第7話 “イケてる転校生大作戦”
車内は無言だった。
それもそのはず、
喋れない。のですよ。
……どういう訳かというか、不可抗力により、俺と麻倉さんは車内の中ほどで密着していた。サラリーマンのおじさまたちに押し合いへし合いされた結果とはいえ、どうしてこうなった。
う、うろたえるな。日本男児はうろたえない。
向き合う形だが、どうってことない。嘘。どうってことありまぁす。
というかですね、基本的に美少女の麻倉さん、それが制服姿なんて普通にかわいいに決まってるっす。ダメだこれ。大丈夫か俺、頭頂部に当たる鼻息がキモいとか思われてるんじゃないでしょうか。だったら、もう上見る。今週発売の週刊誌の内容見て、落ち着くことにする。
一種の拷問のような時間がようやく終わりを告げ、蔵橋に着くや否や鋼鉄製の車両は怒涛の勢いで乗客を吐き出した。一斉に改札に向かう流れから少し外れ、
「なんか、その、すみません……」
とりあえず麻倉さんに謝っておく。
「? なんか謝られるような事をされましたかね?」
首を傾げるが、こっちの気持ちの問題である。
それにしてもと、
「物凄い混みようでしたねー」
無理な体勢でもしていたのだろう。首を回しながら麻倉さんは、こちらですと次なる路線に向かい歩き始める。それを追いながら、
「アレ、毎日ってなるとキツいっすね。時間ずらすとかで、どうにかするしかないかな……」
「あるいは、」
別のアイデアがあるのかと、
「いやそれは追い追いですね。もう少し先になってからです」
一人で納得したように麻倉さんは頷いている。というかあれだな、今ちょっと普通に会話出来てた気がする。偉いぞ、俺。その調子だ俺。
蔵北線の乗り場まで来ると、沿線沿いに学校が多いのだろう。一般客に加え、多種多様な制服姿の学生たちが目に入る。俺と麻倉さんが着ているのと同じ制服の学生はつまり総斎の生徒ってことか。先輩後輩どころか、下手するとクラスメイトになる可能性すらある。
よし、目立たないようにしよう。
「では、頑張ってください」
「はい、もちろんっす!!」
あ、いたんだ……って言われるぐらい、気配を消すのは前世から大得意ですからね。もちろんその場から
ちょうど電車も到着し、降りる客を先に乗る人が後の流れに従い、乗ったところで一息つく。こっちも混んでるが、さっきよりはまだ少し、マシだ。
ですよね? と横を向けば、
「あれ?」
前後左右を見回すが、近くにいたはずの麻倉さんがいなくなっている。ちょっ、もしやはぐれた? え、俺が上の空だったからですかこれ。つうか乗っちゃったんですけど、プシューってドア今閉まったし。
えーもうマジかいな。どっかにいないのかよ。と慌てて車内を探せば、乗客の隙間から、隣の車両でこちらに視線を向けていた麻倉さんを、連結部分の扉越しに見つける。いやいやいや、何故にアナタそっちにいるの。さっきの鼻息はマジごめんなさいでした。許してください。
「どうすんだよこれ……」
人をかき分けて、移動するのもアレだし、どうせ降りる駅は一緒だ。しょうがないかとうなだれたとき、
視界の端に、それが引っかかった。
40代くらいの私、大企業で働いてますって感じに整髪料でテカった頭が印象的なおっさん。それだけならまだいい。そしてそのおっさんの前方にいる、総斎生と思しき小柄な女子高生。それでもまだいい。問題は、その二者の間で、もぞもぞといかがわしい動きの肌色が引っかかったことだ。
瞬間的に、頭が凍る。
おいおい、マジかと。これって本当に本当かと。いわゆるひとつの、
――痴漢現場というやつですか、と。
え、嘘、誰か気づいてないのこれと視線を動かすも、どいつもこいつもスマホの画面や新聞や文庫や惰眠に夢中で、まったく関心がないらしい。
冗談だろ。俺だけかよ。
女の子ははたから見ても顔を真っ青にして、おぞましい何かを声すら発することができないように窺える。それをいいことにおっさんの方は無表情を保っているが、その手つきを緩めることはない。
どど、どうすりゃいい。助けなきゃいけないのは無論わかってる、わかってるが。
こういう時はどう行動すればいい。とっさに麻倉さんの方へ顔が向いてしまう。
また目と目が合う。こちらの状況をわかるはずもないのに、ニヤッと目を細めるや否や、
その桜色の唇が動く。
し、こ、み。
――です。行ってください。
「……は?」
思わず、素の声が出た。
し、こ、み。
……あ、これ、仕込みなんですか。なーんだ。
あれ、劇団の人たちってオチね。演じるプロの人たちね。なんだよもぉ〜あせらせんなよぉ〜。超あせったわー。なら一種のコントでしょうこれ? ちょっろ(笑)。あのおっさん実は、怖い人とかそういう心配はご無用な訳ね。
人間あんぱんじゃないけど、勇気百倍だわ。なるほど「イケてる転校生大作戦」ってこういうことね。つまりは与えられたチャンス、仕込まれた痴漢を撃退しろと、カッコいいとこ見せろと、そういうことだ。
いやいや、いくらなんでも流石にこれなら出来るよ。タネが割れてるんだもん。
俺は任せてくださいと言わんばかりに親指を立てると、毅然とした足取りで向かっていく。
さぁ行くぞ。言ってやる、言ってやるぞ、性犯罪者めがブタ箱送りにしてやるわ。
「こ「この人、痴漢です」
口を開いたその時、視界で黒髪がたなびいた。
脇からすっと出てきたその少女はおっさんの手を掴むや否や、車内に高く掲げる。
穏やかじゃないそのワードに周囲がそっと身を引き、空間が出来る。そこを中心として、騒ぎの波が起こり出す。
は、痴漢? マジで? きも……っ。突き出せ突き出せ。あの子がやられてたのか? かわいそー。
事態を認識し始めた口々が言の葉を吐き出す。
「な、何を言ってるんだ君は! わ、私がそんなことをするはずがないだろう。いい加減なことを言うな!!」
おお、迫真の逆ギレだ。凄いな、このおっさん。テレビに出るようになれば名バイプレイヤーとして一気に花開きそう。
じゃなくて、誰この黒髪ロングの子。この子もグルってこと? 完全に俺のセリフ取られちゃったんですけど。タイミング読めない系の子なのかな。
「……見苦しいわね。いい歳した大人が」
嫌悪感むき出しといった感じでロングは吐き捨てる。すげぇな、俺、さっきの逆ギレの演技力にちょっとたじろいじゃったのに。
「な、何を」
言い返されると思わなかったのだろう。おっさんはどもると、
「恥という概念すら知らないまま、何十年も生きてこられたなんて。さぞかし恥の多い生涯を送ってきたんでしょうね。人間失格おめでとう」
うわ、これ何十回も練習してるんじゃないの? すらすらよく言えるよ。俺もこういう段取りなら前もって言ってくれれば、ちゃんと用意したのに。貴様のその下劣な手をどけろって、
折良く走行中だった電車が次なる駅、「総斎学園前」で停車する。
奇跡的なタイミングも計算されているのだろう。これは前日リハまでやってるな。いやその、かなり俺が
「……っ!! どけっ!」
「くっ、待ちなさいっ!!」
逃げるしかないとおっさんは掴まれたロングの手を一瞬で振りほどくと、痴漢されていた子を乱暴に突き飛ばしホームに出ようとする。
演技とはいえ、さすがに、おい待てととっさに俺が手を伸ばすとおっさんのジャケットの端にうまいこと引っかかってしまった。あれ。
全力疾走に移ろうとしていたおっさんの勢いが俺のせいで阻害されつんのめり、ついでに俺は俺でおっさんに引っ張られる形になる。やばい転ぶ転ぶ。支えを何かを掴もうとして、もう片方の手が近場にあった布切れを掴む。渾身の力で転ばぬように抵抗するが、むなしく俺は身体をひねりながらおっさんと共に仲良くホームへと投げ出された。
……あたた、受身を取れなかったが幸い下敷きにおっさんがなってくれたお陰で怪我はなかったようだ。これで足をひねっていたら、初登校が保健室登校になる所だった。うっ、保健室登校で嫌な思い出がフラッシュバックしそうだ。やめやめ。
腰を起こすと、左手が何かを握ったままだったことに気づく。この肌触りの良さ、記憶にある、そうだシルクっぽいな。と、
「!?」
やばい、つい転ぶ前に掴んでしまったが、そのおっさんのネクタイだったらしい。ほぼ全体重とあの勢いで引っ張ったら、と俺は想像する光景に怯えつつ、ネクタイの結び目の方へと目を向け、……あ、これお見せできないっ。
完全に泡を吹いて、おっさんは死ん……失神していた。だ、大丈夫、生きてる。生きてるはずっ。これも、演技、死亡遊戯的なあれ。
心臓バクバクの状態で生唾を飲み込んでいると、大丈夫ですかーっ!! とホームにいたらしい駅員と思しき二人組がこちらに駆けてくる。全然大丈夫じゃない。このままでは手錠でもかけられるんじゃないかと立ち上がって逃げようとして、
「待ちなさい」
肩を掴まれる。終わった。麻倉さん、すみません。俺氏、ここまでのようです。妹たちのこと、どうか頼み
「君は立派なことをした。私に任せておきなさい」
お洒落な中折れ帽をかぶった老紳士だった。え、何、この人。
「どうされました?」
駆け寄ってきた駅員は、地に伏すおっさんと俺を見比べながら事情を問う。万事休す。言い訳。言い訳を組み立てろ。ドッキリ、そうこれはドッキリなのだ。よしこれでいこう。
「この男が車内で痴漢行為に及んでいましてな。卑劣にも逃げようとした所をこの少年が捕まえて投げ飛ばしたんですよ」
そうそう。今から、ドッキリ大成功!! の札を持った麻倉さんがテッテレーと来てくれるので。と、
「なんと……そうだったんですか。あなたはお怪我はないですか」
「俺はなんともないです。それより……」
もう行ってもいいですか。いいですね。去りますよ。だからお洒落ジーさん、肩に乗せた手を離してください。逃げられないでしょ。
とりあえず、注意を俺から他にそらすしかない。そこから自然にフェードアウトする。そうだ、痴漢をされてた子は大丈夫か。演技とはいえ、突き飛ばされてたけど。
その少女は、へたり込んだままロングに介抱されていた。
「あなた、大丈夫?」
「は、……はい」
涙まじりの声に、騙されそうになる。いかんいかん、君、今年のオスカー取れる逸材だよ。とはいえ、とりあえず被害者が話さないことには駅員も困るだろう。ええ、俺も困ってます。
昔は泣き虫だった
「大変だったね」
最初は相手のことをくみ取ってやる。基本的に泣いてる時、人間は興奮している。だから落ち着かせてやらなくてはならない。
「怖かったろ? もう、大丈夫だからさ」
こう見えても、泣いてる子の
「あ、ありがとう、ございました……」
少女は俺の方へ顔を向けると、かっくんと頭を下げる。なんだこの純粋な感謝っぽい感じは。つくづく演技上手いな。
「それは、その、」
やばば、ちょっと照れてきた。
「お礼は、この人に言った方が……」
結局、発端となる声を上げたのは俺じゃなくて、隣のロングさんだ。だから、ここは俺はどう考えても無実ということにしといてもらいたい。
「……素直に受け取るべきよ。あのままあの男を逃していたら、何にもならなかったのだから」
口を出してきたロングに、はぁと頷いておく。完全に事故……偶然なだけなんですけどね。
「それじゃ、私はもう行くわ。あなたも、今度は自分でも対策を講じなさい。軍事用のスタンガンとか、ね」
それってあれでしょ。コートの上からとかでも気絶させるとかそういうのだと思われるんですが大丈夫でしょうか。持ってて大丈夫なやつ?
変わらず、目がどこを向いているのかはわからないが。はい、と素直に頷く前髪さんに一抹の不安を覚えたが、ロングさんはその長髪を
思わず、スカートから伸びる綺麗な足に見とれてしまったが、完全に
ここは便乗するしかない。と、
「それじゃ、俺も」
がしっと、腕を掴まれた。え、ちょ、前髪さん、意外とあなた、力あるんですね。
「せ、先輩、ぜひとも、お名前を」
いや、ここは個人情報をばらまく場ではない。カッコよく行かせてくれ。が、あまりにも鬼気迫る掴み方に完全にビビった俺は、
「し、
「真条先輩。いおり、心に刻みました」
いや、秒で忘れてください。ていうか、あれですよ。流行ってるらしいSNSとかでつぶやかないでくださいね。お願いしますよ。ネットの世界怖いんだからね。
「は、はは、どうも」
「
いや、昨日の晩御飯レベルで忘れてください。語り継がないでください。絶対、尾ひれついて真条と名乗りし者、痴漢を投げ飛ばしけりだったのが、
とりあえず、伊福部さんというらしい女の子は前髪カーテンの向こうからこっちを凝視していることが、そこはかとなく伝わってくる。やめて、そんなに見ないで。
ちょいと、だ、誰か、助けてくれと思い始めた瞬間に救いの手は、
「それじゃ、お二人とも事務室でお話しを聞かせて頂いてもよろしいですか?」
駅員の人からもたらされた。惚れる。
「さすがに、こちらの方、気を失っているので……」
うっ……心が痛い。だが、事情を話すとなると不都合が生じる。一難去ってまた一難かと、
「少々、手荒な真似になってしまいましたが、どうか彼をご容赦いただけませんかな」
更なる救いの手は、
「一部始終というわけにはいきませんが、私でも途中からなら話ができますのでな」
老紳士から差し伸べられた。惚れる。頬ずりしてもいい。あ、でもやっぱヒゲあるから無理。更に、
「先輩にご迷惑をおかけするわけにはまいりません……。いおりだけでもよろしいですか?」
伊福部さんもありがとう。君、なんか距離が近いけど、いい子ね。よし、この流れ来てる。風が来てるぞ。確実に。
「そうですか。……わかりました、ではこちらです」
切り抜けた!! 心の中で、ガッツポーズを取っていると、
「本当に、ありがとうございました。先輩」
もう一度、深々と頭を下げ伊福部さんは駅員さんについていった。そのすぐ後に続くお洒落じーさんは振り返ると、
「早く行きなさい。彼女が待ってる。期待しているよ、真条くん、――ようこそ総斎学園に」
そんな言葉を残していくのだった。
いや、残ったのはポカーンとした俺もだったけど。
「やっぱり仕込み?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます