第3記 記憶の手掛かり

 渡されたパンを美味しそうにほおばる少年の隣を紗倉は疲れた様子で歩く。彼に押さえつけられた生徒を何とか誤魔化して早退したのだ。知り合いという事もあり相手は怒っていなかった。その後、何故廊下に出たのか問いただしたが彼の説明は容量を得ない。お化けを見たような感じの事しか言わないのだ。


「信じないならいいよ」


「そういうわけじゃ……」


信じていないのと同じだと思い口ごもる前に話題を探した。


「そう言えば、君の名前は?」


彼はきょとんとして食べる手を止め、迷いつつも「レゲイン」とつぶやいた。


「レゲインね?私は紗倉」


「それ、苗字じゃないのか?」


「名前もさくらなの。漢字は違うんだから」


「さくら さくらか。何か聞き覚えのある――」


「あ、ほら付いたよ」


建物を通り過ぎそうになった彼を早速教えてもらった名前で呼び止める。少し気まずそうに紗倉の方へ戻って来て建物を見上げる。

高そうなマンションがそびえ立っている。ここが、彼――レゲインの持っていたメモに記載されていた住所の場所だ。


「……ここまででいいかな?」


「付いて来て欲しいんだけどいい?」


「え。はいはい分かりました」


仕方ないなぁという感情を露わにしてマンションの入り口へ入る。

そのマンションは外観通りにロック式の入り口になっていた。しかし、レゲインはパスワードを知らないという。


「じぁ、ここまでかな」


「それは困る」


返されたメモを彼は真剣に目を走らせる。仕方なく紗倉はそのメモを横からとり見直した。確か一度見たときにそれらしいメモもあったはずだ。他人が覚えないほうが良いと思い見ないようにしていただけだ。書かれたパスワードを彼に打ち込ませ中へと入り、記載されている部屋の前まで来た。


「ここまででいい?」


「ああ、ありがとう」


「どういたしまして。あ、もう一つだけいいか?」


 帰ろうとした紗倉はものすごく嫌そうな顔で振り向いた。

 その後、紗倉を見送ったレゲインは紗倉に頼み渡された連絡先をメモした紙を持ち部屋の中へ足を踏み入れた。


「っ……」


 踏み入れた時異様な雰囲気に一瞬立ち止まった。しかし、薄っすらと感じただけなので回りを見渡しただけで気にしないことにした。

 一通り全部の部屋を見たが特に不審な箇所はない。


「気のせいかな……」


 部屋の安全を確認しリビングに置かれた段ボールと鍵とメモに目をやった。



 レゲインをマンションに案内した日から数日たったある日。紗倉は彼の洗濯物わすれものを届けようと思い学校に持ってきていた。一々外に出るのも面倒なので帰りの時間に余裕のある時にと考えた結果だ。

 あれから数日、彼とは一度も会っていない。唯一彼と接触した先輩からは翌日からは正体を色々聞かれたが言えないこと以外は何も知らないので誤魔化すのに一苦労だった。現在も会うと聞かれるので誤魔化せてはいないかもしれない。

無論、美羅にも聞かれた。先輩と美羅は同じ部活の先輩と後輩だからだ。大方新たな部員候補でも見つけたと思っているのだろう。

 持ってきたのを確かめるように机のフックに掛けた紙袋を見た。そこにいつものように影がおちる。


「紗倉さん、おはようございます」


「あ、おはよう美羅」


「その袋はなんですか?」


 美羅はのぞき込む隣から覗き込んでくるので慌てて袋を閉じる。あまり中身を見られたくない。


「洗濯物だよ、ちょっと洗濯機の調子が悪くて」


「それは、新しいのをお譲りしましょうか?」


「い、いや、いいよ」


 昔、一度二人で遊んでいるときに転んでしまい服が破れてしまった。そこで彼女が服を直してくれるというので頼むと翌日値段から見た目がグレードアップされて帰ってきた。彼女にとっては消しゴムを貸すようなものなのだろう。

 苦笑いをしてやんわりと断った。実際の洗濯機は絶好調だ。

 ふと、教室の端に机が増えているのに気が付いた。


「美羅。あの机」


美羅もその机を見る。


「昨日はありませんでしたね。荷物も置かれてますし」


 こんな些細なものを観察していることに不快感を感じて前を向く。丁度その時、担任が扉を開けた。気が付いた生徒達と美羅は自分の席に戻る。

 いつものように挨拶をして教壇に立つ担任は開けられたままの入り口をて廊下に居る誰かに合図を送る。その合図で入ってきた相手を見て紗倉は思わず立ち上がってしまった。教室の誰もが椅子が床を移動する音に紗倉を見る。入ってきた彼も足を止め紗倉を見た。


「佐倉さんどうした?」


「な、なんでもありません」


 担任の落ち着いた口調に小さな声で返事をして座る。

 教壇の横に立つ彼はどう見てもレゲインだ、あんな特徴的な人を見間違えたりはしない。貸した制服とは別の真新しい同じ学年を表す色の線が入った制服を着ている。


「じゃあ、まずは簡単な自己紹介を頼むよ」


「えと、レゲイン・リフレインです。よろしく」


 次の言葉を待ち気まずい間ができた。担任とレゲインが目配せをし、他に言うことが無いと気が付いた担任は咳払いをした。


「転校生だ。生まれも育ちも日本らしいから会話は普通にできるから。まぁ、仲良くな。じゃあ、自分の席へ行ってくれ」


彼は頷いて新しく増えていた席に着いた。それを確認すると担任はホームルームを再開した。

 休み時間に入ると彼の周りに何人か人がたむろう。話をしたかったが近づけそうになく、結局お昼まで話しかける事ができなかった。


「あれが紗倉さんの話していた人ですか?」


「うん」


 昼食をとる前に教室で話していると、机の上に紙袋が置かれた。顔を上げるとレゲインだった。


「これ、前に借りたやつだ。あの時はありがとう」


「え、ぁあ、うん、どういたしまして」


紙袋を受け取り、自分も持ってきていた紙袋を差し出した。彼は同じようにお礼を言って受け取る。他にも色々疑問があり聞きたかったが去っていく彼を止める間もなく紗倉は美羅に引っ張るようにして食堂に連れていかれた。

 放課後の部活ではレゲインの話が持ち上がった。


「是非、この部活に入ってもらいたいのだが、紗倉くん。彼を勧誘してくれればこの部活に入れてあげよう」


「はい……?」


「この部に入りたいんだろう?」


 紗倉は手伝いには来ているが別に入りたいわけではない。何度か勧誘されたが断ったはずだ。彼の胸を触った先輩――部長の多幡たばた 幸夜ゆきよはあわよくば二人の部員を手に入れようとしている。


「ちがいます!私は美羅が居るから手伝っているんです」


多幡が口を開こうとした時、着信音が鳴り響いた。


「佐々倉君からだ。もしもし?」


 それは、部活用に持ってきたカメラを紛失したという知らせだった。教師から了承を得て設置したらしいが、気が付くと無くなっていて教師をあたっても知らないと言われたらしい。現場を確かめる為紗倉と多幡は美羅のいる場所に行った。

 二階の廊下の端に設置された鏡の前に美羅はいた。その隣には何故かレゲインが居る。


「おお、転校生じゃないか!」


 無駄話が始まりそうなので紗倉が割って入る。


「一応カメラの録画見たんだけど、途中で突然電源が落ちてたよ」


「機材の故障ですかね?まだ新しいんですけど」


 すると多幡が鏡の前に立ち面白いというように笑みを浮かべ鏡に背を向ける。


「噂は本当かもしれないな。鏡の手に持ってかれたんだ」


「鏡の手?」


レゲインが聞く。


「鏡の中から手が出てくるっていう噂が最近流れてるんだよこの学園内にな」


多幡が説明を始めた。

 入学から今日まで約一か月弱、生徒二人が行方不明になっているらしい。とはいえ、その事が公にならないうえに親しくない生徒や教師、生徒の親に聞いてもそんな子は知らないと言われるらしい。存在を覚えているのは高校での友達だけだ。それと同時に流れた噂が行方不明者は二人ともこの鏡――昔から手が出てきたと言われている――の前で立ち止まり中の景色をずっと眺め続けていたという。

 紗倉は別に信じてはいなかった。この時までは。

 説明を終えて本題に戻る。結局カメラはどこに消えたのか、多幡は鏡を隈なく探る。ふと紗倉がレゲインを見ると、彼は少し眉を寄せ床と壁の間を睨みつけていた。機嫌が悪いのかと思ったが時々苦しそうに息を吐いている。


「レゲイン、大丈夫?」


「え?ああ、何が?」


 顔を上げた彼は、何ともない風を装い表情を戻す。が、直ぐに顔をしかめ頭を押さえて膝を付いた。慌てて彼に駆け寄る。


「!?ちょ。どうしたの!?」


「なんでも……ないっ」


 異変に気が付いた多幡と美羅は二人を見る。

傍によろうとした時――


「――え?」


鏡から黒ずんだ手が伸びてきて多幡の腕を掴んだ。レゲインはその瞬間意識が飛びそうな程強烈な頭痛に襲われながらも多幡を助けようと飛び掛かった。紗倉も突然立ち上がる彼を掴もうとし体制を崩した。

 多幡は強い力で鏡の中に引きずり込まれる。三人の視界は暗闇に包まれた。

 一人残された美羅は茫然と立ち尽くしていた。


「さ、紗倉さん?多幡先輩?」

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