第47話 ”迷い道diary”
せいぜいが読書に加えて、その感想をブログに記すこと、あとは窓際に置かれたポットで育てているガジュマルを”ガジュ丸”とひそかに名付けて育てているくらいなものだ。
今、稚奈が机に向かってペンを走らせている日記ははたして趣味としてカウントしてよいのか。微妙なラインだ。趣味と言い張ればそのまま言い張れるような気もするが、違うと言われればそれもそうだと素直に頷ける。
一度、紙の質や厚手のカバーなどにこだわった高級日記帳を意を決して購入したこともあるが、1冊使い切るのがなかなか遠い道のりなうえに、モノが上質過ぎるのでなんか大層な文章を書かなければいけないような気がしてきて、気負って筆が進まなかった。
結局、授業で普段使っているようなものと同じ5冊セットで数百円のノートをまとめ買いして使っている。30枚ページが綴じられているので、1日に片面ずつ使えば2ヶ月くらいは持つ。経済的だし、変に大切に扱わなくて良いし、何より1冊使い切ったという不思議な満足が定期的にやってくるので気に入っている。
ふと思い返してみれば、
いつから何をきっかけに書き始めたのか。
過去の日記はまとめて段ボールに詰め、クローゼットのなるべく奥の方にしまってあるが、最初の1冊を紐解けば書いてあるだろう。
――父に言われたから。
雨が降っていたけどお気に入りのレインコートを着れて嬉しかったこと、ミカンが甘くて美味しかったこと、楽しみにしていたアニメが野球中継の延長で見られなかったことなど、その日あったことの羅列の最後にたしかに『おとーさんがいつかやくにたつからっていってたからがんばります』とある。
はたして役に立ったかと言われれば首を傾げてしまうかもしれないが、たまに過去のノートを適当に1冊選んで読み返してみると、そういえばあの頃は、そんなこともあったなと面白くて時間を潰せることだけは確かだ。
よどみなく動き続けていたペンが、
昼間の光景がよみがえる。本日は目覚まし時計にセットした時刻より10分早く、しかも寝覚めよく覚醒するというスタートダッシュを決めたし、ココンのバイトもなく思う存分読書に
喜び勇んで待ちに待った新刊を買い求めるべく訪れた書店で、つい直近の『ブスつか』の話を復習するため、立ち読みをしてしまったのがはたしていけなかったのか。
何度読んでも、6巻の最期で闇堕ちして7巻で学園祭を台無しにしようとするレンレンを突き止めた
そう、ブスつかに罪はない。ちょっと他人の前で読むには勇気のいる表紙やタイトルだが、売れ行きは好調だし、絵師は神だし、『あのライトノベルがゴイスー!』で去年一位取るくらいとにかく内容がいいので玉に
「…………はぁ〜〜〜〜〜〜」
思わず肘をついたまま、両手で顔を覆う。長いため息が手首の間を抜けていく。思い出しただけで顔から火が出そうだ。
ああもう、一生の不覚だった。
まさかよりにもよってあの季節外れの転校生であり、バイト先の先輩であり、クラスではお隣さんであるところの
不幸中の幸いと言って良いのかはわからないが、彼がまさかブスつかを好きだとは夢にも思わなかった。厳重にカバーをして学校では読んでいたつもりだったが、もしかしたら時折ふとページから目を上げた際に視線を感じたのは、彼は薄々ブスつかを読んでいることに気づいてたからなのではないのか。挿絵のあるページは特に気を遣って周囲にはバレないようにしていたつもりだったが、隣席という位置が悪い。あそこにいる以上、何かの拍子で目に入ることもあるだろう。
そういえば、
一度、読んでいたはずの位置から栞が勝手に移動していたことがあった。
栞は一人で勝手に移動することはない。オバケの仕業でも、妖精の仕業というわけでもあるまい。あの日はたしか……そうだ、体力テストの日だった。直前まで読んでいた位置に栞を挟み、着替えるため女子陣が教室から出て、テストが終わって戻ってきたら挟んだはずのページが変わっていることに気づいたのだ。
その時は不審に思ったもののそこまで深く追及しなかったが、今にして思えば、女子がいなくなったうえで、男子が着替え、それ以降の教室は防犯上施錠されていたであろうことを踏まえれば、男子の内の誰かの仕業である可能性しかないのではないか。
不思議と他の男子の顔は思い浮かばなかったが、一人だけ思い浮かぶ顔がある。
もちろん確証はない。
——顔を振るって、悪魔の証明にしかならない過去から昼間の出来事へと思考が戻る。
彼は、あの場でブスつかを好きだと豪語した。
ついにリアルでそんな人間と巡り会うとは。ネットであれば同好の士はそれこそいくらでも見つけられる。ただファンコミュニティで文章のやりとりはできても、ビデオチャットやリアルで会うことには抵抗があった稚奈にとって、多少は我を失っても許してほしいと思うのだ。
ましてや好きなキャラを試しに聞いてみたら、まさかの主人公の小春好きときたのだ。こればっかりは、ファンコミュでも最小派閥に属する稚奈にとってはまさにジャックポットというしかなかった。テンション上がっても許してほしいと思うのだ。
本当はあの場でもう少し色々聞きたいことはあったのだが、示し合わせでもしたように基の背後に現れたのが麻倉葵だった。
——
……まぁあの二人がどのような関係であろうとどうでもいいか。
とにかくあの場では、乱入してきた葵にまでバレる訳にはいかないというのが何よりも優先すべきだった。
さておき、
ラッキーデイにケチがつき始めた書店で、一番の目的であった新刊の8巻を購入せずに退散することになるとは思わなかった。それに気づいたのは電車の扉が閉まってからだったのも最悪だった。まだ百貨店を出た時点で気づければ、頃合いを見計らって書店に戻ることもできたが、もうすでに窓の外の景色が動き始めた後となると諦めとただ落ち込むことしか出来なかった。これが痛恨の極みということかと変な笑いまで出た。
打ちひしがれるまま、その後どうやって帰ってきたのか記憶は定かではないが、気づけば稚奈は帰宅しており、叔母夫妻に留守番を任され、いとこであるところの
キャッキャと笑いながら未弦は見ていたが、こちらはまったくといって良いほど映像とストーリーが頭に入ってこない。なんか粘土のような身体を持つかわいらしいエイリアンたちの笑いあり涙ありの日常モノっぽいが、今こうしている一分一秒が本来ならブスつかの世界にひたっていたはずと考えているとただへこむしかなかった。
知らずついていたらしいため息が何度繰り返されたのだろうか。大団円を迎え、感傷的なエンディングの歌の途中で、未弦はテレビを消して、「わかちゃん、おさんぽしよー」と言ってきた。
確かにこのままジッとしているよりも少し気分転換が必要かと、稚奈も同意し、未弦を連れてマンションから出たら——
——まさかの人物だった。
最初に視界に入ったときに、なんか見覚えあるシルエットだなと思った。Tシャツにかなり履き込まれたダメージデニムと、あまり褒められた表現ではないかもしれないが、昔見た映画の1シーンで南米の貧しい村で布きれを丸めて作ったサッカーボールもどきで遊ぶ少年がはいていたボロッボロのスニーカーを思い出させた。後にサッカーで苦難を乗り越えて大成する感動のストーリーだったがかなり昔の作品だった、だが不思議となんだか昼頃見かけたような気すらした。最初は見間違いなのかと思って何度かまばたきをしても、その姿は変わらずそこにあった。距離が近くなるにつれて、確信に変わっていくのと同時に、何故そいつがここにいるのかといううっすら恐怖を同伴した疑念が芽生えてくる。
だというのに、
謎の爽やかさをもって、
「や、やぁどうも…………今日はよく会うね」
もっとも、そのアラートサインは稚奈の内側でしか
気軽に「だれー?」と問いかけてきて関係性をわかりやすく説明する羽目になった。無視するわけにもいかない、無視しようものなら、こちらの胸が締め付けられるような顔を未弦はするに決まっていた。
口を開いてしまったついでに、基に何故ここにいるのかと問う。
緊張感を持った質問のつもりだったが、その返答が、実に、実にアレだった。
——道に迷って。
むしろ潔すぎるシンプルな返答に固まったのはこちらの方だ。ただ今にも泣きそうな赤い目で言う物だから、毒気を抜かれた、というよりも、なんだか気の毒、いや、かわいそうになったというのが正しいかもしれない。
