第18話 “スタート、レベル1、テレレレ”




 春の日差しは、まっさらな体操着の白に反射していた。


 うだるような暑さはまだ開店準備中で、時折冬の残り香を持った爽風がグラウンドの砂を巻き上げる。


 規則正しくピッと響き渡るホイッスルの音に目を向ければ、50mの距離を一息で駆け抜けていく少女たちの姿があった。


 ストップウォッチを両手に持つ計測係からタイムを聞き、記録係にそれを伝え終わると既に走り終えた者たちが駄弁ダベっている群れから少し距離をとって黒木くろき稚奈わかなはたたずむ。


「お疲れ様でーす」


 それを待ち構えていたように麻倉あさくらあおいが、貼り付けたような笑顔をたずさえてやってきた。事あるごとに話しかけてくるのは一体なんの意図があるのやらと稚奈は嘆息しつつ腕を組む。


「……今度は何かしら?」

「いやいや、さすが黒木さんだなぁと思いまして。圧倒的ですよ圧倒的」


 わかりやすいヨイショではあったものの、実際に稚奈は大変よくできましたとしかコメントできない計測結果を出し続けていた。稚奈の順番が終わるたびに、本当に同じ女かこいつと顔を強張らせる者も多々見られたことから、よっぽどである。


「そういう貴方も充分すぎるほどだと思うけれど」

「いやいや、そんな、私なんてまだまだですよ」


 手を振って謙遜けんそんはしても、稚奈は葵がその飄々ひょうひょうとした態度を崩さず投げたハンドボールを目の当たりにしたソフトボール部から即スカウトを受けていたのを横目で見ていたし、立ち幅跳びの計測係がギョっと二度見していたのを知っている。


 ただ、「まだまだですよ」を否定する気もない。何故なら、

 

「そうね。でも……、」

「?」


 首を傾げる葵に対し、


「あなたがちゃんと本気を出したら、どうなるのかしら、ね」


 と言って、稚奈は微妙な違和感に気づく。さっきまで飛び交っていた女子の声がせず、何やら非常に静かになっている気がする。


 首をめぐらす。


 いつの間にか、待機集団が消えていた。そしてその所在は体育館の脇にあり、騒ぎ立てていた。


 なんだあれは、と無言で目を細める稚奈。すると、そちらから大げさに手招きしながら前園まえぞの千紗ちさが駆けてくる。


「ふ、2人とも! スゴいことになってるからこっちこっち!」


 いやそれはここから遠目に見てもわかる。よくよく聞いてみれば、向こうから聞こえてくるのは黄色い声援だ。しかもどうやら2種類あるらしい。


「真条くん、頑張ってー!」

「神林くん、ファイト!」


 思わずひたいを押さえた稚奈は、隣の葵の顔がかすかなニヤつきを隠そうとしているのを見て、


「……楽しそうね?」

「あれ、そう見えました? 黒木さんって、表情とか人の機微に鋭いですねぇ」


 すぐにニヤつきを覆い隠すように破顔すると、葵は稚奈の手を取るなり体育館の方へと引っ張り始める。


「ちょっとっ、私は」

「いやいや見とくべきですって、きっと面白いもんが見れますから! ささっ、早く早く」


 抗う間もなく、千紗と合流し連行された体育館から聞いたことのある無機質な声が響いてくる。


 シャンプーの匂い渦巻く人垣を乗り越えた視線の先には、2人の男子がいた。だが、そこには大きすぎる違いがあり、片方は汗だくで、今にも吐血しそうな勢いで呼吸を繰り返している。そして、もう片方はまだ幾分余裕があるのか、その端正な顔に汗を浮かべつつも懸命に腕と足を動かしていた。


 室内用の運動靴と床がこすれキュッと音を立てる。


 その都度、二者は顔をしかめつつ身体を反転させる。


 スポーツ漫画の一場面を切り取ったような絵に、先ほどまでは黄色い声援を送っていた女子も次第に手を組み、祈るように、成り行きを見守っている。


 そこで、再びあの声が聞こえた。無機質で、ただカウントするだけの役割を持った、




「スタート、レベル15。トータル145回」






 ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×


 



 はなはだ不本意ではあったものの、上体起こし、反復横跳び、長座体前屈とこなしていったワタクシですが、いちいち種目を終えるたびにクラスの皆さんに賞賛というか褒められるんですけど。なんだこれ、絶対ドッキリだ。俺は騙されないぞ。みんなが不自然に優しい時は裏があるに違いない。


 というかあのですね、おのれらいちいち俺に注目しているんじゃあない。いいか、俺は公衆便所で後ろに誰か待っているとおしっこ出ないタイプだぞ。


 神林を見習え。あれからずっと、うつむいてブツブツつぶやいているのがすげぇ怖いけど、少なくともちゃんと俺の足を押さえてくれてたし、意外といい奴かもしれん。


 そう、だがこの時、俺は覚悟していなかった。午前中最後の関門である、



「シャトルランはじめるYO!」



 ノリオがそう口にした瞬間に、ややだれてきていた皆にも活気が戻り、神林が何かに取りかれたかのように背筋を正した。


「真条! きみに勝負を挑む!」


 えぇ……なんなんだよこいつ。なんで、そんな勝負大好きなの。逆境無頼なの? それか、きっと心が幼いんだな。「しょーぶしょーぶ!」連呼するのは小学生の流儀だからね。


「今度こそぼくが勝つ!」


 うぇっ、こやつ、マジでしつこいな。しつこい男と早い男は嫌われるんだぞ。それが何故かは、ぼくこどもだからよくわかんない。


 しかし、これを断ろうものなら、また泣きながら今度はひっくり返って「やだやだー」とジタバタし始める可能性が濃厚だ。それでもノーと言ったら、今度は仰向けのまま回転し始めるに違いない。


 イヤだわ。そんな見るもおぞましい光景が展開されるのは見たくない。


はじめ


 いつの間にやら下の名前で呼ぶようになっている生形うぶかたが、小声で耳打ちしてくる。


「悪いな。神林、あいつは昔っからしつこいんだ。負けた経験が全然ねーからな」


 ぬあんだと。あいつもまた敗北の味を知りたい人間だと言うのか。まぁそんなのは知ったことではないのだが、生形の口ぶりだとこいつら付き合いが長いのかもしれない。だとしたら同情するぞ、生形。肩に手を乗せ、


「まぁ、やってみるさ」


 フッとクールに決めて、俺は改めて神林に向き直る。


「位置につこう」

「! よし、尋常にいざ勝負だ!」


 ざわめきを背に2人してスタートラインにつく。俺と神林の間を境界線とするかのように俺より左方を5組、神林より右方を1組の連中が並ぶ。


「真条くん、がんばっ!」


 全員が入り切るわけもないので、後半に回った様子の白峰の声援に手をあげる。まったくいやつよ。ってて待て、凄くストレートにそんな感想を思ってしまう俺ちょっとやばいのでは。白峰、恐ろしい子……っ。


「スタート、レベル1」


 そんな白峰トラップに引っかかりかけた俺は、不気味なカウントを始めた音声に反応が遅れた。


 一斉に走り出すからちょっとビビったものの、さすがにシャトルランも最初のうちはむしろペースが遅すぎるくらいだ。多少反応が遅れた程度で致命的にはならない。とはいえ、これが回数を重ねていくとほんのちょっとでもリズムとペースが崩れると限界を迎えてしまうのだが。


 隣に来た生形と神林に挟まれる形で、俺は無言を保つ。若干、生形が俺に「大丈夫か?」とアイコンタクトを送ってるが頷いておく。


 ここから先は、いかに自分の残存体力と音声のペースを考慮して常に最適化していかねばならない孤独な作業だ。とかなんとか書くと、なんかかっこいい。


 孤独な作業なら今ここにいる誰よりも歴が長い俺である。また最適化なんかもさんざ前世で建国系シミュレーションゲームで鍛えたので自信がある。俺帝国は5000年は栄えると考えて頂きたい。


 気づけば、トータルは30回を既に越えていた。累計すれば600mだ。大したことないかと思いがちだが、街歩きで考えれば意外と距離があると実感する頃合いである。


 次第に耳に引っかかる野郎どもの荒い息がそれを裏付けてくる。


 なんだろう。このシャトルランをやっている時の独特の空気はどうにかならないものか。まぁあの音階と回数のみを告げる音声が不気味なんだよな。


 こっちのしんどさなどまったくかんがみることなく、与えられた役割のみをこなす無感情な感じ。もっと萌え声の声優に頼めばいいだろ。「はにゃーん、次は50回だよぉ〜」みたいな、限界近づいてきたら「お兄ちゃん、負けないで!」と応援もしてほしい。茉菜花まなかめぐ、兄ちゃんがんばる。


 にしても、と前世を思い出す。だいたい体力テストなど運動部で活躍するクラスの中でも一軍連中ばかりが黄色い声援を集めて、俺のような三軍以下のドブさらいは貧血起こして死にかけているのだ。


 なんだか考えているうちに腹が立ってきた。


 そうだ。現在並走する1組とやらにいだいた鼻持ちならん感じはこれか。


 漏れなく全員と言っていいほどに、どいつもこいつも運動ができます。お勉強もできます。顔も悪くないです。家は金持ちです。ムダ毛も少ないです。といった雰囲気をまとっている。


 よほどのポカをしなければ、順当すぎる幸せな人生を送るのだろう。母親に作ってもらった弁当を蹴り飛ばされるような経験など生涯味わうことなく、凍死しそうな真冬の交通誘導のバイトなど、外車に乗って綺麗な女子を助手席に乗せたこいつらは視界の端にも引っかけないのだろう。


 そういう恵まれすぎた人間も世の中に少なくないのもわかっている。それでいて悪いどころかむしろいい奴も山ほどいるのもわかっている。世界は常に不平等で出来ている。


 これはただのひがみだ。理解している。


 カウントは50回を超えた。もう既に脱落している者も出始めている。


 が、それはいずれもの人間だ。1組側は誰一人として足を止めてはいない。


「どうした、真条。もう疲れてきたか」


 ようやく神林が口を開いた。それにつられるようにニヤッと1組の奴らが笑い始める。


 まぁそうだな、たしかにお前が吹っかけてきた勝負だ。適当にやって流しとくかとも思ったのは認めよう。


 でもな、


「言ってろ」


 ダメだ。俺は少なくともこいつらには負けたくない。


 四肢に力を込めて神林より誰よりも一歩先へと踏み出し、振り返り、俺は、




「意地でも、お前らには負けない。絶対に」




 売られた喧嘩を高値で買うことにした。


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