第34話
その動きが異様なほど――石像とは思えぬほど俊敏だったことに、ジンたちはそれでも備えが全くないというわけでもなかった。
ここしばらく、奇怪な化け物たちを目の当たりにし続けていたのだし、ジンたちの目は常に石像が、そうした姿を見せるところを危惧して、警戒していたのだ。
「……つまり、だな」
ジンはよろよろと呻いた。
「俺が今、背中を斬り付けられたのも、別に無防備だったわけではなく、背負っている重苦しい火炎放射器を、あえて盾として使おうという緻密な作戦なわけで……」
石像が地を蹴った直後、ジンは一瞬のうちに斬り払われていたようだった。
ミネットの足元にまで転がって、背中を押さえてうずくまり、息を詰まらせ震える声で言い訳する。キュルは相変わらず「流石っす!」と全面的な賞賛を浴びせてきたが。
「とりあえず、残った上半分はさっさと捨てなさいよ……あと、油臭いわよ」
「猫族が油を舐めるって本当なんすかね?」
「な、舐めないわよ! だいたい、あたしが好きなのはもっと魚っぽいやつよ!」
「結局舐めるんすね」
どうでもいい話を聞きながら、ジンは火炎放射器を脱ぎ捨てた。鉄の容器には油が詰まっていたらしく、ミネットの言う通り身体と、転がった部分に油が撒き散らかされている。
ワニの石像は、その延長線上に立っていた。振り向く動作だけは異様にゆっくりとしているが、それは威圧感を与えるためなのか、あるいは油にまみれているためか。
いずれにせよ、動き出した石像には恐怖させられるものがあった。
「それにしても……またこういう危ない怪物が出てくるのね。どうなってるのよ、ここは」
「親分、さっさと逃げましょうよぅ。どうせ逃げるんすから」
「……いや、待て。俺の緻密な作戦は、実はまだ終わっちゃいないぞ」
逃げ腰なふたりに対し、しかしジンは不敵に笑ってみせた。
「実は今の一撃……油を撒き散らすことが目的だったんだよ!」
「どういうことっすか?」
「ふふふ、よく見ろ。あいつは今、油の上だ。つまり――」
ジンは捨てたはずの火炎放射器の中から、レバーの付いた管を持ち上げた。
「これで火を点ければ、あいつは植物怪物と同じく丸焦げになるってことだ!」
「な、なるほど! 流石っす、親分!」
「ちょっと、ボス? それってボスまで丸焦げになるんじゃ……」
ミネットの指摘に――しかしジンはそれを全く聞かないまま、大笑を上げていた。
管の先端を油の上に付け、勝ち誇った哄笑と共にレバーを引く!
「燃え尽きろ、石像野郎!」
かちっ。
「…………」
小さな音と……沈黙。瞬間、それが辺りを包み込んだ。
ジンが状況を理解したのは、勝ち誇る顔のまま硬直し、しばらくした後。
「ひょっとして、このレバーだけじゃ火が点かないのか?」
「イノ、チヲオオオオ……ッ!」
激昂するように、石像が飛び出してきた。油の撒かれた地面の上を飛び越えるように、一足飛びにジンの眼前まで辿り着くと、刃と化している右腕を振り下ろす。
人間には反応が難しい、恐るべき速度だったが――それが地面を叩くだけに終わったのは、ふたりの獣人が共にジンの首根っこを掴んで飛び退いていたためだった。
「何やってるのよ、ボス!」
「い、いや、悪い……まさか俺の緻密な作戦に、紙一重とはいえミスがあったとは」
「親分、惜しかったっすよ!」
「むしろ成功しなくてよかったと思うけどね……」
ともかく三人は、結局のところまた逃げ出すことになった。ワニの石像が、今度はほとんど間を置かずにすぐさま向かってきたのだ。
不幸だったのは、ジンたちの逃げた先がまだ広間の中央からそれほど離れていない上、元来た入り口とも、進もうとしていた奥の入り口とも遠い場所だったということである。
三人はそこからどうにかして、少なくともどちらかの入り口に飛び込まなければならなかったが、あるいは石像もそれを理解していたのかもしれない。さらにひょっとすれば、それは”闘技場”から逃げ出そうとする臆病者を許さなかったのか――
ワニの石像はジンたちが入り口の方向へ駆け出すと、石とは思えぬ俊敏さで先回りして、三人の眼前に広がる空間を剣で切り裂いてみせた。慌ててもう一方の入り口を目指してもそれは変わらず、広間の中に押し留められてしまう。
ジンはその中で、擁壁から自分たちを野次る何者かの声を聞いた気がして振り返ったが、それは紛れもなく幻聴だった。擁壁の上には誰ひとりとして存在していない。しかし過去、ひょっとすればそうしたことが行われていたのかもしれない、と思えたのだ。
もちろんそれが真実かはわからない上、真実であるなら、なおのこと遺跡の用途がわからなくなってくるのだが。
いずれにせよ、そうした過去に思いを馳せられる時間は長からず、ジンたちは再び腕を振り回して虚空を切り裂くワニの石像から逃げ回ることになった。
全く活用されていなかったナイフの存在を思い出したのはその時だが、石にナイフが通用するはずもなく、また腰に手を当ててみると、そもそもナイフがなくなっていた。逃げ回っている時か、あるいは水の中で落としたのだろう。
仕方なく他に武器か、防具になりそうなものを探し、ジンたちは壊れて倒れている石像を使うことも思いついたが――
「イノ、チ……イ、ノチヲ……!」
繰り返し喚き続ける石像が腕の刃を一振りすると、それはあっさりと石にめり込んだ。そして一瞬は受け止めたものの、すぐさまけたたましい音を立てて破壊されてしまった。
さらには手元に残ったものを投げつけると、それも両断するように叩き落とされる。
結局ジンたちはどうしようもなく、逃げ回る役に戻らされた。
しかし――
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