第17話 天ヶ島山の聖水

 元蔵は、背後で固唾を飲んで見守る。


 両者、睨み合いながら互いの間合いを計る。

 その間合いがわずかに交錯した時、両者の影が同時に動いた。

 吊り橋の上で、金属音と共に剣花が飛び散る。


 橋がぐらんぐらんと揺れる。


「うわっ」


 元蔵はたまらず体勢を崩した。


 しかし、蓮十郎と修太郎は止まらない。

 揺れをものともせず、二人は、上に下に刃をぶつけ合う。


 だがやがて、ここではやはり戦いづらいと考えたのか、修太郎が数段飛び退いて吊り橋の向こう側に行った。

 蓮十郎もそれを追う。


 そして足場が安定すると、二人はより激しく打ち合った。


 見ていた元蔵は驚愕する。


(すげえ、あの蓮さん相手にこれだけやれるのかよ。確かに蓮さんの言う通り、織田の精鋭はわけが違うな)


 だが、程なくして蓮十郎の太刀捌きが修太郎を押し始める。

 修太郎の顔に焦りが走り始め、その額からしきりに汗が垂れる。


 そして、ついに蓮十郎の剣が修太郎のすねを打った。


 修太郎は悲鳴を上げた。


 だが、打たれたすねからは血は吹かなかった。

 蓮十郎は咄嗟に峰で打ったのであった。


 腰が折れかけた修太郎に、再び、蓮十郎の剣が銀光を放った。

 今度は逆の脚の膝を打った。

 鈍い音がした。

 どうやら骨が折れたらしい。


 堪らず、修太郎は崩れ落ちて呻いた。


「悪いな、修太郎」


 蓮十郎は複雑そうな顔で見下ろした。


 修太郎は顔に脂汗を浮かべて呻きながらも、


「峰打ちとは……こうやって情けをかけるぐらいなら斬ってください」

「お前は可愛い後輩だ。俺には斬れねえ」

「…………」


 修太郎は苦痛の顔で蓮十郎を見上げ、


「この先を進んで光之助さんに会って、どうするつもりですか?」

「無論、あいつを斬る」


「斬れるんですか?」

「当たり前だ。俺を嵌めやがった上に、自分の欲望に憑りつかれて今また悪行を重ねる糞野郎だ。叩き斬ってやる」

「俺は知っています、蓮さんは本当は優しい人だ。ここで俺を斬らなかった蓮さんに光之助さんを斬れるとは思えません。光之助さんは確かに蓮さんをたばかったかもしれませんが、あの人はあなたの無二の親友だったでしょう。いざと言う時、今みたいな情が出たら斬れますか?」

「…………」


「それに、蓮さんは知らないでしょうが、光之助さんは蓮さんがいない間にかなり腕を上げました。今、打ち合った限りでは、今の光之助さんは蓮さんと同等、いや、それ以上かもしれません。そんな人を相手に情を見せたら、蓮さんが斬られますよ」

「…………」


 蓮十郎は答えなかった。

 黙然と修太郎の顔を見下ろしていた。


 その時、吊り橋の向こう側から騒がしい声が聞こえた。

 先程元蔵が別の場所におびき寄せた兵達が戻って来たのであった。


「いないと思ったらあんなところにいやがった!」

「あ、小野原様が! いかん、急げ!」


 兵達は蓮十郎らを見つけると、一斉に駆け出して来た。


「蓮さん、まずいぜ」

「おう、急ごう。だがその前にこの橋を落とす」


 と言って、蓮十郎は刀を振るい、吊り橋の縄を切った。

 橋が落ちて反対側の土壁にぶつかり、垂れ下がった。

 これであの兵達は追って来ることができない。


「修太郎、またな」


 蓮十郎は一瞥をくれると、赤い羽織を翻して元蔵と共に駆け出した。

 脛や膝の骨を折られた修太郎には追いかけることができない。

 悔しげに、だがどこか複雑そうな表情で、山道の奥に消えるその背を見送った。

 その後、こちらに渡って来ることができずに右往左往している向こう側の兵達に向かって、


「急いでこの吊り橋を元に戻すぞ! それと、綾川蓮十郎が牢を破り、ここをも突破したことを知らせる合図を出せ!」


 と指示を飛ばした。



 蓮十郎は先を急いだ。だが山道の斜面は急にきつくなり、また道は細く、左右の木々も深くなって行った。

 流石の蓮十郎も、駆け足が歩きとなった。

 元蔵などはすでに呼吸が上がっている。


「これはきついな」


 蓮十郎も時折息が乱れる。


「全くだ。俺はもう限界です」

「頑張れ。急がないと凛の命が危ない。しかし……俺は昔山籠もりの修行をしていたことがあったが、それでも流石にこれはきついぜ」


 蓮十郎は恨めしそうに道の先を見上げる。

 急斜面の道はまだまだ続いていた。


 だが、愚痴をこぼしている暇はない。

 のんびりしていると、光之助が頂上に辿り着いて聖水を手に入れ、魔招散の効果を得てしまう。

 そうなると、用済みとなった凛は口封じの為に殺されてしまうであろう。


 二人は汗を垂らして懸命に登った。

 やがて二人の息が完全に乱れた頃、やっと道は少しなだらかになった。


「良かった、少し楽になりそうだ。もう脚が棒だぜ」


 元蔵が深く息を吐いた。


「頂上まではもう一息ってところか」


 蓮十郎が山頂の方を見上げる。


 ふと、上空を飛翔する燕が目に入った。



 ――飛燕連陣……。



 蓮十郎は、燕の飛ぶ様を目で追いかけた。


 燕は上空から飛び降りて来ると、宙の虫を捕食し、またすぐに飛び上がった。

 そして木の枝に止まると、再びまたどこかへ飛んで行った。

 この燕が餌となる虫を捕える軌道に似ていることから、燕返しと言う技の名前がついている。


 蓮十郎は、その様をじっと見つめていた。


「蓮さん、どうしたんです。早く行かねえと」


 元蔵が訝しむと、蓮十郎は我に返って、


「そうだな」


 と、再び歩きはじめた。


 だが、


「あっ!」

「しまった!」


 突然、何かに脚をすくわれて体勢を崩した。

 かと思うと、足下から網が現れて引き上げられ、元蔵もろとも網の中に包み込まれてしまった。


 両脇の木の頭上から、茂みの中から、四人の男がすっと姿を現した。


「罠か……!」


 蓮十郎は悔しげに言った。


「蓮さん、気付かなかったのか」

「考え事してたからな……」


 迂闊であった。

 つい考え事をしてしまったのが仇となった。

 蓮十郎が天眼を開いて注意していれば、この罠には気付かずとも、潜んでいた男達には気付いたかもしれない。

 しかし、考え事をしたり、他に何か集中したりしている時、天眼を開くことはできないのである。


「美原村を襲ったのはこやつらであろう」


 男達の一人が言った。

 四人の男達は、光之助配下の武士達ではなかった。皆、毛皮の羽織に野袴と言った山の男の出で立ちであった。


「とにかく、おさのところへ連れて行こう」


 一人が蓮十郎の顔を覗き込んだ。

 蓮十郎は舌打ちして睨み回した




 その頃、凛を先頭にした光之助らは、山道を難なく登って行き、とうとう山頂に辿り着いた。

 山頂と言っても、足場の少ない険しい場所ではない。

 広くなだらかな台地状の岩場であった。


 更に道なりに進むと、そこに橋があった。

 しかし、橋と言っても、ここまで渡って来たような吊り橋ではない。

 足下の岩場が、空中に延びて向こう側に渡っていた。

 つまり、天然の石橋であった。

 また、そこには、いくつもの朱塗りの鳥居が連なっていた。


 そして橋の先には、周囲を谷に囲まれた、まるで天空の島のように見える場所があった。


 その神秘的な光景に、光之助始め、配下の兵士達も息を呑んだ。


「だから天ヶ島あまがしま山か……」


 光之助は一人頷いて、


「あそこに聖水があるのか」


 と聞くと、凛は無言で頷いた。


「よし、行くぞ」


 光之助は凛に進むよう促した。


 鳥居の下をくぐって行きながら、橋の下を覗き見る。

 十間程の深さがあった。


「自然と言うのは実に不思議で偉大なものだ。天地縦横に走る谷。そして天空の島。よくもこのような絶妙な地形を生み出したものよ」


 光之助は深く感じ入ったように呟いた。

 その時、部下の一人が西の空を指差して言った。


「浦野様、あれを!」


 その方向を見ると、狼煙が上がっていた。

 それを見た光之助、険しい顔となった。


「蓮が牢を破ったか。しかも手配しておいた修太郎の一隊をも突破した」


 凛は思わず振り返り、その狼煙を見上げた。


 ――蓮十郎が……?


 再び、胸が高鳴った。


 ――早く来て……。


 眉間に皺を寄せていた光之助であったが、


「流石だな。俺が甘かった。あいつは天眼の蓮だ。もっと見張りの人数を増やし、牢も頑丈にしておくべきだった。だがまあいい、俺が先に魔招散を飲み、天下無双の力を得てしまえば蓮など敵ではない。またすぐに捕えられるだろう」


 と、不敵に笑った。


「先を行くぞ」


 天然の石橋を渡り終えると、道が途切れて深い木々が立ち塞がった。

 その間を掻き分けて進んで行く。

 すると、突然視界が開けた。


 そこは不思議な場所であった。

 十間四方ほどの窪地である。

 だが、周囲は鬱蒼と樹木が茂っているのに、そこだけは木が無く、野草のみが生えている。

 そして、光之助たちがいるところから見て奥の方に、石で出来た鳥居があった。


 光之助たちは窪地に降りた。

 周囲を確かめるように見回しながら、ゆっくりと鳥居の下まで歩いた。


 鳥居の貫のほぼ中央から、透明な水がきらきらと光を反射しながら滴り落ちていた。

 だが水は熱を帯びているらしく、蒸気を立てている。


 光之助はにやりと笑った。


「これが聖水か」


 凛は伏し目がちに、うん、と頷いた。


「よし、この聖水を汲め」


 光之助は、部下に命じて、持参させた碗に聖水を汲ませた。

 差し出された碗の中の水をよく観察する。

 一見すると、温泉に近い普通の温かい湧水である。

 だが、光を反射する白い輝きが、普通の水よりも強いように見えた。


「なるほど、聖水か。確かにそうかもしれんな」


 光之助は一人頷き、


「では魔招散を」


 と、部下に魔招散を出させ、それを少量削って碗の中に入れた。

 指で軽くかき回すと、魔招散の粉はすぐに溶けて消えた。


「これで俺はついに蓮を超えられる。いや、俺が天下一の強さを得る。そうなれば信長に従っておるまでもなく、この俺が天下を得る事も可能かもしれん」


 光之助が邪悪な笑みを見せた。

 それを見て、凛は思わず背筋を寒くした。


 人の欲望の醜さを垣間見た気がした。


 村に伝わる伝承。

 平安の世。この魔招散を巡って度々おぞましい争いが起きたと言う。

 それは本当であった。


 再び魔招散を巡って激しい争いが起きてしまうのであろうか。


 だが、凛の顔には未だ冷静な色が残っていた。


「よし、飲むぞ」


 光之助は、魔招散を溶かし入れた聖水を、一気に飲み干した。

 空になった碗を、部下に手渡す。

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