第16話 元蔵の術
その時、道の先が途切れているのに気付いた。
正確には道ではない。谷底の上に掛けられていた吊り橋である。だがその吊り橋が、縄を切って落とされていたのである。
光之助が指示してやったことであった。
「参ったな」
蓮十郎は、眼下の谷底を見つめて舌打ちする。
「仕方ねえ。別の道を探して行きましょうや」
元蔵の提案で、二人は別の方へ動いた。
西の方へ行ってみたが、そこは草木が深すぎて足の踏み場も無いような道なき道であった。
仕方なく、東の方へ向かった。
東の方はまだ歩ける。
草をかき分け、木々の間を縫って行った。
すると、元蔵は、遠くの方に、吊り橋らしきものを見つけた。
「蓮さん、橋がありますぜ」
「うん? ああ、本当だ」
蓮十郎もそれを確認する。
「よし、じゃあ急ぎましょう」
元蔵が喜んで脚を進めると、蓮十郎は何かに気付いてそれを止めた。
「待て。何かいる。兵士じゃねえか?」
「え?」
蓮十郎の視線の先、その瞳は木々の間の向こうに動く兵士達の姿を小さく捕えていた。
「本当だ」
元蔵もまた、よく目を凝らしてそれを確認したが、同時にはっと驚愕した。
「蓮さん、よく見えたな。元伊賀者の俺より目が良いのか」
「いや、見えてねえよ。微かな殺気で感じ取ったんだ。だから、吊り橋はお前の方が先に見つけただろ」
「なるほど」
「静かに行くぞ」
蓮十郎は元蔵に目配せし、静かにゆっくりと歩いて行った。
ある程度の距離まで行くと、その兵士らは、吊り橋を守るようにその前方に展開しているのがわかった。
蓮十郎は数を数える。
「参ったな。三十人はいやがる」
蓮十郎が舌打ちした。
「そんなに?」
「きっと光之助の奴が手配したんだろう。俺があの牢から脱出して追いかけてくることに備えてな。さっきの吊り橋も恐らくあいつが落としたに違いない」
「じゃああいつらを斬って行きましょう」
「斬る? あの三十人を相手にか? そんなことできるか」
「俺達を相手にあれだけ斬りまくった蓮さんだ、大丈夫でしょう」
「馬鹿言うな。あいつらはお前ら雑魚共とはわけが違う。織田家の正規兵達は皆鍛えられた精鋭揃いだ。おまけに弓矢鉄砲を持っているだろう。いくら俺でもそんな精鋭三十人を一人で相手にするのは無理だ」
「そ、そうですか……じゃあ別の道を探しましょう」
「いや、別の道があっても同じだろう、ここに兵がいるならば、きっと別の道にも兵が待ち伏せているに違いない。それにそんな時間は無い。もうすでに光之助らとは距離ができている。ぐずぐずしているとあいつが聖水を手に入れて、凛が殺されてしまう。あの橋を行くしかない」
「でも、どうやって?」
蓮十郎は一時考え込んだ後、
「付近の民百姓になりすましてさりげなく通る……」
と言うと、それを聞いた元蔵は少し呆れた顔で、
「その格好でですかい?」
とまじまじと蓮十郎の全身を見る。
黒い革袴に派手な赤い
とても庶民には見えない。
「駄目か?」
「当たり前です、そんな派手な格好の民百姓はいませんぜ。それにそもそも蓮さんの場合、そんな格好してなくても顔つきと雰囲気でばれちまいそうだなぁ」
「そうか……まあ、俺はてめえのようなもてそうもない品の無い顔じゃないからなぁ」
蓮十郎は馬鹿にしたように笑う。
「ひでえ。やっぱり口悪いな……言っておくけど、俺はこれでも結構もてるんだぜ。男は面じゃねえ、心だ」
「山賊のくせに心とは言うじゃねえか。まあいい、とにかく別の手を考えよう」
「はい」
二人は黙然と考え込んだ。
先に口を開いたのは蓮十郎だった。
「どっちかが奴らを別の方に引き付け、その間にもう一人が渡る。その後、引き付けていた方が何とか隙を見つけて橋を渡る」
「ああ、俺もそれしかないと思ってました」
「ただ、どうやって奴らを別の場所におびき寄せるかだ。それに、おびき寄せ役が奴らを引き付けた後、どうやって戻って来て橋を渡るかも問題だ」
「それなら俺に任せてください」
「何かいい策でもあるのか?」
「策ってほどじゃないけど、俺は元々伊賀者ですぜ。そこで待っていてください。俺が奴らを別の場所に誘導します。その間に蓮さんは橋を渡ってください」
「よし、お前に賭ける」
蓮十郎が頷くと、元蔵は雑木帯の中を音も立てずに静かに素早く移動し、橋から離れたところまで行った。
そして、茂みに潜むと、
