第14話 虚偽のドライブ


 門脇さんに事の次第――童貞や処女の話を省いいたため、内容は不動さんが交渉に即承諾したということだけだが――を報告したが、また騙されたのではと思い、僕はあまり期待しないよう念を押していた。


 そんなこんなで僕たちは不動さんの復帰に半信半疑だったのだが、そんな懸念は杞憂だったようだ。翌日の放課後、不動さんは普通に練習に来てくれた。卓球部の過去の騒動において一番の被害者であり、卓球部を恨んでいるのではないかと思われていたが、当の本人はそんなことを気にしていないのか、いつも通り飄々とした態度であった。


 過去の騒動の発端が部の練習方法にあったので、〝全中四天王〟復帰後の練習に関しては、彼女たちの意見を尊重するかたちになった。そのため各々が自分の練習メニューを作り、それに従って練習をしていた。しかしそれは部としてのまとまりに欠ける行為でもあった。過去の部員は規律といって練習を強要していたわけだが、それは練習方法に問題があっただけであり、その考え自体は集団としては間違ったものではなかったのかもしれない。


 ロードワークや多球練習など、大きな枠組みのメニューは合わせつつ、その内容はそれぞれ違うものとなった。そんな練習もあらかた終了した頃、部長である門脇さんは、一日の最後の練習として試合形式の練習に移るよう号令した。


 これには〝全中四天王〟の三人も従い、各自行っていた練習を切り上げた。そして適当なペアを組んで打ち始める。


 意外だったのは、一年生たちが積極的に〝全中四天王〟の三人に試合を申し込んだことだろう。察するに、皆〝全中四天王〟のスーパープレイに見惚れてしまい、その技を実際に体験したいとのことなのだろう。本格的な試合ではなくあくまで試合形式の練習であるため、そこにはレクリエーションのような気楽さがあり、それがまた一年生たちを後押ししていたようだ。


 一年生を相手に、番匠は神速のスマッシュを打ち込み、直江さんはネット上部や台の角を狙撃する。僕はその光景を、第三トレーニングルームの隅に寄って邪魔にならないよう配慮しながら見ていた。


「よう。今日も来ていたのか」


 不意に声をかけられ、その方を向いてみると、何かが頬に当たった。何かを押し付けられているみたいであり、現在僕の顔は変な風に変形していることだろう。この状態で写真を撮られれば、確実に面白い写真になりそうだ。


「……反応が鈍いな」


「なんだ、成瀬さんか」


 僕の視界の隅に映っている人物は、卓球部のエースである成瀬さんだった。成瀬さんは僕の反応が面白くなかったのか、頬に押し当てているものを退かした。それは水滴の滴るペットボトルであり、僕はその正体を認識すると共に自分の頬を拭い、ついた水滴を処理する。


「なんかこう、冷たッ、とかの反応を期待していたんだけど」


「いやそれ、もうぬるくなっているから」


 冬場ではあるが、第三トレーニングルームは部員たちが放つ熱気によってそこそこ暖かい。恐らく持ち込んだときはキンキンに冷えていたのだろうが、今は残念ながらそうではない。その証拠が表面の水滴であった。


「成瀬さんは打たないのか?」


 僕は隣で水分補給している成瀬さんに尋ねた。というのも、成瀬さんはいつも熱心に練習しているので、てっきり今も打ち合いをしているものだと思った。まあ成瀬さんも人間だから休息は必要だけど、あんまり休んでいる場面を見たことないから、単に珍しいと思っちゃっただけなんだけどね。


「ああ。台が埋まっちゃったからね。少し休憩」


 成瀬さんは飲むのをやめて答えてくれる。その表情は爽やかな笑顔であるが、成瀬さんは中性的な容姿なので、イケメンが愛想よく笑っているようにしか見えなかった。僕は男だけど、思わず見蕩れてしまったよ。まさか僕にはそっちの気があるのか……いや、成瀬さんは女子だから、別におかしいことではないか。いやまさか一瞬男にときめいてしまったかと思って焦っちゃったよ。


