第18話 藤沢一族と黄金の杯

 魔招散を飲んだ光之助は、何か変化が起きるのを待った。


 だが何も起きない。

 いつまで経っても、光之助は自身の身体に何の変化も感じられなかった。


「どう言う事だ? 天下無双の力を得たようには思えぬ。それどころか何の変化も起きそうもない」


 光之助は不思議そうに首を傾げた。

 部下達もざわつく。


 光之助ははっと気づいた。


「小娘、貴様……」


 凛をぎろりと睨んだ。

 凛は無言のまま光之助の目を睨み返した。


「他にもまだ何か必要なのだな?」


 光之助が凛に詰め寄った。


「…………」

「当たりか。何故それを言わなかった?」

「…………」


 凛は視線を逸らして答えない。


「そうか、時間稼ぎか。蓮が助けに来るまでの」


 光之助は冷笑すると、すぐに般若の如き形相に一変し、


「ふざけるなっ!」


 と、凛の横っ面を殴った。

 凛は悲鳴を上げて地面に倒れた。

 そこへ、光之助は更に抜刀して切っ先を凛の顔に突きつけた。


「言え。あと何が必要なのだ?」

「…………」


 凛は、光之助の顔を睨み上げたまま答えなかった。


「言え! さもなくばここで死ぬ事になるぞ」


 光之助が語気を荒げた。

 氷のように冷たい切っ先が、凛の喉元に迫る。



 ――待ってろ。俺が必ず助けてやる。



 凛の耳に、蓮十郎の言葉がどこからか響いた。

 凛は一時考え込んだ後、覚悟を決めて口を開いた。


「ここの中腹に、この天ヶ島あまがしま山を平安の世から守っている一族がいるんだけど、彼らが守っている唐土もろこしから伝わったと言う黄金の杯、それが必要」

「本当だな?」

「うん……その黄金の杯にここの聖水を汲んで、その中に魔招散を溶かし入れて、初めて効果が得られるの」

「解せんな。何故そんな面倒な飲み方が必要なのだ?」

「飲み方についてはよくわからないけど、魔招散はその黄金の杯の黄金の成分と、聖水の何らかの成分に反応するみたい」

「ほう……では何故その黄金の杯とやらをお前たち魔招散を作っている美原村ではなく、その一族が持っているのだ?」

「その一族と美原村の人間は元々は同族なの。魔招散はかつて多くの人間がそれを奪い合った秘薬だから、少しでも不埒な輩に狙われにくくする為に、二手に分かれて守ることにしたのよ。山を降りて魔招散の製造を始めたのが私達美原村、山に残って黄金の杯と山を守っているのがその一族」

「なるほど、わかった。しかし、他にもまだ何かあるんじゃないだろうな?」


 光之助が疑いの目で念を押す。


「無いわ。これだけ。本当よ」


 凛は俯いた。


「で、その一族がいる場所はどこだ?」

「ここに来る途中、大きな古木の前で二股に分かれてる道があったでしょう? あれを右にずっと行って、更に二つ目の二股路を左に行くと、確か彼らの集落があったはず」

「そうか。ではそこへ急ごう」


 頷いた光之助は、すぐに元来た道を引き返そうとしたが、


「いや、もしかすると俺達がその集落へ行っている間に蓮がここに来て、あの鳥居を壊して聖水を汲めなくなるようにしてしまうかもしれん。あいつはそう言う男だ」


 と、目を光らせた。


「ここにも兵を置いておこう……。お、そうだ。良い考えがある」


 光之助は凛を見てにやりと笑った。




 その頃、謎の男達に捕らえられた蓮十郎と元蔵は、縛り上げられたまま別の場所へと連れて行かれた。


 背後に山肌を背負う開けた台地状の場所に、数軒の家があった。

 それを前方に見る草むらの上に、二人は後ろ手に縛られたまま無造作に座らされた。


 その二人を、一様に毛皮の羽織と野袴と言う出で立ちの六人の男が囲んで見下ろしていた。


 やがて、彼らの頭領格風の、髭を生やした壮年の男がやって来た。

 やはり山の男の出で立ちであるが、その表情とひとみの光は野人のものには見えず、教養と品性を備えているように見えた。

 そう思って見回してみれば、他の男達も同様に、一見粗野な山人風であるが、どことなく知性品性が感じられる。


 頭領風の男は、蓮十郎と元蔵を見下ろして言った。


「我らは藤沢一族と言う古来よりこの霊山天ヶ島山を守る者だ。わしはおさの藤沢喜兵衛きへえと言う」


 蓮十郎は、じろりと喜兵衛の顔を見上げた。

 しかし喜兵衛はその視線を無視し、元蔵を見ると、


「お主は八木沢党の頭目、八木沢元蔵であろう。知っておるぞ。今朝、美原村が壊滅したとの知らせを受けた。お主らであろう。美原村を見るも無残に皆殺しにしたのは」


 その語気は静かであるが、激しい怒りを孕んでいた。

 元蔵はちらと喜兵衛の顔を見上げると、


「違う……と言いたいところだけど、確かにやったのは俺達だ。間違いねえ」

「美原村は、元々は我ら一族の者が移り住んで開けた兄弟のような村。共に古来より魔招散を守って来たのだ。魔招散を狙って襲うばかりか、その村を皆殺しにするとは天魔の所業なり。相応の報いを受けねばならん」


 喜兵衛が、いきなり腰の刀に手をかけた。

 すかさず蓮十郎が横から言った。


「待て。確かに美原村を壊滅させたのはこいつらだ。だが、こいつらは織田家の大倉城主浦野光之助に騙されてやったにすぎねえ。事の張本人は、魔招散を狙ってこいつらを操った織田家の浦野光之助だ」

「そ、そうだ。俺達はうまく騙されてたんだ」


 元蔵はその言葉に乗っかる。

 喜兵衛は横目でじろりと蓮十郎を見て、


「何を小賢しい事を。織田家は規律に厳しい。そんな事をするものか」

「少しは俺達の話を聞けよ。てめえは世間の評判だけで判断するのか。自分の目で判断しねえのかよ」

「何……?」

「織田家の浦野光之助が、自らの野望の為に魔招散を狙った。だが自分たちが悪評を被らぬよう八木沢党を騙して操り、美原村を襲撃させたんだって言ってるんだ」

「信じられんな」

「ちっ……この霊山を守ってるとか言う割りにはこんな事もわからねえのか、このむさ苦しい節穴野郎が」


 蓮十郎が苛立って吐き捨てると、元蔵が流石に慌てて、


「蓮さん、そりゃ言い過ぎだぜ」

「馬鹿にはこれぐらい言わねえといけねえんだよ」


 喜兵衛は蓮十郎の顔を睨みつけていたが、


「織田家がお主らを騙していたのが本当であったとしても、美原村に手を下したのがお主ら八木沢党であるのは事実であろう。所詮野武士まがいの山賊。大方旨い餌に釣られたのであろう。ならば共犯だ」


 と冷静に言った。

 全くの図星であった。蓮十郎も元蔵も言い返す言葉が出なかった。

 しかし蓮十郎は、


「確かにそうだな。だがちょっと待て。俺は八木沢党じゃねえんだ。やってねえ。むしろこいつら八木沢党を壊滅させたんだ。斬るんならこいつだけにしろ」

「あ、ひでえ。そんな……」


 元蔵は泣きそうな顔になる。


「嘘をつくでない。お前が八木沢党の人間ではないと言う証拠がどこにある? 現に今、八木沢元蔵と一緒に動いていたではないか」

「おいおい、俺が山賊や野武士のたぐいに見えるか? こいつと違って顔にも品があるだろう?」

「お前は確かに野武士には見えん。だがお前は口と性格が悪い。信用できん」


 それを聞いた元蔵、ぷっと吹き出し、愉快そうにはははと笑った。


「ちっ、やっぱり山の男ってのは頭が固いな……」


 蓮十郎は苛立ちを増幅させて行く。


「往生際が悪い。諦めて処罰を受けよ」

「わかった、わかったよ。……だけどよ、斬る前にもう少しだけ時間をくれねえか?」

「時間?」


「ああ。俺が今言ったその浦野光之助と言う外道が、今まさに、魔招散の真の効果を得る為に、聖水を求めてこの山の頂上に向かってるんだ。美原村の生き残りの小娘に案内させてな。光之助は、魔招散を手に入れれば、美原村の件の口封じの為に、最後の生き残りであるその小娘を殺すつもりだ。その前に俺達はその小娘を助けたい。そして、今回の事の張本人である光之助を斬り、その野望を食い止める」

「ほう」

「今言ったように、浦野光之助こそ、自分が魔招散を飲みたいが為に今回の事を仕組み、美原村を壊滅させた真の犯人だ。それを俺が斬るんだ、悪くないだろう? 斬ったら必ずここに戻って来る。その後は好きにしてくれ」


 蓮十郎はこの言葉に賭けた。

 だが、喜兵衛は首を横に振った。


「そんな言葉が聞けるものか。今ここでお主らを放し、その浦野光之助とやらを斬っても、きっとここには戻って来ぬであろう」


 蓮十郎の苛立ちは頂点に達した。


「ここまで言ってるのにまだ駄目か。この石頭の節穴が! てめえは石像か!」


 蓮十郎は大声で罵ったが、


「おとなしく報いを受けよ」


 喜兵衛は刀の柄に右手をかけた。


 その時、それまで何かもぞもぞと動いていた元蔵が、どう言う事か、縄目からするりと抜け出した。


「何?」


 喜兵衛も、蓮十郎も目を見張った。

 だがその間に、元蔵はどこに隠していたのか合口を取り出すと、これまた早業で蓮十郎の縄を切った。


「よくやった!」


 蓮十郎は縄から解き放たれると、狂喜して飛鳥の如く飛んだ。

 近くにいた男に飛びかかって組み伏せ、鞘ごと刀を奪った。


 元蔵は数歩飛び退いて間合いを取る。

 蓮十郎と元蔵、喜兵衛らが睨み合う形となった。


「お主、一体どうやって……?」


 喜兵衛らが未だ驚いていると、


「へへ……俺は元々伊賀者なんでね」


 元蔵が笑って言った。


「そうか。てめえ、関節を外しやがったな」


 蓮十郎がにやりと笑う。


「そう言うこと」


 元蔵は得意気な顔になった。


「おのれ……いいだろう。皆の者、かかれっ! 美原村を滅ぼし、霊山を汚したこの不埒者どもに神の罰を与えるのだ!」


 おうっ、と男達六人が一斉に構えを取る。


 元蔵は果敢にも合口一本で立ち向かおうと構えたが、蓮十郎はそれを制した。


「元蔵、斬るな! ここは俺に任せて木の上にでも逃げてろ!」

「ええ?」

「いいから早くしろ!」

「わかりました」


 元蔵は言われた通りに木々の間に駆け込み、木をするすると登って行った。


 自然、男達六人の刃は全て蓮十郎に向けられた。


 だが、それに応戦する蓮十郎、何故か奪った刀を抜かなかった。

 鞘の鯉口を握り、前に水平に突き出して構えた。


 ――抜かないのか? 何するんだ?


 木の天辺に登っていた元蔵は、息を飲んで眼下の成り行きを見守る。

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