第5話 “ハーレムの定義”







 はたして寝たのか寝てないのかがハッキリしない朝だった。


 というか、これを朝とは呼ばないだろう。

 日付が変わって二時間。まだ日も出る気配のない、妖怪たちが運動会をやってる時刻だ。


 俺はもそもそと布団から這い出ると、あくびを噛み殺しながら立ち上がる。

 ネトゲで鍛えた、睡魔に逆らう鬼の精神力を舐めるなよ。と思いつつ、気がつくと身体がフラつきそうになっている。昨日は色々あり過ぎた。主に、


 チラと横目でそれを窺うと、茉菜花巡まなかめぐ最終防衛ラインの向こうですやすやと寝息を立てる生命体がいる。


 麻倉さんである。


 い、いいんですか。こんなの、美少女が同年代の男のいる四畳半にお泊まりとか許されてるんですかね。日頃は、川の字になって寝ている真条家もフォーメーションを変更せざるを得なかったですよ。部屋のサイズ的な問題で。そして俺の精神の問題で。


 夕飯を一緒に食べたまでは良かったが、マジで例の公私とも(略)で一緒に暮らすと言い出した時は卒倒しそうだった。やっぱ、この人大丈夫なのかしら。俺がケダモノだったらどうしたのか。だがまぁ、あの借金取りに対峙するクソ度胸の持ち主だ。所詮俺。返り討ちにされておしまいってとこか。


「はぁ……」

 ため息はつきない。


 呼吸と共に上下する胸部や、白い喉元など気になって仕方ないが煩悩を振り払うべく真面目な思考へ戻る。


 俺がどれだけ逆立ちしても出てこないような大金をサラッと出して、借金の肩代わりをしてくれた。あんなおっかないやつらに比べたら、まさに地獄から、天国に変わったに等しい。ほんとに現実かよ。


 だからこそ、眠りの世界の住人であろう恩人に小声で尋ねる。


「何者……すか。あなた」


 アダムスプログラム。ご大層な名前だが、疑問はまだまだ掃いて捨てるほどある。その対象として選ばれたからという理由で、そのサポートを務めるからという理由で、はじめましての人間にここまでするか普通。


 また気になっているのが、一定の条件において、生涯の生活を保障するとも言っていた件だ。


 そんなうまい話が世の中ないことはわかってる。対価はいかほどか。とどのつまり問題はそこだ。ハーレム作れ? 出来らぁっ!なんて言えるわけがない。一体、俺は何をすればいいんだよ。

 

 まぁ……、後で麻倉さんに直接聞いてみよう。


 でも、四人で並んで寝るのは久しぶりだって、茉菜花も巡も言ってたな……。母さんの布団を取っておいてよかったと心から思う。


 というか、

「いけねっ 、早いとこ行かないと⁉︎」

 

 ペナルティがついてしまう。俺は慌ててつつも、誰も起こさぬよう注意を払いながら寝巻き兼用であるジャージのまま外に飛び出す。そして、そのままろくに準備運動もせず、真っ暗な世界を走り出すのだった。こうぼやきながら、


「今日が月曜で助かった……」


 そう、月曜は折り込みチラシが少ないのである。






   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×







 光速のチャリ捌きで無事配達を完了し、ノギワ荘の外の階段をギシギシ言わせながら上っていく。


 ベニヤ板みたいな扉の向こうからは、いつもに比べ新しい声が聞こえてきていた。なんか賑やかだな。まるで、母さんがいた頃に戻ったかのようで、


「ただいまー」

 足の親指が若干見えているボロの運動靴を脱いで、一歩踏み入れると、


「お帰りなさーい」「おかえりー」

 と、リトルシスターたち、そして、


「おはようございまーす、おつとめご苦労様でした」

 

 俺は脇に挟んでいた余り物としてもらってきた朝刊を落とす。


 両膝をついてちゃぶ台の上のカセットコンロから味噌汁をよそう、俺の知らない制服に身を包んでこちらを肩越しに振り返った麻倉さんだった。


 完全に俺は固まってしまう。


 しょ、正直、な、なんだこの破壊力、こんなの核の冬が訪れるぞ。戦略級だよ戦略級。天国はここにあるのか。家庭的な女の子がいいってこの事かーっ‼︎ これは言うわ。そりゃ、毎日俺のために味噌汁作ってくださいとか言うわ。


「もう出来てますから。立ってないで、手洗いうがいしたらどうですか?」

「は、はひっ」

 

 ロボットじみたカクついた動きで俺は水道で手を洗い、うがいを済ますと、能のような足取りで食卓に着いた。


「ではでは、頂きましょう」

 頂きますと一斉に感謝した後で、しばし納豆混ぜ混ぜタイムが発生する。


 その間に俺は必死で心頭滅却すれば火も又涼しと、高速で詠唱し平静を取り戻そうとしていた。こう見えても詠唱は得意だ。黄昏よりも昏きもの――


めぐさん、こちら大丈夫です?」

「だいじょうぶ。お兄が、ヘンなのはだいたい、いつもの事」


 巡さん、聞こえてる聞こえてる。兄ちゃん、動揺してるだけだから。すぐ元通りだから。締まらない顔を叩いてどうにかしようとすれば、横から、


「お兄ちゃん、今日の味噌汁は一味違うんだよ〜」


 茉菜花がほがらかに言うのでお椀をまじまじと、見つめれば、


「具がある⁉︎ ミ・素汁じゃない‼︎」

 驚愕が口から飛び出た。失礼、汚い表現、食事中に。


「ミ……なんです?」


 混ぜ混ぜする箸を止め、首を傾げる麻倉さんに、

「お、主に我が家では具がない味噌汁のことをそう呼称しておりますっ」


 一種の生活の知恵である。こうする事で、味噌と出汁とお湯だけで具のない味噌汁がまるで高級イタリアンのスープのような気持ちになれる。ちなみに気持ちになれるだけです。


「これどうしたんだ? 豆腐どころかワカメまで、……海から取ってきたの?」

「いやいや……さすがに味気がなさすぎたので私が先ほどコンビニで買ってきました」


 苦笑いを貼り付けたままの麻倉さんに、俺が合掌すると茉菜花と巡もならう。


「「「ありがとうございます‼︎」」」


「ど、どういたしまして」

 たじろぐ麻倉さんを置いておいて、ずずいと汁をすすればやはりいつもとは一味も二味も違った。これがUMAMIか……。








 小さな幸せを噛み締めつつ、朝食が落ち着くと、俺は上から読んでも下から読んでも新聞紙をちゃぶ台に広げる。


「あの、」

「お、今日の朝刊ですね」


 生活費を稼ぐための術、あるいは冬場に寝る時寒いから布団に重ねる時ぐらいしか新聞は普段全く読むというより使わないが、昨日の件があったせいで何か情報を得られないかともらってきたのだ。


「あの例のアダムスプログラムなんですけど」

「一面はここの所、人口減少、少子化に対しての大袈裟な数字が踊ってるんですよねぇー。とってもプロパガンダ」


 普通に記事を読み始めている麻倉さんにひるまず、俺は尋ねる。


 まず配達から家に帰ってくるまでの間に斜め読みした限りでは、この国の現状は本当にのっぴきならないらしい。前世に比べて輪をかけて人口減少が早いようで、国家としてもこの流れを国難として捉えていると。


 その論説に付随する形で用語解説に載っていたのが、アダムスプログラムだ。かいつまめば、国が認定する特定の男子に重婚の義務を負わせ、模範的家庭を築き国民に対し喧伝することで、結婚及び出生に対する意識を高めさせる的なことが書いてあった。しかも諸先進国や国内で先行していた実証実験でもすでに一定の効果を上げつつあると。ほんまかいな。


「いや、あの、婚姻の義務的なのが書いてあったんですが」

「まぁハーレムを作れとはそういう事ですよ。バシバシいい人をゲットしていきましょう」


 それはおかしいでしょう。ホケモンじゃねーんだよ。必死で手を横に振りつつ、


「いや、そもそも俺、まだ結婚できないですし」


 生活力がないのはもちろんだが、その前に法律で結婚が許される年齢まであと1年以上はある。


「そうですねぇ。そこを含めて、まだ時間がありますし、昨日のお伝えできなかったところまでお話ししときますと」


 麻倉さんは、ぺらぺらと紙面をめくっていき、ある両面記事で指を止める。


 それはインタビュー記事のようだった。インタビューを受けているのは、


「これって……」

「ご存知なんですか? 真条さんにしては珍しい」


 ぬぬぬ、情弱なのは反論できないが、たまたまだ。


「知り合いがファンなんですよ。アイドルですよね?」


 名前は忘れたが代々木……じゃないな、渋谷しぶやとか言う苗字だったはずだ。どっから見ても茶髪の似合う王子様然とした容貌は、男の俺からしてもイケメンアイドルと言わざるを得ない。巷じゃ出す音楽はチャートの常連、格好いいのに芸人顔負けの無茶なロケも笑顔でこなすせいでバラエティに引っ張りだこ。とか言ってたな、万里子まりこさん。


「確か、わたるくんだよ、お兄ちゃん」

「そうだ、そんなドラゴン使いみたいな名前だった」


 って茉菜花が教えてくれるが、よくよく記事を見れば渋谷渡しぶやわたると名前がちゃんと書いてあった。何これ芸名? 本名は毒島大五郎ぶすじまだいごろうとかそんな感じ?


「この方、真条さんと同い年ですが、アダムスプログラムの対象者です」


 つい、まじまじと紙面上で椅子の背もたれに逆に座って微笑む渋谷某を見つめてしまった。


 こういうのがやっぱり対象になるの? いやもうむしろ、そんなのわざわざ強制せんでも勝手にぽんぽん週刊誌砲に狙われるスキャンダラスな人生送るだろ。ハーレム許可なんて公に与えようものなら、鬼に金棒過ぎる。レッドカードです。


「所属事務所の方針とか諸々ありまして、おそらく公表するのは来年になるとは思いますけどね。確か今、何人だったかな……5人ぐらいだったかとは思います、婚約者」


 吹いた。


「こん、やくしゃ?」

「ええ、いわゆるフィアンセ、です」


 手のひらをぱーで突き出し、

「ごにん?」

「ですです。もしかしたら現在進行形で増えてる可能性はありますけど」


 何だそれ、何だそれ。あれか、ドラマで共演した美女優とか、女子グループアイドルのセンターとかかおい。ふざけてやがりますよ。前世だったらニートちゃんねるに嫉妬丸出しで呪詛を書き込んでたぞ。顔か、やっぱり顔か。俺だって、俺……だってぇ……、


「何やら表情が百面相してますけど?」

「大丈夫です。あれはお兄ちゃんが色々難しいことを考えてる時だって言ってました」


 ……ジェラってる場合じゃない、話を進めなければ。ただ会った事はないけど、今しがたこいつの事、嫌いになりました。


「それで、こいつがどうしたんですか?」

「立場は違えど、渋谷さんのモデルは真条さんの参考になります。色んな女の子とまずはねんごろになり、婚約者を増やしてください。それが現状における、我々のハーレムの定義です」


 ぽかーん。である。ここに鹿おどしがあったら、合間にかぽーん。と鳴っていたレベルである。


 あれぇ、なんか想像してたのと違うー。僕が想像してたハーレムってのは、よくあるクソ鈍感難聴イケメンが無条件に女の子にもてまくるラノベアニメみたいのを想像してたんですけどー。というか、え、嘘でしょ、恋人ですら作れないのに、婚約者作るの? アタシ、DTだけどなんか順番違うと思います。


「婚約……、って結婚の約束ですよね」

「ですです。要するに、結婚を前提にお付き合いと言いますか。まっ、プロポーズしてください」

「ぷろぽぉず?」


 するってぇと、あれだ。綺麗な夜景の見える丘で二人きり、いいムードになったらば、


 ——僕と結婚してくだしゃい‼︎

 ——嬉しい……(涙ホロリ)。

 ——答えを聞かせてもらえましゅか……?

 ——もちろん、……YESです。

 ——では、きみは婚約者No.5でしゅ。


 イメージしてみたが、これをやれと。しかも複数? 殺されるだろ。今のやりとりの5秒後、男はズタズタにされてるわ。


 乾いた笑いが出てくると、


「一応、我々の方で決めさせて頂いていますが、最低三人からです。これはアダムスプログラムの対象者に対する生涯の生活保障の条件にもなっています。たとえば成人されてる対象者ならば、実際に婚姻届の提出までしてカウントしていると思いますけども、真条さんの場合は婚約までして頂ければ、それで構いません。まぁもちろん、そこの所は私が確認させて頂きますけどね」

「じょ、じょ、」

「はい?」


 条件ってこういうことか——っ!! もっとどうにかならなかったんでしょうか。


「何かご不満でも?」

 不満も何もとこちらが口を開く前に、ぽんと両手を叩くと麻倉さんは、

「あ〜、それとも目指しちゃいます? 目指しちゃいますか?」

「はい? 何を?」


 続きが怖すぎたが気づけば、反応してしまっていた。


二桁ふたケタ♫」


 二桁。すなわち10人以上の嫁。え、俺は石油系の王侯貴族か何かなの? すげぇ、こんなに想像すら出来ないのはオラ初めてだ。


「たとえば、双子の方をどちらもゲッチュしてしまえば効率いいかと。三つ子なら通常の三倍です。五つ子ならなんとなんとの」

「訳がわからない……」


 通常の三倍って赤い彗星じゃねぇんだぞ。まして五つ子とか五等分でおそまつすぎるだろ。だから、軽く言わないで頂きたい。


「あの、これマジでやらないとダメ、なんですか?」

「義務、ですからねぇ。まぁ、やらないとなると」


 茉菜花と巡を一瞥いちべつする。配慮してくれたらしいが、つまりは罪に問われちゃう。そういうことだ。おいおい、嘘だろ。こわいよ。国家権力こわい。


 だーもう、徴兵制のある国の気分がわかった気がする。平和万歳。


 うなだれる他ない。だが、仮に俺が結婚してくださーいといくら頑張ったとして結果がついてこなかったとしたらどうするのだろうか。努力イコール結果ではないことはよくわかっている、つもりだ。


「その時は、その時です。今からもしもしたらればな仮定を話しても仕方ありませんし、それに、万が一そんな事になったとしても、」


 ためらいもなく。

「その時は、私も責任取ります。安心してください。」



 ……つくづく、ずるい人だ。


 こっちは返せない、いや返さなければいけない恩があるというのに。そこまで言われたら、弱音を吐けなくなる。だって、


「カッコいいなぁ」

 こんな風にサラッと言えるようになりたいじゃないか。


 くすぐったそうに笑う麻倉さんは手を差し出し、


「なれますよ、あなたなら」


 その手を握り返す。


 自信はまったくない。あるのは顔だけだ。でも、この人生までも後悔したくはない。だから、


「やるだけ、やってみましゅ」


 噛んだ。


 もう終わりだ、はいこの世はしゅーりょーのお知らせ。肝心要で決まらなかった。今の編集でカット出来ませんか。しかも舌、超痛いんですが。救急車呼んでもらってもいいですか。それでクールに去ります。


 だが、武士の情けか、指摘をせず、


「では、行きましょうか。少々時間押してますので」


 と立ち上がった麻倉さんはいつの間にか壁に掛かっていた制服のようなブレザー、しかもどういう訳か男物を俺に手渡す。いやいや、渡されても困る。俺の高校は詰襟だし、あっちの壁にかかって


「……あれ、ないんですが」

 僕の制服知りませんかと妹たちに尋ねても揃って、首を横に振る。


 待って待って、どうしよう。つか、どうした。


「え、これ、なんですか?」

「何って、転校するんですよ? だから、新しい制服です」


 首根っこを掴まれると、俺は脳内を占めるクエスチョンを止めることの出来ないまま外に、引きずられていくのだった。




 え?

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