数日後。

 けがの見舞いと言って大滝の家にたけしを訪ねると、村長むらおさがやたらに歓迎してくれた。どうやら、本気で私と威を結婚させたいらしい。

「何でうちになんか来るんだよ。親父がつけあがるだけだろ」

 ぶつぶつ文句を言う威を外に連れ出して、雨の中、まわりに誰もいない畑の真ん中に引っ張っていくと、いきなり私は切り出した。

「まつりの前、美音みねさんに一緒に村を出ようってもちかけた、って言ってたわよね」

「――ああ、あの話か」

 ふっ、と威が苦笑いした。

「実を言うと、お前が寝込んでた間にももう一度美音をつかまえて、話したよ。まつりの日以来、親父の目が厳しくなってて、時間作るの苦労したけどな」

 そう言えば、広場で熱風に吹き飛ばされた美音さんを受け止めて、けがをしたんだったっけ。大勢の前であれだけ派手なことをしたら、大滝どのだってそれは警戒するだろう。

「で、美音さんは何て?」

「やっぱり断られた。しかも今度は、理由が変わってた」

 ふう、と威はため息をつく。

「まつりのときにあいつ、結構危ない目にあったろ? あれで、あとで母親にずいぶん泣かれたらしいんだ。

『嫌な女だとばかり思ってたけど、本当はとても弱い女なのよね。だから見栄っぱりで。いいことでも悪いことでも、私のこと以外に考えることがないのよ。父が早くに死んだせいかもしれないけどね。

 私がいなくなったりしたら、あの人、生きていけないような気がするから』

とか、笑って言われるとな。前よりあいつ、はっきり心を決めてるよ」

 美音さんは一度自分でこうと決めると、その決心は頑固なくらい堅い。お母さんを置いて村を出ることはできない、たとえこの先私と威が結婚するのを見ることになるとしても。そう思ったのだろう。それは、単に全てを諦めていたときより、覆すのは難しいんじゃないだろうか。威も、そのことは重々わかっているようだった。

 美音さんは、そういう道を選んだんだ。

 その美音さんから見たら、私の選択はどう感じられるのだろう――。

「美音さんは、村から出ないって言ってるだけでしょ。威を嫌いになったわけじゃない。だったらこの村で、一緒に生きていけばいいじゃないの」

「簡単に言うな。うちの親父は無理にでも俺を結婚させる気で……」

「私が村からいなくなれば、少なくとも私と結婚させられることはないでしょ」

「――は?」

 威がぽかんとした。何かとんでもない聞き間違いでもしたみたいに、訊き返す。

「今、何て言った?」

「村を出るのよ、私」

「出るって……お前、今まで一度だって村の外に……」

「ええ。ないわよ」

 あっさりと私は答えた。

「威は、よそに行ったことあるのよね。村を出ようって美音さんにもちかけるくらいだから、それなりに計画練ってたんでしょ。

 その計画、私に譲って」

 威はしばらく私を凝視していたが、やっと口を開いて、つぶやいた。

「……昔から馬鹿だ馬鹿だと思ってたが、今まで聞いた中でも最高に馬鹿な話だな」

「悪かったわね」

 思わず言い返したあと、目を細めてふっと笑う。

「威、前に私に訊いたでしょ。好きな奴くらいいるんじゃないかって」

 誇らしげに、私は笑う。

「いるのよ。この村の人じゃないの。今、どこにいるかもわからない。でも私は、その人を追いかけたいと思っているわ」

 彼がどこかで生きている、そう思うだけで私も生きていける。

 なんて、悟った言葉を流斗ながとの前では言ったけれど。

 やっぱり私は、それほど諦めのいい人間じゃない。たとえ一生彼に会えないとしても、会う何の努力もしないまま終わりたくない。

 彼の、本当の笑顔が見たいから。

 私の血を引く者たちには、できればその笑顔をも伝えたいから――。

 受け継がれていく〝永遠〟を、自分の手で作る。そう、決めていた。

 私の様子に、威は唖然としているみたいだった。

「親不孝者よね、私。美音さんはお母さん置いて行けないって言ってるのにね……あっ、美音さんにもばらしちゃだめよ。私のこと、すごく心配するんだから」

 笑って言う私に、やっとのことで威が感想をもらした。

「大騒ぎになるぜ、村……」

「村長の息子が家出できて、緋方の娘はだめって法はないわよ」

 今の私に、口で勝てる相手なんてそうはいない。けれども、

「確かにそうだけどな……」

と、威が同意したのは、少し意外だった。

 単に私を緋方だとあまり思ってないだけかもしれないが、考えてみるととにかく威は、小さい頃から私を特別扱いしたことがなかった。この村の中で本当に私と対等な口をきいてくれていたのは、威なのだろう。

