第23話 魔招散争奪戦
蓮十郎の神足、あっと言う間に彼らの背に追いついたかと思うと、その身体が跳躍し、落雷の如き唐竹割りが敵の背中に炸裂した。
崩れ落ちた兵士の悲鳴に驚いたもう一人が振り返るそこへ、更に返す刀で右の斬り上げ。
昇竜のような一撃が兵士の腹から胸を切り裂いた。
凛が振り返った。
息は乱れ、顔は青かった。
しかし追って来た二人を斬り伏せた蓮十郎を見て、ほっと安堵の表情を見せた。
だがその瞬間、蓮十郎の顔色が変わる。
「伏せろっ!」
と叫びながら、蓮十郎は凛に飛びついてその身体を地に倒した。
頭上を、轟音と共に銃弾が飛んで行った。
鉄砲手が、向かい側の茂みの奥に潜み、そこから発砲したのである。
間一髪、凛は銃弾を避けた。
だが、凛の顔は別の意味で狼狽えていた。
「
今、地に組み伏せられた勢いで、凛は杯を取り落としていた。
「何?」
蓮十郎は上半身を起こして見回した。
なだらかな傾斜のある草むらを、きらりと黄金色に光る物が転がって行くのが見えた。
蓮十郎は立ち上がってそれに駆け寄ろうとしたが、背後に殺気を感じて身体を捻る。
そこに、蓮十郎を追いかけて来た三人の兵士が迫っていた。
三人は猛然と刀を振りかぶってくる。
「くそったれが!」
蓮十郎は起き上がりざまに右下から斬り上げた。
真正面の一人はそれを躱し切れない。蓮十郎の斬撃が腿を切り裂いた。
しかしあとの二人が示し合わせて左右から斬りかかる。
蓮十郎は右の兵士に蹴りを食らわせて弾き飛ばすと、左の兵士に右なぎを放った。
だが受け止められてしまった。
起き上がった凛。
前のめりになりそうになりながら、転がって行く黄金の杯を追いかけた。
あともう少しで手が届く。しかしそこで、駆け寄って来た別の一人の兵士がそれを取り上げた。
「あ……」
凛が顔を上げると、その兵士は杯を手にしてにやりと笑った。
「残念だったな」
兵士は凛の顔を蹴り飛ばした。そして杯を手に光之助の下へ走った。
仰向けに倒れた凛。
「あの野郎……!」
それを視界の隅で見ていた蓮十郎が激昂した。
しかし彼の前には、刃を並べて襲って来る二人の兵士。
蓮十郎は数歩飛び退いた。
怯んだか、と見た二人が猛然と振りかぶって来た。
だが、飛び退いたのは誘いであった。
二人が上段に刀を振り上げた瞬間、蓮十郎は神速でその懐に飛び込んでいた。
そして水平に放った電撃の左なぎ。
銀色の刃光が尾を引き、二人の腹を胴当ての上からまとめて斬り裂いた。
「……っ!」
左腕の傷口がズキンと痛んだ。
だが蓮十郎は構わない。急いで凛へ駆け寄り、その身体を抱き起した。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
凛は言ったが、その艶やかな白い頬に赤い血の滲みができていた。
蓮十郎の顔に怒りの色が走った。
だが再び、蓮十郎は顔色を変えて凛を地に押し倒した。
銃弾が轟音と共に頭上を掠めて行った。
「ちっ……元蔵! 煙玉で鉄砲の奴を何とかしろ!」
蓮十郎が起き上がりざまに怒鳴った。
だが、元蔵は元蔵で必死であった。
三人を相手に顔を真っ赤にして斬り結んでいた。
彼もそこらの並の人間よりは腕が立つ。だが、蓮十郎のような絶人的強さではない。
鍛えられた織田家の精鋭複数人を相手に互角に斬り合うだけでも凄いことであり、またそれだけで精一杯であった。
とても雑木の間に潜む鉄砲兵達をやる余裕は無い。
「今はとても無理です!」
元蔵は剣を振り回しながら、悲鳴に近い声を上げた。
「仕方ねえ……うっ、まずい!」
蓮十郎の目に、先程黄金の杯を奪った兵士が、それを光之助に渡しているのが映った。
「そうはさせるか!」
蓮十郎の身体が飛翔した。
窪地に飛び降り、光之助を目指して走った。
しかし、その前に二人の兵士が横から飛んで来て立ちふさがる。
だが、蓮十郎の剣はここに来て一段と冴えを増したようである。袈裟斬り一閃、返しの燕返しでまた一閃、二人を瞬殺した。
再び轟音。
木陰の間から飛んで来る銃弾。
蓮十郎は転がって避けると、また走り、そして光之助の前に飛び出した。
「蓮……来たか」
光之助は、杯を傍らの三村重兵衛に渡し、
「これに聖水を汲んでおけ」
と言いつけ、自身は刀を握り直した。
「そうはさせねえよ。そろそろ全てのカタをつけようぜ」
「蓮、以前の試合の時のようには行かんぞ。お前がいない間に、俺はかなり腕を上げた」
「へえ、じゃあ見せてもらおうか」
蓮十郎が八相に構えた。
光之助は白く美しい顔をにやりとさせ、正眼に構えた。
対峙する両者。
先に動いたのは光之助だった。
その身体が突如、音も無く大きく見えたかと思うと、上段からの鋭い斬撃が蓮十郎の眼前に迫った。
しかし蓮十郎はそれを読んでいた。
剣を振ってその斬撃を打ち払うと、返す刀を凄まじい鋭さで右に一閃。
だが、その突風のような一撃を、光之助は更にあっさりと飛び退いてかわした。
蓮十郎は踏み込み、追撃の太刀を袈裟懸けに振り下ろす。
光之助は、それを右下から跳ね上げた。