おまけに、「ここは、どこーー!?」と叫んでいた。ここに来るまでにいったい彼に何があったのだろうか。彼の頭と過去が心配だった。
だが、どストレートな表現とポーズは、我がいとこのピュアな善良さを刺激したのか。「わかちゃん、たすけてあげてー」ときた。まったく悪い女に騙されないかこの子の将来が心配だった。
稚奈一人なら、そもそも基を認識した時点で回り右していたかもしれないが、事ここに至って逃げるという選択肢はもはやなく、無垢なるいとこに免じ、仕方なしに救いの手を差し伸べることにする。
多少投げやりかつ、容赦に欠けた言い方になったが、帰り道がわからなくなったのかと確認する。頷きが返ってくるのに合わせて、本当に変な人ねと稚奈は思う。
初対面時からアレな感じだったものの、本当かどうかはいったん抜きにして、ここまで方向音痴な一面があったとは。ひょっとしたら生きていくのに支障が出るレベルじゃないかとすら思う。地図の読めないのは女だという、男女の脳の違いを説いた本を読んだことがあるが、ひょっとしたら例外にあたる男なのだろうか。
とりあえずスマホの地図アプリを見てもらおうとして、取り出させたところ、「あるけど、見方がわからなくてさ。北ってどっちだ?」とトンデモ発言が飛び出す。まずスマホのマップに北もクソもない。今時のスマホなら自分の方向とGPSで連動する形になっているが、その発言が飛び出る時点で致命的に地理感覚がないに違いない。
なんだろう。
世の中にはいろいろな人間がごまんといて、それぞれがそれぞれでどうにかこうにか生きている。その中で大なり小なり色んな悩みや喜びがあって当然で。せめて世界が平和でありますようにとも思うし、もう少し寛容に優しく生きなければならないとも思った。
とりあえず心を落ち着かせるように基に言い聞かせて、難しくならないように簡便に駅までのルートを伝えた。一発でわかったようだったが、はたして本当に理解しているのか疑問だったので聞き返してしまう。
彼が指で示したルートは合っていたが、この波を引かない不安感はなんだろうとため息をついた矢先、
——そうだ、お礼にこれを。
差し出されたのはきびだんごでもなんでもなく、1冊の文庫。書店の紙カバーに包まれたそれはもしや、
震えそうになる手で受け取り、カバーを取って確認すれば、はたして予感は的中する形で『ブスつか』の8巻だった。
外でなければ抱きついてかもしれない。いやそこまではいかなくても、両手を握りぶんぶん振るっていたに違いない。
「ラス1だったからたぶん買ってないんじゃないかって」
その通りだった。だから先ほどまであんなに心がくじけていたのだ。
「すげぇ好きなんでしょ。だったら俺より読んだ方が良いよブスつかの新刊——」
あなたが神かと思った。そして戸惑いがあった。単なる嬉しさもあった。本当にもらってしまってよいのかとも思った。情けないことに色んな感情が同時多発的に吹き出てきて言葉にならず、まごついている内に叔母夫妻が帰還してきて、ただごめんなさいと頭を下げて、半分泥棒のように奪う形であの場を去ってしまった。
かたわらにはその『ブスつか』の8巻がある。稚奈は日記のノートを閉じて、その表紙を撫でる。
「……お礼、言い忘れた」
たしかに道は教えたものの、本当に欲しかったものを代わりにもらってしまった。それでいて、一言礼も述べなかったのはどうかと自分でも思う。
まぁ今日のところは仕方ない。どのみち休みが明ければ学校で会うだろうし、月曜はココンのバイトも入っている。会話の機会はいくらでもある。
さて、
それではお菓子と飲み物を用意して、方向音痴の誰かさんに心の内で感謝しつつ、めくるめく読書の世界へと飛び込ませていただこう。
明日は日曜日。多少の寝坊も許されるのだから
俺の取り柄は顔しかない。~キモオタが美形に転生したら、ハーレムハッピーエンドを目指せるか~ 來真せいぎ @kurumalamp
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