三章
第17話
■3
石と砂埃と黴の混じる乾いた異臭にも、もう慣れたと言えるだろう。
ランプは三つあるが、火を点けて掲げているのは先頭を歩くキュルだけだ。ジンとミネットは、咄嗟の事態に備えて身構えている。今までそんなことは起きていないが。
怪物のうなり声はもう聞こえない。風はすっかり止まったのだ。その代わりに水の流れる音や、遺跡全体が軋むような石の擦れる音が聞こえるようになった。もっともどちらにせよ謎めいたものではなく、既知のことであるため、怯える必要もなく進むことができた。
「こっちであってるんすか?」
「わかるわけねえだろ。とにかく今は目印の付けてない道を進むだけだ」
キュルの質問に答えながら、ジンは辺りを見回した。
相変わらず暗い。地面と同じ高さにある上、遺跡と呼ばれるほど古い建物なのだから、陽光くらいは入り込んでもよさそうなものだが、天井はしっかりと空を覆い隠している。
遺跡内の通路は進むごとに広くも狭くもなるのだが、今は狭い。両手を横に広げることもできず、天井こそ高いものの、窮屈で息苦しさを抱かされた。
その不安感から、思わず壁に手を触れて歩きたくなるが、それは堪えておく。こういった場所では、壁や床の一部が罠の発動装置となっているのが定番だ。そう思うと、荒れて凸凹になった石壁の、どれもが危険に思えてくるが。
「親分ー、お宝がないとやる気出ないっすよー」
ぼやくのはやはり、キュルだった。
「やっぱりあの電気の置き物、持って帰った方がよかったんじゃないっすか?」
「絶対嫌よ!」
頑なに、最後尾を歩くミネットが言ってくる。キュルは不満そうに振り返った。
「罠のことなら、あの風だって食らったじゃないっすか。それに電気だって、みんなで」
「電気を二回も受けたのはあたしだけだし、回数の問題じゃないわ」
「じゃあ何が問題なんすか?」
問われると、ミネットは一度だけジンへと半眼を向けて、
「あたしがどれだけ怖くて嫌だったかを主張するための、あてつけよ」
「あ、あれはほら、仕方なかっただろ? それにちゃんと謝ったし」
なだめるように、ジン。
「それにあの後、お前の好きな何かの生肉だって買ってやっただろ?」
「そりゃ……まあ、美味しかったけど」
勢いを削がれ、それでもミネットは口を尖らせ、小声でぶつぶつと呟いた。
「もうちょっとこう、大切に扱うとか、そういう……」
「おいらよりはマシっすよぅ」
「……それもそうね」
キュルに言われると、彼女はあっさりと納得して頷いた。それはそれでキュルの方が「なんかショックっす……」と落ち込んでいたが。
その落胆の顔は、すぐに晴れることになった。彼は一度項垂れて、しかしもう一度顔を上げると、その先にあるものを見つけて声を上げた。それも歓喜の雄叫びである。
「親分、あれ! あそこに宝箱みたいなのがあるっすよ!」
「宝箱?」
指差してきたのは通路の奥。まだランプの光が完全には――少なくとも人間の目には――届かないほどの奥らしい。ただ、獣人たちにはそれが見えるらしく、ミネットも同じくぴくりと耳と尻尾を立て、口元を期待に吊り上がらせたようだった。
「なんかぴかぴかしてるわね! 少なくとも、あの箱だけでもお宝よ!」
「え? あ、ああ……そうかもな、うん」
とりあえずジンは調子を合わせて頷いた。が、すぐに首を傾げる。
「けどここ、通路だろ? なんでンなところに」
「裏をかいたってやつじゃない? ボスはまんまと嵌められたのよ」
その説得には納得しかねたが、キュルには無関係のようだった。
「そんなことどうでもいいっすよ! とにかく開けてみればわかるっす!」
そう言って、ランプ役だということすら忘れ、彼は飛び跳ねるように駆け出した。
ジンが落ち着けとなだめる間もなく――また、「足元に気を付けろ」と促す間もなく。
「ぎゃっ!?」
ほんの二歩目で、彼は何かに躓いたようだった。そのまま抵抗することもできず、どたんとうつ伏せに倒れ伏す。ジンはその姿に呆れて肩をすくめ、
「まあこうなるとは思ってた――」
ひゅんっ!
言いかけた瞬間。目の前で何かが光ったように見えたのと、それが風を切って飛来したのとは、ほとんど同時だっただろう。それが人を突き刺す矢であることは――
獣人のミネットですら、その動きが止まってからようやく気付いたほどだった。
「ちょっと……ボス!?」
慌てて声を荒げる。
矢が止まったのは他でもなく、”ジンの額で”のことだった。ミネットはやや後方で、彼が頭から矢を生やして硬直し、少しの間をおいて崩れ落ちるのを見た。
「う、嘘でしょ? ちょっと!?」
駆け寄る、というよりはしゃがみ込む。ミネットは顔を蒼白にさせ、喉を震わせながら、うずくまるように伏した彼を抱き起こして……その惨状を目の当たりにすることになった。
間違いなく矢が刺さっている。ジンの額に、だ。
地面に落ちたランプが作り出す曖昧な明かりの中で、それが獣人の目には取り分けハッキリと見えてしまったのである。ミネットがその目の良さを恨んだかどうかはわからない。
ただ、その姿を見てしまったことには強い後悔を抱いた。
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