「――もしかすると、あんたでも結構よかったのかもね」

「何の話だ」

「いいえ、別に」

 威が美音さんの恋人でなくて、私があの人と出会ってなかったら、この村で威と結婚して緋方を継ぐというのも、それなりに穏やかで幸せな人生だったのかもしれない。

 でも私は、流斗に出会った。

 彼を追っていくと、決めたんだもの。

「――で、協力してくれる?」


 夢を見る。

 あかく、緋く揺れる、海の夢を見る。

 きっとあの人は、海の近くにいる。

 そして、梓さんと過ごした故郷の村の思い出と、真汐ましおさまとの果たせなかった約束を思って、一人たたずんでいるのでしょう。

 どこにあるかもわからないけれど、きっと私もその場所に行くわ。

 そして――


 雨の季節も終わりに近づき、何日かぶりに星のきらめいた、ある夜。

 静まりかえった家の中、こっそりと私は寝床から抜け、外へと出た。

 今日が、その日だった。流斗を追って、彼を捜して、この大滝村を出ていく。

 協力というか強要というか、とにかく威から聞いた話によると、一日かけて山を越えてまがりの村にたどりつけば、とにかくこの山地のふもととの行き来はあるのだという。帰る人たちにうまく便乗させてもらえれば割合早く平地までは出られるし、そうでなくとも少なくとも行く道はある。

 何にせよ勝負は、西の峠越えだ。

 私が越えたあとできればまた雨が降ると、追手の足が鈍ってくれるんだけど。そんなことを考えながら、畑の中を歩いていった。お姉さまの家に行くときと同じ道だ。

 私の目が覚めると、瑞穂お姉さまはまた荒井の家に帰っていかれた。荒井の家は、村でもかなり西側に位置する。西の峠へと登る道は、そのすぐ近くにあるのだった。

 雨続きの中、一晩だけ晴れた夜を決行の日にするつもりだった。だから、今夜出発することに決めたのも、今朝だった。お母さまや美音さんには今日も会ったけれど、瑞穂お姉さまとは先週会ったきり――それが、心残りと言えば心残りだ。

 手紙は、残してきたのだけれど。

 十年前のこと、今年のこと、流斗のこと、梓さんのこと――全てを、書き残してきた。

 なぜ私が村を出ていくのか、わかってほしかったというのも、もちろんある。

 けれども、緋方の血を引く者たちに、事の真相を伝えなければならない義務があると、思った。セイケイとヒキが何を考え、どのように苦しんできたのか……私たちは、それらと戦ってきたのだから。

「深雪」

 闇の中から突然声をかけられ、死ぬほど私はびっくりした。

「お姉さま!? どうして……」

 瑞穂お姉さまが、外に立っていたのだ。

「村を出ていくなら、まず間違いなく西の峠からだと思ったから」

 いつものように微笑んで、お姉さまは言われた。まるで、そんなこと大したことではないというみたいに。

「どうして、わかって……」

 私が呆然としていると、

「私じゃないわ。美音から聞いたの。あなたが村を出ようとしている、どうしようって。お母さまも気づいていらっしゃるわ。深雪は考えを隠すの、昔から下手だから」

 そう言ってくすくす笑う。

 確かに私はお母さまたちに隠し事の成功した試しがなかったが、今度ばかりは慎重に準備したつもりだったのに。威に口止めしたって、これでは何の役にも立っていない。

「お姉さま、私……」

「安心なさいな、引き留めにきたわけではないから。いつかは、こうなるはずだったんだもの。美音には少し、理解できないでしょうけれどね」

「お姉さま……?」

 謎のようなことを言ったけれど、それには触れず、お姉さまは話を先に進めた。

「いなくなる前に、聞いておいてほしいことがあったの――四年前の、私の結婚のこと」

 瑞穂お姉さまは、顔を上げて遠くを見つめた。

「いくつになっても女になれなくて、歳をとるのが怖かったわね、あの頃……緋方を継がないことが決まったあとで、彼にも全部打ち明けたのよ。あの人は、そんなことで気持ちは変わらないって言ってくれたのだけれど、どうしても自信が持てなかった……」

 昔を見ていた瞳を不意に私に戻して、ふわり、と微笑む。

「でもね、お母さまが言ってくださったの。『自分の心に正直に、自分が一番幸せになれるところで生きなさい』ってね。それで、私は彼と一緒に生きることに、決めたの。

 だから、私は今、とても幸せよ」

 闇の中でも光輝くような、笑顔だった。

 今をせいいっぱいに生きる、そんな強さのある笑顔をしていらした。

「深雪と威どのの縁談も、熱心だったのは村長のほう。お母さまは単に、そういう話もあるって言って、あなたに跡継ぎの自覚を持ってほしかっただけなのではないかしら。

 お母さまは緋方の当主と、母親と、それから父親の役目も一人でなさらなければならなかったのよ? だから多少厳しいこともおっしゃるけれど、決して冷たい方ではないわ」

 ――わかっている。

 いつだって、わかっていたわ。

 お母さまが、やさしい方だということ。私を愛してくださっているということ。

 でも、緋方の当主としては、そういう態度を取らざるを得ないこともあった。亡くなられたお父さまの代わりに、きつく叱らなければならない場面もあった。

 わかっているわ。

 だって、私だって、お母さまのこと……。

「少なくとも、深雪の意に沿わないことを無理にはさせないわ。まあ、緋方を継がないと言うのだけは、困ったかもしれないけど」

「でも、でも私は……」

 今、この村を出ようとしている。言葉に詰まる私に、意味ありげに微笑んで、お姉さまは言った。

「――海の夢を見たのね、深雪」

「え!?」

 私は大声を上げた。

「お姉さま!? どうしてそれを……」

「私も、見たことがあるの。初めて見る景色なのに、これが海なんだってわかった。夕日に緋く染まっていたわ。まつりで歌媛を務める、少し前だったかしら」

 緋い色――

 夕日の色――

 ゆらゆらと、揺れている。落ちていく。沈んでいく……。

 あの、夢を……?

「訊いてみたら、お母さまも昔、見たのですって。村を飛び出してその海を探しにいきたいと、本気で思ったそうよ。他の方も、みんなそうだったのではないかしら。緋方の血の中に、そう思わせる何かがきっとあるのね」

 真汐さまの記憶。

 私だけでなく、全ての緋方の血の中に――

「私たちのできなかったことを、深雪がきっとしてくれる。私もお母さまも、そう思っている。だから、あなたを止めはしないわ。

 お母さまからの伝言よ。

『ヒキがいなくなったのだから、緋方も必要ない。村のことは心配せず、深雪が一番幸せになれるところで生きなさい』ですって」

「お母、さま……」

 それ以上、何も言うことができなかった。

 胸がつかえて、言葉を口にできなかった。あとからあとから、涙がこぼれた。

「……大好き。ずっと、大好きだったわ。お母さまのこと、お姉さまのこと、美音さん、この村、みんな。大好きよ、これからもずっと、大好き」

 子供のように泣きじゃくった。そんな私の髪をなでながら、やさしくお姉さまはおっしゃった。

「元気でね、深雪。この村のこと、忘れないで。いつかは帰ってきて、顔を見せて」

「ええ、ええ、もちろんよ」

 忘れたりなんかしないわ。

 大滝村。

 十年に一度、うたまつりというまつりの行われる村。

 緋方という一族の住む村。

 あの人と、出会った村――!

 峠の入口まで私を見送ってくださった瑞穂お姉さまと別れ、私は、大好きな村を後にして歩き始めた。

 流斗のいる海がどこにあるのかは、わからない。けれどもきっと、私はそれを見つけてみせる。

 そして一緒に、沈む夕日を見るのだ。

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