第40話 ”世界にひとつのルールブック”
「でっか……」
門をくぐり、ちょっとした池まである中庭を進み、玄関にたどり着いた時点で思わず出てしまった素直な感想だ。
外観は時代を感じさせる日本家屋だったが、中へ一歩踏み入れるとリノベでもされているのか近代的な印象を受けた。似たようなテイストとしてはココンが近いかもしれない。
石の敷かれた土間から靴を脱ぎ、廊下へ上がる。その段差の高さや使われている木材の感じといい、素人目から見ても金持ちの家というのが伝わってくる。そりゃ俺のボロ靴も浮くわ。
「いやー実にいい感じですね。ドキワクしてきました」
テンション上がってきたらしい麻倉さんが、軽やかな足取りで廊下を進み、扉が現れる度に開け放していく。これがダンジョンだったら真っ先に罠にかかってそうだ。ツンデレ女戦士とむっつり女魔道士がなぜだか服の溶けるスライムに襲われるやつだ。知ってる。俺は詳しいんだ。
性格が『冷静沈着』である俺は罠にかからぬよう細心の注意を払いつつ、麻倉さんに続く。
視界の端にメニューが表示されている、なんてことはあいにく全くないが、脳内でマッピングしていくとどうやら玄関を右に進めばフローリングの続く洋間があり、洗面所&風呂やトイレのあった廊下を挟んでリビングというべきか大広間というべきか迷う空間が存在している。
床こそフローリングなものの、顔を上げれば頭上に
漢字の形で表すなら『回』のように外周に存在するキッチンエリアは使い勝手を考慮してかフローリング、他方でおそらく住人たちが食事を共にするであろう真ん中のスペースは畳だった。
おそろしく高く、かつ重そうな一枚板の座卓が置かれている。これを囲んで、所狭しと並んだ食器の数々、湯気を立ち上らせる温かな食事、寝ぼけ眼やあくび混じり、寝癖頭で徐々に集まり朝食を開始する。交わされる他愛もない会話から穏やかな一日が始まる。
そんな情景がありありと浮かぶくらいには、いい空間だった。
「もしもーし」
目の前で手をあおがれて、我に返った。度々やらかしている気がする、これ。
「なーにお一人でいい顔してるんですか。行きますよ、反対側も」
すんませんと言って、玄関まで戻り、今度は左側へと向かう。
縁側を進む。
先ほどの広間がメインエリアだとしたら、こちらは居室エリアになるらしい。基本的に洋間はなく和室ばかりだ。だがどの部屋をとってもノギワ荘より広いのが泣けてくる。
そのまま渡り廊下へと続いていき、まさかのもう一棟別の建物。いわゆる離れがあり、そこにも部屋が数室設けられていた。
いやいや一体なんLDKなのここ、ちなみにLDKはLarge DeKkaiの略なので覚えておくように。
広すぎて逆に怖いわ。オバケも
「こんなもんですね。一通り見て回りましたけど、どうですか?」
「どうでしたかって……」
どうもこうもないのよ。もちろん素敵なハウスですねとは思うものの、モデルルームを内見したような感覚でしかない。
「でも暮らすイメージわいちゃったんじゃないです? さっき今で凄い感慨深そうな顔してたじゃないですか」
「それは……」
たしかに否定できないものの、いったんまずは話をそらすことになるが確認しないといけない。
「えと、まず整理と確認をさせてほしいんですけど、この物件の表札には摩訶不思議にうちの名字がかかっていたわけですよ」
「はい」
「で、そんとき麻倉さんが俺の新居うんぬんを言ってたと思うんですけど」
「イエス。ただし俺“たち”の、です」
「いや、あれ冗談ですよね?」
「ノーです」
凄まじく歯切れの良い返答だった。
「いや、でもたしかに今の部屋はギャグみたいな狭さとボロさですけど、それでも別に引っ越す必要は——」
すっ、と手をかざされ発言をさえぎり、いい機会ですしと前置かれ、
麻倉さんの表情が一変する。
いつもの、のらりくらりと掴み所のない顔じゃなく、触れたら斬られかねないどこか冷たい刃みたいな顔へ。
「二週間ほどほぼつきっきりで生活をしてきた諸々のフィードバックをハッキリ言いましょう。まず、必要はありますよ。無理です。あんなとこに住んでるって知ったら普通女の子は引きます」
手加減無用のどストレートな物言いに固まる。
「あれでよしと本当に心から思ってるんだったら、かなり手遅れです。根本から価値観を矯正してあげないといけませんか?」
「え、……と」
頭が真っ白になり、返す言葉はおろか唇がうまく動かせない。
「どっちですか。本当に心から思ってるんですか?」
「お、思ってはない、です」
自分で言ってて、明らかにこれ以上怒られたくないから同調を示すかのような返答だった。当然、それは麻倉さん側もわかっているようで、呆れとため息を交えながら、
「今もそうですが。真条さんは言ってしまえば豚に真珠……はちょっと違うな。まだ猫に小判なんですよね。……しゃーなし、するかな、テコ入れ」
まるで自分に向けて言うようにこぼすその
「あー、あったあった。はい、どぞ」
文庫本とボールペンをセットで渡してきた。なんの本だと思ってパラパラとめくれば、活字がなく、最初から終わりまで白いページしかない。
要するに文庫本サイズのノートだった。
「さしあげます。これからルールをこのノートに書いていってください」
「ルール、ですか?」
何の? と言外に目で問えば、
「女の子を攻略するためのルール、です」
とんでも発言が飛び出した。
「私からも適宜お伝えしますが、自分でも考えに考えてどんどん追加して書いていってください。それはいつかあなたにとっての世界にひとつだけの財産になるはずです。いいですか? はい、まず」
有無を言わさぬ強い語調に、頷く他ない。催促されるままボールペンをノックし、芯を出して、続く言葉を待つ。
「ルール2、このルールブックをいつ何時も肌身離さず持ち歩くこと」
「え? 2?」
「1は最も大事なことなんですが、あとで教えます。とりあえず次のページから今のを書いてください」
「は、はい……」
言われたとおりに書く。
『ルール2 このルールブックをいつ何時も肌身離さず持ち歩くこと』
書きつつ、つぶやいてみる。なんのことはない。常にこのノートを持ち歩き、ルールを励行しろということだろう。
「はい、次、ルール3、迷ったときはルールに従う』
同様につぶやきつつ、
『ルール3 迷ったときはルールに従う』、と書き終わるとほぼ同時に、
「ルール6——「え、6ですか?」
聞き間違えたかと思い、反射的に口を開いてしまった。そこに、声量を二段階ぐらい上げて、
「ルール6 四の五の言うな」
青筋が立っていた。お口チャックのジェスチャーをして、即座にペンを走らせる。よわ、俺、よわ……。
『ルール6 四の五の言うな』
いや、そうだな……少し付け加えておこう。
『ルール6 四の五の言うな。流れに飛び込め』
「そう、そんな感じで自分で考えて追記してください。し・か・も、このルールはこれからの真条さんにかなり必要なことです」
し、しぃましぇんとしか言えません。
「真条さんはノリが悪いといいますか、いちいち理屈だてて考える頭でっかちなきらいがあります。もちろんそれは時に必要なことですが、ずっとその調子だとチャンスを逃すことにつながります。女神は前髪しかないんですから。知ってます? 後ろはハゲてんですよ?」
おおう、HPがとか言えないぐらい、笑いでごまかせないぐらい、グサグサと杭が刺さっていく。また自覚があるのがなおのこと痛い。でも、さ、
「ルール7、でもでもだっては言わない。それが許されるのは女の子だけの特権です、真条さんは男の子でしょ」
まるでパブロフの犬のように勝手にペンは動く。
『ルール7 でもでもだっては言わない。男なら潔く』
男だらけの塾長に死ねいと言われかねないルールだ。ただ、そうなんだろうな。前の人生でいじめられてたのもそういう所に起因していたのかもしれない。反論ばかりしている人間が好かれるはずないのだから。
もう真っ白に燃え尽きるを通り越して土に還ってしまいそうなのだが、麻倉さんは容赦がなかった。
「この二週間で真条さんからアダムスプログラムへの積極的な態度があったかというと、ありませんでした。まぁそれもそうですよね、何事も期限は普通つきものです。それを設定してあげなかった、私にも落ち度はあったと認めましょう」
指をピンと立てると、
「1ヶ月、ちょうど夏前までにまずは一人でいいです。——彼女作ってください」
胃にズンと重りがブチ込まれた。1ヶ月で彼女? おいおい、彼女ってお湯を注げばすぐにできる代物じゃないんだぞ。
「いやいや、む——」
「ルール6,7は〜?」
ヒュ、と喉が鳴った。わかるけど、わかるけどだ。
「ちゃんとペナルティもつけましょう。そうだな、もしも期限までに達成できなかったら——」
目と目が合わさり、
「
俺は麻倉さんという人がアダムスプログラムというトンデモを片手に借金苦から救いに現れた救世主、そして、勝手かもしれないけど善人だと思っていた。
でも、それはもしかしたら間違っていたのかもしれない。
「顔が変わりましたね。いい表情です。少しは本気出せそうですか?」
「何があっても、うちの妹たちには手を出さないでください」
絞るように声を出す。
「そうしたいのはやまやまですけども。お兄ちゃん次第ですね」
うそぶく麻倉さんに奥歯が軋んだ。ただ責任の一端が自分にあるということもわかっている。アダムスプログラムのことをどこか、やらないといけないけど着手しない八月頭の夏休みの宿題のように考えていた自分がいる。
握りこぶしをゆるめ、できるだけ長く息を吐き出す。肺の限界までひねり出して、
「……やりますよ。1ヶ月で彼女作ります」
「いいお返事、ありがとうございます」
今までの剣呑なやりとりから一変して、麻倉さんは破顔する。
「いっやぁ〜〜スッキリしましたぁ。うんうん、やはり腹に抱えるのは性に合わんですたい」
呆気に取られるくらい、いつものトーンに戻る。
「あ、てか、逆に考えましょうよ、成功すれば高二の夏に彼女と過ごせるんですよ。素敵な夏の思い出いっぱい作れますよ。夏祭りに花火大会に、プール、海、キャンプエトセトラエトセトラ」
そんな簡単には俺は切り替えられなかった。
「お茶の子さいさいで、この程度の壁なんて乗り越えてくださいな。あなたはアダムスなんですから」
だから、その言葉に聞き返すことなんか、ましてやできなかったんだ。
「——そうでもないと、みんなを幸せになんかできないんですよ」
それからは麻倉さんとお互いに言葉を発さずに、その屋敷を出た。いや、一応我が家(予定)なんだけれども……やはり実感はわいてこない。
と思った矢先に、
「真条さん、ほいっと」
門の所の鍵を閉めるとすぐに、その鍵を俺に放り投げる。
どうにか落とさずキャッチできた。が、鍵を手の平に載せた瞬間、急に実感がわいてしまうのだから、俺も単純で現金だなと思う。
「あ、そうそう、このお家、元々はヤのつく自由業で反社会勢力のおやびんさんのものだったそうなので、一応鍵は変えてありますけど、もしかしたらゆかりのある方々がやってくることも考えられるので、大事に扱ってくださいね」
「はい?」
「あ、詳細知りたいですか? どうやら——」
なにそれ、この家のデカさって、カタギじゃないビジネスにより生み出されたダークマネーで構築されたってこと? 知りたくなかったんですけど、というか最後のゆかりのある方々って何、怖すぎるんですけど。知りたくない知りたくない。
鍵を突っ返したくなる衝動と戦っていると何やら通知が来た様子で、スマホをイジっていた麻倉さんは、「おっ、やりぃ」とガチャでSレアでも当てたかのような声を上げると、俺を見やり、
「さーて、それじゃ、手始めに」
そうして見せてくるスマホの画面には、どこかの街のマップが映っており、ちょうど真ん中に赤い人型のアイコンが浮かんでいる。
アイコンの上に小さく表示されている文字は、
「この方からいきますか」
——
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