第六章 海
一
いつかはこうならねばならなかったのだ。
自らヒキを名乗った女の人と、セイケイと呼ばれた男の人と、伝説の
そのためには、緋方は滅びゆかなければならなかった。まつりは失敗しなければならなかったのだ。
ヒキを目覚めさせるために。長い長い、眠りの果てに――。
「
森の中から現れた影が、驚いたような声でそう言った。
けれども、すぐに気づいて、笑う。
「そんなはずはないわね。あれは、遠い遠い昔のことだもの。生きているわけがないわ」
勝ち誇ったような笑い方だった。長く、長く彼女は笑い続けた。彼が、辛そうに目をそむける。
不意に、笑いがやんだ。
「――で、お前は誰?」
刺すような目で私を見る。
「わ、私は深雪よ。緋方深雪」
「――真汐の子孫?」
彼女の目がさらに細く、鋭くなった。
「ああ、今日の
そう言うと、見下すようにふっと笑った。高慢な、けれども比類なく美しい、女王の笑み。思わず目を奪われるくらいだった。
「安心なさいな、村には手を出さないから。そんなことしなくたって、勝手に滅ぶもの。お前も、村も、世界も全て――〝永遠〟を生きるあたしの前では、露ほどの時間でね」
「――違うわ」
それでも私は、言い返した。
「私はあなたを追ってきたんじゃない。彼に会いにきたのよ」
「
急に声に険が混じった。
「どういうこと、流斗?」
彼のほうを向いて、責めるように問う。
「――俺は、まつりの年のたびにこの場所に来て、岩を見ていた。そこに今年、彼女が来たんだ。何度か会って、話もした」
彼の言葉を聞くと、彼女はゆっくりとこちらに歩いてきた。
「――さすが、真汐の子孫ね」
そして、わざとぴったり彼にはりつくように、立つ。
「でも、残念。流斗は、あたしのもの。〝永遠〟に生きるのよ、流斗も。あたしたちの見ているうちに、お前なんかあっという間に醜く歳をとって、死んでしまう。気の毒にね」
「俺はそんな〝永遠〟はいらない!」
彼が彼女の手を振り払った。
「どうして?」
彼女は動じない。首をかしげて、笑う。
「世界が滅んでも、全ての人間が死に絶えても、あたしたちは二人でいられるのよ。すばらしいことじゃない」
「――ずっと岩の下で眠っていたお前は、知らないんだ」
絞り出すように、彼は言う。
「歳をとらず、死ぬこともなく生き続けるのが、どれほど辛いことか。毎日が同じ一日の繰り返しなんだ。何も変わりはしないんだ」
何百年かの思いを全て吐き出すように、彼は語り始めた。
「二度と真汐の前に顔は出せないと思って、この土地を離れた。だが海に沈む夕日を見ると、どうしても思い出さずにいられなかったんだ。十年経った頃、俺はこっそり戻ってきた。真汐は他の男と結婚して、娘がいた。俺はそれを見て、ここを去った。
また十年経つと、真汐が歳をとっていて、娘が昔の真汐そっくりに成長していた。次の十年が過ぎた頃――真汐はもう、この世にはいなかった」
十年に一度の、うたまつり。
セイケイが、大滝村に戻ってくる。その気配を感じて、地下のヒキも、騒ぎ出す。村人たちが恐怖に陥る。仕方なく真汐は、封印をかけなおす。
その、繰り返し――。
「真汐の娘が老いて死んでいく頃には、もう俺は我慢できなくなっていた。真汐の子孫を敵にまわすことになってもいいと思った。同じ毎日の繰り返しを終わらせたかったんだ。
「死……って」
あの人の口から発せられた言葉に、私はひざががくがくするのを感じた。まつりでヒキと戦ったときより、恐ろしかった。
けれど、私以上に過敏に反応したのは、彼女のほうだった。
「嫌よ、そんなの! あたしは絶対、流斗の時を返さない。勝手に死ぬなんて許さない。どうしても取り戻したかったら、あたしを殺せばいいんだわ!」
「梓!」
怒ると手がつけられないのは、どれほど長い年月が過ぎても変わらないようだ。けれども彼女の怒りの中に、怯えがある――?
私と、同じに。
「――そうよ、彼の時を返さないで」
二人が、はっと私を見た。
「深雪、何を……」
彼が目を見張る。
「私、あなたの苦しみも知らずに勝手なことを言ってる。でも、あなたが死んでしまうのは嫌なの。あなたがどこか遠く、私の手の届かないところにいてもいい。あなたがこの世界のどこかに生きている、それだけで私も生きていける」
彼が彼女と姿を消しても、私が誰かの妻となり、子を産み、死んでいくとしても。
私の想いは消えないから。
受け継がれていくから、きっと……。
「――そうして、また俺に繰り返せと言うのか?」
彼の押し殺したような声を聞いて、怒ったのだと思った。けれども。
「また俺に、大切な者が先に死んでいくのを見ろと言うのか!?」
「え……」
私は息を呑んだ。
「真汐のときと同じ思いをするのが嫌で、ずっと誰とも接しないようにしてきた。梓を解放する機会を待つだけの、ただ時間の流れていく毎日……そんな中に、突然君が飛び込んできた」
彼が私を見つめる。今までにないくらいにまっすぐ、私を、私だけを。
「最初は迷惑なだけだった。だが、思いがけないことを言う君に関心を持って、君の来る『明日』が意味を持って、今は……」
不意に、目をそらす。
「君に会うべきではなかった。早く死ぬことばかり考えていたのに……わからなく、なってきた」
「――だったら、生きてよ」
私の目から、涙がこぼれた。
「死ぬなんて、言わないで」
ぼろぼろぼろぼろ、まるで一週間前に彼に会ったときみたいに、みっともなく私は泣いていた。それ以上、何も言えなかった。
あのときは私がずかずかと彼に近づいていったけれど、今度は彼のほうからこちらに歩いてくる。
そして彼の手が私の頭に触れた瞬間、私は彼の胸に飛び込んでいた。
「深雪……」
彼の腕を背中に感じながら、私は初めて、彼の名を呼んだ。
「流斗……!」
「どう……して」
長い、長い眠りから覚めた少女が、信じられないようにつぶやいた。
「どうして、流斗? その女は、あなたと同じ時間を生きることはできないのよ。どうせすぐに、死んでしまうの。流斗と一緒にいつまでも生きられるのは、あたしだけ。あたしだけなのに」
「――すまない、梓」
彼が首を振った。
「そういうことではないんだ。お前と、〝永遠〟に一緒にいたとしても、恋人のようにお前を想うことは、ない」
「そんな……」
彼女の顔が、蒼白になった。
「じゃあ、あたしはいったい何のため、何のためにこんな長い時を……」
何かにとりつかれたように、ぶつぶつとつぶやき続ける。
「あたしの〝永遠〟は……いやあああっ!!」
ヒキの――梓の炎が、爆発した。
彼女の周囲に真紅の炎が立ち昇り、熱風が一気に押し寄せてくる。
流斗が私をかばうように立った。私たちのまわりを、風が渦巻く。
覚えのある、この感覚。まつりのとき、私のすぐそばで封魔岩が発火したときも……。
(あのときも、守ってくれてたんだ……)
風の防護壁が、二人を包む。
「やめるんだ、梓!」
けれどもそれは、私たちをかろうじて守るだけの効果しかなかった。めらめらと音を立てて燃え上がる木々。あまりに彼女に近いところは、さっきの爆発で跡形もなく消し飛んでいる。岩の下に封じられていたときとは、威力が違う。
「殺してやる……殺してやるわ!」
炎の中の彼女が、ぞっとするような目で私をにらむ。
「その女も、その女の他の真汐の一族も、この村の連中も全部……世界中全部焼きつくしてやる!!」
炎が、鮮やかさを増す。圧力に、風の壁が押し返される。
「くうっ……何て力だ。あいつが本気になったら、冗談でなく世界くらい焼きつくすぞ」
見る見るうちに広がっていく、火の海。
森が、山が、燃えていく。消えていく。
全てが――!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます