第4話 秘剣飛燕連陣

 美原村のある大倉郷一帯を支配下に置く大倉城――


 本丸内の廊下を歩き、執務部屋に向かう一人の若い男がいる。

 男は、若くして織田信長に取り立てられ、最近馬廻り衆の一人から、この城の城主となった。

 名を、浦野光之助久行と言う。

 背が高い、色白の美青年であった。

 その浦野光之助に、彼を探してやって来た、また一人の若い侍が声をかけた。


「浦野様」

「おう、修太郎」


 浦野光之助は、微笑んで答えた。

 声をかけた若い侍は、小野原修太郎と言う。元々、光之助と同じ馬廻り衆にいた後輩筋に当たる者であるが、今は、光之助の下に配されていた。


「また、美原村の者が陳情に来たようですな」


 修太郎は、厳しい顔つきとなって言った。


「ああ、これで三回目だ。今日もあの美しい娘が来たぞ」

「それでどうされましたか?」

「もちろん断った」

「三回目とあれば、流石に対処してやらねばならないのでは。噂では、かなり追い詰められているようです」

「とは言っても、ここは攻め取ったばかりで、俺もこの城に来たばかりだ。他にやらねばならんことは沢山あるのだ」

「しかしこのままでは、美原村にあると言う、飲めば天下無双の力を得ると言う禁断の神薬、魔招散が奪われてしまいます」

「すでに天下は乱れに乱れている。そんな薬一つ奪われるぐらい、どうってことはあるまい」

「ですが……」

「もうそれ以上言うな」


 光之助は、睫毛深い眼を鋭くしてじろりと睨んだ。

 その凄まじい殺気に、修太郎は思わず竦んだ。

 美形故に、不気味な恐ろしさが映えていた。


「修太郎、お前、そんな事を言う為にわざわざ来たのか?」

「いえ、それもありますが、もう一つ……その美原村のことです」


 光之助は再びじろりと睨んだ。

 修太郎は唾を飲み込んで、


「実は、今その美原村に蓮さんらしき人がいると言う情報が上がって参りました」

「何!?」


 光之助は驚いて目を見張った。


「蓮が? 本当か?」

「ええ、確実ではありませんが、赤い天鵞絨の羽織に黒い革袴の男を見たと、忍びの者が」

「そうか、その恰好は蓮と同じだな」


 光之助は、眉間に皺を寄せて何か考え込んだ。その顔に、複雑そうな暗い色が走る。

 だが、すぐににやりと笑って言った。


「蓮は罪人だ。すぐに捕らえろ。だがあいつのことだ、頭数揃えて出向いてもあっさりと逃げられてしまうだろう。たった一人とは言え油断するな、慎重に策を練って向かえ」

「はっ」

「頼んだぞ」


 そう言うと、光之助は足早に廊下を歩いて行った。

 別れた修太郎は、別の方へ歩いて行く。

 すると、向こうから、二人の見慣れぬ男と擦れ違った。

 その二人は、見るからに城内の者ではない。それどころか、織田家中の人間ですらないように見える。

 不審にその背を見送った修太郎は、次に擦れ違った光之助の小姓に聞いた。


「おい、今の二人は何だ?」


 若い男も、小首を傾げて、


「さあ? 私もよく知りません。ただ、殿がこれから執務部屋でお会いになるらしいです。そして、その際には、部屋には他に誰も入れるな、と仰せつかっております」

「ほう」


 修太郎は、何か思案しながら二人が消えて行った方向を見つめた。




「あなたの言う通り、父は確かに剣の達人でした。でも今はこの通り」


 桐谷三太夫の墓石を見つめ、凛は寂しそうに言った。


「そうか。病か?」

「ううん。あの八木沢党にやられたの」

「何? 桐谷三太夫程の男が?」


 蓮十郎は酷く驚いた。


「ええ。この村の為、数人の男たちを率いて八木沢党の根城に向かったんだけど、あっさりやられてしまったの」

「桐谷三太夫は老いて隠居したとは言え、かつては京界隈で伝説的な剣名を馳せた男だ。山賊風情にやられるとは信じられねえな、本当か?」

「本当よ。でも剣で負けたんじゃない。鉄砲よ」

「鉄砲」


 蓮十郎ははっとした。


「八木沢党は何故か鉄砲を持っていて、乗り込んで行った父達を待ち伏せしていたの。いくら剣の達人であった父でも、鉄砲の前にはかなわない。六十年近く鍛えて来た腕も虚しく、たった一発の銃弾でこの通り」


 凛はもちろん、隣の弥平次も目に涙を浮かべた。


「…………」

「つい先月の事よ」

「そうか」


 蓮十郎は墓石を見つめた。

 おもむろにすっと一歩前に出ると、目を閉じて合掌した。


 凛は驚いてその横顔を見つめた。

 傲岸不遜、口も態度も失礼極まりないこの男が、故人に手を合わせる事が意外だった。


「ねえ。何で私の父に会いに来たの? 知り合い? 何か用事が?」


 凛が、後ろから問いかけた。

 蓮十郎はおもむろに目を開けると、三太夫の墓石を見つめたまま答えた。


「特に知り合いでも何でもねえよ。三太夫がかつて京界隈で鳴らしていた二十年程前に得意としていたと言う秘剣、"飛燕連陣ひえんれんじん"。それを教えてもらいたくて来たんだ」

飛燕連陣ひえんれんじん?」


 凛は知らなかったらしい。首を捻った。


「やっぱり娘のあんたでも知らねえか。飛燕連陣は、対戦相手の誰もその技を破ることも防ぐこともできず、無類の強さを誇ったと言われている。だが、三太夫は、例え木剣であっても必ず対戦相手の命を奪ってしまうそのあまりの強さに、ある時を境に飛燕連陣を封印、人に伝授することはおろか、自身でも人前では二度と使わなかったと言う。剣士の間じゃ伝説となっている幻の剣だ。俺はどうしてもそれを教えてもらいたくてな。いや、教えてくれなくてもいい、剣を使う者として、せめて一度だけでも見てみたい、と思ってわざわざ来たんだ」

「そうなの……」


 蓮十郎は振り返り、凛に聞いた。


「なあ、姉ちゃん。あんたも剣をやっているって言っていたが、親父さんから少しでも"飛燕連陣"について何か聞いてないのか?」


 凛は首を横に振った。


「やっぱりか」

「今初めて聞いたぐらいだから、当然見せてもらった事もないわ。それに、そもそも父は、女が剣を学ぶのは護身の為には悪くない。だが、のめり込めば必ず不幸になる、と言って、基本的な事以上は教えてくれなかったの。今の私の技術は、全て父の剣の見よう見まねの独学よ」

「へえ、独学か。それでそこまでの腕になるんだから流石は三太夫の娘ってところだな。だが……」


 蓮十郎は真面目な顔で凛を見つめて、


「親父さんの言う事は正しい。あんた、それ以上剣を使わねえ方がいい。不幸になる」


 と深刻そうな顔で言った。


「え? どういうこと?」

「上手く言えねえが……そんな気がするんだよ」

「それも天眼と言うやつ?」

「ああ」

「でも、私も剣を使わないと。人が少ないのでこの村と魔招散ましょうさんを守れない」

「そうか。まあ、そうまで言うなら止めないけどよ」


 蓮十郎は小さな溜息をついて、


「しかし、三太夫がいないんじゃ仕方ない、帰るか……邪魔したな」


 と背を返した。

 それへ、凛が声をかけた。


「ねえ、やっぱり私達に協力してくれる気は無いの?」


 蓮十郎はちらっと振り返った。


「無い。俺はもう他人の為に剣を振るうのはごめんだ」

「そう……ですか……」

「そうだ。一晩あんたを抱かせろ。それなら協力してやるよ」


 蓮十郎はからかうように笑って言った。


「な、な……何言ってるの! 本当に失礼な人ね!」


 凛は顔を真っ赤にして怒った。


「冗談だ、怒るなよ」


 蓮十郎は大笑した後、急に真剣な顔になって、


「だけどな、これはそれぐらいの覚悟がいる事かもしれねえぜ?」

「どういうこと?」

「あんたの親父さん、鉄砲でやられたって言ったよな?」

「うん」

「あの八木沢党って連中、今日見た限りでは大した規模じゃねえ。ちんけな山賊だ。とてもまだまだ高価な鉄砲を揃えられるようには見えないんだがな」


 凛は、その言葉にはっとした。


「確かにそうね……奴らは周辺の民や旅人を襲ってるけど、とても鉄砲を持てるような余裕は無いはず」

「だろう? それに、この前かなりの数を倒して撃退したのに今日はまた同じような数がいるって言ってたよな? それも何だか不思議な話だぜ。山賊連中が急に人数を集められるわけがねえ」

「うん、そうね」


「その辺りからしても、どうもこの件は怪しい。八木沢党を討ったところで終わるとは思えない。何かもっと大きく厄介な事になりそうな気がしてならねえんだ。あんたら、できればその魔招散とやらを八木沢党に渡して手を引く方がいい。取り返しのつかない事になるかもしれねえぞ」

「そんな事できないわ。魔招散は平安の世からこの村が守って来た神薬。あんな連中にむざむざと渡せるもんですか」

「このまま行くと村の連中全員死ぬかもしれねえぞ? あくまでも戦うつもりか?」

「もちろん。最期まで戦います。桐谷三太夫の娘として、私もみんなと一緒に最後まで戦うわ」

「やめておけ。あんたがいくら三太夫の娘で腕があろうと、それは所詮女の細腕だ」


 すると、凛はしばし無言で蓮十郎の顔を睨みつけ、大声を出した。


「卑怯者!」


 思わず弥平次がびくっと身体を震わせた。

 蓮十郎はむっとして凛に鋭い眼光を向ける。

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