第6記 噂の実態

 鏡に引きずり込まれた多幡と紗倉、レゲインは鏡の前で目を覚ました。

さっきと場所は変わらないが何かがおかしい。全てが左右反転していて薄暗い廊下を出ているはずのない夕日が真っ赤に照らしていた。

光の差し込む窓から多幡が外の様子を確認する。道路や校庭に黒い人影のようなものが彷徨っており、校内だけでなく空までも薄暗い血のような赤で染まっていた。

レゲインは目を覚ますなり、痛む頭を抑えて四つん這いになっていた。


「夢……?」


隣で呆然と呟く紗倉の頰を彼は抓った。


「いったぁ!な、何するの!」


「夢じゃねぇ……」


指の腹で割と強く抓られかなり痛かった。痣になりそうな痛さだ。


「二人ともここに居てくれ。俺は戻る方法を探してくる」


入ってきたであろう鏡をコツコツと叩いて調べていた多幡はそう告げると一人で何処かへ行ってしまった。それを止めることなく見送り、レゲインが起き上がる。


「死亡フラグ野郎だな……」


そう思うなら止めるべきだ。最も部員や知り合いに対し仲間意識の高い先輩が止めた所で引き下がるとは思えないが。


「もう大丈夫?」


「……だいぶマシになった」


 紗倉はやっぱり頭が痛かったのだと確信し、心配して覗き込むも肩を捕まれ押し離された。

 二人はそっと外の様子を改めて伺う。相変わらず黒い影が彷徨っていたが、さっき見た時より校庭に居る影の数が増えている気がした。レゲインはその陰の群れに隠れるようにして校舎に近づく大きな人影を睨みつけた。


「俺らもここから離れたほうがよさそうだな」


「どうして?」


「どうしてって……」


 そんな気がしたのだが、多幡に待っていろと言われた手前動くと彼が困る。不安なので動きずらいのもわかる気がした。しかし彼にとっては今は動かない方が不安だった。

 言い淀んでいると何処からか悲鳴が聞こえた。男のものだ。痛い死ぬ、怖いというよりは驚きの声に近い。


「今の、先輩?」


 不安な表情を浮かべる紗倉を置いてレゲインは無言で歩きだす。置いていかれた紗倉は慌ててその後を追う。

 黙って付いて歩いていると彼は突然口を開いた。


「お前の部活……」


「私は入ってないよ」


「あいつらの部活って何」


「心霊現象観測部かな」


 所謂オカルト部だ。この部を立ち上げたときはオカルト部だったらしいが、立ち上げなおした人がそれではありきたり過ぎてつまらないという理由で今の名前に落ち着いた。現在部員は二人だけになっており、活動は主に都市伝説や噂話の真偽を確かめたりするものだ。

 そこまで細かく説明したが相槌もない。


「君は何で美羅と鏡の前にいたの?」


「それは……!?」


 答えようと紗倉の方を見た途端に彼の形相が変わった。後ろを振り返ると確認する間もなく腕を引かれ強制的に走らされた。

 一瞬見えたのは影の群れだ。多分追ってきている。


「この速さなら撒けるはずだ」


「っ……はぁっはぁ」


「撒く前に倒れそうだな」


 レゲインは息切れする様子もなくスタミナ切れの紗倉を引きずりそうな勢いで廊下を走り抜ける。

 この状況をどうにかしようと角を曲がり——突然、足を止めた。

 紗倉は目を丸くしてレゲインの胴体を見るが、レゲインは今起きたことに青ざめて冷や汗をかいていた。


 今確かに幼い少女が彼の体をすり抜けていったのだ。


「レゲイン、大丈夫?」


「ぁ……ああ、なんともない」


 顔を上げると前からも影が来ている。それを見たレゲインは立ち尽くす紗倉の腕を引いて近くの教室に入り扉をしめ、その扉にへばりつくように座り込んだ。

 抱きしめられるような形になっていた紗倉は口を開こうとした。すると一言発する前に口を手で押さえられる。


「しっ静かに」


 耳元で囁いた彼は真剣な目で扉の窓を伺っていた。

 口を押えられている紗倉は現状に困惑して目を泳がせる。綺麗な顔が目の前に直ぐ近くにあり、男子らしからぬ良い香りも――。

 と、すっと口から手が離れる。


「はぁ、行ったか……ん?何?」


「な、なんでもありません」


 そっぽを向いた方に綺麗なレモン色の髪を乱した少女が二人の前に立っていた。肌も白く目もレモン色でまるで人形のような見た目だ。


「お兄さん達……」


少女は丁度目の前にいた紗倉の頰に触れる。紗倉は少女の目を見て息を呑んだまま微動だにしない。

 レゲインが少女の体に手を通過させ手を抜くと少女は不思議そうに自分の体を確認していた。紗倉が更に驚き口をパクパクさせる。


「俺らが元の場所に戻るにはどうすればいい」


 少女がおもむろに彼の顔に手を伸ばすと小さな手は貫通することなく彼の頬をムニムニと揉んだ。彼は無反応だ。

 紗倉は驚いて見ているが、何だか意外と柔らかくて触り心地が良さそうだ。


「入ってきた所から戻れるの」


 少女は可愛らしい声で手を止めることなく答える。しかし二人はそれを聞いて多幡の行動を思い浮かべるが、確か彼が確認した限り通り抜けるどころか指先すら入らなかった筈だ。


「いや、戻れなかった」


「うーん……それなら私が触れば開くかもしれないの」


「原理は分からないけど帰れるなら頼んでいいか?」


 少女はニッコリと笑みを浮かべ元気よく了承した。

 現状が理解できずポカンとして蚊帳の外にいた紗倉は慌てて割って入った。


「ま、待ってよ!待って!ここは何処なの?貴方は何?人間じゃないよね?」


「あのな……」


——突然ドアが壁ごと吹き飛んだ。


 扉から見える赤い目に気が付いたレゲインの咄嗟の行動で佐倉は巻き込まれずにいすみ、守るように覆いかぶさる彼の体の間から様子を伺う。その先には黒い霧を吐き出し巨大な日本刀を二刀、背中から生える細い腕がつかみ構える巨大なミイラのような怪物が赤い片目で二人を見据えていた。


「ぐっあぁあっ!!」


 レゲインは頭を押さえて苦しみ始めた。紗倉は何が起きたのか理解できず心配して肩に触れる。そんな二人に怪物は容赦なく雄たけびを上げ刀を振り下ろした。

紗倉は苦しんでいたはずのレゲインに体を抱えられ難を逃れたが、二人がさっきまで居た場所には大きな爪で抉った様な傷跡できている。怪物は二人が消えたことに驚いて混乱していた。


「う、うそ……」


「走れるか……っ?」


「うん。でもレゲイン」


「俺は大丈夫だ。早く逃げんぞ」


 有無を言わせず紗倉を引っ張り走り出すが、吹き飛んだ扉でもかすったのか頭から血を流し苦痛に眉を寄せ汗をにじませて息も荒い。大丈夫とは言い難い。

 逃げ出した足音で気が付いたのか背後からは怪物が廊下にぶつかり、黒い影達を踏みつけながら向かって来る。先程よりも明らかに廊下に居る影の数も増えていた。

 小さな体で少女は二人の隣を走っていた。どう考えてもこんなに小さな子供が追いたけるはずがない。


「お兄さん!黒いのに触れるのは危ないの!前に来たお兄さんが大変なことになってたのをみたの!」


 前に来たお兄さんとは行方不明者の事だろう。

しかし、目の前には廊下を塞ぎこちらによろよろと向かってくる影が居た。


「くそっ……」


「この先の階段の上なのに」


「いや、こっちだっ!」


 そう言うとレゲインは紗倉をわきに抱え廊下の窓を開けると窓枠に乗り身を乗り出した。


「ひっ。ちょっと!いやっ……きゃ!?」


 不安定な処で立ち上がったかと思うとそこから上にジャンプし、窓を割り上の階の廊下へ飛び込んだ。全身がヒヤリとし泣きそうな程恐怖を感じて紗倉は声すら発することができず口をパクパクさせている。


 こんな高さを、二メートル以上はあったはずなのに彼は普通に飛び上がった。しかも私を抱えて。運動神経と体力が人間離れしてる。こんな小さめの体で細い腕でどうやってこんなことができるの?


 床に降ろしてもらいほっとしていると足元から日本刀の刃先が突き出た。


「や……」


 青ざめた紗倉を更に突き出た刀身が追いかける。頭を押さえ動かなかったレゲインはそれに気が付き紗倉を引っ張った。


「行くぞ、上に来る前に」


「で、でも先輩が……」


 刀身がコンクリートの床を切り裂こうと震える中、その場から少し離れる。完全に忘れていた先輩の事を考えレゲインは歯を食いしばった。


「私、探しに行く」


「いや、いい。お前は戻ってろ。俺が探してくる」


「でも……」


 頭の痛みに言うことを聞かない足手まといの紗倉を前にして強く言おうと口を開きかけた時――


「おい!何があったんだ二人とも!」


 多幡が近くの窓が割れる音を聞き教室から飛び出してきたようだ。


「先輩!」


レゲインを押しのけ多幡に向かう紗倉の前についに床をくりぬいた怪物が飛び出してきた。青ざめる紗倉を多幡はレゲインの方へ押し飛ばすが、刀が容赦なく多幡の腕に綺麗に振り下ろされた。


 ”ぐちゃ”と生々しい音を立てちぎれた腕が落ちる。


 腕の切り口を押さえしゃがみ込んだ多幡の痛みに呻く声が響き、怪物は腕に食らいついて気色悪い音を立てる。

 怪物が腕を喰らうのに夢中になっている中、レゲインは受け止めた紗倉を鏡の方へ押し離し急いで多幡の残っている右腕を掴み立たせた。


「何してる!早く――」


「足がやられたわけじゃないだろ! 走れよ! 死ぬぞ!」


 レゲインの必死な物言いに多幡は立ち上がり痛む切り口手前を抑えながら走った。向かう先では少女が触れた鏡の表面が水面のように波打ち人が通るのを待っている。


 鏡まであと少しの所で、教室の入り口から黒い影が飛び出してきた。このスピードでは間に合わずに飛び出してきた影にぶつかると思った——その時。


 ドカッ!


 鈍い音がなり影がなぎ倒された。目の前には消火器を本来とは違う持ち方で構え息を切らした紗倉がたっていた。


「強いなお前」


「腕痛いよ!それより後ろから来てる! 早く!」


 迫ってくる腕を食らい終えた怪物を見た三人は急いで鏡の中へ飛び込んだ。



多幡が飛び出て美羅を押し倒す。多幡に引き続きレゲインと紗倉も鏡から出てきた。


「た、多幡……先輩……」


 美羅はのし掛かった多幡の血塗れた肩を見て口を両手で覆い驚愕して固まってしまっている。

息をつく間もなく大きな音がした。なんと鏡から上半身を捻らせ怪物が鏡の中から這い出ようとしているではないか。


「ど、どうするの!? アレ、出てくるよ」


「何で俺に聞くんだよ!」


 紗倉とレゲインが混乱していると、多幡はそばに転がって来た消化器を掴み鏡へ投げつけた。

 消火器は見事に怪物にぶつかり、更に力をなくしかけている鏡を盛大に割った。


「こ……うするんだ……佐々倉、救急車呼んで……くれ」

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