第二部 狙撃のカット

第6話 我らの生徒会長様


 二月の朝は寒い。とりわけ今日は朝から雨が降っており、予報ではこのあと雪に変わるとのことで、一段と冷え込んでいる。北総高校までは駅から二十分ほど住宅地を歩けば到着するが、寒いわ濡れるわで、今日ほど鬱々した登校はないだろう。バス代をケチった数分前の僕を呪いたい。


 こういう日は寮生が羨ましい。北総高校の寮は学校に隣接している。一応敷地は別になっているのだが、渡り廊下というべきかアーケードというべきか、とにかく屋根付きの道が校舎と寮をつないでいるため、今日みたいに雨の日でも傘いらずなのである。


 そんなこんなで、どんよりと負のオーラを放ちながら学校に到着した僕は、昇降口のところで傘いらずの道を通ってきた寮生たちと合流する。寮生が傘立ての前を素通りするなか、僕は傘をたたんで突っ込み、靴を脱いで下駄箱に向かう。


「あら渡部くん、おはよう」


 僕が自分の下駄箱の扉を開けている最中、誰かが僕に挨拶をしてきた。育ちのよさそうな上品な口調は、僕が知る限り一人しかいなかった。


「会長、おはようございます」


 その人物は北総高校生徒会長の黒木くろき智美ともみであった。我が生徒会のボスである。


 黒木さんの髪はゆるく波打っており、ふわふわとしている。でもくせっ毛というわけではなく、ちゃんと美容室でプロのパーマをかけているのか、全体的に整った髪である。その髪を、黒木さんは可愛らしい髪留めでまとめてポニーテールにしている。


 身につけているマフラーや手袋、羽織っているコートなど、素人目でよくわからないがなんとなく高価そうなものである。それらの要素があるため一般的な女子高生よりも派手な印象だが、所謂ギャルのように下品なものではなく、どちらかといえばお嬢様のような気品のある派手さであった。


「渡部くん、コートの肩や制服の裾が濡れているわよ」


「雨の中二十分かけて歩いてきましたからね、そりゃ濡れますよ」


 僕は黒木さんの指摘に反応するが、当の黒木さんは「あらそう」とすごく興味なさげに返事した。寮生であり一切濡れていない黒木さんとしては皮肉として言ったのだろう。すごく腹立たしい。


 黒木さんは大人びた雰囲気を纏っているが、僕に比べて頭一つ分くらい背が低く、女子高生としては低身長である。そのためちょっとやそっと皮肉を言われても、そのちっちゃくて可愛らしい黒木さんを見ると何故だか許せてしまうから不思議である。大人っぽいのか子供っぽいんのか、よくわからない人だ。いや、両方の要素を持っているのか。


「せっかくだし、教室まで一緒に行きましょう」


「でもクラス違うじゃないですか」


「違うといっても、隣のクラスでしょ。向かう先はほぼ一緒じゃない」


 まあそう言われると断れない。クラスが隣同士である故に、僕のクラスの下駄箱と黒木さんのクラスの下駄箱は向かいあっている。とうに上履きに履き替えた僕は、背伸びして自分の下駄箱の扉を開ける黒木さんの姿に癒されながら待った。


 黒木さんも上履きに履き替え、僕たちは共に廊下を歩む。


「そういえば渡部くん。軽音部の申請の件について話すことがあるわ」


「ああ、なんかバレンタインの日に対バンイベントやるとかなんとかで、講堂の貸し出し申請があったな。どうなりました?」


「中止になったわ」


 予想外の黒木さんの言葉に、僕は思わず「はい!?」と素っ頓狂な返事をしてしまった。


「なにをしたんですか!?」


「なにって、別に特別なことはしてないわよ。ただ調整のため軽音部の部室に訪れた際、部員たちの人間関係を観察して、要件が済んだあと部員の情報を集め、その後適切な人物に世間話をしただけよ。そうしたら軽音部内で勝手にいがみ合いをし始めただけ。結果的に対バンがタイマンなってしまい、暴力沙汰として主要部員が停学になり、イベント自体行うことができなくなってしまったのが事の次第よ」


「十分特別なことしてんじゃないですかッ!?」


 この生徒会長さん部活動一つ潰しちゃってるじゃないですか! しかもさらっと言いましたよ。


 まあでも、この人ならやりかねない。そう思えるほどに、これまでありとあらゆるグループが崩壊していくのを見てきた。


 故意に人間関係を悪化させる。これは黒木さんの悪癖である。


 黒木さんは洞察力が鋭いのか、よく人間観察をしている。その人の振る舞いから性格や趣味趣向を読み取り、そこからその人の行動パターンを推測している。そしてその推測のもと、一石を投じることで誘導するのだ。それはまるでチェスを指しているかのようであり、残念ながら目をつけられた人は、黒木さんの手のひらの上で踊らされてしまうのである。


 この腹黒い生徒会長は、小悪魔という可愛らしい存在ではない。どちらかといえば、悪魔よりも悪魔らしい女子である。


 そして不運なことに、僕が生徒会に入ったことで、僕は黒木さんの手下というか、悪癖に協力する側になってしまった。それによって僕自身が標的になることはなくなったのだが、どこかの人間関係が崩壊する度に罪悪感を覚えてしまう。本当に、どうしてこうなった……。


