第26話 決着の時
蓮十郎の秘剣"影牙"を左肩に受け、剣を落として地に膝をついた光之助。
蓮十郎は、間髪入れずに剣を抜いて振りかぶった。
大上段から唐竹割りに、とどめの一撃――
だが、振り下ろす直前、その動きが止まった。
眼下の光之助の顔に、金ヶ崎の戦で傷の手当てをしてくれた時の光之助の顔が重なった。
「…………」
蓮十郎は目を血走らせ、数歩下がった。
そして剣を下した。
「もういいだろう。ここまでだ」
蓮十郎は乱れた息を整えながら言った。
「ここまでだと?」
光之助は右手で傷口を押さえ、眦を吊り上げた。
「ああ。もういい。俺の気はすんだ」
「何を言っている」
「色々あったが……てめえはかつての親友だ……」
「…………」
「てめえを斬りたくはねえ。見逃してやるから消えろ。魔招散を置いてな」
「…………」
「さあ、魔招散を出せ」
蓮十郎は一歩進んで剣を突きつけた。
だが、光之助は動かなかった。
「蓮、この状況で情けをかけるか。ならば斬れ」
光之助は般若のような形相で蓮十郎を睨んだまま言った。
「魔招散を出せ、光之助。お前、顔色が悪いぞ。魔招散はやはり禁断の秘薬だ。強すぎて、身体が耐えきれないんだ」
「ならば、俺を斬って魔招散を奪え。それが武士の情けと言うものだ」
「…………」
蓮十郎は唇を結んだ。
光之助は未だ闘志の燻る鋭い目を蓮十郎に向けたままである。
蓮十郎は剣を下して背を向けた。
「光之助、またいつか会おう」
そして、剣を提げたまま元蔵と凛の方へ歩いて行った。
その背を、光之助は凄まじい怨念の目で睨む。
「傷は大丈夫か? 山を下りるぞ」
蓮十郎は焔月を地に置くと、立膝をついて元蔵と凛の傷を検めた。
「今のところ問題無さそうだな。下山したらどこかで手当てだ」
ほっと安堵した。だが、蓮十郎は別の焦りを感じていた。
――急いで下りねえと。沢山の殺気が山を上がって来てる……。
蓮十郎は、今の斬り合いの最中に、大きな殺気とそれに従う沢山の殺気がここに向かって来るのを感じ取っていた。
「急ごう」
蓮十郎が立ち上がろうとした――その時である。
凛が青ざめた顔で蓮十郎の後ろを見て叫んだ。
「駄目!」
同時に、蓮十郎は絡みついてくるような光之助の殺気に気付いて振り返った。
だが、光之助の速さはそれを超えていた。
刃が眼前に迫っていた。
肉を切り裂く音と共に、血飛沫が宙に舞った。
蓮十郎の顔が呆然と色を失った。
刃を受けたのは蓮十郎ではなかった。
凛であった。
凛は、反射的に蓮十郎を突き飛ばしてその前に出たのであった。
光之助の刃が、凛の肩から背中にかけて切り裂いていた。
「凛!」
顔色を変えた蓮十郎が、崩れ落ちた凛に膝で寄った。
だがそこへ、光之助の二の太刀が唸りを上げて振り下ろされる。
「畜生!」
咄嗟に、その光之助の脚へ飛びかかって組み付いたのは元蔵であった。
光之助が真横に倒れ、そのまま元蔵と光之助は揉み合いになった。
「おい、凛」
蓮十郎は青ざめた顔で凛の身体を仰向けに起こした。
手にべっとりと血がついた。
凛の身体は震え、顔は尋常ならざる激痛に歪み、呻いていた。
だが、目は開いている。
その目に、上空を舞う二羽の燕の姿が映った。
「れ……蓮……」
凛は、呼吸を激しく乱していた。
「喋るな」
「ひ……飛燕……飛燕連陣……」
「うん?」
「思い出した……父が見せてくれた燕返し……いつもそれだけで終わらなかったの……」
蓮十郎の目の色が変わった。
「……そうか」
得心したように大きく頷いた。
「ありがとう。それで十分だ」
「ひ、飛燕連陣で勝って……父の、弟の、村の無念を……」
「わかった。だから喋るな。まだ死なねえから」
凛は青白い顔でこくりと頷いた。
蓮十郎は凛の身体を横たえると、焔月を取って立ち上がり、ぎろりと視線を横に投げた。
そこには、光之助と元蔵が揉み合っていたが、ちょうど、光之助がその恐るべき怪力で元蔵を三間ほども投げ飛ばしたところであった。
蓮十郎が地を蹴って飛んだ。
焔月の剣が大上段から光之助の頭に振り下ろされた。
光之助は飛び退いてそれを避けると、立ち上がって剣を正眼に構えた。
蓮十郎が叫んだ。
「元蔵! 凛を見てろ。まだ何とか生きてる!」
「はい!」
元蔵が痛みを堪えながら立ち上がり、凛のところへ飛んで行った。
蓮十郎、修羅の形相で光之助を睨み、剣を八相に構えた。
「俺が甘かったぜ。てめえは親友でもなんでもねえ。魔招散で身も心もおかしくなった化け物だ」
「俺は最初から親友だなんて思ってなかったぞ、蓮」
「何……?」
光之助は薄笑いを浮かべた後、狂気に塗れた嫉妬の表情となった。
「貴様はいつも俺の先を行っていた。俺がどんなに努力しても、どんなに武功を挙げても、貴様がいつも一番だった……。金ヶ崎の戦も……俺だってかなりの首級を挙げた。貴様の次にだ。だが、人は貴様の武功ばかり称えやがる」
「…………」
「俺は……貴様の力に敬服し、心底尊敬していたが、一方でそんな貴様が妬ましくて仕方なかった」
「…………」
「だがそれよりも……貴様はそんな俺の気持ちなど一顧だにしない……! 俺は本当は……」
光之助は食いしばった歯を見せた。
「そうか……悪かったな……」
蓮十郎は、憐れむような悲しげな表情となった。
「それだ! その態度が気にくわんのだ! 貴様はいつもそうやって余裕で上から俺を見やがる……!」
「…………」
「まあいい。俺は今、最強の力を得たのだ。ここで貴様を斬り、名実共に天下無双となる。そして天下の覇権を狙う」
光之助の目の色は、完全に暗黒の狂気に囚われていた。
蓮十郎は悟った。
もはや、目の前のこの男は、かつての親友であった光之助ではない。
嫉妬と欲望に憑りつかれた、ただの化け物である。
蓮十郎の目から、わずかな温かいものが消えた。
「わかったよ」
静かに言うと、剣を構え直した。
光之助はにやりと笑い、正眼から八相に構えを直した。
魔招散の効力なのか、先程刺された肩の傷などものともしていないようであった。
互いに八相に構えたまま、一時睨み合った。
蓮十郎は思考を巡らす。
(相手は光之助だ……"流水"からの"影牙"、一度使ったこの戦術はもう通用しないだろう。ならば……)
蓮十郎は光之助の手元を見つめる。
そして、空気が乱れ、両者が同時に動いた。
鳴り響いた金属音と共に二人が交錯すると、ぱっと左右に分かれ、また交錯した。
数合激しく斬り結ぶと、再び弾かれたように左右に分かれる。
そして凄まじい斬り合いが展開された。
右に左に、目まぐるしく体勢を入れ替えて打ち合う。
常人の目では追いつけないような神速の太刀捌き。
飛び散る剣花は互いの魂の欠片。
肉体と精神を削るかのような修羅の斬り合い。
その間に、蓮十郎は光之助の左小手と肩、脇腹を浅く斬った。
そして蓮十郎自身も、光之助に右肩と上腕、腿を浅く斬られた。
互いに、傷だらけとなった。
だが、二人の斬り合いは止まらない。
「蓮さん、大変だ! 姉ちゃんが……」
元蔵が悲痛な声を上げた。
横たわっている凛の顔がますます白くなり、その瞼はすでに落ちていた。
「もう少し待ってろ!」
蓮十郎は光之助の間合いから飛び退くと、八相に構えて叫んだ。
「残念だったな、蓮」
光之助は摺り足で間合いを詰めながらにやりと笑う。
「だがすぐに後を追わせてやるさ、夏奈の代わりにあの世で仲良くするがいい」
「だから勘違いするんじゃねえ。あの女はそういうんじゃねえよ」
燕が降下し、また空へと飛びあがった――
先に動いたのは蓮十郎。
八相から袈裟へ。
躱した光之助。そこへ返す刀で斬り上げの燕返し。
だが、光之助はそれも紙一重で躱す。
また果てしない斬り合い――
いつしか、西の空が赤くなり始めていた。
再び、両者が左右に弾け、間合いを取って睨み合った。
互いに傷だらけであり、疲労は顔に色濃く表れている。
蓮十郎が言った。
「光之助……次で終わりにしてやる」
「それはこっちの言葉だ」
次で決める。
二人とも、そう決めていた。いや、感じていた。
互いの切っ先を見つめたまま動かない蓮十郎と光之助。
ひりつくような緊張感。
一歩動いただけで切り刻まれてしまいそうな殺気が張りつめる。
元蔵は、思わず呼吸を止めていた。
凛は、目を閉じたまま動かない。息だけをしていた。
永遠に続くかのような静寂――
だが、二人が同時に動いた。
一撃目を互いに打ち合い、交錯した後、左右に分かれた。
そして、蓮十郎がわずかに速く踏み込んだ。
遅れた光之助、防御に動く。
蓮十郎の踏み込みながらの袈裟斬り。
斜めに剣光が走る。
光之助は飛び退きながら打ち払う。
そして反撃の刃を振ろうとしたが、その目が驚愕に見開いた。
蓮十郎は、続けて踏み込みながら斬り上げて来たのだ。
何と踏み込みながらの燕返しであった。
だが光之助も流石である。
咄嗟に身体を捻ってそれを躱した。
しかし再びその目が大きく開く。
瞳に映ったのは、斬り上げながら跳躍した蓮十郎の姿。
そして、上空から袈裟斬りが稲妻のように閃いた。
落下の勢いを乗せた神速の一撃。
――飛燕連陣……!
防ぐことができなかった。
光之助の左肩から右脇腹にかけて、甲冑ごと銀光が切り裂いた。
絶叫と共に、真っ赤な血飛沫が噴いた。
光之助は二、三歩後方へよろめくと、重心を失い、崩れるように仰向けに倒れた。
光之助は、もう立ち上がる事ができなかった。
蓮十郎の最後の斬撃は、魔招散の治癒力も効かぬほどの致命傷であった。
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