることに気がついてしまったのだ。


 確かに上級生は〝全中四天王〟を嫌っているが、強い悪意を抱くほどのものではなかった。上級生が強い悪意を抱いていた相手は、不動さんただ一人なのである。


 最初は上級生と〝全中四天王〟の対立であったが、いつの間にか上級生と不動真理菜の対立にすり替わっていたのだ。不動さんだけが集中砲火されていて、その飛び火が他の三人に降り注いでいたに過ぎなかったのである。


 そしてその構図を、不動さんは意図的に作り上げた。まるで他の三人を守る盾となるかのように。


「真理さんには、損な役回りを押し付けるかたちになってしまったわ」


 そして僕の至った考えを読んだのか、黒木さんは悔いているような口調で呟いた。


「でもそれを考えて不動さんに入れ知恵したのは、紛れもなく会長ですよね?」


 不動さんは言っていた。自分は実行犯であるだけで、黒幕ではない、と。


 その黒幕は黒木智美という女子であると。


 そして黒木さんも、この話を始める前に潔く自分の非を認めた。


「どうしてこんなことをしようと思ったのですか? それもこんなにもややこしく人間関係を崩すやり方で」


 この真実において、唯一わからないのが、その動機である。そして僕はそれを尋ねずにはいられなかった。


「部を辞める理由が欲しかったから、ではダメかしら?」


 黒木さんはスーっと視線を逸らし、窓の外を見やる。僕もその視線を追いかけた。穏やかな冬の放課後の空は、暮れゆく夕日に彩られて茜色となっていた。空気が澄んでいる分透き通るような夕焼けであり、絵になる風景であった。


「辞める理由って、どういうことですか?」


 僕は視線を戻し、黒木さんを見つめた。黒木さんはまだ外を見ているため、僕の視線の先は彼女の美しい横顔であった。


「ほら、特待生であるワタシたちは、よほどの理由がない限り、部活を辞めることができないでしょ」


「それはわかっている。僕が聞きたいのは、どうして卓球部を辞めようと思ったかだ」


 じれったさに、僕は思わず口調が強くなってしまった。


「ワタシたちが、弱くなっていくと思ったからよ」


 しかし黒木さんは僕の口調を気にすることなく、儚げに放課後の空を見つめながら答えた。


「その世代にとって非効率な練習を続けた結果、強豪校であった北総高校は弱体化した。そしてそれと同様のことをすれば、〝全中四天王〟も同じ道を辿ると察してしまったのよ。ならば自分たちが弱くならないよう、その練習に染まる前に手を打ちたかった」


「でもそれは、本末転倒じゃないか? どんな練習であれ、部活を辞めた人と比べれば確実に差は出る。辞めたら辞めたで、余計弱くなると思うのだが」


「違うのよ、渡部くん。部活動に所属して弱くなるのと、部活動に所属しないで弱くなるのとでは、その意味合いは違ってくるのよ」


 僕は小首を傾げた。言いたいことはなんとなくわかるが、実際それがどう作用するのかがわからなかった。どちらも一様に弱体化するではないか。


 しかし未だに視線を逸している黒木さんは、そんな僕の反応を察することはできない。ただ数拍の沈黙が過ぎ去ったのち、続きを語り始めた。


「部活動に所属して練習していれば、いずれ大会で試合に出なければならない。そしてその場でワタシたちが弱くなったことが、大勢の人に知られることになるわ。中学生のとき〝全中四天王〟という伝説を作ってしまったばかりに、その注目度は絶大よ。弱くなるとわかっていて練習に参加し、おめおめと大会で醜態を晒すほど、ワタシたちはマゾヒストではないわ」


「だからといって、投げ出すものなのか? そんなの、中途半端じゃないか」


「通常ならば、そうね。でもワタシたちは違う。むしろ価値観としては、逆転するわ」


「……すまない。よく意味がわからない」


「ワタシたちは〝全中四天王〟という伝説があるの」


 そして黒木さんは思案顔をして一旦中断し、数秒の間ののちに再開する。


「プロスポーツ選手を例にすればわかりやすいかしら。優秀な成績を残したスポーツ選手が、年齢に伴い衰えていく身体に鞭を打ってまで現役を続ける。でも次第に若い選手にかなわなくなっていき、いつしか二軍落ちし、そしてひっそりと消えていく。でも一方で、全盛期に引退すればどうかしら。惜しまれながら引退し、人々はその人が残した記録をいつまでも眺めていく。衰えた姿を見せることなく、よかったときだけを記憶に残してく。そうすれば、その人が築き上げた伝説に傷がつくことはない」


「確かに、一理ある」


「ではワタシたちに当てはめてみましょう。中学生のときに〝全中四天王〟という伝説を作ったワタシたちは、高校で弱体化してその伝説に傷をつけることになるわ。そうなることが確実なら、いっそのこと潔く退部して醜態を晒さなければ、ワタシたちは伝説のままでいられる。畏怖すると同時に憧憬していた同世代の子たちが、変わり果てたワタシたちに落胆することはなくなるわ」


 黒木さんは徐に目を閉じる。そして数瞬ののち目を開け、僕の方に向き直って真っ直ぐ見つめながらこう言った。


「ワタシたちは、自分という個を守るため、集団という全から抜け出した。コミュニティーが個性を殺すのなら、そんなコミュニティーに所属する意味なんてないもの」


 黒木さんの眼差しと口調は、上品ながら力強いものがあった。それ故、それは黒木さんの本心であることが窺い知れた。


「それでも、人は集団に属さないことはできない」


「そうね。だからこそ、捨てることのできる個性は捨てて同調しなければならない。でももし捨てなければならないものに譲れないものがあった場合、そのどちらかを選択しないといけない。そしてワタシたちが選んだのは後者。自分を見失うくらいなら、所属するコミュニティーを選ぶわ」


 その言葉から、黒木さんは頑なに個性を大事にしようとしているのがわかった。それと同時に、どうしてそこまで個性を大事にするのか疑問に思った。


 ふと、僕は門脇さんの説明を思い出した。


 十人十色の競技。それが卓球。そう言っていた。


 そしてそれは、中学生の頂点に近づいた〝全中四天王〟も例外ではない。


 究極のせっかちである番匠風香は、いかにして早く試合を終わらせられるかということに重きを置き、初球で必ずスマッシュを打ち込む卓球をしている。


 歪んだ生真面目である直江凛子は、自分の思い通りに打球が進むよう練磨し、それによって得られた精密な技術を用いることで、相手にとって不利な場所を狙い打つ卓球をしている。


 愉快な嘘つきである不動真理菜は、持続的に攻撃をすることで相手の余裕を奪い、その場面で事前動作に変化がないフェイント打ち込み、相手の虚を突く卓球をしている。


 皆それぞれ、自分の個性を卓球のスタイルに反映させているのだ。そしてそれはつまるところ、彼女たちの個性はそのまま強さに直結しているのだ。


 個性は強さである。


 人が最も能力を発揮できるときは、最も全力になれるときは、己を突き通したときだけなのだ。


 そのことを理解しているからこそ、彼女たちは〝全中四天王〟と呼ばれるくらいに強くなることができたのだ。そして理解しているからこそ、自分たちの個性を死守しようとした。


 このことに気がついたことにより、僕は黒木さんが頑なに個性を守ろうとした理由を理解することができた。


 黒木さんを含む四人の少女たちは、自分たちが弱くなることを恐れたが、それ以上にことを恐れたのだ。


 自分たちのあり方を一変させるその状況は害でしかない。彼女たちにとって、最も好ましくない状況であるのだ。そしてその状況を覆せるのであれば、彼女たちが動かないわけがない。とくに損得勘定で物事を判断する利己的な不動さんは、即座にその状況を打開しようとするだろう。だからこそ個性を失いたくない不動さんは、同じ思いである黒木さんが考案した画策に同意し、実行したのだ。


「他に、選択肢はなかったのか?」


 僕は堪らず聞いてしまった。そこまでして個性を守ろうとしたその姿勢はわかったが、他のやり方があったのではないかと思いたくてしょうがなかった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る