「前まではアタシがあのポジションだったんだけどね」


 しかし成瀬さんは僕の心情を察することもなく――いや察してもらわなくてよかったのだが――会話を続ける。その際、成瀬さんの視線は番匠、直江さん、そして不動さんへと移っていく。


「なんか、エースの座を奪われちゃった感じかな」


 そして成瀬さんは物悲しそうな表情をした。それはまるで大切なものを取られた子供のような表情であった。


「もしかしてさみしいのか?」


「かもね。まあ実力的に仕方がないことだけどね」


「部のエースも大変だな」


 僕はそう返したが、成瀬さんははにかみながら頷くだけだった。


 僕は復帰した〝全中四天王〟の三人を見やる。とくにすんなりと復帰した不動さんを注視する。


 彼女も〝全中四天王〟であるのだから、番匠や直江さんみたいに特異性もとい異常性というものがあるのではないかと思ったが、卓球に関して素人である僕にはよくわからなかった。


 不動さんは一年生が放った打球を強打に変えて打ち返している。


 前に門脇さんに教えてもらったが、卓球にはドライブという攻撃技があるようだ。スマッシュと打ち出すフォームが似ているこの技は、素人にはその判別がつきにくい。一応ドライブが攻撃技でスマッシュが決定打と教わったが、やはりどこがどう違うのかがわかりにくい。ただここのところ卓球部の練習を見てきたおかげか、不動さんが放っている強打は卓球における攻撃技のドライブであることが、なんとなくだがわかるようになった気がする。


 微妙な重心移動により全身を使って放たれるその打球は、ラケットのラバーによってボールに強烈な上回転がかかり、その回転が空気抵抗の影響を受けることによって打球の軌道を変えている。遠目から見れば、ハイスピードで迫ってくる打球が急に落ちるような感じであった。野球でいうフォークボールなのかな。この例えであっているのかどうかよくわからないけど。


「ピンポン玉の軌道って、あんなに曲がるもんなんだな」


 不動さんのドライブはまるで卓球台に吸い寄せられるかのように、相手のコートにバウンドする。その光景は、温泉卓球程度の知識しか知らなかった僕にとって、とても新鮮なものであった。


「ドライブとスマッシュは、その打ち方が似ているから判別しにくいけど、実際に打ち出されるボールは全然違うものなんだ。スマッシュは万人がイメージする通り、ラケットで叩きつけるような打ち方だけど、ドライブはどちらかといえば、ラケットでボールを擦る打ち方なんだ。だからこそ回転がよくかかり、ボールが落ちる」


「ボールを擦る、か。なんだか難しそうだな」


「そうだね。ドライブは習得するのが難しいから、よく初心者が音を上げているよ。でもドライブは打ち方を変えれば、落ちるだけじゃなく左右に曲がるボールも打てるし、スマッシュ並にスピードをのせることもできる。汎用性の高い技だから、できるようになればそれだけで実力が上がる技なんだ」


 僕は成瀬さんの説明に適当に相槌を打ちながら、不動さんの卓球を見やる。ドライブを打ちまくる不動さんだけど、確かにその打球は様々なバリエーションがあるのが見てとれる。ここに来てから卓球は奥が深いスポーツであることを理解したが、その技の一つ一つも実に奥が深いということも改めてわかったような気がした。


「でもこれは、卓球では普通のことなんだろ。じゃあ、不動さんは何に突出した選手なんだ?」


 だからこそ僕は〝全中四天王〟としての不動さんの能力がわからなかった。


「見てみ」


 だが僕の問いに、成瀬さんはよく見るよう促した。僕は言われるがままに不動さんを遠くから注視する。


 不動さんは雨あられとドライブを打ちまくる。そして相手している一年生は、懸命にそれを捉えて打ち返している。不動さんの一方的な攻撃に対して、一年生は防戦を強いるばかりだった。


 打ったドライブを一年生は防ぐが、そのドライブの勢いが生きたまま次のドライブを打たれるため、打球はラリーを重ねるごとにどんどん加速していく。そして研ぎ澄まされた不動さんの動体視力はその打球の加速に対応していき、確実にドライブを相手のコートに入れていく。一年生の防御が突き崩されるのも時間の問題であった。


 そしてそのときは来る。不動さんが放った何気ないドライブ。その打球に、一年生は反応することさえできなかった。一年生は硬直しまま、打球は一年生の脇を無情にも通り過ぎていった。どうやら予想外の場所に打たれたようで、打たれた瞬間にもう間に合わないと察してしまったようだ。


 そして次のサーブが放たれるが、その後の展開も先程と同様不動さんの猛攻が続き、打球はどんどん加速していく。しかし今回は反応することができたのか、一年生は不動さんの放つドライブの方向に当たりをつけてその速度に対応していく。だがその対応を誤ったのか、一年生が右側にラケットを振るったとき、不動さんのドライブは一年生の左側を駆け抜けていった。


「フェイント、ですか」


「ご名答」


 その答えに自信がなかったが、成瀬さんは厳かに正解だと認めてくれた。


「不動のドライブは、マジでんだ。普通の打球とフェイントの打球の見分けがまるでできない。普通の打球とフェイントの打球を全く同じフォームで打ち込んでくるんだ。言わば、ノーモーションのフェイント」


「でもそんなの、実際に放たれたボールをよく見れば対応できそうだな」


 確かに思わぬ方向にボールが飛んでくるのは驚異ではあるが、そんなもの冷静に対処すればなんてことないはずだ。


「普通ならば、な。でも卓球は高速のスポーツだ。しかもあれだけドライブを打ち込んでボールが加速した状況だと、そんなことしている余裕なんてない。打球の方向を、相手の身体の向きとかフォームとかである程度予測しなければ対応できないが、そんなときに予想外の方向にボールが飛んでくれば、反応のしようがない」


 そこまで言われて、僕はようやく不動さんの能力の驚異を理解した。絶対に見分けられないフェイントを打つ技術もそうだが、そのフェイントが対応できないタイミングで的確に打ち込んでくる。


 それは最早駆け引きである。相手を切羽詰った状況に追い込んだ上で相手の虚を突く。そしてそれは「いつフェイントが打たれるのか」という疑心暗鬼に発展し、その後の試合に影響を及ぼす。ドライブで攻めると同時に、精神的にも攻める。それは悪巧みのように悪質だが、それだけ相手へのダメージは絶大だ。嘘つきである彼女がいかにも好みそうな戦い方であった。


「不動さんは、なんて異名で呼ばれていたんだ?」


「不動は、〝虚偽〟と呼ばれていたな。まあ、言い得て妙な異名だな」


 絶対に見抜けないフェイントを、絶対に対応できないタイミングで打ち込む。それが不動真理菜の卓球。不動真理菜の特異性であり異常性である部分。番匠がセンスで、直江さんがテクニックに秀でているならば、さしずめ不動さんはのだろう。メンタルといっても、気合とか熱血とかの正のメンタルではなく、どちらかといえば騙し欺くことで相手を追い込むという負のメンタルだけどね。


 不動さんは相変わらず一年生相手に攻め込んでいる。そしてそれに伴い打球の速度は増していく。しかしそのとき、不動さんはドライブを放つフォームで打球を止めた。どのようなことをすればそんな芸当ができるのか皆目見当がつかないが、不動さんは高速で飛び交っていたボールの勢いを殺し、まるでシャボン玉が空中に漂うようなふわりとした打球に変えた。


 一年生は急な出来事に面くらい、どう対応していいのか困惑する。しかし自分のコートにバウンドしたボールを打ち返さないわけにはいかないので、一年生はおっかなびっくり返す。だがその姿勢がボールに反映したのか、ボールは不安定な軌道となり、浮き上がったものになった。そしてそのチャンスを見逃さなかった不動さんは、すかさずスマッシュを放ち、得点につなげた。


 不動さんのフェイントは、方向だけではなく緩急も自在であるようだ。


「ところで渡部」


 そんな不動さんの絶技に見蕩れていると、不意に成瀬さんが僕を呼んだが、僕はその呼びかけに反応することはなかった。それだけ練習試合に見入っていたのだ。


「アンタえみのこと好きだろ」


 だからこそ、成瀬さんの唐突なその言葉は僕の意表を突いた。


「な、ななんでそれを!?」


 そして間抜けなことに、僕は思いっきり狼狽してしまった。それは最早肯定しているようなものだった。


「見ていればわかるよ」


「そ、そうですか」


 成瀬さんは別段からかうようなことはせず、爽やかに微笑んでいるだけだった。それに対して僕は何故か恐縮していた。何故だろう?


