第10話 罠
北へ向かう街道は、真っ直ぐ平坦な一本道であった。
遠くに山々の尾根が見えるだけで、周囲は草の生い茂る原野であり、旅をするには少々退屈である。
蓮十郎は歩くのに飽きて、路傍に腰を下ろした。
(光之助……あの野郎が城主か。出世しやがったな)
蓮十郎は苦々しげな顔で腕を組んだ。
そしてしばらく無言で何やら考え込んでいたが、
「まあいい。いずれ
と呟くと、煙草を吸おうと懐に手を伸ばした。
しかし、そこに煙管は無かった。
おかしいと思い、背負っている振り分け荷物の中を探したが、やはり無かった。
そこで蓮十郎はふと思い出した。
桐谷家の屋敷に忘れて来たのだ。
「仕方ねえな」
気に入っていた煙管である。蓮十郎は、溜息ついて美原村への道を引き返した。
だが、およそ半刻近くの後、美原村に入った蓮十郎もまたその惨状に愕然とした。
「何だこれは……」
辺り一面死屍累々の血の海。
凄惨と言う言葉では足りないぐらいの地獄の光景。
蓮十郎は思わず言葉を失い、呆然と立ち尽くしていた。
(あれだけ指導した武技も、授けてやった作戦も、全く役に立たなかったのか?)
蓮十郎の手が震えた。
――と言うか……
「村人全員殺しやがったのか……」
蓮十郎は目を怒らせて唇を噛んだ。
だが、目の前の地獄、これが現実である。
蓮十郎は、それを少しずつ受け入れるように、一歩一歩村の中へ進んで行った。
「これはひでえ……」
八木沢党の連中は、老若男女構わず、皆殺しにしていた。
あの時、蓮十郎が一緒に遊んだ子供達もその中に含まれる。
流石の蓮十郎も、全身に沸々と怒りが湧き上がって来た。
だが同時に蓮十郎は、以前に抱いた疑念を深めた。
(やはりおかしい。何故全て殺す必要がある? 魔招散が欲しければ村長の屋敷だけを狙えばいいはずだ。しかも……)
蓮十郎は、村人たちの死体の多くに、鉄砲傷があることに気付いた。
(鉄砲でやられているのが多い。これだけやるのには、一丁や二丁じゃすまねえ。ある程度まとまった数の鉄砲が必要だ。しかし山賊風情になぜそれができる)
そして蓮十郎は、桐谷家の屋敷に入った。
煙管は縁側に転がっていた。
それを拾い上げて懐にしまった時、ふと、庭の隅にある大木に目が留まった。
三日間、ここで寝泊まりしていた時には気にも留めなかったが、こんな時になって、何となく気になった。
「うん? あれは……」
蓮十郎は何かに気付き、近づいて幹をよく観察した。
無数の傷跡があった。
「これは木剣で打った跡だな……あの姉ちゃんが打ったものじゃない。三太夫か?」
また、少し高いところに、一本だけやけに深く長い斜めの傷があった。
「これは何だ? 右斜め上から……袈裟斬りだろうが、これだけ深いな」
更によく見ると、その傷の周りには、他にももう少し浅い傷がいくつかあった。
しかし、それらは深い傷とは違い、様々な方向の傷である。
蓮十郎はそれらをじっと見つめた。
ふと、耳の奥に昨晩の凛の言葉が蘇った。
――父が言った事があるの。"燕は何度だって飛ぶんだよ"
蓮十郎、何かはっと感付いたものがあった。
「もしや……飛燕連陣とは……」
蓮十郎は、口に手を当ててそれらの傷をよく見つめた。
やがて、何か納得が行ったようで、一人小さく頷いた。
そしてそこを離れ、外に出た。
再び村人達の死体が転がっている中を歩き、辻を曲がったところで、蓮十郎は顔色を変えた。
「弥平次……」
そこには、周囲が赤く染まった地面の上で、仰向けに倒れている弥平次の小さな身体。
蓮十郎は片膝をついて、弥平次の顔を撫でた。
すでに冷たかった。
身体や着物に付着している血も乾いていた。
「…………」
蓮十郎は俯き、目を閉じた。
そして立ち上がろうとした時、弥平次の右手が目に留まった。
その手には、しっかりと木剣が握られていた。
「こいつ……これだけ斬られてもまだ戦おうとしていたのか」
蓮十郎は青ざめた顔で弥平次を見つめた。
――早く強くならなきゃ。俺が蓮十郎さんぐらいに強くなれば、この村を守れるから。
耳の奥を、弥平次の言葉が小さく駆け抜けた。
「弥平次……!」
蓮十郎は拳を握りしめた。
また、凛の言葉も脳裏に響いた。
――悪人を懲らしめて人を助ける力を持っているのにそれを使おうとしないなんて、悪人よりも
握りしめた拳が震えた。
顔面は蒼白となっていたが、その目だけはぎらぎらと異様な光を放っていた。
だが、やがて目を閉じて、自身を落ち着かせるように深呼吸をすると、すっと立ち上がった。
「あの姉ちゃんは……?」
そして凛を探して村を歩き回った。
だが、どこにも凛の姿は無い。
(栗山村へ行っていたから難を逃れたのか……?)
蓮十郎はじっと考え込んだ。
(だが、そうだとしてももうとっくに戻って来ていてもいい頃だ)
「まさか……」
蓮十郎ははっとした。
彼の天眼が、ある予感を感じ取った。
脳裏に閃いたのは、涙を流しながら駆けて行く凛の後ろ姿。
一時の沈黙――
「仕方ねえな……」
蓮十郎は怠そうに呟いた。
だが、その目は見る者を凍りつかせるような凄まじい怒りに満ちた殺気を放っていた。
蓮十郎は四方を見回した。
北方に、小高い山の斜面が見える。
「あれか」
蓮十郎は帯を締め直すと、赤い羽織を翻して駆け出した。
怒りと悲しみで一心不乱に走った凛は、やがて鉢久保山に辿り着いた。
鉢久保山は高さもほとんど無い小山である。
鬱蒼と草木が生い茂っているが、八木沢党の連中が上り下りに使う山道がある。
凛は、周囲に注意を払いながら、その道を上って行った。
見張りなどをしているであろう八木沢党の男達と斬り合う心の準備はしていた。だが、不思議と誰にも出くわさなかった。
すぐに、根城が見えた。
凛は、山道から脇の茂みに隠れて様子を伺った。
根城と言っても、賊徒であるので簡素な木造の屋敷と砦である。
だが、それでも結構な広さを備えており、庭らしき広い空間まである。
そこに、二人の男が座り込んで何やらおしゃべりに興じていた。
見張りらしいが、座り込んで話しているあたり、役目の自覚が無いのだろうか? 緊張感は無い。
以前に村の皆で調べたところによれば、ここには少なくとも常時三十人ほどが詰めているはずである。
だが、やはり他に気配が感じられない。
(どこか別の場所に行って魔招散を試しているのかしら?)
凛は考えを巡らす。
(でも魔招散は"あのままじゃ効果が無い"って事を奴らは知らないはず。それに気付く前に魔招散を取り返さないと)
その時、凛は何かに気付いて思わず口を押さえた。
庭の奥の方、砦の入り口の門の脇に、粗末な台が置かれていて、その上に魔招散が納められている木箱があった。
無造作に置かれていた。
(あんなところに……。他に人がいる気配は無い。よし、あそこの二人を倒してこの隙に取り返そう)
凛は、音を立てないように、慎重に二人の死角になるところまで移動した。
そして、呼吸を整えると、意を決して茂みから飛び出した。
全力で駆ける。
座り込んでいる男二人が気付いて、慌てて立ち上がった。
「て、てめえは!」
驚いて刀を抜いた男達に、凛は抜き打ち様に斬りつけた。
だが、一太刀目は受け止められてしまった。
横からもう一人が斬りつけて来た。
凛は打ち払うと、飛び退いてから右なぎに振った。
それもまた受け止められた。
だが、凛は必死の形相で二人を相手に斬り回る。
女性ながら、父三太夫譲りの鋭い太刀筋である。
やがて、その勢いにたじろいだ二人は、
「これはいけねえ、逃げろ」
「お、お頭に報告だ!」
と、バタバタと逃げ出した。
凛は追わなかった。
今のうちだ、と、抜き身を手に提げたまま魔招散の木箱のある台へ走った。
だが、そこへ走りつき、魔招散の木箱を前にした時にはっと気付いた。
(折角手に入れた魔招散を何でこんな無防備に置いてあるの……おかしいわ。まさか……)
と思った時、すでに遅かった。
背後の茂み、庭の隅、屋敷の奥など、四方より悪鬼の如く姿を現した賊徒達。
皆、薄笑いを浮かべながら歩いて来る。
――罠?
凛の顔が青くなった。
そして、屋敷の奥より、八木沢元蔵が出て来て言った。
「まさかこんな単純な手に引っかかるとはな」
元蔵は、髭の多い口元をにやにやとさせている。
「外道……!」
凛は刀を正眼に構えた。
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