第25話 綻び
「や、やめろ」
蓮十郎は胸を震わせ、必死に声を絞り出した。
そして震えながら立ち上がると、あばら骨の痛みを堪えながら、地を蹴って飛んだ。
雷撃のような袈裟切りで光之助を襲った。
だが、光之助は難なく飛び退いて躱す。
蓮十郎は間髪入れずに剣を右上に斬り返す。すなわち燕返し。
凄まじい速さで、元蔵も凛も光が煌めくのを見ただけで、その太刀筋が見えなかった。
だが、光之助はそれすらもあっさりと避けた。
――これを避けるのかよ……!
蓮十郎が驚愕に目を見開く。
そして反撃に転じた光之助の高速の左薙ぎ。
受け止めた蓮十郎。
だが、剣が鈍い音を響かせたかと思うと、銀色に光る物が虚空に弾け飛んだ。
何と、刀が真ん中から真っ二つに折れたのだった。
――嘘だろ?
蓮十郎は反射的に数歩飛び退き、唖然として折れた部分を見つめた。
刀など、滅多に折れるものではない。だがそれ程、魔招散によって怪物となった光之助の腕力は人の域を超えていた。
「化け物が」
蓮十郎は歯を噛む。
「ふふ……」
光之助は勝利を確信したのか、余裕の笑みを浮かべながらゆっくりと歩いて来た。
蓮十郎は折れた剣を構えながらじりじりと下がる。
「蓮さん……」
元蔵、凛、共に驚きに言葉を失っていた。
――まさかこれ程とは……。
だが、凛が動いた。――聖水が滴る鳥居の下へ。
そこには、三村重兵衛が持っていた蓮十郎の剣、焔月行平が転がっていたのだ。
凛は走り寄り、それを手に取った。
それを横目で見た光之助、
「その前に終わらせてくれるわ」
風のように疾駆して距離を詰め、蓮十郎に斬りかかった。
しかしその瞬間、蓮十郎の両の眸が強く光る。
蓮十郎は逃げるどころか、折れた剣を捨てるや光之助の懐に飛び込んだ。
そして、光之助の剣が振り下ろされるまさに寸前、蓮十郎の強烈な当て身が光之助のみぞおちに叩き込まれた。
光之助は、蓮十郎は逃げるものとばかり思っていたので、まともにそれを食らった。
「うっ……」
身体がくの字に折れた。
そこへ、更に蓮十郎は飛び上がりながら光之助の手を蹴り上げた。
光之助の手から剣が弾き飛ばされた。
「しまった……」
色を変えた光之助の顔へ、蓮十郎は間髪入れずに横から右拳を叩き込んだ。続けて、左拳で顎を突き上げた。
光之助の身体がよろめいた。
その隙に、蓮十郎は光之助の間合いから脱出し、凛の方へ走った。
凛もまた、焔月行平を抱いて蓮十郎へ走り寄る。
そして、ついに焔月行平が蓮十郎の手に戻った。
蓮十郎は、すぐに朱塗り金粉散らしの鞘から剣を抜き放った。
刀身に一瞥をくれると、息を乱しながらもにやりと笑った。
「やっと返って来たか。どんなに惚れた女でもここまで恋しかったことはねえな」
蓮十郎の全身の気が一変した。
光之助は自分の剣を拾い上げると、ふふっと笑った。
「夏奈よりもか?」
「……やめろ、てめえがその名を口にするんじゃねえ」
蓮十郎は殺気ほとばしる目で睨んだ。
光之助は更に冷笑する。
「剣が変わったぐらいで何だと言うんだ?」
そして地を蹴るや一瞬で遠い間を詰め、水平気味の袈裟に斬った。
蓮十郎は飛び退きながら左に剣を振り、それを打ち払った。
「まだわかんねえだろうな。武士の誇りを無くしたてめえにはよ」
「何だと?」
光之助は手を止めて眦を吊り上げた。
「そんな薬で強くなって嬉しいか?」
「………」
「武士なら、己の腕を鍛えて強くなるもんだろうがよ」
光之助は、ふん、と鼻で笑って、
「お前に勝てるなら嬉しいね」
またも、残像すら残らぬ稲妻の突き。
読んでいた蓮十郎、一寸の差でそれを躱す。
そして、二人はまた激しく打ち合い始めた。
先程までは蓮十郎が完全に押されていた。だが、今はほぼ互角の様相を見せていた。
蓮十郎の動きが、先程までより一段と鋭くなったのである。
人馬一体と言う言葉があるが、今の彼は人剣一体と言えた。
自らの手を動かすように焔月行平を操り、時折その自由自在な動きで光之助を翻弄さえした。
二人の打ち合いは、肉眼では追えないような凄まじい速さと迫力であった。
(蓮さんは本当にすげえ。今の浦野はほとんど怪物だ。だけどそれを相手に互角に戦ってる)
元蔵は、魂が震えるような感覚を覚えた。
凛も、夢でも見ているのかと我を疑う心地であった。
しかし、そんな蓮十郎の勢いも一時の事であった。
――このままじゃやはり俺がやられる!
蓮十郎は、心中はっきりと感じ取っていた。
魔招散の効力で、光之助は膂力、速さ、共に人の域を遥かに超えており、その差は蓮十郎が自分の剣を取り戻したぐらいで埋まるようなものではなかった。
光之助の剣が、すぐにまた蓮十郎を圧倒し始めた。
しかも、蓮十郎は左腕の鉄砲傷、あばら骨の折れと言う手傷を負っている上に、半日の戦闘で疲労が濃い。
それに対し、光之助は大した傷を負っていない上に、魔招散の力のせいか、全く疲労と言うものを感じていなかった。
このまま斬り合っていれば、蓮十郎が血煙に沈むのは時間の問題であった。
――畜生!
光之助の剣を掻い潜り、自らの剣を振りながら、蓮十郎は徐々に押し寄せる絶望を感じていた。
――どうすれば……。
上空、二羽の燕が旋回しているのが目に入った。
――飛燕連陣。
蓮十郎の脳裏に、伝説の剣豪、桐谷三太夫が使っていたと言う秘剣の幻影がよぎる。
その飛燕連陣を使えば、光之助に勝てるかもしれない。
だが、蓮十郎はおぼろげながら飛燕連陣の想像がついているものの、未だにどういう剣なのかはっきりとは掴めていなかった。
両者が左右に分かれた。
いや、光之助の方から後方に飛んだ。
光之助はすぐに正眼に構えを取ったが、一瞬顔をしかめた。
蓮十郎は見逃さなかった。その時、光之助の肘がわずかに落ちたのを。
――何だ?
蓮十郎も正眼に構えながら、光之助を凝視した。
何か、様子がおかしい。
――何だ? あっ。
蓮十郎は、光之助の息遣いにわずかな乱れを見た。
ある疑念を持った。
(魔招散は、一時だけ人の身体能力を倍増させる。それは根本から人の能力を上げるわけじゃねえ。だから、急激な力の倍増とその運用に、身体が耐えられなくなるんじゃないのか?)
光之助が、再び跳躍して斬りかかって来た。
蓮十郎は打ち払ってそれを防ぐ。
凄まじい速さの二の太刀が水平に飛んで来る。蓮十郎は飛び退いてかわした。
その激しさと鋭さ、やはり常人のものではない。
だが、蓮十郎はそこに、先程までより僅かに劣るものを感じ取った。
そして、再び間合いを取ってこちらを観察する光之助。
(何故続けて来ない? やはりそうだ。身体がついていけてねえんだ)
蓮十郎は、心中頷いた。
(ならばこれだ)
蓮十郎は、遠い間合いから袈裟に斬り込んだ。
光之助、軽く上体を逸らしただけでそれをよける。
続けて、蓮十郎は右に動きながら右なぎを払う。
またも遠い間合いの為、そして身体が動きにくい為なのか、光之助は目で見切って特によける動作をしなかった。
だが、蓮十郎は振った瞬間、軽く肘を伸ばした。
切先がほんのわずか、光之助の手を掠めた。
「ちっ」
ほんのかすり傷程度で、大した傷ではない。だが血を見た光之助は、憤然と斬りかかって来た。
蓮十郎は飛鳥の速さで左に飛びながら、またも遠い間合いから剣を真横に振った。
切先が、またも光之助の腿をわずかに掠った。
蓮十郎の顔が、初めてにやりとした。
「ちょこまかと!」
光之助が次々と鋭く打ち込んでくる。
だが蓮十郎はそれぞれ寸前でかわしながら剣を振り、少しずつ小さな傷を光之助に浴びせて行く。
光之助は、甲冑を着ている部分はただボロボロになっただけだが、腕や脚などに、あちこちに小さな血の染みができていた。
どれもほんの浅い傷である。
だが、一つ一つが浅い傷であっても、それが重なれば深くなり、確実に動きは奪われる。
流れる水が長い時間をかけて少しずつ岩を削るが如く、少しずつ斬って相手の体力を奪って行く。
神想慈円流に伝わる秘剣、"流水"であった。
そして魔招散の副作用も加わってであろう、光之助は、身体が重くなって行くのを感じていた。
「お、おのれ、貴様……」
光之助は憤怒の形相となった。
「一撃で斬ってくれる!」
光之助が気合いと共に剣を上段に振り上げた。
だが、
――大振りだ、そして遅い!
その振り上げる間を読んでいた蓮十郎、光之助が動くよりもわずかに早く踏み込んでいた。
そして光之助の剣が振り下ろされる寸前、蓮十郎の剣が直線の閃光を描いた。
焔月行平の切っ先が光之助の左肩に刺さった。
相手が剣を振り上げる時を読み、その瞬間に飛び込んで攻撃する必殺の秘剣、"影牙"
空に響き渡る悲鳴。
光之助は剣を取り落とし、膝をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます