第19話 “決壊戦線 feat.PONPON PAIN”




 おかしい。


 アレを開発したロイド曰く、「まーたボクの天才性が発揮されちゃったよ。アオイ、汗くさい男なんて嫌だよね。さぁ、褒めてくれていいよ。褒めて褒めて!」


 のはずなのだが、真条しんじょうはじめの汗の伝い落ちるあの表情を見れば、それが偽りだったと疑わざるを得ない。


 思わず舌打ちしそうになるが、こらえる。


 よわい10にして世界有数の名門大学を卒業したギフテッドと呼ばれる神童といえど、所詮はそこいらの傘でチャンバラしている小学生と同じ年齢ということかと麻倉あさくらあおいは思う。


 1組の男子と違って熱苦しさは感じられないことが不幸中の幸いではある、というよりむしろ、


「カッコいい……」

「うん、あの真剣な眼差し、イイ……」

「神林くんの隣の人……カッコよくない? あんな人いたっけ!?」

「5組のコに聞いたんだけど、今日来た転校生らしいよ!」


 イメージアップ効果としては抜群であるらしい。まぁ真剣な表情で物事に取り組んでいる男子にキュンとくる女子としては正しい反応だ。


 ではこちらの反応は良しとして、葵は相も変わらず熱を帯びない冷ややかな目で基たちを見やる稚奈に、


「どうでしょ」

「どうって……何がかしら?」

「面白いことになってません?」


 若干、こちらの想定していた断トツの結果を残している光景とは違ったものの、これはこれで面白いことには変わりない。すると、稚奈は若干ためらった末に、


「あなたの幼馴染おさななじみ……」

「はい?」


 ちらっと基をもう一度、見やり、


「いいえ……ごめんなさい、何でもないわ」





 ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×





 おかしい。


 喧嘩を買ってやる、高値でな! と心の内側でキリッとしたのはいいものの、なんか、その、あのですね。ぶっちゃけ、




 余裕ヨユーっす。




 ピースマーク付けたいくらいなんですけど。草も生えるぞこの野郎。なんだこれ。未だかつてこんな感覚味わったことないぞ。


 20m往復の総計は80回を超えた。ここらへんになってくると徐々に1組の奴らもギブアップし出してくる。そりゃそうだ2km近く走れば、人間であるなら発汗する。気化熱を利用して体温を下げるためだ。そういう風にうまいこと人体というのはできているのだ。


 だがしかし。俺である。汗はうっすらと肌に浮かんできている程度。息もそれほど上がっていない。


 なにこれ楽勝じゃーん。ヨユーっすYO。とノリオライクにめプをかましたくなる気持ちもないわけではないが、いやもう逆に怖い。オラの身体、どうしちまったんだ……と震えそう。


 考えられる原因としては、だ。やはりこのハイパー体操着である。正しい名前は失念したが、なんかチョーすごい的な機能が備わっていたはずだ。それの仕業しわざ。そうとしか考えられない。


 謎技術による仕組みはわからんが、時折背中にピリピリきたり、意思を持っているかのように内側の生地が肌に吸い付くのはそのためなのかもしれん。うん、今すぐ脱ぎ捨てたい。こえーよ。呪いの鎧かよ。でも悔しいっ、着心地と冷感がクセになりそう。


「スペック、ステイタス、スペック、ステイタスッ」


 隣の神林ひと、黙ってくれんかな。思考に集中できないんですけど。どんだけ好きなのその2ワード。


 生形うぶかたもうっとうしそうな顔してるわ。いやどうにかしてくれまじで、具体的にいうと蹴飛ばすとかいいと思う。俺もなー緑とか赤のカメのこうらがあれば、頭目がけてぶん投げるんだけどなー。


 そうこうする間に、いやこれは走行するとかけているわけですけど、大台100を迎えた。キリもいいし、このくらいでいいやーおつーと抜ける者も出ていた。くそっ、まるで意識の低いギルドメンバーのようだ。「明日、仕事なんで寝ます^^」じゃねーよ。寝ている暇あったらレベリングしろ。仕事とかリアルを優先するな。オメー、これがデスゲームだったら真っ先に死んで広場の石碑に名前きざまれてんゾ。


 まったく、超うらやましい、俺も抜けたい。


 残るは俺、生形、神林、を含め10人程。こうなってくるとスペースはいくらもあるわけで、もう少し互いに距離を取ろうやといいたい。特に眼鏡かんばやしが近い。こいつ寄ってきてない? エルボー入れても許される?


 ……はぁ、しかし、あれだな。こうヌルゲーになってくると、先ほどの真剣さはなんだったのかって思う。いつの日か敗北を知りたい。まった、



 その時だった。


 おそらく地球上でただ1人、俺のみがその音を感じ取っただろう。




 ――ギュル。




 世にもおぞましいその音は、俺のお腹の奥底から響いてきた。前世では度重たびびかさなるぽんぽんペインと激闘を繰り広げてきた私である。いわば、ぽんペの専門家スペシャリストといっても過言ではないわけですが、今の音は言ってみれば、今からそっちへ行くぞーというぽんペからの合図ですね。最近、便たよりがないから元気でやってるのかと思えばよ、随分とゴアイサツじゃね、



 ――ギュルル。

 ――トータル、110回。



 妙齢の女と腹の底の魔物が同時に声を発した。


 やばい威嚇いかくしている。これは威嚇いかくですよ。相手をおびええさせるためのね。



 ……wait、そうだ、OK、いい子だ。



 ……何が、何が原因だ。悪い物を食べたか。腹を冷やしたか。悪い魔法使いにやられたか。

 先ほどまで余裕綽々よゆうしゃくしゃくだったのが、一転し、全身から冷や汗が吹き出るのを感じる。

 

 い、いやいやいや、最近は別にそこら辺に生えてる草とか食べてないし、野山に入っていってカラフルなキノコとか採取してないし、いずれにせよこっちの人生においては鋼鉄こうてつの胃袋の持ち主であるはずなのだが、ホワイ、神よ、何故、どうして。


 若干、ペースを弱めた俺をちらと神林と生形が様子をうかがってくる。こっち見んな。いいか、今はお前らに構っている暇などない。


 大丈夫、俺は、大丈夫だ。はまだ来ていない。そうビッグウェーブはまだ来ない、来そうな気配だけだ。大丈夫。小波。


 落ち着けはじめ、stay、そうステイ、いい子だ。呼吸。そう呼吸を整えろ。いいかジョニー、このリズムだ、ヒッヒッフー、ヒッヒッフー、あダメだ、これはむしろ産まれちゃう方の呼吸だわ。ジョニー、ノージョニー、マイガッ。


 タンタンタン、と自分の足音が人ごとみたいに思えてくる。


 どどど、どうする俺。非常事態、エマージェンシー。メーデーメーデー。いや、割とマジで、これは緊急離脱しないと、センターオブジアースからスプラッシュマウンテンしちゃうのでは。


 決めた。


 その事態だけは避けねばなるまい。無念なり、拙者せっしゃちょっとかわや大雷山ビッグサンダーマウンテンしてくるから。


 だが、その時、俺の耳は拾ってしまう。黄色い声を。


 ちらと見やれば、


 げげげげげ、いつの間にかギャラリーが増えていた。しかもそのギャラリーというが野郎どもの汗臭い視線から、フローラルな女性陣の熱い視線に変わっていた。


 マズい、マズすぎる。こんな耳目じもくを集めている状況下において、しでかしてもみろ。ハローウィンナイトではなくハロー、ウン●エンドまっしぐらである。


 俺の内心が伝わるはずもなく、よほど汗をかき余裕のなさを露呈していたのだろう。


「真条くん、ガンバッてー!!」


 女子陣が応援の声を投げかけてくる。本来なら、クールに手を振って、たまに投げキッスもバラまいているはずなのだが、ポンペ兄さんのせいで構う余裕がない。誰だ、ぶっちゃけヨユーっすとか言ってたクソ野郎は。あダメダメ、クソとかそういうの意識するのも今はよくない。連想するから。


 イカン、アカン。冷や汗が止まらん。神様。腰の辺りに気を集中しているが、一瞬のゆるみが大変な事態を引き起こしかねない。今にも門を開けろォォォ、開門だァァァァァと何かが待ち構えている気がする。


 無念の棄権ギブアップを宣言しようとして、かすかに震える手をかかげる途中だった。


 俺はあたかも春のうららの爽風そうふうが頬を撫でる、心地よい高原を走っているような感覚を覚えた。目の前に広がったように幻視した。




 そう、が、引いた。




 イケボのナレーションが確かに聞こえたのです。そして時を同じくして、限界を迎えてしまったらしい生形うぶかたが、身体をくの字に折り曲げ、くるしそうに「わりぃ基……、後は任せた」と歩みを止めた。


 残るは、俺、そして、神林。


 急に冷静になった頭で考える。どうする。確かに便意の波は引いたが、これはただの嵐の前の静けさにすぎないのかもしれない。だが、あと1人だ。あのスペックステイタスを延々リピートしてる壊れたレコードというか壊れた眼鏡メガネにさえ負けなければ、俺の勝ちが決まる。


 神林の顔をそっと横目で窺う。


 凄絶せいぜつな顔をしている。


 おそらく、限界を二度ほど超えていると思われる。血と汗と涙が全身から吹き出ている感じがすごい。


 俺は絶対に限界を超える気はない。限界を超えたその先にあるのは、ダム決壊だけだからだ。これを決壊けっかい戦線せんせんと名付けようと思う。


 あと1人。しかも、相手は虫の息。




 あと、1人だけだ。





 ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×





「トータル150」


 さらに大台を超え、見守っていた女子陣が再び声を出し始める。


「ファイトだよ! 神林くん!」

「真条くん、負けないでぇぇえ‼︎」


 各クラス共に、自分の所属する方の男子を応援する。だが、葵は1組の女子も地味に手を振る方向を神林からはじめに傾いていることに気づいてご満悦だった。


 しかし、


「…………」

「あのー、黒木さん。やっぱり何か、気になってます?」


 周りと男子の意地の張り合いを冷ややかに見つめる稚奈が、やはり何か言いたそうにしているのを見かね、葵は改めて尋ねる。


 一度だけ、目を伏した後、


「彼、体調でも悪いの?」

「はい? いや、そんなはずは……」


 言われて、改めて20mを駆け抜けていく基の姿を目で追っていくと、ある違和感に気づく。


 折り返すたびに顔を一瞬、強張らせ、意図的というよりかは反射的なように右脇腹を手で押さえる。一度ならともかく、毎度必ずだ。


 言われてみれば、顔色もシャトルランの疲労によるものとは思えない。神林が顔面を熱に染めているのに比べると、むしろ血の気が引いているようにすら見える。


 もしや貧血でも起こしているのか。昨日の夕食を囲んだ会話の中では、「いやー体調崩したことないっすね。……崩している暇がない、っていうかですね」とそんな言葉を……、




 まさか、




 正直、およそ現代の学生とは思えないスケジュールで基が生活していたのは情報として知っている。夜明け前に新聞配達、その後は学校へ通い、放課後は日払いが保証される肉体労働系のアルバイトの数々を詰め込み、夜遅くになって帰宅。延々とその繰り返しだ。


 若さ故か、体調は崩さなかったようだが。あるいはそれもまた自分が家計を支えなければならないという責任感が辛うじて支えてくれていたのかもしれない。


 その支えが、昨日、急になくなった。

 解放、されてしまった。


 張り詰めていた気が緩んだ時に、体調を崩しやすいのは人間誰しもある話だ。



 だとするなら、



「……しくった」

「? 麻倉さん?」

「いえ、何でもないです」


 先ほどの言葉を返すように葵は、稚奈に答えると、今度は誰にもわからぬよう、聞こえぬよう、唇だけを動かす。



 ――真条さん、どうか、持ちこたえてください。

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