第7話 裏切りの夜
ある時、光之助はあちこちに切り傷を負った姿で詰め所に現れた。
それを見て驚いた蓮十郎を密かに物陰に呼び、光之助は言った。
「蓮、お前だけに折り入って相談がある。俺の家族が無心流を使う謎の男に殺されたって話はしたよな?」
「ああ、聞いた。お前が五つの時だったか」
「そうだ。実は、そいつらしき男が最近城下に現れている」
「何、本当か?」
「ああ。数日間そいつの後をつけた。ガキの頃に話に聞いた右頬のあばたの痕がある。恐らく間違いない。そして俺は、昨晩密かにそいつが町の外れで一人になったところを見計らい、果し合いを挑んだ。だがこの通りだ。噂通りに恐ろしい強さでな。全く歯が立たず、逃げて来るのが精一杯だった」
「お前ほどの腕でもか」
「ああ、あれはまるで化け物だ。蓮、お前でもかなわないと思う」
「それほどか」
蓮十郎は厳しい顔色となった。
「ああ。だが蓮、お前と二人ならきっと勝てるはずだ。加勢してくれないか?」
「もちろんだ。お前は無二の親友だ。任せろ」
「恩に着る。実は策も考えてある。奴はここ数日、城下の外れの二木屋って女郎屋に通っている。いつも遅く、大体戌の半刻(21時)頃に現れる。俺は奴の後をつけて行くから、蓮は二木屋へ向かう途中にある材木小屋の脇の柳の下で待ち伏せていてくれ。奴が小屋を通り過ぎる時、俺が"気をつけろ!"と叫ぶ。それが合図だ、現れた奴に襲いかかってくれ。俺は後ろから襲う」
「いい作戦だ。よし、それで行こう」
その晩、蓮十郎は手筈通りに、材木小屋の脇の柳の木の下に身を潜めた。
町外れである。少し離れたところに二木屋のぼうっとした暗い灯りが見えるのみで、周囲に他に建物は無い。月明かりのみでほとんど暗闇である。
何も見えないが、蓮十郎は息を殺しながらも天眼で人の気の流れを探っていた。
やがて、人の気配を感じた。
女郎屋へ向かうからだろうか。穏やかな気である。だが、その穏やかさの中にも、強く鋭い刺すような殺気をくるんでいる。
こいつに間違いない――と蓮十郎は思った。
音を立てないように抜刀する。
そして、その気配が最大限に近付いて来た時、光之助の合図の声が闇の静寂を裂いた。
「気をつけろ!」
同時、蓮十郎は刀を振り上げて踏み込んだ。
そして、出て来た人影に斬りつけた。
「何奴っ!」
黒い人影は咄嗟に抜刀して応戦しようとしたが、蓮十郎の斬撃の方が速かった。
煌めく銀光が、刀を振り上げかけた相手の左肩から右脇腹にかけて走り抜けた。
人影は、絶叫を上げて血飛沫に崩れ落ちた。
「やったぞ!」
蓮十郎は喜びの声を上げた。
だが、すぐに気付いた。
光之助が全く歯が立たなかったと言う程の達人にしては、不意打ちとは言えあっさりとやられすぎである。
何かおかしいと気付き、崩れ落ちた男の顔を凝視した。
――うっ、これは……違う!
その顔に驚いたのと同時、聞き覚えのある雷のような声が落ちた。
「何者でやっ!」
――この声は……。
蓮十郎は気付いた。
そして続いて、
「蓮、何をしている!」
と言う光之助の声が飛んだ。
顔を上げた蓮十郎が凍りついた。
そこにいるのは、主君、織田信長。
そして、今自分が斬って地面に斬り倒した男は、信長が最近特に寵愛している美童の小姓、上野宗助であった。
先程蓮十郎が感じた、穏やかな中にくるんだ鋭い殺気は、信長のものであった。
「蓮か……貴様、何をしておる! 何故わしの目の前で宗助を斬るか!」
寵童が眼前で斬殺されたのに驚いたのも一瞬、信長はすぐに怒りに火がついていた。
瓜実型の端正な顔が、夜叉の形相となっていた。
「い、いや……俺は光之助に頼まれて仇討を……」
蓮十郎はわけがわからず、言葉がうまく出てこない。
「光之助? どう言う事だ?」
信長は振り返る。
しかし光之助は微塵も表情を動かさず、
「わかりませぬ。嫉妬に狂ったが故におかしくなっておるのでしょう」
「嫉妬?」
「殿、蓮十郎は最近、殿の宗助に対するご寵愛に嫉妬しておるようでございました。恐らくはそのせいかと」
その言葉に、蓮十郎は全てを悟った。
光之助が蓮十郎を陥れたのであった。
「こ、光之助てめえ……俺を謀ったのか?」
蓮十郎の言葉が震えた。
「何を言っている? お前こそ宗助を斬るとは気が触れたか」
光之助は白い顔に薄い笑みを浮かべていた。
「てめえ……!」
蓮十郎は眼を怒らせた。
しかし、信長の顔は更に激しい怒りに染まっていた。
「蓮、そこに直れ! わし自ら成敗してくれん!」
信長が馬から飛び降り、刀を抜いた。
「お、お待ちくだされ! これは光之助が……!」
「黙れぃっ!」
信長は聞く耳持たず、上段から振り下ろした。
蓮十郎は飛び退いて躱すも、更に信長が二の太刀を追う。
「殿、どうか私の話を!」
蓮十郎は続けて躱し、必死に弁明をしようとするが、怒り狂った信長の手は止まらない。
――仕方ない……!
蓮十郎は背を翻し、逃げ出した。
「追えっ! 捕えよ! わし自らの手で首をはねてくれる!」
信長の容赦の無い下知が飛ぶ。
こうして、信長馬廻り衆随一の剣士にして金ヶ崎の英雄は、一夜にして信長に追われる身となった。
「酷い。そんな事って……」
蓮十郎が話し終えると、凛は涙を流しそうな顔となった。
「だから、二度と他人の為に剣を振るいたくないって言ってたのね……」
「………」
蓮十郎は答えなかった。
無言のまま薄闇の一点を見つめ、酒を口に運んでいた。
「よし、終わり! 喉乾いちゃった、水飲んでくる」
弥平次が素振りを終え、ばたばたと縁側に上がった。
「ちゃんと汗も流しなさいよ」
凛が注意すると、弥平次はその脇を走り抜けながら、うん、と答え、奥へと消えた。
蓮十郎は、尚も薄闇の一点を見つめていた。
だが、その一点は先程とは位置が違う。そして、蓮十郎の瞳は殺気に光っていた。
「どうしたの?」
「……忍びだな」
蓮十郎は短く答える。
「え?」
「八木沢党の連中か……最悪、織田家か……」
蓮十郎はすっと立ち上がると、突然猫の如く駆け出して木塀を蹴って飛び上がった。
その動きに、凛は驚愕する。
蓮十郎は木塀を飛び越えて着地すると、四方を見回した。
だが、彼が感じていた気配はすでにどこにもいなくなっていた。
仕方なく、彼はまた戻った。
「いた?」
凛が不安そうに聞いた。
蓮十郎は首を振る。
「いや、すでにいなかった。確かに人間の気配は感じたんだがな……しかも相当の手練れの忍びだ」
「私には全然わからなかったんだけど、天眼ってそんなことまでわかるの?」
「まあ、何かしら行動をしていれば大体はわかる。そうだな、大体二十間ぐらいの範囲内だったら、どんな奴がいてどんな事をしているか、おおよそわかる。但し、意識を無に近くして気配を消されたら駄目だ。全くわからん。それと、天眼は何もしていなくても機能しているわけじゃねえ。意識して開かなければならないんだ」
「どういう事?」
「まあ、つまり、それを感じようと頭と心を働かせなければいけないってことだ。だから、何か考え事をしていたり、他に集中していたりすると、天眼は開かず、気配を探ることもできない」
「へえ……」
凛は感心して頷いた。
「さて、そろそろ寝るかな。明日で三日目、最後の一日だ」
蓮十郎が縁側に上がった。
「あ、じゃあ、布団敷くわ」
凛が立ち上がって奥へと向かった。
蓮十郎は、その揺れた腰を見て、
「なあ、姉ちゃん」
「何?」
凛が振り返る。
「今晩、一回ぐらいどうだ? 」
蓮十郎は笑って言った。
「はあ?」
「その身体、持て余してるんじゃないのか?」
凛は呆れた顔をしていたが、みるみるうちにその顔が怒りに染まって行く。
蓮十郎の前までずかずかと戻って来て、
「私は遊女じゃないわよ!」
と、渾身の力で蓮十郎の頬を叩いた。
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