第15話 焔月行平

(この馬鹿が! やっぱり無駄じゃねえか!)


 蓮十郎は呆れた顔で、泣きそうなっている元蔵を見た。


 ――仕方ねえ。


 蓮十郎もその場に崩れ落ちた。


「い、痛い! 腹が……」


 格子にすがって悲痛な声を上げた。


 兵が再び戻って来た。


「お前もか?」

「あ、ああ……腹が……この牢の中に何かあるのかもな」


 兵はじろじろと蓮十郎の顔を見て、


「そんな事言って何とかここを開けさせようって言うんだろう? 無駄だ、やめておけ」


 と、その企みを見破った。


「ほ、本当なんだ……」

「大人しくしてろ」

「首のところも痛くてよ……どうなっているのか、ちょっとでいいから見てくれないか?」

「仕方ねえな」


 兵は格子に顔を近づけ、蓮十郎の首元を覗いた。

 蓮十郎の眸が光る。

 右腕がさっと格子の隙間を伸び、兵の腰の刀の柄を握った。


「あっ!」


 兵が驚く間に、蓮十郎の右手はすでに刀を抜き払っていた。

 そしてまた素早く格子に戻すや、その切っ先は腹に突き刺さっていた。


「うっ……!」


 血飛沫が吹き、兵が苦悶の顔で膝をつく。


「た……大変だ!」


 兵は仲間へ知らせようと、最後の力で大声を上げた。

 そこへ再び、蓮十郎が刀を突くと、兵は全ての力を失って血だまりの中に崩れ落ちた。


「すげえ」


 元蔵はその一連の早業に舌を巻いた。


「ぼーっとするな! 鍵を探すんだ、手伝え!」


 蓮十郎が言いながら、格子の隙間から手を伸ばして兵の身体を寄せ、その懐をまさぐった。

 元蔵も慌てて寄って来て同様に鍵を探す。


「あ、あった!」


 元蔵が、鍵を取り上げた。


「間違いないか」

「ああ、俺が造った山賽だ、間違いねえ」

「よし、開けろ」


 元蔵が、格子から手を伸ばして鍵を鍵穴に差し込んで回すと、戸が開いた。


「いいぞ、よくやった」


 二人は喜んで外に出た。

 だがそれも束の間の事、廊下の向こうから声が響いたかと思うと、五人ほどの兵が姿を現した。

 先程の兵の叫び声を聞いて、他の者たちが駆け付けて来たのだ。


「もう来たのかよ」


 蓮十郎は苦々しげに舌打ちした。


「お前たち、何をしている!」


 兵らは血相を変え、抜刀して駆けて来た。


 蓮十郎たちの武器はとっくに取り上げられている。

 先程見張りの兵から奪った剣が一本、蓮十郎の手に握られているのみである。

 だが蓮十郎は、その剣を元蔵に渡した。


「え?」

「お前がこれを使え」

「でも、あんたは?」


 困惑する元蔵の横を、徒手の蓮十郎が風の如く駆けて行った。


 兵らとの距離を、あっと言う間に詰める蓮十郎。


 一人が、大上段から振りかぶって来た。

 それを蓮十郎は半身を開いて躱すや、横の壁に飛び上がり、更に壁を蹴って跳躍、兵の頭上を飛び越えた。

 もう一人が水平に刀を一閃。蓮十郎はさっと腰を落として躱すと、右手を地につけ、それを中心に身体を回転させて蹴りを放った。

 足をすくわれた兵が腰を落とす。

 そこを蓮十郎が立ち上がりざまにまた蹴り上げる。


 左から剣が飛ぶ。

 蓮十郎は紙一重で躱すと、その手首を左手で掴み上げ、右手の拳を渾身の力で顔面に叩きつけた。

 兵士が呻き声と共によろめく。


「おい、何を見てる! 手伝え!」


 蓮十郎が叫ぶ。


「あ、ああ」


 蓮十郎の凄まじい動きに目を奪われていた元蔵であったが、その声に我に返り、刀を右手に兵らに向かって行く。


「気をつけろ!」


 兵らは互いに叱咤し、剣を振るうが、徒手の蓮十郎は拳と脚で縦横に動き回りそれを翻弄。

 その隙に元蔵の剣が鋭く閃き、やがて全員を斬り倒した。


「やった……すげえ!」


 元蔵は、自分でも信じられない気持ちであった。


「まだ他にもいるだろう。気付かれる前に先に俺の刀を取り返すぞ」


 蓮十郎は、倒した兵から鞘ごと刀を奪い、自らの腰に差すと、


「行くぞ」


 と、廊下を駆け出した。

 元蔵は慌てて後を追う。


 一室に入る。

 そこの床几の上に、蓮十郎の赤い天鵞絨の羽織が無造作に置かれていた。

 だが、羽織のみで、蓮十郎の剣、焔月行平は無かった。


「あの野郎……俺の剣を持って行きやがったか」


 蓮十郎は苛立たしげに床几を蹴った。


 その時、敵意が近づくのを感じた。

 部屋の外の廊下に、三人の兵が姿を現す。


「やっぱり脱走しやがったか!」

「お前ら大人しくしろ!」


 兵らは白刃を光らせて脅して来る。

 だが蓮十郎はすでに動いていた。


 その身体が影を引いたかと思うと、右手から青白い閃光が三度走り、三人が血を吹いて崩れ落ちた。


 元蔵は改めて蓮十郎の剣技に舌を巻いた。

 しかし、蓮十郎は鮮血滴る刀身を見つめて不満そうに呟いた。


「駄目だ、こんなナマクラじゃまともに斬れねえ」

「え?」

「まあ仕方ない。剣を取り戻すまではこれで我慢するしかないな。もう一本持って行こう」


 蓮十郎は、倒した兵からもう一本刀を奪って腰に差した。


「おい、天ヶ島山ってのははどっちかわかるか?」

「あ、はい。ここから半里ほど東の方向です」


 元蔵は、自然と敬語になった。


「よし」


 蓮十郎は天鵞絨の羽織を羽織ると、廊下に飛び出した。

 そして行く手を阻む兵らを次々に斬り伏せて、山塞の外に出る。


「あっちか」


 蓮十郎は東の空を一睨みすると、羽織の裾を翻して駆け出した。




 その頃、浦野光之助は部下二十数名を率いて、凛に天ヶ島山の山道を案内させていた。

 まだ草木は深くはない。

 両脇にまばらに雑木が伸びているなだらかな坂道を、凛を先頭に歩いて行った。


 光之助は、一人だけ馬に乗っている。

 彼は馬上に揺られながら、蓮十郎の剣、焔月ほむらづき行平ゆきひらあらためていた。


「素晴らしい輝き。やはり名刀中の名刀だな」


 銀色に輝く刀身を見つめ、光之助は惚れ惚れしたような溜息をつく。


「そんなに凄いの?」


 凛はちらっと後ろを振り返って聞く。

 すると、即座に部下の兵が怒鳴りつけた。


「余計な口をきくでない! 黙って道を案内せい!」


 しかし、光之助はそれを制して、


「喋るぐらい構わん。そう怒鳴るな」


 と言って、凛に答えた。


「これは元々は殿が大切にしていた秘蔵の剣だ。その斬れ味の凄まじさたるや、炎を斬り、月をも斬れると言う……そしてどれ程斬っても刃こぼれ一つせず、決して斬れなくなると言うことがないと言う名刀だ。まあ、炎や月を斬るなどとはくだらん伝説だが、それでも日ノ本で一、二を争うであろう名刀であることは間違いない。俺の刀もかなりの業物だが、この焔月には及ばん。俺はずっとこれを欲しかったのだが、殿は蓮に褒美として下されたのだ」

「そうなんだ」

「家中で催された剣術の模擬試合があってな。優勝者への褒美がこれだったんだ。決勝は俺と蓮だったが、蓮が勝ってこれを貰った」

「………」

「だが、今日からは俺の物としよう」


 光之助はにやっと笑うと、焔月行平を納刀して部下の一人に預けた。


「ところで娘、名を何という?」


 光之助は問いかけた。


「さっき聞いてなかったの? 凛。桐谷凛よ」

「桐谷……美原村で桐谷と言う姓は、まさかお前……」

「桐谷三太夫は私の父」

「やはりか。ではお前は三太夫が使っていたと言う技、飛燕連陣を受け継いでいるのか?」

「いいえ。父は私には剣術の基本しか教えてくれなかったから……それに父はむやみに剣の技を披露することを嫌っていたから、見た事もないわ」

「ふむ。三太夫は、木剣の試合であっても命を奪い過ぎたことを悔いていたそうだな」

「ええ。だから聞いたこともなくて……蓮十郎もがっかりしていたわ」

「それはそうだろうな。蓮はずっと、一度でいいから飛燕連陣を見てみたい、と常々言っていたからな」

「そうなの……」

「で、蓮とはそれだけか?」

「それだけ? って……?」

「お前と蓮はどんな関係だ?」

「関係って……何もないわよ。数日前に初めて会っただけだもん」

「本当か?」


 光之助は、鋭い目を凛に向けた。


「本当よ」

「そうか」


 光之助は、何か意味ありげに頷いた。


 やがて、彼らは吊り橋に差しかかった。

 下は谷底である。


 この天ヶ島山は、このように縦横に谷や崖が走っていた。


 吊り橋を渡り終えると、光之助は凛に聞いた。


「必ずこの橋を渡らなければならないか?」

「うん。この先へ行くには必ずこの谷を渡らないと行けないから。東の方にもう一つ橋があって、そこを通っても行けるけど、そっちの道は急で険しいの。帰る時は下りだから問題無いと思うけど、行きで登るのは大変なの」

「そうか……ふむ」


 光之助は、振り返って吊り橋をじっと見つめた。

 そして、部下に命じた。


「万が一に備えよう。この吊り橋を切って落とせ」

「え?」


 凛が驚く。命じられた部下達も驚いた。


「よろしいのですか?」

「構わん。帰りはその東の道とやらを通る」

「承知いたしました」

「それと、岸原の陣屋にいる修太郎に言いつけ、精鋭の兵を三十人ばかり選りすぐって急ぎ連れて来い」

「はっ」


 部下達は、命じられた通りに動いた。


 それから半刻ばかり後、同じ山道を、蓮十郎と元蔵が登っていた。


「なあ蓮さん」


 元蔵が話しかけた。

 彼は、いつの間にか年下である蓮十郎のことを"蓮さん"と呼んでいた。


「あの剣は相当の業物と見たけど、どうなんだい?」

「わかるか」

「もちろんだ。俺達は刀の盗みもやってたからな」

「馬鹿野郎、誇って言うことかよ。まあ、あれは信長が一番大事にしてた名刀中の名刀だ。家中で剣術大会があった時、俺が優勝して褒美としてもらったんだ」

「そうなのか、流石だなぁ。まあ、あんたの強さなら当然か。あっさり勝ち残ったんだろうな」

「そうでもねえぞ。決勝戦は際どい勝負だった」

「へえ。あんた相手にねえ。相手は誰だい?」

「あの光之助だよ」

「え?」

「あいつもかなりの使い手だからな。まあ、負けることはないとは思っていたが、かなり苦戦はしたぜ」

「そうなのか、あの男も、あんな優しげな顔して結構やるんだな」

「一般に達人と言われてる奴でもあいつにはかなわねえだろうな」

「へえ」

「金ヶ崎の戦の時も、あいつだってかなりの武功を立てたんだ」

「そうなのか。でも世間はあんたの事ばかりだな」

「ああ。俺だけじゃなくてあいつももっと称賛されるべきだと思うんだがな」

「無理もない。普通は皆一番の奴の事だけ褒めて、二番の奴の事は話題にもしねえ」

「そうだな……」


 蓮十郎は目を伏せた。

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