第2話 天眼

 嘲笑しながら、全員叩き斬ってやると言い放った綾川蓮十郎。

 だが、対する八木沢党の頭目、八木沢元蔵もまた、たかだか若い男一人と侮ってか、冷笑した。


「俺達全員を? ははは、笑わせやがる。野郎ども、やっちまえ!」


 元蔵が命令を下した。

 八木沢党の男達は雄叫びを上げて蓮十郎に向かって行った。


「来るか、雑魚共」


 蓮十郎は笑うと、素早く数歩後ろに飛び退いた。

 そして脇構えを取った。

 突進して来た先頭の男が、構えもなくいきなり斬りかかって来た。それと全く同時だった。

 蓮十郎の身体が左に飛び、尾を引くように刃光が真横に飛んだ。

 男が悲鳴と共に崩れ落ちる。


(何今の? 相手の動きを見てから避けたんじゃない。まるでそう来るのがわかってて動いたみたい)


 凛はその不思議な動きに驚いた。


 そして、蓮十郎の左から、別の男が斬りかかった。

 蓮十郎は右下段から刀を振り上げて跳ね飛ばすと、そのまま返す刀を振り下ろして斬り倒した。


(あれは逆の燕返し? 何て正確さなの……)


 凛は、またもその技の鮮やかさに再び驚愕した。


 そして、二人の男が、密かに蓮十郎の背後に回り込んで、不意打ちに斬りかかった。

 だが、蓮十郎はそれを見ていないにも関わらず、身体ごと刀を真横に一回転させると、その一閃で二人を同時に仕留めた。


(え? 今のどう見ても気付いてなかったよね? 何で? まるで後ろにも眼があるみたい……)


 凛は夢でも見ているのかと呆然とした。

 蓮十郎の動きは、到底信じられないものであった。


 だが、村の男に声をかけられて、我に返った。


「お凛、今だ。俺達もやるぞ!」

「あ、そうね……!」


 凛は慌てて剣を取り直し、近くの八木沢党の男に斬りかかった。


 そして、馬上で見ていた元蔵もまた、蓮十郎の動きと剣技に我が目を疑っていた。


「こ、こんな事が……何者だあいつは? ええいっ、皆、あの男にかかれ! あいつをやれ!」


 元蔵は忌々しげに叫んだ。


 それを聞いた綾川蓮十郎は、再び小馬鹿にしたように笑うと、


「よし、面倒くせえから一気にやっちまうか」


 と言って、高速の踏込と共に身体を右回りに回転させた。

 真円の銀光がほとばしり、二人が一刀の下に沈んだ。


「雷車」


 蓮十郎は聞き慣れぬ技の名前を呟くと、右から斬りかかって来た男に向かって腰を低くして飛び込んだ。

 男が大上段に剣を振りかぶったその瞬間、蓮十郎の稲妻の突きが男の胸を貫いていた。


「影牙」


 そして、蓮十郎は化鳥のように身を躍らせると、見慣れぬ絶人の剣技を次々と繰り出し、一人でほとんどの野武士たちを斬り倒してしまった。

 蓮十郎の周りが、凄惨な血の海となった。


 その凄まじさに、馬上の元蔵は圧倒され、動けずにいた。

 残った左右二人の男も、完全に怯えている。


 圧倒されたのは彼らだけではない。

 凛達も、その鮮やか且つ凄まじい剣を目の当たりにして唖然としていた。


「雑魚ばかり従えてるんだな。さて、そこの髭もじゃ、そろそろてめえの番だ」


 蓮十郎は元蔵を見て馬鹿にしたように笑った。

 元蔵は青ざめた顔で、


「ちっ……仕方ねえ。今日のところは退いてやる」


 と捨て台詞を吐くと、馬首を返して逃げ出した。

 その後を、二人が転がるように追いかけて行く。


 蓮十郎は舌打ちした。


「卑怯な奴だ。馬には追いつけねえよ」


 そして懐紙を取り出して刀身を拭き始めた。


 村の者達は、遠巻きに蓮十郎を見て、一体何者だろうかと様子を伺っていた。

 だが凛は、恐る恐る蓮十郎に歩み寄って行き、


「あ、あの……ありがとうございます」


 と丁寧に礼を言った。

 蓮十郎は凛を振り向くと、ぶっきらぼうに答えた。


「勘違いするな。助けたんじゃねえよ。気持ちよく眠ってるところを邪魔されて腹が立ったからやっただけだ」

「え? じゃあ、腹が立ったって理由だけであれだけの人を斬ったの?」

「そうだ。何か文句あるか? 話は大体聞いていた。奴らは賊だろう? 生かしておいても世の為にならねえからいいだろう」

「…………」


 蓮十郎は、凛達を苦しめているから八木沢党の連中を斬ったのではなかった。

 ただ、自分の眠りを邪魔されたことに腹が立って斬ったのだった。

 そのことに凛は複雑そうな表情になったが、もやもやした気持ちは飲み下して礼を言った。


「でも、とにかく私達は助かった事になるので、本当にありがとうございます」

「だから礼はいらねえって。うるせえな」


 蓮十郎は面倒くさそうに言う。


「あの、あまり見た事のない剣ですが、あなたの剣はどこの流派ですか?」

「どこだっていいだろう」

「私も剣術をしているので興味があるんです」


 凛が食い下がると、蓮十郎はまじまじと凛を足元から頭の先まで見つめた後、


「神想慈円流」


 とぶっきらぼうに答えた。


「神想……慈円流?」


 凛は、小首を傾げた。聞いたことのない流派であった。

 その時、村の男達の中で、伝之助と言う男が、あっ、と声を上げた。


「思い出した! あんた、織田家の"天眼てんがんの蓮"じゃないか?」

「…………」


 蓮十郎はじろりと鋭い目を伝之助に向けた。


「天眼の蓮……? 伝さん、この人知ってるの?」


 凛が振り返ると、伝之助は頷いて言った。


「綾川蓮十郎、思い出したよ。織田信長様の馬廻り衆の一人でえらい剣の達人だと言う。二年前の金ヶ崎の退戦では、殿を務めた木下藤吉郎隊に自ら志願して加わり、戦場じゃ役に立たないと言われる刀を使って百人以上もの敵を斬り倒し、撤退を成功に導いた影の功労者だって言われてる人だ。で、天眼の蓮は神想慈円流の剣を使うって聞いた、間違いねえ」


 金ヶ崎の戦い。金ヶ崎の退き口とも言われる、史上有名な織田信長の撤退戦である。

 織田信長が越前の朝倉義景を攻めていた時、同盟者であり義弟でもあった北近江の浅井長政が裏切り、背後を襲った。

 挟撃の危機にあった信長はすぐに撤退を決断。殿に木下秀吉、明智光秀、池田勝正らを置いて、信長自身はわずかな伴と共に京へ逃げ帰った。

 だが、殿の木下秀吉らの撤退戦は壮絶を極め、後々までの語り草となったと言う。


 伝之助は、この時の池田勝正隊にいたので、蓮十郎の活躍を噂で聞いていた。


「そんな凄い人だったの……じゃあその"天眼"って何?」

「さあ? そこまでは知らねえ。ただ、皆がそう言ってた」


 すると蓮十郎はいかにもうるさそうなうんざりとした顔で、


「簡単に言えば勘だ。例えば動物が不思議と地震や雨を察知したり、こちらが動く気配を察して逃げたりするように、人間も本来目に見えない様々な物を感じ取る能力を備えている。神想慈円流はその能力を目覚めさせ、鍛える事により、危険や人の気配を察知したり、敵が何を考えどう動くかなどを感じ取りながら戦うことを可能にする。そしてその能力の事を天眼と言うんだよ」

「なるほど、天眼……でも、何でその織田のお殿様の馬廻り衆の人がこんなところに?」


 凛は納得して頷いたが、顔はまだ不思議そうにしていた。


「もう馬廻り衆でもなければ織田家の人間でもねえんだよ」


 蓮十郎は面倒くさそうに言った。


「え? そうなの……」


 凛はもちろん、それを知らなかった伝之助も驚いた。


「そんな凄い人がどうして?」


 凛が再び問うと、蓮十郎は苛立って声を荒げた。


「どうだっていいだろう! いちいち聞くんじゃねえよ、しつこいな!」


 その語勢と剣幕に、凛は思わずびくっと身体を震わせ、言葉が出なくなった。

 他の者達も静まり返る。


「もういいだろう。俺は見世物じゃねえんだ。動いたら腹が減った。あの茶屋に戻るぜ」


 蓮十郎は納刀すると、凛達に背を向けて歩き始めた。


 すると、


「待たれよ!」


 と、しわ枯れた声が飛んだ。


 蓮十郎が振り返ると、そこには屋敷の門の奥から出て来た一人の白髪の老人。


「腹が減ったのならばわしの家でとびきりの馳走を出そう」

「…………」


 蓮十郎はじっと老人を見つめた。


「わしはこの村の長である神坂と言う者。貴殿は我らの為にやったことではないので礼はいらぬと言うが、我らにとっては救われたのは事実。是非、礼をさせていただきたい」



 神坂の屋敷は、つい先程まで外で凄絶な斬り合いがされていたとは思えない、穏やかな静寂に包まれていた。

 広い庭園は、梅と桜の木が植えられ、小池には澄んだ水が陽光を照り返している。

 その庭園に面し、南の日差しがよく入る一室で、蓮十郎は出された料理を次々と平らげていた。


「流石に豪傑、よく食べられますな」


 神坂はその食べっぷりに驚く。


「朝から酒しか飲んでないからな」


 蓮十郎は遠慮が無い。酒もごくごくと飲む。


 凛は料理を運ぶのを手伝っていたが、その蓮十郎の遠慮の無い食べっぷり飲みっぷりに少し呆れていた。


「よく食べるわね……」


 凛が料理を運びながら小声で呟くと、同じく手伝いに来て凛の後に続いて瓶子を運んでいた弟の弥平次は顔を輝かせて言った。


「剣の達人だからあれぐらい食べるのは当たり前なんだよ。なんたって金ヶ崎の英雄なんだから」

「随分嬉しそうね」

「ああいう凄い人は初めて見たんだもん。いいなぁ。俺に剣術を教えてくれないかなぁ」

「凄いって言ったってねえ……」



 ――ちょっと聞いたぐらいであれはないわ……。



 凛は、先程蓮十郎が声を荒げたことに少し腹を立てていた。

 だが少年と言うのは単純に英雄豪傑に憧れるものである。

 弥平次は蓮十郎の癖のある性格をまだよくわかっていなく、単純に尊敬の気持ちしか持っていなかった。


 凛と弥平次が、料理と酒を持って部屋に入った時、ちょうど、神坂が蓮十郎に言っていた。


「綾川殿、勝手ながら頼みがあります」


 その言葉の重い響きに、蓮十郎は箸を止めて神坂の顔を見た。

 その目の色は、すでに神坂が何を言うか感付いているようであった。


「あの八木沢党の連中を退治してはくれませぬか?」

「…………」

「もちろんただとは言いませぬ。それ相応の礼はいたします」


 蓮十郎は答えず、ほら来やがった、と言うような顔で、神坂の顔をじっと見つめた。

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