「アタシはえみが渡部のことをどう思っているかなんてわからないけど、えみにとって優しい男であってくれ」


 すると成瀬さんはその爽やかな微笑みを消し去り、真剣な眼差しで僕を見つめた。そこには親友を思う気持ちが溢れている。


「近くで見ていればわかると思うけど、えみは変に真面目で、変に謙遜する子だ。責任感が強くて、そして打たれ弱い。だからこそ危うい面もある」


 確かに、と僕は納得してしまった。華奢な身体に端麗な顔立ち、そして惹きつけられる美しい髪をしている門脇さんは、どこか影があるというか、独特の儚さがあった。そして実際に言葉を交わしてみると、その儚さが強調されるような印象を与えられる。まるで死期が迫った病人のようだ。ふとした切っ掛けでいなくなってしまいそうな雰囲気を全身に纏っている。


「過去の事件のこともそうだし、部長を引き受けることになったのもそうだけど、えみは一人で抱え込むことがよくある。でもだからこそ今の卓球部がある。もしアタシが部長だったら、既に終わってしまった過去のことを後悔したりしないし、部のあり方を改善させたりしていない。それどころか、部長として皆をまとめることすら、できなかったと思うよ」


「そうか? 成瀬さんはなんていうか、頼れる兄ちゃん……じゃなくて姉御肌的な雰囲気があるから、皆に好かれそうなイメージがあるけど」


 一瞬成瀬さんを男として扱ってしまったが、何とか軌道修正することができた。イケメンであるけど、あくまで中性的な女子だからな。真面目な話をしているときにふざけたことは言えない。


「でも、そのことに関しては、えみの方が一枚上手だ。結局のところ、アタシは身体を動かすことしか能がない脳筋野郎さ。なにも考えちゃいない。考えているのは自分のことだけで、周りのことなど興味も持たない。まあアタシがこんな感じだから、余計えみに負担させてしまっているのかもしれないな。でも今回は、その負担を一人で抱え込まなかった。渡部を頼った。そのことに関しては、アタシは密かにホッとしているよ。頼ったのがアンタでよかった」


「そういうことを面と向かって言われると照れるな」


 僕はそう言いつつ、照れ隠しとして微笑んだ。そしてその微笑みは成瀬さんにも伝播したのか、成瀬さんは真面目な表情を和らげた。


「アタシが心からそう思ったから、そう言ったまでだ。渡部は誠実な奴だ。だからこそ順調に〝全中四天王〟の復帰が進んでいる。全てはアンタのおかげだ。あと一人、よろしくな」


 成瀬さんはもしかしたら、このことを言うために僕に声をかけたのかもしれない。そしてそれを証明するかのように、成瀬さんは手にしていた飲み物を一気に飲み干し、空になったペットボトルを床に置き、ラケットを握り直して練習に戻ろうとする。


「じゃ、ぼちぼち台も空くだろうし、アタシ行くよ」


 成瀬さんはそう言い残して僕から立ち去ろうとしたが、一歩進んだとこで足を止め、振り返る。


「アタシ、アンタとえみのこと、応援するよ。だからもしえみを泣かせたら、卓球で鍛えたアタシのフルスイングでその頬を殴ってやるから、覚悟しておけ」


 そして成瀬さんは屈託のない笑顔でそう念を押した。


「それは下手したら気絶しそうだな。まあ、善処するよ」


 僕も笑いながらそれに返事をし、成瀬さんを見送った。




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