第12話 狙撃のカット
そんなこんなで、翌日。直江さんは早速卓球部の練習に参加していた。
様子を見に来た僕は、直江さんの姿を見つけるとスマホを取り出し、番匠をコール。第三トレーニングルームに来るよう言いつけた。
そして程なくして番匠が到着し、中に入って直江さんを見つけると、
「へえ、いきなり凛ちゃん呼ぶなんて、わかってんじゃん」
と呟いて好戦的な笑みをたたえた。
練習は一時中断となり、番匠風香対直江凛子の試合が執り行われた。〝全中四天王〟同士の対決に、一同の視線が集中する。まあこんな試合を隅でされたら、部員は練習どころではなくなるからな。仕方がないといえば仕方がないことなのかもしれない。
全国大会でしのぎを削った二人なのだから、さぞ白熱する戦いになるだろうと僕は思っていたが、蓋を開けてみるとそうでもなかった。
「皆が言う〝全中四天王〟は、実力だけ見れば四人ともほぼ同レベルなのよ。だからこそ四人は拮抗していた。でも大会では毎回変化するとはいえ、一応順位を決めることができた。その理由が、能力の相性よ」
試合前に直江さんはそう語っていた。直江さん曰く、〝全中四天王〟には「絶対に勝てる相手」と「絶対に負ける相手」、そして「勝つか負けるかわからない相手」というのがあり、四人ともこの三種類の相手がいるとのことだった。
「要するに、じゃんけんみたいなものよ。結局私たちは、相性だけでしか勝敗をつけることができないのよ」
「へえ。じゃあ直江さんにとって、番匠はどれに当てはまるんだ?」
その話を聞いて、僕は興味本位で聞いてみた。すると直江さんは不敵な笑みを浮かべ、眼鏡の位置を直しながらこう答えた。
「私にとって風香さんは、『絶対に勝てる相手』よ」
事前情報として、直江さんは番匠の必中で必殺のスマッシュを打ち返せるということを聞いていたが、まさかここまで自信満々に断言してしまうとは思っていなかった。そこまでいくとなんか清々しさを感じてしまうほどである。
そして事実、試合は直江さんの優勢で進んだ。
「番匠さんのスマッシュは確かに強烈ですけど、でも実は絶対に打ち返せないというものではないの。現に中学時代、〝全中四天王〟以外で番匠さんのスマッシュを打ち返した選手はいることにはいるの」
二人の試合を見ながら門脇さんがそう解説してくれた。
「卓球には構える位置というものがあるの。単純に台からどの程度離れるかの違いだけどね。台にぴったりくっつく位置が前陣であり、前陣から一歩二歩下がった位置が中陣、そして中陣よりも更に後ろに下がった位置を後陣と呼ぶの。台に近ければ近いほど打球のコースは狭まるけど、代わりに打ち返すまでの時間がない。でも遠ざかれば、打球のコースは広がるけど、打ち返すまで時間を稼ぐことができるのよ」
「まあ、そりゃそうだよな。近ければすぐ打ち返さなきゃならないし、遠ければそれだけ到達の時間は増す」
そこで僕は言わんとすることに気がついた。
「そうか、距離を取れば、番匠のスマッシュも打ち返すことができるのか」
そしてそれが正解であったらしく、門脇さんは首肯した。
「辛うじて見えるけど身体は反応できない速度の打球であれば、距離をとって身体が反応できる時間を稼ぐ。もちろん動体視力と身体能力にものを言わせた荒技だけど、それは正攻法でもあって効果はあるの」
「でも、ならどうして皆それをやらないんだ?」
いきなりスマッシュを打ち込んでくるというなら、それに備えてあらかじめ距離を取るべきだろう。しかし番匠の武勇伝を聞く限り、その対応策の成功例は少ないようだ。そして番匠と戦った成瀬さんは、端からそのような戦法をとっていなかった。ならばその距離を取るという対策は、何かしらの欠点があるに違いなかった。
「後陣のポジションでまともに戦えるスタイルがあまりないからなの。その数少ないうちの一つが、カットを主な武器として戦う持久戦型、カット主戦型」
「カット?」
「そう、カット。その名の通り、切る動作で打ち返すの。こう、ラケットを刃物みたいに見立てて、こう」
そう言って門脇さんは軽く構え、カットのフォームを実演してくれる。架空のラケットを持った右手を後頭部の辺りまで振り上げ、そして一気に膝の辺りまで振り下ろす。それは門脇さんの言った通り、まさにナイフか何かで切り払いしているかのような動作であった。そのフォームを右側、左側、そしてまだ右側と、何回かわかりやすく見せてくれた。
「で、その限られたスタイルをする人でも、番匠さんのスマッシュを打ち返すのに高いレベルを要求されるから、結果として打ち返せる人が少ないの。更に打ち返すことに成功したとしても、二打目、三打目とスマッシュが打たれるから、防ぎようがないのよ」
「つまり番匠のスマッシュを打ち返すには、その後陣で戦えるスタイルである必要があり、更に高い技量を必要とし、加えて番匠に次を打たせない工夫をしなければならない、ということか」
番匠に勝つにはその三つの条件を満たす必要があるのだが、素人の僕でもそれが無理な話であることは理解できた。そういえば番匠に負けたあのとき、成瀬さんも門脇さんもどこか諦観した表情をしていたけど、もしかしたらその表情のわけは、その三つの条件が起因しているのかもしれない。成瀬さん自身がその条件を満たしていないことを把握していたからこそ、番匠対策の戦法を取れなかったのだろう。
でもその条件を満たす人物がいる。それは今目の前で番匠と試合している直江さんである。
試合は現在直江さんがリードしている状況であり、丁度直江さんにサーブ権が移った場面であった。直江さんはサーブを放つと即座に床を蹴り、一気に台から離れて後方へ下がった。
一方台の上をバウンドしていったボールは、番匠の大振りのスマッシュによって神速の打球となり、常人では目で捉えることができない速度で直江さんのコートにバウンド、勢いそのまま駆け抜けようとした。
しかし直江さんは打ち出された直後その打球の軌道が見えたのか、即座に反応し、ボールに飛びつくかのような勢いで横移動。ラケットを振るった。
門脇さんに見せてもらったカットの動作、ラケットを後頭部の辺りまで振り上げ、そして一気に膝の辺りまで振り下ろすという、まるで刃物で切り払うような動きで返球。ボールの勢いはそこで殺され、緩やかな打球に変わって番匠のコートへ向かった。それはまるで飛行機が着陸態勢をとったかのようにゆっくりで安定感のある打球であった。
番匠はその返球を直感で見切り、次球に備えてラケットを振る体勢となる。このまま番匠のコートに入れば、即座に二打目の神速の打球が放たれることだろう。
しかしそうならなかった。
直江さんのカットによって長距離から返球されたボールは、ネットを越えようとした際にそのネットに接触。それにより打球の勢いは完全に失われ、ボールはネットからこぼれ落ちるかのように番匠のコートに入った。
本来来るべきコースに打球が来なかったため、番匠は虚を突かれ、反応が遅れた。そして反応が遅れるということは、スポーツに置いて致命傷である。番匠は手を伸ばしてボールをすくい取るようにして返球を試みるが、それは成功することはなく、直江さんの得点となった。
「こんな長距離でも打ち返せるんだな」
僕は直江さんの打法に感嘆の声を上げた。目測で台から三メートル以上離れているにもかかわらず、直江さんの打球は台に吸い込まれるかのように番匠の小さいコートへ向かっていく。
「直江さんはカット主戦型としては一流なの。これぐらいのことなら、きっと造作もないと思う。でも、それだけではない。直江さんにしかできないことがあるから、直江さんは番匠さんに勝てるの」
門脇さんはスッと指をさし「見て」と言ってきたので、僕は試合を更に注意深く見ることにした。
番匠の放った神速の打球は、やはり直江さんのカットによって返球され、コートに舞い戻ってくる。しかしまたしてもボールはネットに接触し、今度は弾かれるように番匠のコートに入る。その急激なコースの変動により、番匠は次球を打ち損じた。
そしてその次も、直江さんは番匠のスマッシュを難なく打ち返す。今度はちゃんとネットを超えて番匠のコートに入るが、そのボールがバウンドした位置は台の角。台の面の部分ではなく角の部分であったため、ボールは直上に跳ね返らず、真横という明後日の方向へ向かっていく。その予期せぬコースにまたしても番匠は反応が遅れた。
「なあ、直江さんのボール、なんかまともに入ったためしがないんだが、こういうことってよくあることなのか?」
なんか直江さんの打球はいつもネットの上部やコートの角に接触し、まともな軌道を描いていないような気がする。
「ネットインやエッジボールは、そうたやすく起きることではないの。運の要素が強いというか、卓球におけるパプニングみたいものよ」
「なるほど。じゃあ実際に起きたら運が良かったぐらいに思っておけばいいんだな」
「そうだけど、うん……、そうでもないよ。不測の事態で点を得るので、相手にとってはとても気持ちのいいものではないもの。だから試合では、ネットインやエッジボールをした際、手を上げるとか頭を下げるとかで相手に謝意を伝えるのがマナーになっているの」
まあそうだよな。所詮ただのハプニングなんだし。
「でも、直江さん謝ってなくねえか?」
しかしそのハプニングを連発している直江さんは、番匠に謝意を伝えることもなく平然としている。さも問題などなにもないかのように堂々としていた。
「だって直江さん自身、それらのことを悪いことだと思っていないもの。マナー違反ではあるけど、ルール違反ではないからね」
そこで僕は直江凛子がどのような人物なのか思い出す。
直江さんは生真面目であるが、その生真面目は歪んでいる。その歪んだ感性で昨日、こう言ったのである。
「罰則されない規則なんて規則じゃない。でも規則で定めている以上、そこには何かしらの理由がある。ならばその理由を理解すれば、何しても問題ない」と。
そして卓球に関しても、こう述べている。
「ルールに抵触しないのであれば、それは立派な戦法であり戦術よ。それで相手がどう思っても、私には関係ない。ルール違反ではない勝ち方ならば、純粋に勝ちだもの。試合に勝てばそれでいいのよ」と。
ルールで罰則されないのであれば、マナー違反だろうがハプニングだろうが戦法として戦術に組み込む。それが直江凛子という人物である。
門脇さんは直江さんの卓球を「皆に嫌われている」と言ったが、まさにそうである。僕もこんな戦い方を素直に称賛することはできない。人に好まれるものではないのだ。
だからこそこの行為には、こういう解釈ができてしまう。
「これって、もしかして故意にやっているのか?」
ハプニングを利用する戦い方であるのなら、自分の意思でそのハプニングを制御しないと戦術として破綻してしまう。だがハプニングは滅多に起きないからこそハプニングなのである。実際にそういうことは可能なのだろうか?
