あずさ! 聞こえているんだろう、梓!」

 真夜中はとうに過ぎていたが、まだ明るくなる時間ではなかった。漆黒の闇の中で、流斗ながとは大声を出して梓を捜していた。

「そんな大声を出さなくても、聞こえてよ」

 緋い着物をまとった梓が、滑るように闇の中から姿を現した。

「梓! どこに行っていたんだ」

「うれしい」

 梓は子供のように無邪気に、にっこりと笑った。

「何だって?」

 言われた流斗が面喰らう。

「だって、流斗があたしを捜してくれてるんだもの。やっぱりあたしのこと、心配してくれてたのね」

 流斗は絶句した。

「まさか……そのために付近の村々を襲っていたというのか? 俺の気を引くために?」

 梓は答えなかった。

 ただ、彼女をよく知っている流斗ですらぞっとするような笑みを浮かべて、じっと彼を見つめていた。長い時間――見つめられている流斗のほうが、その沈黙に耐えられなくなるほど――。

「どう……したんだ、梓。何を考えて、いるんだ」

 梓は答えなかった。

「何とか言ったらどうなんだ。俺にだけは、昔から何でも話してくれたろう。世界で二人きりの仲間じゃないか。どうして変わってしまったんだ」

 梓は答えなかった。

「梓!!」

「――変わったのは、あなたのほうよ」

 それが梓の口から出た最初の言葉だった。

「俺が、変わった……」

「そうよ」

 梓は笑ったままだった。

「わかってるのよ、あたし。あたしのこと心配してるふりをして、心の中ではあの女のこと考えてるんでしょう。あたしなんか邪魔だと思ってるんだわ」

「梓、俺は別にそんな……」

「ねえ、流斗」

 妖しく笑いながら、梓は呼びかけた。

「覚えてる? あたしたちの村。ろくなことがなかった。あたしたちは、ずっと二人だったわね。村を焼いて、あたしの親や他の大勢を殺したときも……」

「その話はやめろ」

 流斗が遮った。

「あのときは、ああするしかなかったんだ。それで済まされる問題でないのはわかっている。でも真汐ましおも、理解してくれた」

「あの女が、流斗の何を理解したって言うの? 流斗もよ。あの女の、いったい何を知ってる? ――あたしが知ってること以上に」

「梓? お前、何を……」

 やけに引っかかる言い方だった。

「あの女がよく思えるのは『今』だけよ。流斗だって、本当はわかっているはず。あなたと一緒に、ずっと一緒に生きられるのはあたしだけ――」

 流斗のそばに歩み寄って、唇を重ねる。

「――〝永遠〟に」

「!!」

 流斗の全身から、力が抜ける。

「あ、梓……」

「知ってるでしょう、あたしの力は、火の力だけじゃないことを」

「時の、力……」

「そう」

 梓は笑いながら、地面にくずおれた流斗を見下ろした。

「意識のあるうちに、聞いておいてね。夜が明けたら、あたしは大滝村を襲うわ。安心して、真汐を殺すんじゃないから。その逆、わざと負けてあげるの。あの女の、とりこになるのよ。

 当然、あなたはあたしを助けにきてくれるわよね。あたしに時を止められたままでは、あなた、『永遠』に歳をとることも、死ぬこともできないんだもの」

 梓は半ば自分の言葉に陶酔しているようだった。

「楽しみだわ……! あなたは、あたしのためにあの女と戦うのよ。だって、あたしは妖怪のヒキで、あなたはその仲間のセイケイなんだもの。真汐は、きっと村を救った英雄になってることでしょうね。何も知らない村人たちに祭り上げられて、セイケイとの戦いを拒否することなんてできなくなっているはず――

 待っているわ、あたし。あなたが迎えにきてくれるのを。百年でも、二百年でも……。

 じゃあね、流斗。ゆっくり、お眠りなさいな」

 そう言うと梓は、暗い森の中へと身をひるがえした。

(あ、ずさ……)