「まあでも、起きてしまったことはもうしょうがないわ」


 そしてこの人は、自身の悪癖の結果をしょうがないで片付けやがった。恐ろしい人だ。


「それよりアナタ、何やら楽しそうなこと始めたわよね?」


 だがしかし、その悪癖の照準が僕の方に向いてきた。


「なんのことですか? 楽しいことなんてなにもないですよ」


 僕は内心ビクビクしつつ平静を装う。


「あらそう。でも昨日の放課後から、卓球部あたりで何やら賑やかになったような気がするのだけれども」


 やっぱり! この腹黒い生徒会長は昨日の出来事に感づいている。昨日僕が片想いの相手である門脇さんに話しかけられ、〝全中四天王〟を引き戻すのを協力することになった一連の出来事をどこで知ったんだ!? マジで今背筋が凍ったぞ。


 この人に目をつけられるとろくなことが起こらない。せっかく来年度のインターハイに向けてチームの再編成をしようとしているのに、黒木さんの介入があってはその夢は実現しない。再編成しようとして空中分解するのがオチだ。絶対に黒木さんの介入を阻止しなければ。


「どうでしょう。来年度の大会に備えて気合入れているんじゃないですか?」


 適当に誤魔化してもどうせ別ルートで裏を取られるので、ここは曖昧な言葉でお茶を濁すことにした。


 黒木さんは僕の言葉に「そう」と返事をしただけだった。しかし基本的になにを考えているのかがわからないので、安心はできなかった。


 と、そこで僕は閃いた。この腹黒い生徒会長を逆に利用できないだろうか、ということを。


 この人の人間観察力も然ることながら、情報収集能力も相当なものである。いくら人間観察が優れているといっても、それだけでは容易に人間関係を崩すことはできない。そこにはどうしても外部の情報が必要となる。一体どういう情報網があるのかは知らないが、その情報網を利用して〝全中四天王〟の実態を引き出せないだろうか。


「そういえば卓球部で思い出したんですけど、会長って〝全中四天王〟をご存知ですか?」


 番匠のモットーを借りるかたちではあるが、好機逸すべからず、である。


「いきなりどうしたの?」


 しかし唐突に変な質問をしたので、黒木さんはキョトンとした表情となり、小首を傾げた。


「いや、昨日の卓球部の騒ぎって、その〝全中四天王〟が原因じゃないかなと思って。僕も最近都市伝説みたいな噂として耳にしたんだけどね」


 事実半分嘘半分で答えてみる。利用しようとしているけど、あまり情報を開示してしまうと感づかれる恐れがあるので、一応用心してみた。もうヒヤヒヤものだ。


「そうね。知っているわ」


 でもヒヤヒヤした甲斐あってか、黒木さんは食いついた。


「知っているんですか?」


「ええ。とある界隈では有名よ。少し視野を広げると、その手の情報はいくらでも入ってくるわ」


「僕はあまり詳しいこと知らないんですが、どういう人たち何ですか?」


 僕は白々しく聞いてみる。なんだか心理戦をしているかのような探り方だな。


 黒木さんは人差し指を口元にあて「うーん、そうね……」と呟いて考え込んだ。


「一人すごい持久戦をする子がいるとのこと。どうやら視認するのも困難なスマッシュを打ち返せるとかなんとか」


 視認するのも困難なスマッシュ。それを聞いて僕は番匠を思い浮かべた。四人いる〝全中四天王〟のうちの一人、〝神速〟の番匠風香。「いかにして早く試合を終わらせられるか」ということに重きを置いた特異な卓球をする人物である。


 番匠は昨日、全国大会に出場したことのある卓球部のエースの成瀬さん相手に、完勝している。そして試合後、番匠は自身を打ち勝つ相手が卓球部に現れたなら部に戻っていいと言ったのだ。


 そして黒木さんの情報によると、その人物は番匠のスマッシュを打ち返せるとのこと。ならばこの人を部に引き戻すことができれば、番匠を部に引き戻すことが可能なのではないだろうか。


「その、それは誰ですか?」


 僕は焦る気持ちを抑えつつ、冷静を装って黒木さんに尋ねた。〝全中四天王〟は僕の知り合いであるらしい。事実その一人である番匠は僕の知り合いであった。ならば名前さえ聞いてしまえばこちらのものだ。


「直江さんよ」


「え?」


「ですから、直江さん。直江なおえ凛子りんこさんが、〝全中四天王〟の一人よ」


 直江凛子。僕はその人物を知っている。だがその名前は意外すぎるものであった。番匠のときは、驚きはしたものの、運動神経がいいことから納得できる要素があった。しかし直江さんの場合はそうではない。いや直江さんは番匠ほど親しい間柄ではないから、僕の知らない秘めた能力があるのかもしれないが、僕が直江さんに抱くイメージからはとても全国の舞台で卓球をしていたとは思えなかった。


「それではここでお別れね」


 黒木さんが突然別れを告げたことにより、僕はいつの間にか教室にたどり着いていたことに気がつく。思わず黒木さんとの会話に熱中してしまった。


「渡部くん、頑張ってね」


「え? あ、お、おう」


 黒木さんは唐突に僕を励まし、隣の教室に入っていった。はて? その励ましは、どういう意味だろう。またよからぬことでも考えているのだろうか?


 まあとにかく、情報は手に入った。取り敢えず接触してみよう。


 でも、直江さんか……。直江さんに関わると思うと、なんだか気が重たくなってきた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る