第3話 “I am a IKEMEN”




 初めてそれに気づいたのは幼稚園に上がった頃くらいだったろうか。


 身体は子供、頭脳は大人を体現していた俺は妙に同じもも組のお母さん連中から容姿を褒められることが多かった。


 曰く、

「はじめくんは、カッコいいわぁ。将来はイケメンだね〜」

「真条さん、ダニーズ事務所に書類送ってみたら? 絶対通るわよ」

「うちの子も、家でははじめくんのことばっかり話すのよもぉ。最近の子はおませさんなのねぇ。あ、ほら、あの子ったら、はじめくんの横に座っちゃって」


 いやもう、超耳ピクピク動いてたね。かちかち山とか読んでるフリして。


 何か、お母様方、すごい話をしておらぬか。あれ俺? 俺の話だよね? そんなこと言われたの生まれて初めてなんですが、前世含めて。たぶん鼻息も荒くなってたのではないかと思う。その証拠に隣にいた子が急に冷めた顔してスッて距離とったからね。


 言われてみれば、なんか常に視線を感じることが多かったのだ。しかも、その視線というのが、「何コイツきも……」とか「やべっこっち見てるよ死ね」とか、そういう視線じゃない。何故それがわかるかっていうと、皆まで言わせないでください。


 とにかく熱っぽい視線って本当に存在するのだ。何故、人間は他人の視線を知覚することが出来てるのか、難しいことは知らん。

 だが、おそらく大自然の中で生きていた頃から備わっている本能的なあれだと思うが、その感覚のおかげで気づくことができる。


 ジグソーパズルで遊んでいる時に、ふと顔を上げれば、女の子連中と視線が一斉に合った。


 一斉にだぞ? 普通、登校してきたら机の上に花瓶が置かれてたり、椅子の上に画鋲仕掛けられてて絶叫した瞬間とかじゃないと視線て集まらないからね?


 しかも、見たら見たでワーキャーはしゃいで、こっちは置いてけぼりだ。


 だけど、そこには少なくとも悪意はなかった。それどころか、勘違いだったら誠に申し訳ないけども、好意、があったのだと思う。


 そんな概念、馴染みがなさすぎて全く自信はないけど。


 まぁ、そんな日々を過ごしていれば、徐々に自覚も出てくるわけで、もしかして俺イケてるのか、いやでも勘違いだったらキモすぎて終わるぞなどという葛藤を抱えていたある日。

 

 そう、バレンタインとかいう謎文化の日に、一種の恐怖体験をした。


 今日も今日とて園児生活か。ブルーでござる。と園バスから飛び降りた俺に待ち構えていたのは、しんじょーくーん(はぁと)という輪唱と、差し出される小箱の数々。


 へ、ほわい?


 戸惑う間もなく、バリケードを突破してくるゾンビ並の勢いで女の子たちは俺に群がってきた。


 ちょ、やめて、たすけてーという俺のボーイソプラノは誰にも届くことなく、もはや目的はなんなのと言いたいぐらい、幼いながらに女の戦いが勃発し、先生が仲裁に入るまで目を覆いたくなるようなみにくい光景が広がっていた。


 そして、結果としてボロ雑巾となった俺がいた。おかしいよね。なんか違うよね。周囲にはリボンのついた小箱たくさん置かれてたけど、そうじゃないよね。君たち、よくわからないけどこれを俺にくれるために、待ち構えていたんじゃないの。それなのに、何ゆえ本来の目的そっちのけで髪の引っ張り合いとかマジで噛みつきあったりしてたの。他の男の子たち恐怖で泣いてたからな。


 女の子はわからん。そのうち、俺は考えるのをやめた。とにかく、後にはチョコの山だけが残ったからである。


 いやまぁだけど、俺ちゃんと食べたからね? 二十個近いチョコ全部を鍋にぶち込んで溶かして。こんな経験、二度とできるもんじゃない。ね、たぶん馬鹿だったんだろうね。次の日、鼻血出たよ。


 ……かくして、俺は自分の顔がいいことを確信した。少なくとも今という時期に関しては。


 というのも、子役とかあんなに小さい頃かわいかったのに大きくなってからは……になった例を前世含めよく知っているからだ。奇跡的なバランスの上に成り立っている美少年美少女が成長によって輪郭だけが肥大してミサワになるとかあるあるである。


 だからというわけではないが、ちょっと顔がいいからといって調子に乗らないことと己を戒めた。


 そう古今東西問わず調子に乗るとろくな事はない。今なら上司殺れんじゃね、からの敵は本能寺にありの明智光秀パイセンとか、俺の尻をなめろなんて酒の勢い丸出しの曲を書いたモーツァルトパイセンとかとかとか。


 俺も、ちょっと調子に乗ったせいで足くじいたり、コーラこぼしたりしたこと何回もある。


 そう何事も調子に乗るとろくな事がない。


 きっと、そういう意味では、俺は第二の人生に調子に乗っていたのだろう。浮かれていなかったと言えば嘘になり、いくら平静を装うとした所で自分のこれからに期待してしまっていた。


 繰り返そう。調子に乗るとろくな事がない。


 実際、現実なんてそんなものだった。

 



    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×





 父が死んだ。


 こっちの世界においてのお父さんが。


 対向車線から突っ込んできた居眠り運転のトラックを避けられず、遺体は原型を留めていなかったらしい。無論、実際に見たわけじゃない。だが、泣き崩れる母さんに気の毒そうに語る警察の人がそう言っていたのを覚えている。


 父——真条しんじょう清春きよはるは紛れもなく同じ血を持つ家族だった。だけど、最後まで俺は他人という認識を拭い切れなかった。息子である真条基の中身は、父とそう年齢の変わらないおっさんなのだ。


 今にして思えば、同年代の人間が温かい家庭を築いているという現実が、うらやましかったのかもしれない。


 自分がどう足掻あがいても手に入れることの出来なさそうな幸せを手にしている男の姿は……それが己の父であるという認識より前に、どうしても俺の目に入ってしまった。


 だからか、正直、まともな子供らしい反応を父に対し、出来ていたかは今となってはわからない。


 ただ、小学校に上がるか上がらないかくらいの当時の俺の手のサイズじゃ意味がない少年野球用のグローブを買ってきて、母さんに怒られながらも、大きくなったら一緒にキャッチボールをしようなと笑ってたことだけが、心に残っている。


 ベタなこと好きな人だなと内心苦笑しつつ、仕方ない、そん時くらいは付き合ってやるかと珍しく俺も約束したのだ。



 もっとも約束は永久に果たされる事はなくなってしまったのだが。



 さて、家計を支える大黒柱である父を失い、あっという間に真条家の生活は180度転換した。


 まずは住んでいた家を追われた。


 元々親戚の土地と家を借り受けていたのだが、その親戚の息子が今度デキ婚するということで家が必要になるからと半ば強制的に退去させられた。薄情にも程があるし、鬼畜の所行だとは思ったが文句も言わず荷物をまとめる母さんの背中を見ていたら、何も言えるはずもなかった。

 

 ああ、そうだ。母さんは立派な人だった。俺が逆立ちしてもかなわないくらいに。


 赤ん坊のめぐを前にかけ、重たい荷物一式を背負い、物心つくかつかないかくらいの茉菜花まなかの手を引く姿が脳裏に焼き付いて離れない。


 そして女手一つで俺たちを育てようとしてくれた。それでも父の保険金なりが多少なりとも残っていた時はまだよかった。住む所も、ご飯を囲む人数も変わってしまったが、まだ人並みの生活を送っていた。


 しかしだ、神様はよほど俺たちに恨みがあるのか、そのまま今に至るという訳にはいかなかった。


 父の弟、つまり叔父さんが起業し、失敗した。俺も何度か会ったことがあるが、気のいい人だった。人を疑うことを知らない根っからの善人。


 だからこそ、つけこまれたのだろう。ある時、資金繰りに困り融資を受けた先が反社会的な組織だったのだという。


 一度はそれでも息を吹き返したかに見えた会社も世界的な不況の波によるものか、それとも経営の非才によるものか、結局はつぶれ、最終的には叔父さん本人も姿を消した、つまりはそういうことだ。


 そして、残った金の問題は保証人であった父から、俺たちに火の粉が降りかかってきた。


 せめてまともな消費者金融ならともかく、相手が相手だった。こんな時、法律と警察は役に立たない。


 苦慮の末だろう。まったく自身に非があるわけでもないのに、母さんは返済することを選択した。


 それからはひどいもんだ。


 余裕なんて春の夢のように消えた。毎朝早く、毎晩遅くまで身を粉にして働く母さんの姿は見るに耐えなかった。三人もの子供を養うためには、体調を崩し青い顔をしていても、職場へと向かわざるを得なかったのだろう。


 少しでも手伝えればと考え、俺はその時暮らしていたアパートの近くにあったコンビニでアルバイトをさせてくださいと直訴したが、逆効果だった。小学生が必死に頼み込むさまは異様すぎたのだろう。まずは学校に連絡、そして、仕事中だった母さんにまで話がいき、お宅はどういう教育をしているのかと、くどくど責め続けるコンビニの店長に対し母さんはすみませんすみませんとひたすら頭を下げ続けていた。


 ——どうして、もっと上手く出来ないんだろうか。


 ようやく解放された後で、俺は申し訳なさ過ぎて初めて母さんの前で子供らしく泣いた。


 そしたら、何故か逆に謝られてしまった。


 ゴメンね。基、ゴメンねと。


 違う。俺が悪いのだ。本当は働けるさ、相当いい歳なんだぞこっちは。それにこんな状況だ、普通だったら絶対にお断りだけど、どんなキツい汚い危険な仕事だってやるさ。そしたら少しは生活もマシになるから、お願いだから身体をいたわってよ。どんどんやせ細る、あんたの姿は見たくないんだ。


 けど、どんなに願ったところで、身体の年齢という問題を解決できるのは時間しかなかった。


 そして、ようやく年齢をごまかさなくても働けるような年齢に俺がなった時、母さんは点滴につながれていた。






    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×






「顔っす。俺の唯一の取り柄」


 大層なため息をつくと、麻倉さんは、


「はぁ、まぁそうだとは思いますけど、価値が下がるんで自分からそう言うのはやめることをオススメしますよ?」

「いやでも、厳然たる事実なんで。俺の顔がいいのは」

「下がってますね。もはやストップ安です」


 そうは言うが、顔がいいことに関しては否定せず受け入れた。ふふん、俺の勝ちです。


 髪をふぁさーっとやりながら、イケメンっぽい感じで肩をすくめると急に麻倉さんは大股一歩分の距離は飛び退いた。


 いや何そのバックステップ。バトル突入!! のBGMかかりそうな感じだったんですけど。


「あの、何か」

「いえ、今あなたが髪をかき上げた拍子にパウダースノーのようなものが舞い散ったので」


 つまり、どういうことだってばよ?


「えーと? あ、ありのままで的な? 雪の女王的な?」


 聞き返す俺に、失礼ですが、お風呂入ってます? と麻倉さんは急に話を変えてきた。


「し、失礼な!! 入ってますよっ、毎日!! 水ですけどっ!!」


 深夜になると近所の公園の水飲み場でシャワータイムしてるぐらいの気のつかいっぷりだ。冬になるとさすがに命の危機を感じるからやめるけど、今は春だし関係ない。


「水……?」

 眉をひそめている麻倉さんに次なる言葉は俺の背後から聞こえた。


「あ、あの……」

 恐る恐るといった調子で、茉菜花が挙手していた。


「はい?」と反応する麻倉さん。


「あ、あのっ、よくわからない、ですけど、お、お兄ちゃんはどうなっちゃうんですか」


 そしてもう一つ、制服のすそを引っ張る感触が強まる。


「……お兄はどこにもいかない。……いかせない」


 振り向けばめぐも今にも泣きそうな顔で見上げていた。


 安心させるようにその頭を撫で、


「二人とも、大丈夫だって。兄ちゃんがどっかに行くとかそういう訳じゃない。約束したろ? 俺たち三人はずっと一緒だって」


 嘘ついたら針千本だって万本だって兄ちゃん飲んでやる。不安を吹き飛ばすように軽い口調で伝えると、


「——そうですよ。お二人のお兄さんをどこかに拉致るような真似はしません。それなのにいきなりこんなムサいの大勢で押しかけてきてごめんなさい。怖かったですよね」


 麻倉さんはしゃがみこみ、妹たちの目線まで合わせてから頭を下げた。それから周囲の黒服たちに向かって、


「皆さん、ここまでで結構です。お疲れ様でしたー」


 バイト上がりのようなトーンで、形だけのねぎらいの言葉を放ると解散を促す。


 すると、黒服の1人が、

「い、いけません、お嬢様。ここで我々もはいそうですかと帰るわけには参りません。徳孝のりたか様より可能な限りサポートするようにと仰せ——「従わないなら従わないでいいですけど。それならそれで皆さんの所属先にご連絡するだけなので」


 言ってるそばからスマホに番号を打ち込んでいる。泡を食った黒服たちが、

「し、しかしっ」


「あ、どうもーお世話になってますー。麻倉の葵です。いえいえー牧瀬さんもお元気そうで何よりです。あのーうちのお祖父様じいさまから牧瀬さんのとこの兵隊さんをお借りするようなお願いがあったかと思うんですけど、ええ、もう済みましたので皆さんお帰りになります。はい、ええ、はい、ちょっと代わりますね」


 黒服の中でもリーダー格と思しき強面こわもてにスマホを差し出すと、話はトントン拍子で進んでいった。二言三言で通話を終えると、諦めたようにリーダーは首を振って撤退を指示した。


「この件は徳孝のりたか様にご報告させて頂きますよ」

「どうぞご勝手に。耄碌もうろくじじいの話し相手にでもなってあげてください。きっと暇してますので」


 まったく無関係な俺からしても刺々とげとげしい言葉の数々をあっけらかんと言い放つと、苦々しげに黒服連中はヘリで去っていった。


 呆然と立ちすくむ俺たち三人に対し、麻倉さんはパンパンと手を鳴らしながら、向き直る。


「これでよし。まぁ、とりあえずは今後とも公私ともどもよろしくお願いしますね?」


 差し出された手を見つめる。え、これを握り返すと契約書にサインみたいな感じですかね?


 改めてよく考えてみろ。


「いやあの、本当に俺、顔だけ人間なんで……」


 わかりました。がんばりますと宣言した所で、とてもじゃないがそんなハーレム作って国に貢献できる気がしない。

 

 顔に見合うだけの中身がない。名前負けのように、顔面みために中身負けしてるなんて馬鹿にされてもきっと何も言い返せない。


 それにそれに、と否定する要素ばかりが浮かんでくる。


「あ、そうですか」


 引き下がってくれるのだろうか。


「――大丈夫。素質はありますから」


 また、あっさりとだった。実にあっさりと根拠ゼロを言ってのける。


 それに、と、


「私もサポートしますんで」


 強引に俺の手を掴むと握手をしてきた。いやちょっと待とうよ。女の子と手をつなぐなんて、まだ早いよ。お付き合いもしてないのに。


 向こうからしたら、さぞかしアタフタして見えたことだろう。


 それに苦笑しつつ、

「まぁ、色々と課題は山積みでしょうが……とりあえずの所は帰りますか」


 もう暗いですし、と言って気づく。確かに既に太陽は地平線の向こうへと帰った後だった。お早いご帰宅ですか?


 ぽつぽつと街灯に明かりがともっている。どこからか珍しく豆腐屋のラッパの音が響いてきている。


茉菜花まなかめぐ、帰ろうか。腹も減ったし」

「う、うん……帰ったら急いでご飯炊かないと」

「手伝う。きざむ。野菜」

「おや、今晩は回鍋肉ホイコーローですかね?」


 スーパーの袋の中身を覗きながら麻倉さんが推測する。


「豚バラが超安だったんで」


 マジスーパー丸秀(タイムセールで価格破壊を起こす主婦と真条家の味方)愛してる。久しぶりの肉だ。肉。俺はともかくとして、二人にはたまには動物性タンパク質を取ってもらわないとおっきくなれない。色んな所が!!


「では私は味見を担当します♫」


 よし、じゃ帰るぞーと一歩踏み出した時、違和感を覚えた。


 振り返る。


「真条家、点呼、一っ!!」

 すかさず確認を取れば、

「二っ!!」茉菜花。

「三」巡。

「よーんっ!!」麻倉さん。


「よしっ、全員い――」


 おかしくない? 我が家、増えてない?

 百物語してたら、一人増えていたみたいなオチはいらないんですが。


 おかしい。何故か一歩踏み出した俺たちと同時に麻倉さんも一歩を踏み出している。


 どういうことかとかと率直に尋ねると、はて? という顔をされ、


「いや、公私ともにサポートするって言いましたよね、私? なので、これから一緒に暮らすことになります」


 完全に目が点になった。


「いや、スペース的に無理なんですけど……」

「お、お兄ちゃん、……そこなのかな問題」


 つい現実的に反応してしまったが、無理無理、はたから見ても麻倉さんは美少女さんな訳で、そんな女の子と一つ屋根の下? 夢見過ぎて、俺死んじゃう。やっぱ顔がいいから、こういう事も起こりうるの? 世の中間違ってるよ。



「さて、帰りましょう」


 先頭にいた俺を追い抜くなり、振り向いて、それはもう素敵な笑顔で、


「我が家に、ってヤツです」


 にっこり微笑んだ。

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