蓮十郎は数歩飛び退いた。
光之助も同様に退くと、正眼に構え直した。
「腕を上げたってのは本当だったな。ちょっと驚いたぜ」
そう言いながらも、蓮十郎は不敵に笑っていた。
だが光之助もまた薄笑いを浮かべる。
「まだこんなものじゃないぞ」
「言うじゃねえか、悪いがこっちもだ」
乾いた上空に、二羽の燕が飛翔していた――
その時、凛は固唾を飲んで二人の斬り合いを見守っていたのだが、光之助に言いつけられた三村重兵衛が黄金の杯で聖水を汲んでいるのを見ると、近くに斬り倒されていた兵士の刀を奪って駆け出した。
しかしそれを横目に見た蓮十郎は叫ぶ。
「凛、そいつは放っておけ! 俺が光之助を捕まえておいて飲ませなければいいんだ。それより動けるなら元蔵に加勢しろ、できるか?」
聞いた凛は、うん、と答えて元蔵の方へ向かった。
「隙だらけだぞ!」
光之助が踏み込んで蓮十郎の胴に斬りつけた。
蓮十郎は飛び退いて躱すと、右に回り込みながら真横に振った。
光之助はそれを跳ね飛ばす。
そして二人は、上に下に、剣花飛び散る激しい斬り合いを繰り広げた――
元蔵は、何とか一人を斬り伏せていた。
あとは二人である。
だが、元蔵は左腕を浅く斬られ、更に右手からも血を流していた。
喘ぐように呼吸をしながら、それでも必死に剣を振っていた。
凛がそこへ躍り込んで、一人に斬りかかった。
「しゃらくせえ小娘がっ!」
兵がその剣を跳ね飛ばすと、猛然と袈裟に斬り下ろす。
だが凛もまたそれを跳ね飛ばす。
「ね、姉ちゃん……ちょっとこの二人を頼めるか?」
元蔵は言うと、数歩飛び退いた。
「任せて」
凛は、退いた元蔵を追おうとした兵士に斬りつける。
「頼む!」
元蔵は、残り一つの煙玉を取り出すと、木陰に潜んでいる鉄砲手たちに投げつけた。
たちまちに白い煙が湧き上がり、彼らを包んだ。
「目が……!」
悲鳴を上げる彼らの下へ、元蔵が刀を提げたまま走った。
そして潜んでいた三人の鉄砲手を、次々に斬り倒して行った。
「よくやった!」
光之助の剣風を掻い潜りながら、蓮十郎は会心の叫びを上げた。
だがすぐに、凛が体勢を崩して倒れたのが目に入った。
――まずい!
蓮十郎は、光之助の間合いから素早く飛び退くと、凛の
光之助はそれを追わない。
落ち着いた表情で背を返し、聖水が滴り落ちる鳥居の下へと走った。
そこには、三村重兵衛が黄金の杯に聖水を入れて待っていた。
「よし、魔招散を」
光之助が、魔招散を取り出してにやりと笑う。
如何に剣豪桐谷三太夫の娘であり、自身も剣術をしているとあっても、流石に織田家の精鋭二人を相手と言うのは無理があった。
力で押され、地に左手と尻をついた凛。
そこへ、二人の兵士が剣を上段に振り上げた。
――斬られちゃう。
凛は咄嗟に避ける動作に入ろうとしたが、間に合わないのを悟った。
顔が恐怖に歪む。
だが、まさに剣が振り下ろされそうになったその瞬間、その兵士二人は真横に吹っ飛んだ。
横から飛んで来た蓮十郎が、飛び蹴りを食らわせたのだった。
着地した蓮十郎、そのまま吹っ飛んだ二人に飛びかかると、一人の胸に切先を突き刺し、起き上がって逃れようとするもう一人の背中に垂直に斬りつけた。
蓮十郎は息を乱しながら、二人が戦闘不能になったのを確認した。
これで、光之助と三村重兵衛以外の全ての敵兵を斬り倒したことになった。
「あ、ありがとう」
凛は青ざめた顔で言う。
だが蓮十郎は無言で頷くと、凛は見ずに横を振り返った。
その顔が、修羅の形相に変わって行く。
蓮十郎の視線の先――光之助が黄金の杯を口に運んでいた。
ついに、黄金の杯に汲み入れた聖水に、魔招散を溶かして飲んだのだった。
飲み終えると、光之助は杯を三村重兵衛に渡した。
口元が笑っている。
「飲みやがったか」
蓮十郎は険しい顔で鋭い眼光を光之助に向ける。
「魔招散が……」
凛は顔を青ざめさせた。
元蔵も、不安そうな顔をしている。
「ふ……ふふ……そうか……」
一時の後、光之助の様相が一変した。
白い肌に赤みが差し、鬢の毛がそそけ立った。
両の瞳は、瞳孔が開き、ぎらぎらと不気味な光を放つ。
全身から異様な気が立ち上り、心なしか肉体が一回り大きくなったように見えた。
「なるほど……なるほどな……」
光之助は一人納得して頷き、
「これを巡って殺し合いが起きるわけだ。この高揚感、身体の軽さ、無限に湧いて来る力……まるで天をも一飲みにできるかのようだ」
光之助は大きな声で高笑いを上げた。
「俺は今、正しく天下無双となった! これならばお前どころか、一人で千の敵をも屠れるだろう! いや、今の俺ならば、信長に従っている必要も無い。天下はこの俺がもぎ取れる!」
光之助は大胆不敵にも言い放った。
そこに、颯爽とした美青年の面影はすでに無かった。
異界の怪物のようであった。
だが、それは見た目だけではない。
蓮十郎の天眼は、確かに光之助の底知れぬ異常な力を感じ取った。
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