第27話 いつか

 そして今の一連の技こそが、飛燕連陣であった。


 飛燕連陣――それは、踏み込みながら燕返しを放ち、更にそこから飛び上がりながら間髪入れずに三の太刀を放つと言う、高速の三連撃。


 蓮十郎は剣を下げ、血の海に沈んでいる光之助を見下ろした。

 その顔に、先程のようなためらいの色は無かった。


「い……今のは……何だ?」


 光之助は言葉を震わせる。


「飛燕連陣。あの桐谷三太夫の伝説の秘剣だ」


 蓮十郎は凝然と光之助を見下ろしている。


「お、お前が……以前……よく言っていたあれか……」


 光之助は、蒼白となった顔に微笑を浮かべた。


「ついに……わかったんだな……」

「ああ」

「れ、蓮……」

「何だ?」


 蓮十郎は、片膝をついた。


「す、すまなかった……全て……」

「…………」


 蓮十郎は一瞬沈黙したが、唇を結んで何かを堪えるような表情になると、


「もっと早く言えよ馬鹿野郎」

「い、今になって……後悔を……」

「遅えよ」


 光之助は震えながら微笑する。


「ふ、ふ……これで良かった……俺を……と、止めてくれて……やはりお前は親友だ……」

「ああ」


 蓮十郎は寂しそうに笑った。

 だが、そこで光之助は急に表情を変えた。


「いや、違うな……」

「…………」


 蓮十郎は光之助の顔を見つめた。


「本当は……お、俺はお前が……」


 そこまで言いかけて、光之助は言葉が続かなかった。

 紫色の唇が震える。

 急速に、光之助の目から光が無くなって行った。


「ああ、わかってるよ」


 蓮十郎は寂しそうに笑った。

 それが、光之助がこの世界で見た最後のものになった。


 光之助もふっと笑いかけた。

 そして両瞼が落ちた。


「光之助……」


 蓮十郎は無念そうに目を閉じた。

 そして一時の後に再び開くと、


「またな」


 と呟いた。


 その時、元蔵が悲鳴を上げた。


「蓮さん!」


 蓮十郎ははっとして振り向く。

 元蔵が凛の身体を揺すっていた。


 蓮十郎は飛んで行った。

 凛はほとんど身体を動かしていなかった。

 薄い色になった唇の隙間から、微かな吐息が漏れているだけであった。


 蓮十郎は凛の頬を叩いた。


「おい、凛、しっかりしろ! 光之助は斬ったぞ。お前の父、弟、村の無念は晴らした! 目を覚ませ!」


 何度か頬を叩き、身体を揺らした。

 だが、凛の返答は無かった。


「畜生……」


 蓮十郎の顔が悔しげに歪んだ。

 だが、すぐに何かを思い出す。


「そうだ! 元蔵、黄金の杯にあの聖水を汲んで来い!」

「え? あ? ああ、そうか!」


 魔招散は、元々あらゆる怪我、病を治す神薬として生まれたものである。


 元蔵もそれを思い出し、すぐに飛んで行った。

 そして蓮十郎自身は光之助のところに走る。


 光之助の懐をまさぐった。

 魔招散があった。

 それを取り出すと、再び凛のところへ駆け戻った。

 少し遅れて、元蔵が黄金の杯に聖水を汲んで戻って来た。


 蓮十郎は、急いで魔招散を剣で削ってその中に入れた。

 少し多めに入れた。

 そして凛の身体を抱き起すと、口を開かせ、その中に魔招散を溶かし入れた聖水を流し込んだ。


 蓮十郎、元蔵、共に息を飲んで凛の顔を見つめる。

 凛は変わらず微かな呼吸を漏らしているのみである。


「効くかなぁ」

「…………」


 蓮十郎は、再び凛の頬を二、三度叩いた。


「凛、聞こえるか?」


 すると、凛の目がゆっくりと開いた。


「やった! やったぞ!」


 元蔵が狂喜して飛び上がった。

 蓮十郎も思わず笑みをこぼした。


「れ……蓮……」


 凛は口を開いた。

 顔に、ゆっくりと血色が戻り始めた。


「無理にしゃべらなくていい。そのままにしてろ! すぐに山を下りてちゃんと手当てをしてやる」


 蓮十郎が早口に言うと、凛は微笑んで頷いた。


「光之助は俺が斬ったぞ。お前の父の飛燕連陣でな」

「え……」

「お前の親父さん、弟、そして村の皆の無念は晴らした」


 凛は、一瞬表情を失くしていたが、すぐに目に涙を浮かべ、そして小さく頷いて微笑んだ。


「よし、山を下りましょう」


 元蔵が勇んで立ち上がった。


「てめえの傷は大丈夫なのか?」

「何とか大丈夫そうです。蓮さんこそ結構斬られたでしょう、大丈夫ですか?」

「俺の身体はそこらのボンクラとはできが違うんだ、大したことねえよ。酒でも飲めば治る」

「いや、飲むのは行けませんって」

「ははは……よし、じゃあ下りるぞ」


 蓮十郎は立ち上がり、赤い天鵞絨の羽織を拾って羽織った。

 そして、凛を抱き上げた。


「ちょ、ちょっと……」


 凛は、照れて顔を赤くし、下して、と言うような仕草をした。


「恥ずかしがるんじゃねえよ。魔招散で意識を取り戻したとは言え、一時的なことなんだ。お前はとても歩ける状態じゃねえ。こうするしかないんだからじっとしてろ」


 蓮十郎が言うと、凛は何も言えなくなり、目を伏せた。しかし、その顔は赤くなりながらもどこか嬉しそうである。


「ああ。姉ちゃん、蓮さんに惚れたんだろう?」


 それを目ざとく見て取った元蔵は、にやにやと笑った。


「何、そうなのか?」


 蓮十郎が大仰に驚いて凛の顔を見た。


「な、何言ってるの! そんなわけないでしょ!」


 先程まで意識の無かった凛から大きな声が出た。


「確かに俺は魅力的だろう。惚れるのは仕方ねえ。だが俺はやめておけ。泣きっぱなしになるぞ」


 蓮十郎は傲慢な言葉を吐いて大笑した。


「別に惚れてないわよ……お、下してよ」


 凛はもがこうとしたが、傷の痛みに顔を歪めて動きが固まる。


「ははは、それだけ元気なら大丈夫だな。しかし姉ちゃんも見る目がねえぜ。男は見た目じゃない。中身だ。俺の方が絶対いいと思うけどなぁ」


 元蔵は笑って冗談を言ったが、


「あれ? 蓮さん、どうした?」


 元蔵は、蓮十郎の様子がおかしいことに気付いた。

 凛も、不審に思って蓮十郎の顔を見上げた。


 蓮十郎は、凛を抱えて立ったまま、これから帰る方向、石の橋に通じる木々の奥を見つめていた。

 その眼光は鋭く、再び殺気を放ち始めている。


 元蔵と凛も感じ取った。

 その木々の奥から、何か異様な緊張感が迫って来ている。


「もう来やがったか」


 蓮十郎が呟いた。


 そして、奥から、一人の男が数十人の侍を引き連れて姿を現した。


 その男は、煌びやかな甲冑を纏い、蓮十郎と同じような天鵞絨生地の西洋マントを羽織っている。

 兜は被っておらず、総髪を茶筅髷に結い上げている。

 瓜実型の顔は白く、大きな切れ長の目は、見る者全てを畏怖せしめるであろう、恐ろしい光を放っていた。


 男は、その場をゆっくりと見回し、無残に転がっている光之助とその部下たちの姿を確認した後、蓮十郎に斬りつけるような眼光を向けて言った。


「蓮、ようやく会えたな」


 蓮十郎は男の顔を睨んだ。


「殿……」


 それを聞いた凛、元蔵、共に驚いた。

 蓮十郎が殿と呼ぶ男は一人しかいないであろう。織田信長である。


「撒けると思ったんだがな……予想以上に速かったな。流石だよ。最後の最後で追いつかれちまった」


 蓮十郎が不敵に笑いながら言うと、信長はにやりと笑った。


「本来は明日、貴様を連れて来させるか、わしの方から出向くつもりであった。だが、貴様なら一日もあればどうにかして牢を脱出してしまうであろう。そう思い、急いで向かって来たのだ」

「その判断の速さ、変わりませんな。金ヶ崎の時と同じだ」


 信長は一時無言で蓮十郎の顔を睨むと、


「宗助を斬って出奔して一年、今度は光之助を斬りおったか」

「ああ」

「…………」


 蓮十郎は静かに話し始めた。


「今更だけどよ、聞いてくれ。俺は確かに宗助を斬った。だが、それは光之助にはめられたんだ。そして今光之助を斬ったのはその仕返しだけじゃねえ。こいつは魔招散で天下無双の力を手にし、あわよくばあんたに取ってかわろうとまで考えていた。そしてその野心の為に、何の罪も無い一つの村を丸ごと滅ぼした。だから俺が斬ったんだ」


 信長は無言でそれを聞いていた。だが、聞き終えるとおもむろに右手を上げた。

 すると配下の侍達が遠巻きに展開し、あっと言う間に蓮十郎たちを包囲した。

 それぞれ持っている武器を構え、鉄砲を持っている十数人は、凶暴な銃口を蓮十郎たちに向ける。


「こう言って聞くあんたじゃなかったな」


 蓮十郎は、元蔵に凛を手渡した。


「一つ頼みがある。ここにいるこの男と娘は、今回の光之助の件の被害者だ。保護してやってくれ。特に、そこの娘はさっき光之助に斬られて重傷だ。今飲ませた魔招散の力で体力は保っているが、それも一時のことだろう。今すぐにでも手当てしてやって欲しい」


 蓮十郎は真剣な眼差しで言う。


「…………」


 信長は無言で蓮十郎の顔を睨んでいた。


「行け」


 蓮十郎は元蔵に促した。

 元蔵は凛を抱え、青ざめた顔で恐る恐る信長たちの輪の方へ進んで行った。

 侍達は動かなかった。


 蓮十郎は、再び焔月行平の柄に手をかけた。

 鯉口を切る音が、奇妙なまでの静寂に響いた。


 信長が口を開いた。


「いかに貴様とは言え、手傷を負っている今、これだけの人数相手にかなうと思ってか?」


 蓮十郎は高く笑った。


「やれるところまでやるのみだ。まあ、かなわないまでも、死ぬつもりまではないけどな。忘れたか? 俺は天眼の蓮だぜ」


 そして、焔月を抜いて下段に構えた。


 各人の息遣いまで聞こえてきそうな程の静寂に、細い糸のような緊張感が張り詰める。

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