第19話 策士な女の子(3)
他に選択肢はなかったのか、という僕の問いに、黒木さんは徐に口を開く。
「……ワタシも、最初は違うやり方を考えたのよ。先輩方の意見が割れるよう小細工をするつもりでしたの。でもそれはかなわなかった。ワタシはそれまで思うがままに人間関係を崩壊させてきたけど、先輩方だけは違った。他の集団に比べて団結力が強すぎたの。そのため、突き崩す隙がなかったわ」
「そのことは聞いている。強かった時代の栄光によって盲目的だった先輩たちは、コーチや監督の意見に集団で反発するほど一枚岩であったと」
「そう。だからワタシはその策を諦めなければならなかったわ。そして諦めた以上、状況を覆すために、今度は〝全中四天王〟を壊そうとしたの。それが、アナタが知る卓球部の騒動よ」
「よく自分たちの関係を壊そうと思ったな」
「そうね。我ながら今でも不思議に思っているわ。でもそのときは、焦っていたのよ。自分たちがこの環境に染まらないようにとも思っていたし、なにより凛さんの存在があったのよ」
そこで思わぬ名前が出てきて僕は訝しんだ。直江さんが黒木さんの策に反対でもしたのだろうか?
そしてその疑問を黒木さんは目ざとく察した。
「凛さんもワタシと同じ気持ちを抱いていたけど、ワタシとは違う考えでしたの。凛さんは卓球部を強引にでも改革しようとしていた。行き過ぎた真面目である凛さんらしいやり方でね。でもそれは、双方悲惨な目にあう未来しかなかったの。そんなの凛さんのためにも止めなければならなかった。だからこそ先輩方が改心の余地なしのクズであると証明するだけの事件が必要となり、凛さんを失望させたかった。そしてそれは奇しくも、ワタシたちが退部する理由になり得る可能性があったのよ」
不動さんが直江さんも騙したと言っていた意味は、こういうことだったのか。確かにそういう事態になれば、直江さんは部を改革するどころか留まろうとも思わないはずだ。そして三人が部を辞めたとなれば、最後の一人である他人任せの番匠も辞める流れになる。何ともよく考えられた計略だ。
「まあ直江さんは、負けず嫌いというか、我が強い面があるからな。そういう手段に出ることは容易に予想できる。でも、それでも、黒木さんの手段は同意しかねる」
僕はそう言い放つと、黒木さんはいつも通り「あらそう」と素っ気なく返事した。しかし今回はどことなく寂しそうな雰囲気を纏っていた。どうやら僕であれば理解を得られるとでも思っていたらしい。
「それより、いいのかよ。醜態を晒したくないために、仲間を騙してここまで大仕掛けを企てたのだろ。なのに、他の三人は卓球部に復帰してしまったぞ。それは黒木さんの考えと反することじゃないのか?」
僕は揚げ足をとるつもりでそう言ってみたが、
「あら、皆が復帰するまでがワタシのシナリオよ」
対する黒木さんはあざとく不敵な笑みを浮かべてそう答えた。
「……意味がわからないんだが。部活の練習をすると弱くなるから部活を辞めた。でも結局練習してないから、弱くなるのは当たり前じゃないか。さっきはそのあたりの意味合いの話になってしまったが、復帰となるとまた意味が違ってくぞ」
卓球部の騒動は、自分たちの個性を守ると同時に〝全中四天王〟の伝説も守るものであり、他に選択肢はなかったという。そのことに僕は、同意はしないが納得はした。しかし復帰してはそれらを守ることはできない。むしろ一度守ったものに傷を加えるものでしかない。黒木さんの言っていることは自家撞着もいいところである。
「あら、誰が練習していないと言ったかしら」
「違うのか?」
僕は矛盾点を述べたつもりだったが、黒木さんとしてはそうではないようだ。
「ええ。第一全国で競い合ったほどの実力者が、そう容易く卓球を捨てられるはずがないわ。それに卓球はなにも学校の部活動でしか行えない競技ではない。その気になれば他所でもできるのよ」
「他所で?」
「そう。門脇さんや成瀬さんから聞いてないかしら? 彼女たちは部活の練習をこなしつつ、他所で自主練習をして自分たちを鍛えた結果、成瀬さんは去年の秋の大会で全国大会に出場することができたのよ」
「あッ……」
僕は思わず唸ってしまった。確かにその話は門脇さんから聞いていた。
「無難なところで市民体育館とか、あとクラブチームやスクールとかね。自宅にスペースがあるのなら、自分で用具を揃えてしまうのも一つの手でもあるわ。最悪レジャー施設の卓球台って選択肢もあることにはある」
「それに例え卓球台の都合がつかなくても、ロードワークとかのトレーニングはこなせるわけだ。別に部活動でなければならない理由はない」
「そう。言わば、退部して各自自主練習をすることにした、ということよ。そしてその成果はアナタ自身が目の当たりにしたはずよ。風さんのスマッシュは失敗していたかしら? 凛さんの精密打球に狂いが生じていたかしら? 真理さんのフェイントが見破られたかしら?」
「僕は皆の現役時代を知らないからはっきりと言うことはできないが、その強さは納得している」
事実番匠は、全国大会に出場した成瀬さんをストレートで負かしている。そしてそんな番匠に直江さんは勝った。不動さんは練習風景で納得してしまった。
そうだよ、僕はこの目で見てきたのだ。彼女たちは弱体化などしていないことを。成長しているかどうかはわからないが、大会に出ても通用するだけの実力は維持されているのだ。
「別にワタシが何かを言ってそうさせたわけではないけど、結果的にそうならざるを得なかった。だって未練がないなんてことはないのだから。辞めたとしても、身体は卓球をしたくて疼いてしまうわ。そうしていつの間にかラケットを手にして、卓球ができる場所に足を運んでしまう。実はワタシ、退部後に専任のコーチを雇ったのだけれども、奇遇にも他の三人も信頼できる指導者と巡りあったようで、練習の場で偶然三人と鉢合わせることが多々あったのよ。そしてその都度打ち合いをしたわ。退部してから今まで、一切ラケットに触れていない人なんて誰ひとりとしていないのよ」
「そして黒木さんは、そこまで計算していたと」
「ワタシ自身、全てが上手くいくとは流石に思っていなかったわ。だって約二年間に及ぶ壮大な奸計が成功するなんてこと、普通じゃありえないわ。でもできる限りの予測をし、できる限り配慮した結果、今に至るのだけどね。途中で細かい策の変更はありつつも、概ね成功したと言ってもいいわ。一度姿を消した伝説が、不意に現れて頂点を攫っていく。いいシナリオでしょ」
そう言って黒木さんは朗笑を浮かべた。そして僕は、その笑みに見蕩れてしまいそうになった。
「概ねってことは、完璧ではない、と?」
僕はそれを誤魔化すかのように、適当に質問をぶつけた。
「そうね。三年生が自由登校になったこの時期に、誰かしらがワタシたちを部に引き戻そうと動き出すことは予想していたのだけれども、まさかその役目がアナタという不確定要素であったとは。渡部くんがこの事案に介入してくるなんて思いもよらなかったわ」
「僕が? まあ確かに僕が今回の事案に関わりを持ったのは、完全に偶然だったけどな」
僕がたまたま〝全中四天王〟の全員と顔見知りであったことと、この話を持ちかけた門脇さんに想いを寄せていたことは、偶然以外なにものでもない。もしこれが誰かの作為であったのなら、それは最早神様以外ありえない。だからこそ、黒木さんは僕の介入を予測できなかったのだ。
「そしてもう一つ。まだ終わっていないのよ」
「まだ? まだなんかあんのかよ……」
黒木さんの腹黒さは十分承知しているが、まだ何かあるらしい。僕はそのことに辟易せざるを得なかった。
しかしそれは、僕の予想外のものだった。
「皆に謝るということ。結果がどうあれ嫌な思いをさせた上に騙したわけだからね。これから一緒に部活動するにあたって、後顧の憂いはなくさないと」
そして黒木さんは、屈託のない笑みを浮かべた。
それによって僕の中にあったわだかまりが一気に霧散した。この人は色々と黒い部分があるけど、根本的なところで仲間思いのいい人なのだ。
「じゃあこれから、それを果たしに行きましょう。ついてくるわよね」
「ああ。ここまで付き合ったんだ。最後まで立ち会うさ」
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