 声にならない声で必死に彼女を呼び止めながら、流斗の意識は深い淵の中へ沈んでいった。


   ◇


「ヒキが、ヒキが来たぞおっ!」

 村の朝の静寂は、その言葉で破られた。

 その言葉を発した男は、次の瞬間にはこの世から消えた。

「うわあああっ!」

 村中が、恐慌状態に陥る。逃げまどう人々のうちの幾人かが、火の柱と化した。

 耳をつんざくような悲鳴の中、燃え盛る紅蓮の炎が村の中へと入ってきた。

村長むらおさ。村長はおるか」

 炎の塊が口をきいた。くぐもったような声で、はっきりと聞きとれない。

 炎の中に何かの影が揺れていたが、火の勢いが強すぎて、誰もそれをまともに見ることができなかった。

「わ、わしだ。わしが村長だ」

 村長は言葉こそふるえながらも何とか平静を保とうと努めていたが、ヒキが視線を滑らすとひっと叫んで尻もちをついた。

「そうか、お前が村長か」

「ま、待ってくれ、殺さないでくれ」

 慌てふためきながら村長が懇願する。

生贄いけにえを差し出せば他の者は助けてくれると聞いたぞ。差し出そうじゃないか。だから、頼む」

「ほう」

 炎が楽しそうに揺れた。

「いったい、誰を差し出すつもりだ」

「真汐という名の娘だ。十九になる、この村で一番美しい娘だぞ。文句はなかろう」

「それで、その真汐とやらはどこにいるのだ?」

「今、村の者を連れに行かせる。すぐ連れてくるから、だから、待ってくれ」

「――よかろう。とりあえず、その娘を連れてくるがいい」

 ヒキの答えを聞いて、村長は数人の男たちをあごでうながした。男たちは弾かれたように村の北へと走り去っていった。

 村の寄合で、決まっていたのだ。もしもヒキが大滝村を襲ってきた場合には、真汐を生贄に差し出そうと。身寄りもいないよそものの真汐は、村にとって都合がよかった。一人の反対もなく、それは決定された。彼女自身には、何も知らされずに。

 前夜遅くまで流斗と話していた真汐は、その朝まだ目を覚ましていなかった。言っている本人にもわけのわからぬことをわめきながら家に踏み込んできた男たちに、荒々しく叩き起こされた。

「何!? どうしたの!?」

「いいから来い!!」

 問いただす間もなく、真汐は村の南の広場へとひきずり出された。

 広場には村中の人々が集まっていた。村中の人たちが冷たい目で真汐を見つめていた。

(何なの――!?)

「これが真汐だ、ヒキよ」

 村長の声に、はっと真汐は顔を上げた。

 広場の中央に赤い炎があった。けれども彼女には、その炎の中のヒキの正体が、はっきりと見えていた。

 振り乱した髪を火の中に躍らせ、目に赤い色を映した梓の姿が――


(流斗は……流斗はどうしたの)

 真汐は真っ先に、そのことを考えた。なぜ自分がここに連れてこられたのかまだ知らなかったので、自分の身の危険よりそのことのほうが先に頭に浮かんだのだ。

 流斗は夕べ、梓と話すと言って帰っていった。

 その梓がここにいるということは、流斗は……?

 そのとき再び、村長が口を開いた。

「約束だ。この娘を生贄に差し出そう。他の命令にもできる限り従う。だから、村人には手を出さないでくれ」

「!!」

 真汐は目をむいた。自分がどういう立場にさらされているのか、わかったのだ。

 周囲を見回す。村人たちの冷たい視線に込められた言葉が、真汐には聞こえるようだった。

(おめえが死ねば俺たちゃ助かるんだ)

(あたしらは助かるんだ)

(さっさと死にゃあいいのさ)

(どうせ、よそものなんだから――)

「……」

 真汐は、地面の上で拳を握り締めた。

(ひどい)

 自分がこの村に受け入れられていないことは、自分でもわかっている。けれども、ここまでされる覚えはなかった。――

 真汐は、ある決意を固めた。

「――わかりました」

 覚悟を決めたように、真汐は言う。

 村長たちが、ほっとしたような顔をする。

「最後に、歌を歌わせてください」

 思いがけない言葉に、ヒキも村人たちも動揺したようだ。真汐は立ち上がり、ゆっくりとヒキに向かって歩いていった。歩きながら目を閉じ、母から習った歌を記憶から呼び覚ます。

 流斗にも、聞かせたことのない歌……心を開いていないのは、自分も同じだった……。

 目を開けた。

 そして、歌い始める。

「ぎゃああああっ!!」

 ヒキが悲鳴を上げた。

 なぜ自分が村人たちに受け入れてもらえないのか、真汐は気づいていた。それは、彼女に母から受け継いだ、他の人間にはない力があったから――表に出さないようにしていても、雰囲気でわかってしまうものなのだ。流斗や梓の力に、彼女が薄々気づいていたように。

 歌の、力。海のそばに住んでいたころ、この力で人々を守ったのだと母は言っていた。

 母から習った歌の中には、敵を倒すための歌と言われるものもあった。けれども、真汐が選んだのは〈封印の歌〉だった。

 こんな村のために自分が死ぬのは嫌だと思っただけなのだ。とりあえず相手の動きを止めればよかった。

 それに真汐はヒキ、いや梓を、傷つけたくはなかった。

 確かに、彼女のしたことは許されることではないかもしれない。けれども、他の人間にない力を持っていたがために周囲から排除されるのは、彼女も自分も同じだった。彼女は親からも捨てられ、村人に殺されかけ、そして自分は生贄にされそうになった……。

 自分たちは、言わば同類なのだ。

(お願い、梓さん。このままどこか遠くへ行って。あなたとは戦いたくない――!)

 炎の中の梓の顔が、にやりと笑った。

(お前と戦うのはあたしじゃないわ。流斗よ)

(!?)

 炎の立ち昇る空がみるみるうちに黒雲に閉ざされ、あたりは夜のように暗くなった。雷鳴がとどろき、雲間に怪しい光が走る。

 突如、ヒキの足元の地面が裂けた。

(何!? これは私の力じゃない!!)

 奈落の底へと落ちていきながら、ヒキは呪わしげにこう叫んだ。

「おのれぇ小娘、覚えておれ! 必ずや我が仲間セイケイが、我を救い出しに来るぞ! 復活した暁には、セイケイとともにこの村を炎に沈めてくれるわ。いいか、必ずだぞ!」

 村人たちは、その言葉に恐れおののいた。

 だが真汐の耳には別の声が聞こえていた。

(これで、お前と流斗とは仇どうし。永遠に結ばれることはないのよ。地の下で、ゆっくりと見物させてもらうわ。お前たちの戦いをね……)

 真汐が薄々流斗たちの力に気づいていたように、梓のほうでも気づいていたのだ。真汐の力に。最初からそれも、計算に入っていたのだ。

 雷が、南の尾根に落ちた。斜面が崩れ、山と見紛うような巨大な岩が地響きを立てて転がってくる。

 それが、ヒキの落ちた割れ目に落ち込み、動きを止める。砂煙のおさまったあとには、上部だけを地上に出した岩がそこにあった。

「おい……ヒキを退治してしまったぞ、あの娘」

 しばらくして、村人の一人がそうつぶやいた。

「す……げえ、真汐の奴がいりゃ、セイケイなんか怖かねえや」

「真汐の奴ぁねえだろ。村を救ってくれたんだで、真汐さまだ」

「そうだそうだ、大滝村の真汐さまだ」

 自分たちがしようとしていたことも忘れ、村人たちは真汐のまわりに寄ってきてほめそやした。だが真汐は、何も聞いてはいなかった。

 言葉が、唇の端からこぼれ落ちる。

「流斗……」


 北の外れの真汐の家は、建て替えられた。村人たちはみな彼女のことを真汐さま、歌媛うたひめさまと呼び、下にもおかぬ扱いをするようになった。

 だが真汐は冷めた目で、自分の今の境遇を眺めていた。

 それもこれも、いざセイケイが攻めてきたときに、村を守ってもらうため。本心から、私のことを村に受け入れてくれたわけじゃない。歌媛さまという名前がついただけで、結局何も変わりはしないのだ。

 真汐は以前と同じように、森へ通った。流斗に会うことは、二度となかった。海を探すことも、しなくなった。一生この村を離れられぬことは、わかっていたから。この村で岩を守って、婿をとって、子を産んで……そうして、一生を終えるのだ。

 滝の上で、歌を歌う。母から習った歌ではない。自分で作った歌だ。この森のどこかに流斗がいるのなら、聞いていてほしかった。


   あめより落つる大滝を

   いだくは緑に薫る風

   君と出逢ひしこの森を

   われ 風の森と名付くなり


   火と風と水 出逢はねば

   災ひの芽は生まれねど

   水の鏡の揺らめきは

   炎でさへも消せはせぬ


   全てを燃やすあかき火が

   風と水とをへだつとも

   吾 永遠とことはに君想ふ

   吾 永遠に君想ふ


   おのが命は果つるとも

   風に焦がるる瑠璃水るりみづ

   想ひはらの血の中に

   吾 永遠に君想ふ


   吾 永遠に君想ふ


「たとえ千年の月日が過ぎようとも、私は永遠に、あなたを想っている」

 風が、静かに森の中を吹き抜けていった……。

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