三
長い、夢を見ていた。
とても哀しい、夢を見ていた。
どうしようもなく、哀しくて――目を覚ました。
そこは、私の部屋だった。
障子越しに明るい光が射し込んできて、どこか遠くで小鳥がさえずっていた。
いつもどおりの朝だ。
もうすぐ
うたまつりの前までの……。
私は跳ね起きた。
起きた気配が伝わったのか、美音さんが中に飛び込んできた。
「深雪さま! ――まあ、お目覚めになりましたのね。早く、静乃さまと瑞穂さまにお知らせしなくちゃ」
「美音さん? 私……」
「みなさま、本当に心配しておいででしたのよ。深雪さま、一週間も眠っていらしたんですもの」
「一週間!?」
私は驚いた。信じられなかった。
でも、ほとんど泣き出しそうな様子の美音さんを見て、本当なのだろうと思った。多分一番心配していたのは、美音さんだろう。
「まつりの夜、いつのまにか深雪さまがいなくなられてて、みんなで大騒ぎでしたのよ。そうしたら、風の森のほうでひどい山火事が起きているじゃありませんか。慌てて男衆が駆けつけたら、滝壺のそばに深雪さまが倒れておられて……大してけがもしておられないのに、全然お目覚めにならないんですもの。本当に、心配しておりましたのよ」
私のこととなると、ひどく心配性なのだ。この一週間、どれくらい心を痛めていたか、手に取るようにわかった。
「――ごめんなさい、心配かけて」
私は素直に謝った。
「いいえ、そんな」
そう言いながら、お母さまたちのところへ行こうと部屋を出かけた美音さんを、慌てて呼び止める。
「ね、ねえ、美音さん。風の森にいたのは私だけだったの? もう一人いなかった?」
「もう一人って、誰がです?」
美音さんが訊き返す。「深雪さま、どなたかと一緒だったんですの?」
「誰って……」
その、答えで、わかった。
「――ううん、何でもないの」
軽く、頭を振って言う。
「夢でも、見てたんだわ」
長い、夢。
とても哀しい、夢を――
美音さんは少し不思議そうにしていたけれど、すぐにお母さまたちのところへ知らせに行ってしまった。
彼は、
男衆の来る前に、見つけやすいところに私を一人残して。そうして風の森から、この大滝村から去っていったのだ。
そんな予感は、あった。深い眠りに落ちる前から、彼がどこかへ行ってしまうような、そんな気はしていた。
いつまでもここにいるわけではない。
その言葉どおり、彼は私の手の届かないところへと行ってしまったのだ……。
「気がついたのですね、深雪」
お母さまが、部屋に入ってこられた。
微笑んでおられたけれど、顔には疲労の色が濃い。まつりの後始末のことや、私のことで、ろくに寝ておられなかったのだろう。
「深雪、よかった」
瑞穂お姉さまも、お母さまの後ろにおられた。多分この一週間、
そして、美音さんも、お母さまたちと一緒に戻ってきている。
皆が私を心配してくれていたことを、感じた。私のことを大事に思ってくれているのを感じた。
お母さま、瑞穂お姉さま、美音さん。
大好きな人たちに囲まれて、また、穏やかで変わりのない生活が始まる。
何もかも忘れて、今までのようにこの村で暮らしていけるのかもしれなかった。この村で婿を取って、緋方の跡を継いで、子を産んで……まるで、何事もなかったかのように。
それで、いいじゃない。
ふっ、と私は静かに笑った。
あれだけぶち壊しになったまつりを、いったいどういうふうにお母さまは、村の人たちに釈明したものか。
そのあたりは定かではなかったけれど、村の人たちの緋方に対する態度が変わっていないのは、確かなようだった。この調子だと、また十年後には、
あの、まつりの日から二週間。やっと外に出るだけの体力が戻った私は、下の村まで様子を見に出かけてきたのだった。
村は無事だと言っていたお姉さまの言葉どおり、下部が爆発で弾け飛んでその分沈んだ封魔岩以外は、変わったところは何もなかった。もう下にヒキはいないのに、まつりの日に焼けた
あの日は説明しろと言って緋方屋敷に押しかけさえしたのに、結局みんな、今までどおりの慣れきった暮らしの中に落ち着くのだ。
ご高齢だった
何もなかったことにしてしまったほうが、楽だったのかもしれない。
この、私みたいに。
六月になると、大滝村には雨の季節がやってくる。まつりの前日に降っていたのは、その先触れのようなもの。終わった途端に、こらえきれなかったようにこぼれ落ちる。
雨は嫌い。十年前、私の風の精を捜して森の中をさまよったのも、雨の中だった。
雨の降る日は、彼がいない。
今ももう、風の森にはあの人はいない――
「あー、深雪さまだあ」
「深雪さま、もうおけがなおったの?」
ふと気づくと、
「深雪さま、妖怪って怖いの?」
「妖怪が悪いことしにくるって本当?」
「でも、深雪さまたちがいれば大丈夫なんだよね」
口々に言って、笑っている。
そうか、そういうことになったのか。私は内心思った。
どういうわけか、お母さまもお姉さまも、何があったのか私に訊こうとされなかった。岩の下にヒキがいないことくらいは気づいているだろうけど、ヒキが死んだことや、セイケイが遠くへ去ったことは私しか知らないのだ。
村を守るには、緋方は必要。その象徴として、封魔岩も、うたまつりも必要。そういうことなのか。
村人をだましているような気がしないでもなかったが、私の口から全てを説明する気にはなれなかった。
忘れてしまいたかった。
聞いた話では、風の森もかなり焼けたという。でも、見に行く気にもならなかった。
あれは、夢なの。全部。
長い、哀しい、夢だったの。
そう思えば、私はここで生きていける――
「ねえ深雪さま、見て見て」
子供たちの一人が、私を封魔岩のそばに引っ張っていった。まつりのときに土が焼けたらしく、周囲が少し変色している。
「ほら、ここ」
その子が指差す場所には――緑があった。
「まつりの前に全部抜かれちゃったけど、また草が生えてきてるの。お花、きっと来年も咲くね。そのときは、綺麗なお花、深雪さまに見せてあげる」
「あ……」
私は絶句した。
『花は散るからこそ、また次の年に咲いたときに、ああ綺麗だなって思うのよ。それは、今年の花とは違うものかもしれない。でも、花は咲くのよ。永遠って、そういうふうに少しずつ形を変えて、受け継がれていくものなんじゃないかしら』
受け継がれていく、想い。
〝永遠〟は、確かにあるの――。
「深雪さま?」
私は、その子を抱き締めた。
雨の中、傘をさすのも忘れてその子を抱き締めた。頬を、熱いものがつたっていく。
「そうね、きっと綺麗なお花、咲くわね」
昨日と、今日は違う。今日と、明日も。
そしていつかは、焼けた風の森にも緑が戻り、またあの風が――。
風に焦がるる
想ひは
吾
吾 永遠に君想ふ
忘れ、られない。
忘れることなんて、できない。
どんなに消そうとしたって、想いは形を変えて甦り、そして永遠に受け継がれていく。
真汐さまから、私へ。
そして私から、きっと、私の血を引く者たちへ――。
「深雪さま? どしたの?」
不思議そうに問う子供たちと、私の上に、全てを育む雨は静かに降りそそいでいた。
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