第39話
ぎぃぃぃぃぃ……
と、蝶番の危うく軋む音を立てながら、扉が閉じる。
それが簡単に押しすだけで、あるいは何もせずとも開いたりするようなことのない、扉としての機能を保っていることを確認し、ジンは満足そうに頷くと額の汗を拭った。
「って、なんで逃げずに隠れてるのよ!」
律儀にそこまで待ってから言ってきたのは、ミネットである。
当然だが、まだ遺跡からは脱出していない。
それどころか逃げ始めて最初の分かれ道を一方に曲がった先で、ジンは走り続けるのではなく、そこにあった部屋の一つへと逃げ込む選択を取ったのだ。
「俺はふと気付いたんだよ」
ジンはその抗議を予想していたように、指を一本立ててみせながら言う。深刻な顔で。
「俺たちは……元々どの道を通って来たのかわかんねえってな!」
「確かにそうっすね!」
「おいらも全然覚えてないから、どこに行くんだろうと思ってたっすよ!」などと、キュルが同調してくる。
そしてそれはミネットも同じだったらしい。が、一応反論だけはしてきた。
「でも適当に走ってれば、どこかに合流できるんじゃない? もう、あの広間だか闘技場だかに出てもいいわけだし」
「俺たちはそれを狙って石像から逃げた結果、あの行き止まりに辿り着いちまったんだ。また似たような行き止まりがあったら、今度こそ終わりだ」
「まあ……そうかもしれないけど」
そう言われてしまっては、彼女も納得する他になかったらしい。口を尖らせながらも、渋々と反対意見を引っ込める。
それを確認してから、ジンは耳を立てるようにして扉の方へ視線を向けた。
「とにかく今はあいつをやり過ごす。その後で、あいつの行かなかった方向に進むってのが、一番安全のはずだ」
決断すると、耳のいいミネットを見張りとして扉の前に立たせる。怪物が近付いてきたり、通り過ぎたり、あるは別の道を進んだりしたら知らせるように、と。
その間に、ジンは部屋の中を見回した。そこは今まで見てきたいくつかの部屋の、破壊される前の姿という様子だった。広さは十人ほどが詰められるという程度だろう。
積石の表面に舗装を施したのっぺりとした床や壁は、灰色掛かった色褪せた乳白色をして寒々しさを感じるが、怪物の壁画や彫刻がなかったのは幸いだと言える。
木製の平凡な棚や書架、机などがぎっしりと並んでおり、中には壁に備え付けられたものもある。そこには空になった透明な瓶や、見たこともない書物が収められていた。
特に机の上には十数枚近い粗末な紙の束と、横倒しになった空瓶が転がっている。紙束には歪な扇状に広がる黒ずんだ染みの波が描かれており、今では当然乾き切っているものの、瓶から零れた液体に濡らされたのだろうと推測できた。
ジンはなんとなしに、それを手に取ってみることにした。ランプ係りのキュルもついてきて、横からそれを覗き込んでくる。
それはどうやら、この遺跡に住んでいたのたか、出入りしていたのか、ともかく遺跡が健在だった頃に生きていた者が残した草稿というか、殴り書きのようなものだった。それも焦りと恐怖を抱く不規則な筆圧を持ち、古語によって記されている。
(古語って……獣人が生まれるより前の言葉、だったか? ってことは、ここは人間が使ってた建物ってことか?)
未だに判然としない遺跡の用途に加え、ジンは時間の経過についても混乱を抱かされた。
いつの時代に、どうして建てられ、何を行っていたのか――
その答えが古書の中にあるのだろうかと、改めて紙の上に目を落とす。一番上のものは、埃と染みとに汚れて大部分が見るに堪えないものだったので、ジンは慎重に紙をめくった。濡れてくっついた古紙が破れないよう、慎重に一枚、二枚と剥がしていく。
五枚目ほどでようやく判別しやすい文字が見え、ジンはそこで手を止めた。さほど長からぬ文章の、さらにそのほとんどが読めなくなっているため、残っているのは一文だけだ
『かくせし事は継がれし故か、継がれなかりし故か。我らが選びしは遠き者共の良きなるを願うものなり』
もう一枚めくると、また別の文章が目に入った。
先ほどと同じく古語で書かれた、ほんの短い文章である。
『我ら、あのものにつきて見誤りたりき。封ぜざらばならず、されど封ぜられし禍(わざわい)が、かかるもの封印すれど最も適したるは、たち悪したはぶれなり』
「これは……」
「なんすか、これ?」
隣で獣人が首を傾げる。ジンも実際、ほとんどの部分には首を傾げざるを得なかった。
獣人の言語は、人間の言語を模したと言われている。実際にそれは獣人社会、人間社会で新たに製造された言葉を除き、ほとんどが共通していた。さらに言えば、奇妙なことに百年にも満たない歴史しかないはずの獣人も、人間の古語と同じものを持っているらしい。
しかしそれでも馴染みの差か――あるいは想像力などの知能の差か。獣人の大半は古語を全く理解できないが、ジンには全てが理解できるわけではなくとも、要所の言葉を抜き出して把握することが可能だった。
そして把握した言葉を繋ぎ合わせることで、一つの結論を導き出すことに成功する。
「ボス! 怪物がこっちに!」
その時、ミネットが声を潜めて言ってきた。
それを聞き、ジンたちは口を塞ぎ、ランプに布を被せることまでして、完全に息を潜めた。石化したように硬直し、固唾を呑んで入り口の扉を見つめる。
声を発さず、音を立てず、静寂を守る……
するとジンの耳にも、怪物が通路を踏み鳴らす音が聞こえてきた。そしてそれは大股に、連続して、一気に自分たちの潜む部屋へと近付くと――
怪物はそこで立ち止まった。そして、
「グゴァアアアアア!」
吼え猛る声に、ミネットは危険を感じたに違いない。直後。
ずがん! と扉の横の壁が打ち砕かれた。土煙の中に、怪物のおぞましい腕が姿を現す。
「……!」
ミネットが――猫族の特性を活かし、足音を立てずに咄嗟にその場から離れていたミネットが、無言の悲鳴を上げたのがわかる。腕とミネットとの距離は、ジンの背丈分ほどしかなかった。瓦礫が、彼女の身体にいくつもぶつかっていたことだろう。
その状況でも誰も動かず、声を出さなかったのは、竦み上がっていたからに他ならない。しかしそれが結果的には正しい行動だったらしい。怪物は腕を引き抜くと、その崩れた壁から中へと侵入してこようとはせず、そのまま遠ざかっていったのだ。
やがてその音が聞こえなくなる頃……ジンたちはようやく息を付いた。
「おいらたちが見つけられなくて、八つ当たりしたんすかねえ」
「その八つ当たりで……殺されるところだったわ……」
蒼白になって、その場にへたり込むミネット。ジンも流石に同情の念を禁じ得ず、軽く頭を叩いて慰めてやりながら――
しかし顔では、不敵な笑みを浮かべていた。
それを見つけた獣人たちが、正反対に途轍もなく不安そうな表情を向けてくる。
「なんだよ、その顔は」
「いや……親分が嬉しそうな時って、たいていはひどいことになるっすから」
「また無茶なことを言い出すんじゃないでしょうね……」
「無茶とはなんだ」
口を尖らせ、ジンは告げた。
「俺はただ、この隙に奥へ行くぞって言おうとしただけだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます