第5話 蓮十郎の指導
「何……卑怯者だと?」
「そうよ、この卑怯者」
「俺のどこが卑怯だ、適当な事抜かしやがるといくら女でも許さねえぞ」
「女の細腕でも八木沢党の悪事を許せずに立ち向かおうとしているのに、誰よりも腕がある貴方がそれを見て見ぬふりをするの?」
蓮十郎は顔色を変えた。
「悪人を討って人を助ける力を持っているのにそれを使おうとしないなんて、悪人よりも
そう叫んだ凛の目に、涙のようなものが浮いていた。
蓮十郎は、睨むように凛の顔を見つめていたが、やがて、ふっと笑った。
「言うじゃねえか……ちょっと心に効いたぜ」
そして、蓮十郎は言った。
「いいだろう。さっきはいいもん食わしてもらったし、ちょうど今桐谷三太夫の墓前にいるのも何かの縁だ。協力してやる。だがそれでも、やはり俺はこの件に関しては自分の剣を振るいたくねえ。他人の面倒事に巻き込まれるのはもう嫌だからな」
「じゃあ……?」
「さっき、あの村長の爺さんが頼んできたことを聞いてやる。あんたの剣はなかなかのもんだが、他の連中は戦い方がまるでなっちゃいねえ。八木沢党の連中が襲って来ても十分に迎え撃てるよう、俺が基本から武技を指導して、戦術も授けてやる。但し三日間だ。それ以上ここにいれば、織田家の忍びに嗅ぎつけられて、討手が来るかもしれねえからな」
凛が、少し顔を輝かせた。
「そしてその三日間の間に、もし八木沢党が襲って来たら、その時だけは加勢してやる。これでどうだ?」
「本当に?」
「疑り深いな。俺がこうまで言って嘘つくかよ」
「そうね。いいわ。ありがとう」
凛は喜んで笑顔を見せた。
すでに西の空は赤くなり始めている。
訓練指導は明日の朝からと言うことにして、その日は蓮十郎は凛たちの桐谷家に泊まった。
桐谷家は他よりも広く、また、蓮十郎が、少しでも三太夫の秘剣飛燕連陣の手がかりになるものがあれば、と、三太夫が残した日記や書物などを見たがったからである。
そして、翌朝早くから蓮十郎による訓練が始まった。
村の南西に広がる未墾の原野に、年頃の村の男たちを集めた。
そして剣や槍の使い方などを基礎から教えた。
だが、蓮十郎の指導は苛烈を極めた。
素振りから始め、足の運び方から手首の使い方、間合いの測り方など、基礎を細かいところまで厳しく指導した。
できなければ、できるようになるまで徹底的にやらせた。
そして、一通りある程度できるようになると、今度はいきなり木剣を持たせて実戦を想定した試合形式の練習に入った。
試合に勝る練習は無し、と言うのが蓮十郎の考え方であった。
蓮十郎は木の枝を持ち、村の男達には木剣を持たせて、一人ずつ打って来させた。
「まずは俺からは攻撃しねえから、俺を殺すつもりで打って来い。一太刀でも俺に浴びせるんだ。だが、十合打っても一太刀も当てられなければ、その後は俺から打つ」
だが、当然、誰も蓮十郎に一太刀浴びせることができなかった。
何度繰り返しても、十合の後に蓮十郎の木の枝による一撃を浴びて終わりになるだけであった。
木の枝と言っても、蓮十郎ほどの達人の手によれば、それは強烈な一撃となる。
見る見るうちに男達の身体が傷だらけになった。
しかし、休むことは許されなかった。
「休むな! 実戦では敵は休ませてくれねえだろうが!」
少しでも音を上げれば、また蓮十郎の手にある枝が容赦なく飛んで来た。
だが、そのあまりの激しさに、ついに三、四人の男達がへたり込んだ。
口を開く気力すらなく、無言でうずくまった。吐いている者もいた。
彼らだけではない。他の男達も、皆一様に激しい疲労で動くことができなかった。かろうじて立っているだけであった。
少し離れたところで見ていた凛たち女衆、そして村長の神坂らは、皆青ざめた顔でそれを見ている。
「どうした? 何故休む?」
うずくまっている男達に、蓮十郎が恐ろしい顔つきで詰め寄った。
だが、彼らは蓮十郎を見上げることすらできない。
「立て! これが斬り合いだったらとっくに斬られてるぞ!」
蓮十郎が、一人の男の襟首をつかみ上げた。
堪らず、凛が駆け寄って来た。
「やめて! 皆十分にやってるじゃない。これ以上はもう無理よ!」
蓮十郎は刺すような鋭い目を凛に向けた。
「頼んできたのはお前らだ。八木沢党から魔招散と村を守りたいんだろ?」
「そうだけど……でもこんなに急に激しくやらなくたって。皆戦うことを仕事にしている侍じゃないのよ!」
「だからこそだ。俺が教えられるのは三日間だけなんだ。そのわずかの間に八木沢党に勝てるようにしなくちゃいけねえ。だったらこれぐらいは当たり前だ」
「体力には限界と言うものがあるわ」
すると蓮十郎は、
「そうか」
と言って厳しい顔で何か考え込んだ後、いきなり刀を抜いた。
その場の全員が凍りついた。
だが、蓮十郎は構わず、へたり込んでいる男達の眼前に切っ先を突きつけた。
「ならばここで死ね。この程度の稽古で音を上げているようじゃ、到底八木沢党には勝てねえ。すぐに殺されるのがおちだろう。だったら、惨めに八木沢党に殺される前に、俺がここで殺してやる」
蓮十郎の目が爛々と殺気を放っていた。
昨日の斬り合いで見せた、獰猛な野獣の如き眼光。蓮十郎が斬ると言った言葉は本気であった。
「ちょ、ちょっと……」
凛が青ざめた顔で制止しようとするが、
「このままじゃどうせ殺されるんだ」
蓮十郎は無視して、剣を大上段に振り上げた。
すると、男達は気力を振り絞って立ち上がった。
「や……やります! もう少し……頑張ります」
震える声で言った。
蓮十郎は、剣を下した。
その時、ちょうど、中年の女どもが飯を運んでやって来た。
「そろそろお腹空いたでしょう? 握り飯召し上がんなさいな」
陽は、ちょうど中天に差しかかっていた。
握り飯を見ると、皆の顔がよだれを垂らさんばかりになった。
「まあいいだろう。ちょっと休憩だ。飯食って半刻ほど休んだら再開だ。俺はちょっと村の方へ行って来る」
蓮十郎はそう言いつけると、自身は握り飯は取らず、村の方へ向かって行った。
疲労の極みにあった男たちは、無言で握り飯をむさぼった。
だが、食べ終えて一息つくと、自然と文句と愚痴が噴出した。
「あまりに厳しすぎやしないか?」
「ああ……いくらなんでもこれはないぜ」
「あの男に頼んだのは失敗だ。今からでも断れないか?」
「そうだ。これじゃ八木沢党と戦う前にあいつに殺されちまう」
皆、口ぐちに不満を爆発させる。
それを聞くと、凛は困った顔になった。
「そんな……確かに少し厳しいけど、あの人も真剣にやってくれてるんだし」
だが、その言葉に男たちは反発する。
「少しどころじゃない。お凛、お前はここでやってないからわからねえだろうが、ちょっと異常だぜ」
「でも……」
「そうだ、お凛。あの男はお前の言葉がきっかけで今回のことを引き受けたんだよな。それにあの男はお前のところに泊まってるんだろう? だったら言いやすいよな。ちょっと行って、断って来てくれよ」
「ええ……」
凛は渋ったが、結局皆に責任を取らされるような形で蓮十郎のところへ向かった。
蓮十郎は茶屋で酒でも飲んでいるのかと思い、宗八の茶屋へ向かったが、そこにはいなかった。
村の中を少し歩いて探すと、赤い天鵞絨の背中は村の外れの小川の淵にいた。
何となく声をかけ辛かった。
だが、一瞬のためらいの後、思い切って話しかけた。
「綾川さん……」
「どうした?」
蓮十郎は振り返らずに答えた。
「あの……ご、ご飯……食べないの?」
声をかけたものの、いきなりは言い出しにくい。凛は咄嗟に関係の無いことを言った。
「そんな時間はねえよ」
そう言った蓮十郎は、手に持った地図を熱心に見ていた。
「何見てるの?」
気になった凛が覗きこむと、
「この村の地図以外にあるか? あの神坂爺さんに借りて来た」
蓮十郎は地図から顔を上げ、四方を見回した。
実際の地形と地図を照らし合わせているようであった。
「地図を見て何してるの?」
「お前はバカか? 作戦を立ててるに決まってるだろ」
「作戦……?」
「ああ。今、あいつらを鍛えているが、所詮たったの三日間だ。それで多少モノになったとしても、それでもまだ微妙な差で八木沢党には勝てないだろう。そこで策を使う。力で足りない分は、頭で補う。しっかりとした作戦の下に戦えば、その微妙な差を埋めるどころか、逆転できるはずだ。だから今、必死に作戦を練っている。その為には飯食ってる時間なんかねえんだよ」
「…………」
「引き受けた以上は、次に八木沢党が襲って来た時、必ずお前らが勝てるようにしてやる。その為には、少々辛いがお前らにはもう少し頑張ってもらう」
凛は、何かに打たれたかのような顔で蓮十郎を見つめた。
それ以上は、何も言えなくなってしまった。
「ありがとう……本当に……」
それだけ言うと、皆のところへ戻った。
今のことを皆に話すと、皆もまた言葉が出ずに黙ってしまった。
「もう少し……頑張ってみるか……」
一人がぽつりと言う。
「おう……」
「そうだな」
疲労困憊の顔は変わらずだが、それぞれの目に光が戻り始めた。
午後、半刻の休憩の後、彼らは再び蓮十郎の激しい訓練を受け続けた。
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