第2話 ”選定中”




 A4の上半分を真面目くさった表情の写真が占めていた。制服と思しき詰め襟の上にはこちらを向く、若干不機嫌そうな十代男子の顔が乗っかっている。


 美醜の基準というのは個人の好みに左右されるものだが、一般には古来よりシンメトリー、つまり左右が対称であることに人間は美しさを感じるとされる。


 そこに更に数々の要素が加味される。

 

 輪郭、瞼が二重であること、鼻筋が通っていること、眉と目の距離が近いこと、トレンドに沿っていること、背景で薔薇とか羽が舞っていても違和感ないことなどなどが考慮され、人は他者の顔をイケているのかイケてないのかを判断するのである。


 さて、そういう観点で見れば、麻倉あさくらあおいの手に収まる資料の男子は間違いなくイケメンだった。


 既にビジュアルでアイドルグループにいてもおかしくはないし、いたらいたでさぞかし黄色い歓声を集めることだろう。このまま順当に成長すれば、どこぞの繁華街でスカウトされ俳優ルート、モデルルートもなんら違和感ない。


 ましてや今見ているのはごまかしのきかない証明写真のたぐいだ。いわゆるデジタル修正でることの出来ない状況でこれならば、実物のほうは更にいい可能性も高かった。無論、その逆もありえるが、



「——麻倉さん。話を続けてもよろしいですか?」

「はいはい、どうぞー」


 資料をパラパラめくりながら、目はともかく話はちゃんと聞いてますよと言わんばかりに葵は髪をかき上げ耳を出す。


 広々とした会議室には、葵とデスクを挟んで対面に座る男は意に介した様子もなく、


「その資料の真条さんが麻倉さんに担当してもらう候補者になります」

真条しんじょうはじめ。年齢は十六歳。家族構成は……実妹が二人、のみか。あらら、だいぶ苦労されてるみたいですね。父親は十年近く前に交通事故死、母親も昨年末にご病気で亡くされてる、と」


 個人情報もへったくれもない調子でつらつらと読み上げる葵に、男は困ったように眼鏡の位置を直す。


「現在は母の遺した少額の貯金とアルバイトのかけ持ちをすることで、生計を立てているとされる。朝は新聞配達、放課後は知り合いの喫茶店、深夜は道路工事などなどで、か。なんで、ここまでするのかーですね。今時珍しい苦学生。人によってはこれだけでお涙頂戴ちょうだいでしょうに」


 備考欄に記載された長文を指でなぞりながら、不意にその指が止まる。


「まぁ……ですよねー。両親ののこした負債有り。借入先は、……エンゼルローン。やらしー名前ですね。どうせ闇金でしょうに。真っ黒堕天使」


 あきれたように嘆息すると、葵は資料を置く。


「すみません。だいたい頭に入りました。坂上課長、続けてください」


 男――坂上さかがみ政哉まさやは頷くと、

「わかってるかと思いますが、これから麻倉さんには真条さんの担当としてアダムスプログラムを公私ともに支援して頂くことになります」


 そこで一拍の間が空いた。


「――どの程度、権限委譲けんげんいじょうしてもらえますか?」

「以前とは違い、今回は全面的に麻倉さん自身の判断で動いてもらって構いません。逐一、私の承認を待っていたら、現場では臨機応変に対応できないでしょうから」

「まぁ……ですね。ありがとうございます」


 素直に頭を下げる葵に、坂上は眼鏡を外し、目元を揉み込みながら手で構わないと示す。そして懐からピルケースを取り出すと錠剤を掌に転がし、500ミリペットボトルに入った水で流し込む。その際、傾き加減をミスったのか、何度かむせ返していた。


「だいぶお疲れみたいですね?」


 普段通りにしていても、笑っているように見える特徴的な坂上の顔にも疲労の色が濃く出ていた。ヒゲは数日は剃っていないのか所々で黒ごまをまぶしたようになっており、シャツもよれよれになっている。


「えぇ、色々と仕事は山積みでしてね。それにしても……随分と大掛かりになったものです。いくら、官民協働かんみんきょうどうとはいえこれほどの予算が組まれるとは」

「えらく気合い入ってるなーとは確かに感じますよ」

 どこか他人事っぽく、葵は手をひらひらさせる。


 懐からハンカチを取り出し、皮脂で汚れた眼鏡のレンズを拭きながら、


「それだけ、今回の候補者たちに期待してるのでしょう。かつて世界中からナンバーワンとたたえられたこの国が、このまま緩やかに衰退していくのを見るのは私も忍びない」

「とはいえ、テコ入れの方法がモテる才能がありそうな人に頑張ってもらうっていうのも、元気があって大変よろしいって感じですけどねぇ」


 皮肉を込めて肩をすくめる葵に苦笑しつつ坂上は、


「選択と集中は悪くないでしょう。思惑はそれぞれですよ。本件に関する関係各所を含め、です。それは手厚くご支援頂いている貴方のご実家も」

 

 スッと葵が目を細めたことに、途中で言葉を止め、失言でしたと坂上は謝罪するが、


「最近、あまり戻られてないようですね。やんわりと上の方から話が来ていますよ」

 話題を変えはしなかった。


 これが意味するところはつまり、たまには家に顔を出すよう、遠回しな手段を使って圧力をかけてきているということを自分に伝えておきたいのだろう。


 隠そうともせず、舌打ちを一つ。


 まったくそういうやり方が気にくわないから戻らないのだと、あの家が理解する日は未来永劫来ないに違いない。


 あいだに挟まれた中間管理職たる坂上には悪いと思うが、葵はまぁそのうち顔出しますよとお茶を濁す。伝えるべき事は伝えたとそれ以上は坂上も言及せず、


「話は以上です。良い報告を期待していますくぁ」


 最後はあくび混じりになり、すみませんが,少しここで寝させてくださいと腕を枕に坂上は机に突っ伏す。どうやら限界だったらしい。


 トントンと乱れていた資料を机の上で整えると葵は立ち上がり、たぶん聞こえてはいないんだろうなと思いつつも、


「まぁ、まずは会ってみないと何とも、ですね。よく言うじゃないですか。男は顔より中身って」


 返答はやはりなく、いびきが帰ってくるのみだった。









 なーんてやりとりがここに来る前に交わされていたのだが、


「——顔です。だって、俺の取り柄、それしかないし」


 そう来ちゃいますかと、思わず葵は天を仰ぐ。

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