第六章 海

 いつかはこうならねばならなかったのだ。

 自らヒキを名乗った女の人と、セイケイと呼ばれた男の人と、伝説の歌女うための血をひく娘が。この森で、この場所で、再び出会わなければならなかったのだ。

 そのためには、緋方は滅びゆかなければならなかった。まつりは失敗しなければならなかったのだ。

 ヒキを目覚めさせるために。長い長い、眠りの果てに――。

真汐ましお……?」

 森の中から現れた影が、驚いたような声でそう言った。

 けれども、すぐに気づいて、笑う。

「そんなはずはないわね。あれは、遠い遠い昔のことだもの。生きているわけがないわ」

 勝ち誇ったような笑い方だった。長く、長く彼女は笑い続けた。彼が、辛そうに目をそむける。

 不意に、笑いがやんだ。

「――で、お前は誰?」

 刺すような目で私を見る。封魔岩ふうまがんの前で感じたのと同じ炎の気配が、彼女をとりまいている。私よりも歳下にしか見えないその少女の、少女というには大きすぎる威圧感に私はたじろいだ。

「わ、私は深雪よ。緋方深雪」

「――真汐の子孫?」

 彼女の目がさらに細く、鋭くなった。

「ああ、今日の歌媛うたひめね。気配に覚えがある。仕事熱心ね、こんなところまであたしを追ってきたの」

 そう言うと、見下すようにふっと笑った。高慢な、けれども比類なく美しい、女王の笑み。思わず目を奪われるくらいだった。

「安心なさいな、村には手を出さないから。そんなことしなくたって、勝手に滅ぶもの。お前も、村も、世界も全て――〝永遠〟を生きるあたしの前では、露ほどの時間でね」

「――違うわ」

 それでも私は、言い返した。

「私はあなたを追ってきたんじゃない。彼に会いにきたのよ」

流斗ながとに会いにきた?」

 急に声に険が混じった。

「どういうこと、流斗?」

 彼のほうを向いて、責めるように問う。

「――俺は、まつりの年のたびにこの場所に来て、岩を見ていた。そこに今年、彼女が来たんだ。何度か会って、話もした」

 彼の言葉を聞くと、彼女はゆっくりとこちらに歩いてきた。

「――さすが、真汐の子孫ね」

 そして、わざとぴったり彼にはりつくように、立つ。

「でも、残念。流斗は、あたしのもの。〝永遠〟に生きるのよ、流斗も。あたしたちの見ているうちに、お前なんかあっという間に醜く歳をとって、死んでしまう。気の毒にね」

「俺はそんな〝永遠〟はいらない!」

 彼が彼女の手を振り払った。

「どうして?」

 彼女は動じない。首をかしげて、笑う。

「世界が滅んでも、全ての人間が死に絶えても、あたしたちは二人でいられるのよ。すばらしいことじゃない」

「――ずっと岩の下で眠っていたお前は、知らないんだ」

 絞り出すように、彼は言う。

「歳をとらず、死ぬこともなく生き続けるのが、どれほど辛いことか。毎日が同じ一日の繰り返しなんだ。何も変わりはしないんだ」

 何百年かの思いを全て吐き出すように、彼は語り始めた。

「二度と真汐の前に顔は出せないと思って、この土地を離れた。だが海に沈む夕日を見ると、どうしても思い出さずにいられなかったんだ。十年経った頃、俺はこっそり戻ってきた。真汐は他の男と結婚して、娘がいた。俺はそれを見て、ここを去った。

 また十年経つと、真汐が歳をとっていて、娘が昔の真汐そっくりに成長していた。次の十年が過ぎた頃――真汐はもう、この世にはいなかった」

 十年に一度の、うたまつり。

 セイケイが、大滝村に戻ってくる。その気配を感じて、地下のヒキも、騒ぎ出す。村人たちが恐怖に陥る。仕方なく真汐は、封印をかけなおす。

 その、繰り返し――。

「真汐の娘が老いて死んでいく頃には、もう俺は我慢できなくなっていた。真汐の子孫を敵にまわすことになってもいいと思った。同じ毎日の繰り返しを終わらせたかったんだ。あずさを解放し、俺の時を取り戻して――早く、死ぬことばかり考えていた」

「死……って」

 あの人の口から発せられた言葉に、私はひざががくがくするのを感じた。まつりでヒキと戦ったときより、恐ろしかった。

 けれど、私以上に過敏に反応したのは、彼女のほうだった。

「嫌よ、そんなの! あたしは絶対、流斗の時を返さない。勝手に死ぬなんて許さない。どうしても取り戻したかったら、あたしを殺せばいいんだわ!」

「梓!」

 怒ると手がつけられないのは、どれほど長い年月が過ぎても変わらないようだ。けれども彼女の怒りの中に、怯えがある――?

 私と、同じに。

「――そうよ、彼の時を返さないで」

 二人が、はっと私を見た。

「深雪、何を……」

 彼が目を見張る。

「私、あなたの苦しみも知らずに勝手なことを言ってる。でも、あなたが死んでしまうのは嫌なの。あなたがどこか遠く、私の手の届かないところにいてもいい。あなたがこの世界のどこかに生きている、それだけで私も生きていける」

 彼が彼女と姿を消しても、私が誰かの妻となり、子を産み、死んでいくとしても。

 私の想いは消えないから。

 受け継がれていくから、きっと……。

「――そうして、また俺に繰り返せと言うのか?」

 彼の押し殺したような声を聞いて、怒ったのだと思った。けれども。

「また俺に、大切な者が先に死んでいくのを見ろと言うのか!?」

「え……」

 私は息を呑んだ。

「真汐のときと同じ思いをするのが嫌で、ずっと誰とも接しないようにしてきた。梓を解放する機会を待つだけの、ただ時間の流れていく毎日……そんな中に、突然君が飛び込んできた」

 彼が私を見つめる。今までにないくらいにまっすぐ、私を、私だけを。

「最初は迷惑なだけだった。だが、思いがけないことを言う君に関心を持って、君の来る『明日』が意味を持って、今は……」

 不意に、目をそらす。

「君に会うべきではなかった。早く死ぬことばかり考えていたのに……わからなく、なってきた」

「――だったら、生きてよ」

 私の目から、涙がこぼれた。

「死ぬなんて、言わないで」

 ぼろぼろぼろぼろ、まるで一週間前に彼に会ったときみたいに、みっともなく私は泣いていた。それ以上、何も言えなかった。

 あのときは私がずかずかと彼に近づいていったけれど、今度は彼のほうからこちらに歩いてくる。

 そして彼の手が私の頭に触れた瞬間、私は彼の胸に飛び込んでいた。

「深雪……」

 彼の腕を背中に感じながら、私は初めて、彼の名を呼んだ。

「流斗……!」


「どう……して」

 長い、長い眠りから覚めた少女が、信じられないようにつぶやいた。

「どうして、流斗? その女は、あなたと同じ時間を生きることはできないのよ。どうせすぐに、死んでしまうの。流斗と一緒にいつまでも生きられるのは、あたしだけ。あたしだけなのに」

「――すまない、梓」

 彼が首を振った。

「そういうことではないんだ。お前と、〝永遠〟に一緒にいたとしても、恋人のようにお前を想うことは、ない」

「そんな……」

 彼女の顔が、蒼白になった。

「じゃあ、あたしはいったい何のため、何のためにこんな長い時を……」

 何かにとりつかれたように、ぶつぶつとつぶやき続ける。

「あたしの〝永遠〟は……いやあああっ!!」

 ヒキの――梓の炎が、爆発した。

 彼女の周囲に真紅の炎が立ち昇り、熱風が一気に押し寄せてくる。

 流斗が私をかばうように立った。私たちのまわりを、風が渦巻く。

 覚えのある、この感覚。まつりのとき、私のすぐそばで封魔岩が発火したときも……。

(あのときも、守ってくれてたんだ……)

 風の防護壁が、二人を包む。

「やめるんだ、梓!」

 けれどもそれは、私たちをかろうじて守るだけの効果しかなかった。めらめらと音を立てて燃え上がる木々。あまりに彼女に近いところは、さっきの爆発で跡形もなく消し飛んでいる。岩の下に封じられていたときとは、威力が違う。

「殺してやる……殺してやるわ!」

 炎の中の彼女が、ぞっとするような目で私をにらむ。

「その女も、その女の他の真汐の一族も、この村の連中も全部……世界中全部焼きつくしてやる!!」

 炎が、鮮やかさを増す。圧力に、風の壁が押し返される。

「くうっ……何て力だ。あいつが本気になったら、冗談でなく世界くらい焼きつくすぞ」

 見る見るうちに広がっていく、火の海。

 森が、山が、燃えていく。消えていく。

 全てが――!

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