ユニーク

杉浦 遊季

ユニーク

第一部 神速のスマッシュ

第1話 好きな人のお願い


 唐突だが、僕には好きな女の子がいる。


 その子の名前は門脇かどわきえみ。出会いは同じクラスになった一年生のときであり、完全に一目惚れだった。門脇さんのどこが好きなのか問われると答えに困ってしまうが、まあ一目惚れに理由を求めるのは無粋なことだろう。あえて理由を求めるとしたら、魅了されたとしか言いようがない。


 二年生で卓球部所属。運動部ではあるがその体型は華奢であり、あまりアスリートって感じはしない。ましては男みたいな女子やゴリラみたいな女子が大半をしめる運動部においては、彼女の端正な顔立ちと流れるようなサラサラな美髪は不釣り合いであり、またおとなしく儚げな雰囲気は周囲から浮いていた。だがそのギャップが彼女の魅力と言えた。


 奥手である僕は、結局門脇さんに話しかけることもできずに一年を終えてしまった。そしてクラス替えにより離れ離れになった二年生においても、自然と視線は彼女を求めていた。廊下や集会などで偶然彼女を見つけたときは、まるで魂を抜き取られたかの如くぼーっと見つめてしまう。きっと相手からしたらストーカーのような気味の悪い眼差しだったかもしれないが、幸か不幸か、門脇さんは僕の視線に気がついたことは一度もなかった。


 まるで風景に惚れてしまったかのよう。その美しさに心を奪われたが、その美しさは彼女の自然体であるだけであり、誰かを魅了させようとして振舞っているわけではない。故に見る人のことなど歯牙にもかけない。手を伸ばそうとしても、どこまで伸ばせば触れることができるのか見当もつかない。


渡部わたべくん。すみません、少し時間いい? 話したいことがあるの」


 そのため突如門脇さんの方から話しかけられたとき、僕の心臓は一瞬止まり、そしてその後心拍数は暴走した。


「は、はい!? な、なんでしょう?」


 自由登校のため三年生が姿を消した二月の学校。その静謐な放課後のひと時に、不意打ちのように襲ってきた緊張が、僕の声を奇妙なものに変えた。静かな分これでもかというほど廊下に響き渡ってしまった。


「あ……ごめんなさい。驚かせるつもりじゃなかったの」


 目の前の門脇さんも僕の上ずった声に困惑している様子。片思いの女の子とのファーストコンタクトはものの見事に失敗。うん、これはかなり恥ずかしい。穴があったら入りたいとは、まさにこの状況のことなのかもしれない。


「あ……えっと、こっちこそごめん。……その、どうしたの?」


 片想い故に、陰ながら門脇さんの一挙手一投足を見つめていた僕であるが、これまで話をしたことはないので、実際にこうして対面していると何を話していいのかがわからなくなる。一方門脇さんも初めて話す相手にどう本題を切り出していいものかわかりかねている様子。なので、ぎこちないながらも僕がそれを促した。


「その、突然でごめんなさい。少し協力してほしいことがあるの」


「協力?」


「はい。その、話が長くなりますけど、いいですか?」


「まあ、このあと帰るだけだから、時間は全然あるけど」


 未だに緊張しているが、その緊張にも幾分か慣れてきたようで、僕は徐々にいつもの調子を取り戻してきた。うん、心を落ち着かせれば、なんとか会話ができるみたいだ。


「渡部くんは生徒会の副会長ですよね? 生徒会の集まりとか大丈夫ですか?」


「別に生徒会は部活動じゃないから、毎日集まることはないよ。ただ生徒の代表者であるだけだから、平和なときは暇なもんだ」


 まあもし今日生徒会があったとしても、僕は門脇さんとの会話を優先させるけどね。こんな機会を逃したら次いつその機会が来るかわからないわけだし。生徒会なんかクソくらえだ!


 僕のその言い分に納得したのか、門脇さんは「そう、それじゃあ……」と意を決して本題を話し始めた。


「わたし卓球部の部長をやっていて、部員のことで渡部くんの力を借りたいの。具体的には、部を辞めた人たちを引き戻すのに協力してほしいの」


「部を辞めた? それはトラブルか何かで?」


「はい。それもそのトラブルは一昨年の、丁度わたしたちが入学して卓球部に入部したころの出来事なので、結構時間が経過しちゃっているの。今更過去の出来事を掘り返そうとしているみたいで、なんだが気まずくて……」


「具体的に何があったか聞いてもいい?」


 そう僕が尋ねると、門脇さんは苦い表情になりつつも頷いた。


「わたしの学年の部員は、入部したときは六人いたの。でも入部早々上級生たちと揉め事を起こして、結果的に四人が退部しちゃったのよ」


 なるほどね。上下関係を重んじる運動部ならではのトラブルだな。そして三年生が卒業を控えて自由登校となったこの時期を狙って、辞めていった四人を部に引き戻そうとしているのだろう。何せ既に部活を引退したとは言え、トラブルの当事者である上級生がまだ学校にいるので、下手な行動はとれない。だがその当事者の片方が学校からいなくなった今なら、そうではない。現在部内、ひいては学校内での最上級生は自分たちとなったわけだから。


「その辞めた四人にとっては、まさに『今更なに?』って状況だな」


「そうなの。だから話しかけづらくて……。そこで、渡部くんにはわたしとその子との間を取り持ってほしいの」


 第三者として仲介する。うん、悪くはない手だな。だが少しばかり疑問が残る。


「その、そもそも部に引き戻す必要があるの?」


 疑問があるとすればこれである。部を辞めてから約二年が経過している今、その子たちはもう部活とは縁のない新しい日常を過ごしているはず。それらを奪い取ってまで部に戻ってもらうことに、双方どのような得があるのだろうかということ。


 しかし門脇さんは真っ直ぐ僕を見つめながら「あります」と断言した。


「渡部くんは、成瀬なるせ佐優里さゆりという人を知っていますか?」


「知っているかも何も、この学校で成瀬さんのことを知らない人はいないと思うぞ。まあ話したことはないが」


 二年生の成瀬佐優里。三年生が夏に部活を引退し、その後に開かれた秋の大会にて、卓球の個人戦で全国大会に出場した人物。結果は残念ながら初戦敗退してしまったが、全国の舞台に上がった人としてたちまち学校内の有名人になった。今でも昇降口の上には「女子卓球部全国大会出場!!」の垂れ幕が下がっているので、その実績は嫌でも記憶に残ってしまう。


「その成瀬さんが辞めた四人の実力を認めているのよ。あの成瀬さんが、あの四人にはかなわないとね」


「そんなことが? でも、それは卓球部を辞める前の話だろ。もう辞めてから随分経つから、流石に腕も鈍っているだろ」


「そうかもしれない。でももし本当に腕が鈍っていたとしても、それでも今の四人に勝てる自信は、わたしも成瀬さんもないの。それほどまでに彼女たちは別格だったのよ」


 そんなにすごい人がこの学校にいるということに、僕はいまいちピンと来なかった。


「わたしたちは、来年度のインターハイに出場するつもりよ。そして全国優勝を目指します。そのためには、どうしてもその四人の力が不可欠なの。だから今更だけど、彼女たちには是非とも部に戻ってほしい」


 門脇さんの綺麗な瞳から、熱を帯びた視線が放たれる。僕はそれを見て、門脇さんの本気具合をひしひしと感じた。


 好きな女の子が、目標に向かって頑張ろうとしている。そして僕は、その目標を手助けすることができる立場にある。


 ならば、僕がすべきことは一つしかない。僕は門脇さんの願いを叶える。それは好きな女の子とお近づきになれるという下心あっての理由かもしれないが、別にそれでも構わない。僕は門脇さんのお願いを叶えることで、門脇さんの好感度を上げてみせる。


「その熱意はよくわかった。僕でよければ力になるよ」


 しかし僕はそんな下心を悟られないよう、紳士ぶった口調で協力を承諾した。


「でも最後に、一つ聞いてもいいかな?」


 だがまだ気なることがあった。


「その、どうして僕なんだ?」


 そういうお願いなら、卓球部以外の仲のいい友達に頼めばいいこと。わざわざ話したこともない僕に頼む必要性はない。まあ僕としては嬉しいけどね。


「すみません。卓球部の厄介事に巻き込んでしまうことは本当に申し訳ないと思っています。ただ――」


 どうやら門脇さんは僕の問いを「どうして僕がそんなことをしなくてはならないのか」という意味で捉えたようであり、ビクビクしながら断りを入れ、そして理由を語る。


「――辞めた四人は、


「え?」


 その理由はあまりにも意外なものであり、僕は思わず思考が止まってしまった。しかし何とか捻り出すようにして「どういうこと?」と聞き返すことができた。


「その、引き戻す切っ掛けをつかむために、悪いとは思いつつも四人の学校生活を密かに観察していたの。で、その四人に共通していたのが、渡部くんと知り合いであるということなの。ならば、渡部くんに間を取り持ってもらった方がいいと思って」


 僕と接点のある人物。しかも女子卓球部なので、相手は当然女子である。確かに学校生活を送るうえで数人の女子と話すことはあるが、僕としては誰のことなのか皆目見当がつかなかった。


 まあでも、全く知らない人ではないらしいので、そのことに関しては幸運だった。


「取り敢えず情報整理したいかな。一応成瀬さんからも詳しい話を聞きたいし」


「うん、わかった。じゃあ部室行こっか」


 門脇さんは最後に微笑み、そして踵を返して廊下を歩き出した。僕はその微笑みに見蕩れてしまい、歩き出すことを忘れていた。離れていく背中を見てようやく我に返った僕は慌てて駆け寄り、門脇さんの隣に並ぶ。


 歩いている間、会話は一切なかった。というのも、好きな女の子相手に何を話していいのかがわからないため、僕は門脇さんの美しい横顔を、しなやかな髪を、華奢な身体を、今時らしく着こなした制服を見るくらいしかできなかった。


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