「おおーい! こっちだ! 綾川蓮十郎が出たぞ!」
と大声で叫んだ。
「何?」
「あっちにか?」
聞いた橋の前の兵達は途端にざわつき始めた。
元蔵は、してやったとばかりにほくそ笑むと、今度は先程と声色を変えて叫んだ。
「うわっ! とんでもねえ強さだ! 早く来てくれ!」
兵達は更にどよめく。
「いかん。急ごう!」
「でも、小野原様がいない時には動けないぜ」
兵達はすぐには動かなかった。
そこで、元蔵は更にまた声を変えた。
「まずい! 逃げたぞ! 逃がすと怒られる、早く来てくれ!」
元蔵が悲痛な声を上げると、兵達はようやく動いた。
「確かにそうだ。逃がしてしまう方が怒られる」
「おう、急ごう」
兵達は全員、元蔵の声のする方へ駆け出した。
「あの間抜け面め、やるじゃねえか」
見ていた蓮十郎は愉快そうに笑うと、誰もいなくなった橋へと走った。
橋の半ばまで来ると、振り返った。
元蔵が兵士達を引き付けたのはいいが、元蔵自身はその後でどうやって来るのかと気になったのだ。
すると、視界の端で、木々の梢が揺れた。
目を凝らすと、その梢の間、枝と枝の間を猿の如く飛んでいる人影がある。
元蔵であった。
彼は、兵達をおびき寄せた後、木をするすると登って天辺まで行き、そこから隣の木の枝に飛び移った。
そしてまた隣の木に飛ぶ、と言った具合に、器用に木から木へと飛び移り、瞬く間に橋の近くまで着くと、木から飛び降り、蓮十郎のところまで駆けて来た。
「どうです?」
元蔵は得意顔になった。
「少しは見直したぜ」
蓮十郎はせせら笑うと、
「今のうちだ」
と、前を向いて駆け出した。
だが、蓮十郎はすぐに人間の気配に気づいた。と同時、橋の向こう側、道の脇よりぬうっと姿を現した者がいた。
「しまった……」
蓮十郎は顔色を変えた。
その者は、織田家の鎧兜を纏っている。しかも雑兵や一般兵のものではない。武将格の甲冑である。
「何奴!」
その者もまた、蓮十郎らを見て咄嗟に叫んで身構えた。
「まあ、いい、たった一人なら斬ってやる」
蓮十郎はにやりと笑って柄に手をかけた。
だが、その者が、
「蓮さんか……」
と、苦しげに言うのを聞いて、蓮十郎はその者の兜の
あっと声を上げた。
「修太郎……」
蓮十郎は動きを止めた。
「知ってるんですか」
元蔵が聞くと、
「馬廻り衆にいた時の仲間だ」
蓮十郎は柄に右手をかけたまま答える。
「流石は蓮さんです。あの牢から逃げ出したわけですね。しかも橋の前の兵達の目を欺いて。俺がこっち側の様子を見に来なかったらあっさりと通してしまっていたわけだ」
修太郎は、落ち着いた口調で言った。
「お前がここにいるのは光之助の指示か」
「はい、万が一に備えてここに兵を伏せておけ、と。まさかその万が一が起きるとは思いませんでしたが」
「そうか……なあ修太郎、ここは見逃して通してくれねえか?」
「そうは行きません。光之助さんは今や俺の上官。命令である以上、心苦しくても蓮さんを捕らえなければ」
「相変わらず堅物だな」
「だから昨日、早く村から出て行ってくださいと言ったんです」
修太郎は無念を滲ませるように唇を噛んだ。
蓮十郎はじっと修太郎の顔を見て、
「お前、光之助の企みは知っていたのか」
「はい、直接は教えてもらっていませんが、大体気付いていました」
「じゃあ、わかるだろう? 今のあいつに義は無い。むしろ悪に堕ちた。俺が奴を斬る。だからここを通してくれ」
「そうしたいのですが……光之助さんの今回の件もやはり証拠が無く……また俺に下された命令は、"上野宗助を斬った罪で綾川蓮十郎を捕えろ"なんです。そうである以上、俺は蓮さんを捕えるしかないんです」
「どうしても俺を捕らえるつもりか」
蓮十郎は苛立ちを募らせて行く。
「はい、すみません。俺も本当はこんなことしたくないのですが」
修太郎はゆっくりと刀を抜いた。
「仕方ねえ」
蓮十郎も刀を抜いて構えると、
「お前が俺にかなうとでも思ってるのか?」
「思いません。ですが、かなわずともやらねばなりません」
修太郎は悲壮に言って正眼に構えた。
「ちっ、糞真面目が」
蓮十郎は、苦渋の顔で脇構えを取った。
乾いた風が二人の間を吹き抜け、橋が音を立ててわずかに揺れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます