第22話 “お水ください”




 やめれ、秒でやめれ。


 このままでは神林にエロ漫画のごとく乱暴をされて俺の花びらは散らされてしまうんだ。きっとそうなんだ。


 マジで●される5秒前と言わざるを得ない状況に置かれていた。タッパとガタイのそろった神林に両腕を掴まれ、背後は壁である。


 この野郎、全てから解放された俺がトイレから帰還した途端に牙を剥いてきた。ここまで運んでやった恩を仇で返すというのか。


 だいたい、深くは追求しないがちゃんと生形うぶかたにおしめを取り替えてもらったんだろうな。核廃棄物並に危険な代物だ。黒いゴミ袋で厳重に包んだ後で、速やかに焼却炉でお焚き上げしろ。ダイオキシンとか発生させるなよ。


 などと考えていた矢先、すっと神林が息を吸い込むのが見て取れて、


「真条さん、大丈――」「うぶちん、こーちゃんまだ生きて」

「惚れた。俺は君にっ!」


 ジャージ姿の麻倉さんと前園さんが入室してきた。いやいやなんか変な言葉も俺のお耳が拾ったような気がしたけど、ちょっと言ってる意味がわからなかったから気のせい。


 ほらほらお嬢さん方、目ン玉をパチクリさせてるんじゃあないッ! ちょっとなんだろ、鳥肌が止まらないんだけど、何故だろう。風邪を引いてしまったかしら。スッキリしたお尻の辺りから身の危険を感じるわよ。


「お、お幸せに〜」


 引きつったスマイルを顔面に貼り付けて前園さんは扉を閉めようとする。おい待て、どう見てもバッドエンド行きだろうが。finってデカデカと表示する気か、やめろ。牛乳瓶にさした薔薇バラの花びらがハラリと落ちる描写が差し込まれるから、やめろ。


「ま、前園!? どうしてここに!?」


 泡を食ったように、俺を解放すると神林は、


「ち、違うんだ、これは、その……」

「ああ、だいじょぶだいじょぶ、こうちゃんの頭がアレなのはよくわかってるから。しかし、そうか、まさか男の子が好きとは……」


 次第に目の色が輝いてくると、


「これはニュースでしょ!」


 付き合いの浅すぎる俺でもわかった、こいつ絶対に広める。【拡散希望】など誰も言ってなくても勝手に吹聴ふいちょうする気がMAXだ。


「ち、違うんだ、俺の惚れたというのはそういう意味ではなくてだな!?」

「ふふん、みなまで言わなくてもいいよ。後はあたしに全ておまか――あいたっ!!」


 一閃いっせん。という文字がおどりそうなくらい、綺麗に生形うぶかたの手刀が振り下ろされた。いいぞ、やれっ、ここ数分の記憶をなくさせるぐらいやってしまえ。


「な、何するさ!?」

「何でもかんでもネタにすんなっつうんだよ」

「おいっ、生形、婦女子に手を上げるとは、男の風上にも置けんことをっ!」


 この野郎と小声で唇が動かす生形の堪忍袋かんにんぶくろが切れないことを祈っていると、いつの間にやら隣まで来ていた麻倉さんが、視線だけで、


 ――ご無事で? 

 と問うてくる。サムズアップ親指立てで俺は答えつつ、とりあえず生形ら3人がいるこの場でハイパー体操着クレーム返品対応を願い出るのをぐっとこらえる。


「つーか、お前ら何の用だ」

薄情はくじょうだねー、あたしもあーちゃんも心配して来たんだって。こーちゃん倒れた後、凄かったんだからみんな騒然だよ、騒然」

「そうか、すまなかった……」


 一応、気を払ったけど俺もぽんペと戦っていたからな。神林の置き土産によるバイオテロが発生していないことを祈っておく。さすがにそこまで責任取れんて俺も。


「勝負事になるとこーちゃん、いつもに増して馬鹿まっしぐらなんだからさ。気をつけてよね」

「ぐっ……」


 ってか、前園さん、言葉で神林をボコりまくってるぞ。デンプシーやったれ、ケダモノをブチのめせ!! まっえぞの! まっえぞの!


 しかし、この三人の雰囲気なんざんしょ。気心知れたというかなんと表すべきか。そんな思考が顔に出てたのか、生形が身内の恥をわびるように


「あー……こいつらはまぁ、まとめて腐れ縁みたいなもんでな」

「いやいや、うぶちん、何一人だけ他人事ひとことみたいにまとめてんの」

「まったくだ! 生形、ふざけるな!」


 なるほど。つまりはこういう式が成り立つ。


 生形=前園さん=幼馴染み。

 神林=生形=幼馴染み。


 すなわち、

 神林=生形=前園さん=幼馴染み。


 仲良し三人組という訳だ。なんだそれ、少女漫画か。ぜるがよい。真条しんじょうはじめは常に甘酸っぱい青春要素に対しては厳しくのぞんでいく所存スタンスだ。東に駅で別れをしのぶつがいがいれば駅の名称を車掌並みの詳しさで詠唱し続ける存在となる、西に浜辺にでっかく「好き」と書くカップルには消防車から放水する。そんな人間にワタシはなりたい。


 ケッとやさぐれモードに入りかけていると、


「……そろそろいいかしら、」


 もういい加減にせーやと言わんばかりのトーンで声が投じられた。犯人を探せば、入り口の前園さんの背後でクロロンこと黒木さんがこめかみを押さえていた。


 なして、こんな所にと思うが、


「むっ、きみは……」

「あー、うちのクラスの黒木だ。こいつが保険の先生とか呼んできてくれたんだよ感謝しとけ」

「そうか……感謝する。ありがとう」

「どういたしまして。保健委員なので」


 どうやら入れ違いで色々あったようだ。俺はドアを蹴飛ばす勢いで保健室へ入りベッドに神林を転がすと、すぐ俺自身の戦いの場へとおもむいてしまったからな。その間でおそらくは後から追いついてきた黒木さんが諸々もろもろの事情なり処置を生形と共にほどこしたのだろう。


「それより、気分はどうなの?」

「ああ、もう問題なさそうだ」

「そう、でも安静にしてなさい。今、あなたのクラスの保健委員が午後の体力テストについては見学にしてもらうよう――」

「なにっ!? 断じて、それはダメだ。この程度で代表を逃してたまるものか!!」


 血相を変えて、保健室を飛び出していく神林に一同ぽかーんである。おそらくここにいる誰もが脳裏によぎった言葉を実にうまく黒木さんが言語化してくれる。


「……彼、相当、アレなの?」

「あはは……否定できない」

「確かに、取り返しのつかないくらいのバカだな」


 いや、というかれた云々の問題発言放置していかないでほしいんですけど。蒸し返すのもアレだから口にはしないけどさ。俺のお尻の平和はいつになったら確約されるんだ。


「ちょ、ちょっとみんな、今廊下を全力疾走で神林くんが駆け抜けてったんだけど!? 大丈夫なの?」


 背後を気にしつつ、やってきたのは白峰だった。なんだろう、この安心感。トゥクン。俺ってもしかしてこいつのこと……やばいやばいなんだ。俺の思考はどうなっているんですか、先生。この胸の高鳴りはなんですか、先生。


「どした白峰」

「あ、いや、心配だったってこともあるんだけどお昼……」


 言いかけた途中でタイミングよくチャイムがなる。ほう、これでようやく昼食時という訳か。……いやはや、長く苦しい戦いだった。もう帰りたい。茉菜花まなかめぐの待つノギワ荘へと。


「どうする、って? 聞きに来たんだけど」

「あー、まぁ午後も結局続き出しな。メシ逃したら力出ねーだろ。とりあえず食堂行くか」

 

 お前らは? と生形が前園さんらに尋ねている脇を俺は軽い足取りで抜けようとして、



 腕に引力を感じ、見れば生形と麻倉さん、二人に掴まれていた。



「どこ行くんだよ、はじめ


 ええい、離せ。


 昼食。昼食と言えば、やっぱ水である。なんたって無料タダで飲み放題なのだから、これほど素晴らしいものはない。無料より安いものはないというが、あれは嘘である。無料に越したことはないのは明々白々だ。


 中学はまだ給食という概念が存在していたが、高校になると食事は各自弁当なり食堂なりでることとなる。しかし自主的なコスト削減を常に念頭に置く俺は、空きっ腹を水で満たすことでノンカロリーでヘルシーなランチタイムを過ごしていた。


 このライフスタイルを今更、崩すこともあるまい。いかに学食がリーズナブルといえど月単位、年単位という考えでいくと無視できない金額だ。なぁに、たかだか一食抜いたくらいで死にはしませんよ。お水おーいしっ。


「はいはい、基、おそらくバカなことを考えてるんだろうけど、みんなで食べますよー。空気読も」


 にっこり微笑む麻倉さんが怖すぎる。最後に添えられた「空気読も」が全てを物語っていた。あそこだけ声色違ったもん。トイレ行ったばかりでなければお見苦しいことになっていたに違いない。


 が、必死の胆力で抵抗もむなしく、


「はい、そのまま生形さん連行していきましょう。白峰さんも背中を押して押して!」

「よーし、あーちゃん、あたしも加勢するよ!」

「う、うん!」


 ぬわーっと叫ぶ間もないままに俺は食堂へ連れ去られることになりそうだった。辛うじて助けを求めるべくさまよった視線は、


 無情にも我関せずと目をそらしていたクロロンさんをとらえる。こうなったら逃がさんぞ貴様も道ずれだ。仲良く地獄へ行こうぜェ……ゲハハァッ。


 わかったわかったと生形らに降参の意志を示し、自分の足で歩くと伝えた瞬間、俺はクロロンさんの肩を一瞬ためらいつつも掴み、


「おいおい、仲間はずれにすんなよなぁ。よーし、じゃ黒、木さんも行こうか」

「は? い、いや、私は……」

「もちろん、行きますよね。黒木さん、さぁさ、混み合う前に早く!」


 即座に麻倉さんが俺のアシストをするかのごとく黒木さんの背後に回るなりグイグイ押していく。


「ほら、とっとと俺らも行くぞ」


 ずしっと馴れ馴れしい生形の腕が肩に回され泣く泣く一歩を踏み出した。


 ああ、銀色に光り輝く蛇口が遠のいていく。


 カラッカラに渇いた喉に流し込む水道水はそりゃあもう美味うまいんだけど、なぁ。


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