第28話 綾川蓮十郎

 だが信長が静かに言った。


「皆、おろせ」


 囲んでいた兵士達全員、揃って構えを解いた。

 蓮十郎、不審に思って四方を見回す。元蔵も足を止めた。


 信長は続けて言った。


「たわけが。わしは話を聞かん男ではない。そして有能な男を無暗[むやみに殺すような愚か者でもないわ」

「どう言う……」


 蓮十郎は戸惑う。


「わしはここ数日、忍びを放っていた。もちろんさっきの貴様らの斬り合いの時もな。それ故に光之助が何を企み、何をしたかも大体わかっておった」

「…………」

「わしがここに来たのはお前を捉える為でもなければ殺す為でもない。確かめに来たのだ」

「何……」


「確かに一年前、お前が宗助を斬った時は、わしは心底怒り狂った。お前を八つ裂きにせねば収まらん気持ちであった。だが時が経ち、後から冷静に考えてみると、お前は嫉妬に狂って人を斬るような男ではない。お前の性根は、お前を拾ったこのわしがよく知っておる。そして同時に、光之助が怪しいと感付いた。それ故、ここ半年ほど、極秘に内々で調査を進めた。すると、やはり光之助が全てを仕組んだらしいことがわかった。だが光之助は流石よ。決定的な証拠が無い。そこで、お前に直接会い、お前の話を聞いてから判断したいと思ったのだ。お前は嘘をつく男ではないからな。だから、殺さずに生かして捕えよ、と命じたのだ」


 意外な言葉であった。蓮十郎は驚いた。


「……では、確かめたい事があると言って、俺を呼び出せば良かったのでは?」

「お前はそう言って大人しく来るような男ではなかろう。それに、そんなことをすれば光之助が先回りして何かするかもしれん」

「確かに……」


「そして、さっきのお前らの戦いの時に光之助が言った言葉と……今、やっとお前に会ったことで、お前はやはり光之助に謀られていたことがはっきりとした。しかも、愚かな野心を持った光之助を、たった一人で成敗までしておった。」


 蓮十郎の顔が、やっと緊張から解き放たれたものになった。

 刀身をさっと懐紙で拭って納刀すると、ふっと笑った。


「流石に蓮よ。それでこそわしが見込んだ男。そして……」


 信長は一瞬無言で蓮十郎の顔を見つめると、何と頭を下げた。


「すまなかったな。わしが愚かであった。許せ」


 固唾を飲んで見守っていた元蔵と凛は驚いた。

 信長の配下の者たちも驚いていたかもしれない。


 信長の、時に傲岸不遜な振る舞いは天下に聞こえている。

 そして、信長は天下の覇権を握るかもしれぬと噂されている男である。

 そんな信長が、かつての家臣であり、今は罪人となって追われている蓮十郎に頭を下げたのだ。


 蓮十郎は笑った。


「らしくねえな。おもてをお上げください」


 信長は顔を上げると、にやっと笑った。


「わかってくれれば、それでいいです」

「ふっ……そうか」


 信長は微笑し、


「では、お前は晴れて無実となった。そればかりか、たった一人で光之助の野心を打ち砕いた。誠に見事。戻って来ても誰も文句を言う者はなかろう。再び、このわしに仕えよ」


 信長は大きな声で言った。

 だが蓮十郎はそれには答えず、無言でいた。

 やがて、静かに言った。


「申し訳ないのですが、お断りいたします」

「何……?」


 信長、まさかの返答に驚いた。

 蓮十郎は続けて言った。


「殿、さっきから、俺が一人で光之助を討ったと言っておりますが、俺一人ではございません。そこにいる八木沢元蔵と言う男、元々は八木沢党と言う山賊の親玉で、光之助に騙されていた馬鹿でしたが、そいつがいたおかげでかなり助かった。いや、そいつがいなければ、俺は光之助を討てなかったでしょう」


 元蔵は、何を言い出すのかと、ぽかんとした顔で蓮十郎を見つめる。


「山賊をやっていた馬鹿で不細工な屑人間だが、本当は優しい奴だし、意外と使える有能な男だ。俺を再び召し抱えるぐらいなら、そこの元蔵を召し抱えてやって欲しい」

「れ、蓮さん……不細工は余計だぜ……」


 元蔵は苦笑しながらも、目に涙を浮かべた。

 蓮十郎は続ける。


「そして、そこの娘、桐谷凛。その娘に出会わなければ、俺は今回光之助を討つ機会自体を逃したでしょう。そして、さっきも一緒に戦ってくれた。だが、凛の美原村は、すでに滅ぼされて誰もいなくなってしまった。凛を、女中でも何でもいいから召し抱えてやって欲しい。そして、できれば村を何とか復興させてやって欲しい」

「蓮十郎……」


 凛の目にも、涙が浮いた。


「俺を再び召し抱えるぐらいなら、代わりに今の二つをお願いしたいと思います」

「む……」


 信長は、元蔵と凛を見ると、


「いいだろう。それはもちろん、わしが責任を持って面倒みよう。だがそれは別のこととして、やはり蓮は再びわしの馬廻りに戻って来い。わしはお前の類まれな才を惜しむのだ」

「…………」


 蓮十郎は目を伏せて沈黙した。

 だが目を上げると、やはり一言静かに言った。


「やっぱり受けられません」

「何? 何故だ?」


 信長は驚愕して問い詰める。


「いや、何…… 俺はかつて殿に拾われ、織田信長と言う男の器に惚れ込んでその馬廻りとなったが、実はいつもどこか窮屈なものを感じていたのです。そしてこの一年ほど、あちこち流浪してみて、俺は誰かに仕えるのに向いていないと言うことがよくわかった。こういう何にも縛られない自由な生き方が合ってるんだってわかったんです」

「…………」


 信長だけでなく、元蔵や凛、そして信長の配下の侍達も、静かに蓮十郎の言葉に耳を傾けていた。


「俺の剣はまだまだだ。今日でよくわかった。このまま、腕を磨きながら自由にあちこちを旅したい。そして……困って俺の剣を必要とする誰かがいるならば、その者の為に剣を使いたい。今回の事で、他人の為に剣を振るうのも悪くないってわかった」

「そうか。よく言った、蓮」


 信長は愉快そうに大笑し、


「では、わしの天下取りにお前の剣が必要だと言ったら?」

「そんなことないでしょう。今の織田家は一年前よりも更に多士済々だ。俺一人の剣など必要無いはずだ。殿は俺なんぞいなくてもきっと天下を取る」


 蓮十郎は信長を見てにやりと笑った。

 信長も、それに応えるようににやりとした。


「ただ、本当に何か困って俺の剣が必要な時は呼んでください。暇があれば、必ず駆け付けます」

「であるか」


 信長は大きく頷いた。


「よし……じゃあ、ちょうどいい。俺は先にこの山を下りるかな。殿、そこの二人の事、確かに頼みましたぜ」


 蓮十郎が言うと、


「え? 蓮さん……」

「先にってどうして……」


 元蔵と凛が戸惑った。

 だが蓮十郎は構わずに歩き出し、信長の横をすり抜けて言った。

 兵士達の間が割れ、道が出来た。


「これからどこへ行くつもりだ?」


 信長が振り返って問うと、蓮十郎は歩を止めて言った。


「そうだなあ。とりあえずあちこちぶらぶらして……その後は尾張へ」


 そして、蓮十郎は再び歩いて行く。

 だが、


「れ……蓮十郎!」


 凛が呼び止めるようにその背へ叫んだ。


「ちょっと蓮さん!」


 元蔵も呼んだ。


 蓮十郎は再びを止め、ゆっくりと振り返ると、


「もう俺の役目はここまでだ。お前らの後のことは殿に任せたからよ。元気でやれよ」


 と言った後、凛の顔を見つめた。


「凛、会えて良かったぜ。だがこれ以上一緒にいると、お前は本気で俺に惚れちまうかもしれねえ。だからその前にここでお別れだ」


 蓮十郎は、冗談なのか本気なのかわかりにくいことを、笑いながらさらりと言った。


「そんな……」


 凛は突然のことに言葉が出ない。


 だが、蓮十郎は凛に微笑みかけると、


「またな」


 と言って背を返した。


 そして、天鵞絨の羽織の裾をたなびかせながら、木々の奥へと消えて行った。

 その姿が何故か侵すべからざるもののように感じられ、凛や元蔵はもちろん、信長やその配下も誰もその後を追う事ができなかった。




 それより一月半後――


 凄惨な事件があった美原村に、賑やかな声が響いていた。

 織田信長直々の手配により、荒廃した村の立て直しが進められていた。

 人も選ばれて集められ、続々と移住も始まっている。


 木を切る音、槌を叩く音、職人たちの声の掛け合い、新しい村民たちの行き交う談笑の声――


 凛は、すでに花を散らして青々とした葉を繁らせている桜の大木の下に坐り、ぼんやりとそんな声を聞いていた。

 あの時受けた刀傷は、もうかなり良くなって来ている。


 ――変な感じ……。


 凛の目に、かつての見知った村人たちの姿が蘇った。


(ほんの一月半前までは、神坂さんや留吉さんたちがいたのよね……。そして弥平次も)


 向こうの茶店の奥から、弥平次が走り出て来た。



 ――姉ちゃん!



 弥平次の幻影が、賑やかに話しかけて来た。

 凛は寂しそうに微笑んだ。

 この胸の悲しみにも、辛いがだいぶ慣れて来た。


(弥平次……そして父上、皆……私、頑張るよ)


 凛は拳をきゅっと握った。


 ふと、また茶店の奥から出て来た幻影があった。

 酔っ払っているようで、少し足下がふらついている。

 赤い天鵞絨の羽織の裾がたなびく。

 蓮十郎であった。


 ――蓮十郎あのひと……今頃どこにいるのかな?


 凛は、胸の奥が小さく締め付けられるのを感じた。

 空を見上げた。

 瑠璃を溶かしたような深く青い五月の空。上空は風が強いらしい。一朶の雲が南へと足早に流れている。



 ――突然現れたかと思ったら……突然いなくなっちゃうんだから……。



「おお~い、凛ちゃん」


 そんな凛に声をかけて来た者があった。


 その方向を振り返ると、通りの向こうから、八木沢元蔵が手を振りながらこちらに歩いて来る。


 元蔵はむさ苦しかった髭を口髭だけにし、頭髪も綺麗に整え、着物も紺の袷に袴と言った、小奇麗なものになっていた。

 彼は、正式に織田家の侍として召し抱えられていた。

 そして今回の美原村の復興に従事していた。


「元蔵さん」

「何してるんだい、こんなところで」


 やって来た元蔵は、ニコニコと笑って言った。


「別に……ちょっとぼーっとしてただけよ」

「そうかい」

「だいぶ様になって来たわね。もう立派に織田家の侍ね」


 凛は、元蔵を上から下まで見回して言った。


「へへ、そうだろ?」


 元蔵は得意気に胸を張った。


「でも、侍ってのは結構堅苦しいねえ。以前の山賊の方が気楽だったよ。蓮さんの気持ちがよくわかったぜ」

「何言ってるのよ。死んだ皆の為にも頑張んなさいよ」

「おう、もちろんやめるつもりは無いぜ。そしてしっかりとこの村を復興させる」


 元蔵は引き締まった表情で辺りを見回した。


「それが俺の罪滅ぼしだ」


 元蔵は自らに言い聞かせるように呟いた。


 凛はそれに応えなかった。

 どこか沈んだ表情で、ぼーっと虚空を眺めていた。

 そんな凛を、元蔵はじっと見つめた後、


「なあ、凛ちゃん」

「何?」

「実は、蓮さんが今この近くにいるらしいぜ」

「え?」


 凛は表情を変えて元蔵を見上げた。


「本当に?」


 その目に、光が戻った。


「ああ、確かな情報だ。近いと言ってもまあ、ここから十里ほども南だけどさ。木幡きはた村ってところにいるんだってよ」

「どうして? 尾張に行ったんじゃなかったの?」

「さあ? そこまではわかんねえ。でも、木幡村で何か面白そうなことやってるみたいだぜ」

「そうなんだ……」


 凛の顔がほころび、笑みが漏れた。


「凛ちゃん、蓮さんに会いたいだろ?」


 元蔵がからかうようににやにやと笑いながら聞くと、


「べ、別に……」


 凛はぷいっと横を向いた。

 だが、その挙動は明らかにそわそわしている。

 元蔵はそれを見て苦笑すると、


「そうか……じゃあいいか。俺は蓮さんに会いたいからさ、ちょっと行って来ようと思うんだ。実はもう許可も貰ってるんだ」

「え?」


 凛が驚いて再び元蔵を見上げた。


「凛ちゃんは元気だって伝えておくよ。じゃあな」


 元蔵は背を向けて歩き出した。

 だがその顔は笑いを堪えている。


「そんな……」


 凛は呆然としていたが、我に返ると慌てて立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待ってよ。やっぱり私も行くわ!」


 そして元蔵の背を追いかけた。


 村に吹く爽やかな風には、すでに初夏の匂いが混じっていた。

 弾むように走る凛の顔。

 太陽のような笑顔が弾けていた。

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天眼の蓮 魔招散秘録 五月雨輝 @teru817

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