第三部 虚偽のドライブ

第13話 嘘つきな女の子


 僕は意中の女の子である門脇さんから頼まれ、かつて卓球部に在籍していた〝全中四天王〟を部に引き戻す交渉の仲介役をしている。そして僕は〝神速〟の異名を持つ番匠風香と、〝狙撃〟という異名を持つ直江凛子の交渉に成功し、部に復帰してもらった。


 交渉すべき相手である〝全中四天王〟は四人いるので、僕はすぐ三人目に話を持ちかけようとした。しかしそう決意してから既に数日が経過していた。


 僕の行動が重たくなったのにはわけがある。それは単純に、話しかけづらいというものだった。


 直江さんとの交渉の際、〝全中四天王〟が退部することになった騒動の真相を聞き、そのとき名前が出てきた不動真理菜を次の交渉相手にしようと思ったのだが、よくよく考えると、僕と不動さんとの接点は非常に希薄なものでしかなかったのだ。


 門脇さん曰く、〝全中四天王〟は皆僕と接点があるとのこと。事実番匠は友人であったし、直江さんは一年生の頃同じ部活動に所属していた。幾度となく言葉を交わした仲なので、別段話しかけづらいというものはなかった。


 しかし不動さんはそうではない。僕と不動さんは今現在クラスが一緒なのだが、言ってしまえばそれだけの関係でしかなかった。クラスメイトとして何かの拍子に言葉を交わすことはあったが、その機会は片手で数えられる程度でしかない。一応接点はあることにはあるのだが、それはほぼないに等しいものだった。


 加えて卓球部の騒動である。〝全中四天王〟が退部する切っ掛けは、部内で発生した窃盗事件によるものだった。その事件は〝全中四天王〟を疎ましく思っていた上級生による嫌がらせがエスカレートしたものであり、全ては上級生が仕組んだものであった。不動さんはその事件の犯人とされ、結果的に部を辞めることになってしまったのだ。言わば一連の騒動において、一番の被害者である。


 よく知らない相手が自身の忘れたい過去に踏み込んでくるという行為は、想像するだけで嫌な気分になってしまう。そんなもろもろの事情があるため、僕は不動さんに話を持ちかけることができずにいた。


 しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。先延ばしにすればするほど行動しにくくなるのが世の常である。それに好きな女の子の好感度を上げるために引き受けたことなので、門脇さんの期待に応えられないのは是非とも避けたかった。


 そこで僕は、登校時駅前のコンビニに寄りらしくもなくエナジードリンクを購入、一気に飲み干して一念発起した。何が何でも今日話をするぞ!


 学校に到着し、自分の教室に入る。いつもより幾分か早く登校したため、教室内にいるクラスメイトはまばらであり、各々がスマホをいじったり談笑したりして朝の時間を堪能している。しかし人が集まり出してまだそれほど時間が経過していないのか、暖房の熱は教室の隅々まで行き届いておらず、皆二月の冷気によって縮こまっていた。


 僕は自分の席に鞄を置くが、寒さのあまりコートは脱がなかった。そのまま教室内を見渡して目的の人物を探す。果たして彼女は、そこにいた。既に登校している。


 彼女、不動真理菜は、朝日が差し込む窓によりかかり、購買の自販機で購入したパックジュースを飲んでいた。その場から動こうともしないその姿は、まるで日光浴で体温を上げている変温動物のようである。


 今まで関わってきた〝全中四天王〟は個性的な人物ばかりであったが、不動さんもその例にもれない。というより、不動さんの場合は外見そのものが個性的だった。


 不動さんの髪はわざわざ黒染めしているかのように真っ黒であり、ピアノのボディのように艶やかな光沢を放っていた。更に縮毛矯正もしているのか、髪は一切の癖がない完全な直毛である。門脇さんが自然な美髪とするならば、不動さんの髪は人工的な美髪と言えた。そんな美しい髪であるのだが、その髪ははさみでバッサリ切り落としたかのように毛先が綺麗に揃えられていた。前髪も眉を隠すようにパッツンと切り揃えている。


 不動さんの髪型を端的に言ってしまえば、すごくカッコイイおかっぱであった。こういうのはモード系っていうのかな? よくわからないが、なんというか近未来的な髪型であり、SF作品に一人くらいは登場しそうな感じである。長身である分、その髪型が似合っていた。


「不動さん、ちょっといいか?」


 僕は意を決して不動さんに歩み寄り、声をかけた。


「なんだい? キミがボクに話しかけるなんて珍しいね」


 特徴的な一人称である不動さんは、声に反応して向き直り、真っ直ぐ僕を見つめる。


 不動さんの個性的な面はなにも髪型だけではない。その表情も個性的である。


 常に口角を上げ、笑を絶やさない。しかし笑っているのは口元だけであり、目が一切笑っていないのだ。顔の下半分が常に笑顔で、上半分は常に真顔。そのためその表情はどことなく不敵な笑みに見えてしまい、何か奸計をめぐらせているのではないかと邪推してしまう。


 不動さんは聞くところによると愉快な嘘つきらしいが、確かにこの表情で何か言われると素直にそれを信じることができそうにない。しかも常にその表情であり本当のことを言うときもこの顔なので、何が嘘で何が本当なのかの区別が困難になっていた。表情一つでここまで相手を不安にさせるのも珍しい。


「ってか、キミはいつまでコートを着ているんだい?」


 僕が不動さんの真意を見抜こうとしてじっと見つめ返していると、不動さんは唐突にそう発言した。


「もう教室にいるんだから、脱げば?」


「いや寒いから、朝礼始まるまで着てようかなって思って」


「やわだね、キミは」


「そういう不動さんは身体強そうだね。それ、寒くないの?」


 僕がコートを着込んでいるのに対して、不動さんは制服姿である。ブレザーの中にゆったりとした紺色のカーディガンを着込んではいるものの、ブレザーのボタンはとめておらず、前面は開かれている。とても風通しがよさそうだ。


「別に。こっちの冬はまだ暖かい方だよ。でも、流石にこの前の雪のときは寒かったけどね」


 僕は「そうなんだ」と無難な相槌を打つ。しかし僕の視線は依然として制服に向けられており、不動さんはその視線に気がついた。


「ああ、ブレザーのこと? これ恥ずかしながら閉まらないんだ」


「閉まらない?」


 肩口もスッキリしているし、袖もこれといって違和感はない――中に着ているカーディガンの袖がはみ出ているが、それはカーディガンの袖が長いだけであり、ブレザー自体は適切な長さである――ため、別段サイズが小さいということはなさそうだ。


「胸がキツいんだよ」


「なん……だと……」


 不動さんは表情を変えずにしれっと言い、両手で自分の胸を持ち上げた。ゆったりとしたカーディガンのため正面からではその大きさがわからなかったが、持ち上げられるほど胸が大きかった。その光景は健全な男子高校生としてはかなり刺激が強く、僕は思わずたじろぐ。


「ちなみにGある」


「G!? Gカップってこれぐらいの大きさなんだな」


 正直男としては、女性のバストサイズが実際どの程度のものなのかがわかりにくい。グラビアとかで何とかカップとか書かれているけど、写真と実物では当然違うから、あまり参考にはならないからな。なるほど、これがGカップか。目に焼きつけておこう。


 しかしそんな僕の反応がおかしかったのか、不動さんは小さく吹き出して笑った。


「まさか真に受けるとは」


「え?」


「Gカップもあるわけないじゃん。Gなんていったらもう爆乳だよ。ボクのは精々……ギリギリ豊乳ってところかな」


 な、なんてことだ!? ナチュラルに嘘をつかれた! 今の会話の流れだと疑う余地なんて全くなかったぞ。さすが愉快な嘘つき。侮れない。


「じゃあ、実際は――」


「本当のサイズなんて、言えるわけないよ」


「で、ですよね」


 じゃあこの胸は一体何カップなんだ!? 男としてすごい気になる。ホント女性の胸は神秘だな。


 僕は未だに持ち上げられている豊かな胸を凝視していた。しかしそんな僕に対して、不動さんはジトっとした粘り気のある視線を送ったのち、手を退けた。


「なんか、キミ童貞みたいな反応するね」


「どどど童貞ちゃうわ!」


 いきなり何を言い出すんだこの人は! そんな男子としてとてもデリケートな部分に平然と触れてくるなんて、一体何を考えているんだ! 思わず動揺してしまったじゃないか。まあ実際はどうなのかというと……察してくれよ。


「そ、そういう不動さんはどうなんだよ!?」


「ボク? どうでしょう。ご想像にお任せします」


「はぐらかしたぞ! コイツ!」


「ボクも女の子だよ。女の子に処女かどうか尋ねるなんて、失礼だと思わないの?」


「先に尋ねてきたのはそっちだ。男だって童貞かどうかなんて聞かれたくない」


「ああ……確かに、ボクの配慮が足りなかったね。ゴメンネ」


「そうやって変に同情されると余計傷つく!」


「ところで童貞くん」


「誰が童貞だ。言った傍から配慮してないじゃん。さしずめ不動さんは非処女か?」


「そうだね。ボクなんかもう、毎日取っ替え引っ替えで遊んでるよ。世の男たちをはべらせ、もうこれでもかっていうほどブイブイ言わせているかな。快楽に溺れる日々ってのも素晴らしいものだよ」


「やべぇ、驚くほど信憑性が皆無な話だ」


 今時の女子高生がブイブイなんて言うわけねぇだろ。


「あ、やっぱりバレた」


 そして案の定、不動さんはかなり誇張していたようだ。いくら不動さんが嘘をつくのがうまいといっても、流石にこれは普通に見抜ける。


 いや、確かに不動さんは嘘をつくのはうまいのだが、あくまで不動さんは愉快な嘘つきである。会話の方向性が面白くなりそうなら平然と嘘をつく人である。ならば、今のは嘘がバレる前提のものなのかもしれない。……でもそれって単に冗談ってことだよな。不動さんは嘘がうまいというより、冗談がうまいって感じかもな。


「一体何倍まで大げさにすれば、そんなブイブイな状態までなるんだよ」


「まあ言うのは簡単だからね。いくらでも話は盛れるよ。ただ所詮ゼロを何倍にしようがゼロのままだから、少なくともゼロではないんじゃないかな」


「確かに一回経験すれば、それとなく話を盛ることもできるからな」


「でも他人の経験談を吸収して知ったかぶりをすれば、ゼロでもプラスに転じる」


「結局どっちも同じじゃねぇか!」


 もういいよ! それに不動さんの経験なんて興味はないわ! 聞きたくもない。


「それよりも、ボクはどうして朝っぱらから異性と童貞とか処女とかの話をしなきゃならないんだ?」


 僕もどうしてこういう話になったのかもうわからん。確か最初は話かけにくい女子だったけど、今じゃあ下ネタに寛容な女子って印象でしかないや。いや面白い人だってことは話してみてよくわかったけど、このまま面白い話だけして朝の時間を潰してしまうのはもったいない。というより本末転倒だ。早く本題に入らなければ。


「話が脱線しまくったせいかもな。それよりも、僕は不動さんに話があって声をかけたんだ」


 僕は一度深呼吸し、心を落ち着かせる。冬の朝の冷気が身体を内側から冷やしていく。そのおかげで脳がスッキリした。


「今卓球部の部長である門脇さんが、来年度のインターハイに向けて人員を強化している。そこでなんだが、昔卓球部に所属していたという不動さんに、卓球部に戻ってきてほしいんだ」


「ああ、いいよ」


「復帰しづらい理由があるのも承知だ。僕もそれとなく過去の出来事を聞いたのだが、卓球部にいい印象を抱いていないってこともわかっている。それでもなお不動さんには……え? 今なんて言った?」


「だから、卓球部に戻れってことでしょ。別にいいよ。今日は道具持ってきてないから、そうだね……明日の放課後の練習から参加でいいかな?」


 あれ? なんだかすんなり交渉が成立してしまった。卓球部の事情に鑑みると、直江さん以上に難航すると思われ、それ故僕はなかなか話しかけることができずにいた。しかしこうもあっさり話が通ってしまうと、なんだか拍子抜けしてしまうな。


「あ、ああ。門脇さんにはそう言っておくよ」


 僕が気圧されながら返事したところで、朝礼の予鈴が鳴った。



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