「はい。直江さんは意図してネットインやエッジボールを狙っているの。そしてそれができるのが、直江さんの特異性であり異常性なの」
特異性、もとい異常性。
番匠は〝神速〟という異名を持っており、その特性は直感で動くことにより必中で必殺のスマッシュを打ち込むことである。番匠風香は〝全中四天王〟の中で最もセンスに長けた選手なのだ。
であるならば、同じ〝全中四天王〟である直江さんも、直江さん特有の特異性もとい異常性があっても不思議ではない。
「その、直江さんの能力は、なんだ?」
「直江さんは、自分の意図した通りに打球を放つことかできる、絶対的なコントロールを持っているの」
絶対的なコントロール。それが直江凛子の特異性であり異常性であった。
「噂によれば、卓球でだるま落としができるとか。で、これは多分その噂が誇張されたものだと思うけど、卓球でジェンガができるとかできないとか。でもそういう噂に信評性が生まれてしまうほど、直江さんは狙いを寸分違わず打ち抜ける並外れた技量があるのよ」
僕は唖然とするしかなかった。素人の僕だけど、ピンポン玉でだるま落としをするのは容易なことではないと理解できるし、ましてはジェンガなんて想像することさえできない。だるま落としにしろジェンガにしろ、打ったらバラバラになる未来しか見えない。でもその噂は実際に広まり、信じられているのだ。
「直江さんは〝狙撃〟という異名で呼ばれていたの。〝全中四天王〟の中で最もテクニックのある選手が、直江さんなの」
寸分違わず狙った通りにボールを打てる絶対的なコントロール。
直江さんはこの能力を使い、故意にネット上部や台の角を狙い、相手の不意をつくことで点を得ている。高速でボールが行き交う卓球において、その戦法は十二分に効果を発揮するが、それ故相手に嫌われる戦い方でもあるのだ。
そしてそれは、番匠風香という破壊力に長けた化け物に対しても有効であった。
カット主戦型として一流の腕前を持つ直江さんは、その段階で番匠に勝つための三つの条件のうち二つを満たしており、そして次球を打たせないという最後の条件は、直江さん特有の能力によってクリアされていた。つまり直江凛子こそ、番匠風香を打ち負かすことのできる人物であった。
そうこうしているうちに、目の前の試合は終わりを告げていた。試合結果は、直江さんの圧勝である。
「いやー。やっぱり凛ちゃんにはかなわないわー」
番匠は汗でびっしょりと濡れたTシャツの襟を指で広げ、自身の相棒でもある分厚いペンホルダーのラケットで扇ぎ、肌に風を送り込んでいる。
「いい試合でしたわ。風香さん」
一方直江さんはやや幅広いシェークハンドのラケットを卓球台に置き、すまし顔になりながら汗で湿気った二つ結びを後ろに払った。
「なんかその言い方、ムカつくな」
「負けたからといって腹いせに口撃するのは、無様以外の何ものでもないわ」
番匠も直江さんの戦い方に不満感を抱いており、その上で直江さんの態度にカチンときたのか、番匠の言葉には刺があった。しかし直江さんの返事はそれ以上に刺のある辛辣なものだった。
一触即発の雰囲気。僕は少々うろたえながら事態を見守っていたが、
「いやー、ごもっともです」
と番匠ははにかみ、笑いながら非を認めた。それにより事なき終えた。
「じゃあ番匠、約束通り卓球部に戻ってもらおうか」
場の空気が弛緩したのを見計らい、僕は交わした約束を果たしてもらおうとする。番匠とは、卓球部の部員に負けたら部に戻るという約束をしていた。そして番匠は、復帰したばかりの直江さんに負けたのである。
番匠は僕の言葉に小さく頷き、室内を見渡す。部長である門脇さん、部のエースだった成瀬さん、同じ〝全中四天王〟の直江さん、そしてその他の部員を順に一瞥してから、
「不肖番匠風香、再びお世話になります」
破顔して挨拶をした。
〈第二部『狙撃のカット』、了〉
〈第三部『虚偽のドライブ』に続く〉
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