うたまつり
卯月
序章
一
滝口のその場所からは、村全体がよく見渡せた。
森をすぐ後ろに背負う彼女の家からその場所までは、大した高さではなかったけれど、もともと彼女の家は、村の中心部よりかなり上流にあるのだ。
滝は、村の北側の山からほぼ垂直に流れ落ち、森の中を縫う小川へと姿を変える。そして森を抜け、段々になった畑を順に潤しながら、村を北から南へと通り過ぎていく。
川の流れに寄り添うように、村は広がっている。彼女の家からしばらくは他の家はないが、川の両側の土地が少し広くなり始めるといくつか見えてくる。一番大きな、
広場を迂回するように川は流れ、最後には村の南側の山裾の地中に呑み込まれ、姿を消す。視線を上方に移しても、見えるのは遠くまで続く山並みと、空ばかりだ。
この村は、四方を山に囲まれていた。周囲にいくつか村はあるが、一番近いところまででも、行くには峠を越えて一昼夜を要する。それらの村に嫁いでいく娘たちがなくもないが、ここで暮らすほとんどの者にとっては、その命を終える最後の瞬間までをこの中で過ごす、閉じられた世界だった。そして、恐らく彼女にとっても。
この場所に来て、この千年経っても変わらぬような景色を眺めるのが、幼い頃からの彼女の習慣だった。位置関係のせいもあり、ここにはあまり他の村人は来ない。彼女の家からでも、ここに来るのは半日仕事だったが、二日とおかず彼女は登ってきた。
日は既に西へと傾き、空は赤く染まりかけていた。そろそろ山を下り始めないと、帰りつく頃には足元が真っ暗になっていることだろう。
だが彼女は、そこから立ち去ろうとはしなかった。その瞳は村を見下ろしているようでもあり、山の向こうの遠くを見つめているようでもあったが、また、何も目に入っていないようでもあった。ただじっと、その場所にたたずんでいた。
不意に、彼女が口を開いた。澄んだ、透明感のある声が、美しい旋律を奏でる。この場所は日頃から風が強く、風向きによっては、滝の落ちる音や小川のせせらぎを抜けて、彼女の歌声が村にまで届くこともあった。
だが、言葉までは聞き取れなかったろう。彼女は、こう歌っていた。
君と出逢ひしこの森を
吾 風の森と名付くなり
火と風と水 出逢はねば
災ひの芽は生まれねど
水の鏡の揺らめきは
炎でさへも消せはせぬ
全てを燃やす
風と水とを
吾 永遠に君想ふ
風に焦がるる
想ひは
吾 永遠に君想ふ
吾 永遠に君想ふ
「たとえ千年の月日が過ぎようとも、私は永遠に、あなたを想っている」
つぶやいた彼女の言葉は、強い風の中で切れ切れになって、消えた。
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