第14話

「む……止まれ!」

 御者台に座る男――リカオンの顔をした獣人が声を上げる。

 それが向けられていたのは、前で荷車を引く馬――馬の獣人に対してだった。

 もっとも、もはや急ぐ必要もないと思えたので、進む速度は大したものでもない。荷台からは今日の首尾について談笑する男たちの声まで聞こえていた。

 そのため馬の獣人も言われるまでもないという風に頷くと、指示を受けてから少し歩き、”それ”の目の前まで辿り着いたところで足を止める。

 そうしてから、リカオンの男はゆっくりと、”それ”を見下ろした。

 荷馬車がすれ違える程度の山道である。左右を上りと下りの崖に挟まれ、舗装されてはいるものの小さなが凹凸が目立つため、下りの崖には近寄りがたい。

 そうした影響か、通行する者は多くなかった。あるいは町や村へと直接通じるのではなく、街道へ抜けるための道となっているせいかもしれないが。

 いずれにせよそんな場所であるため、”それ”を見かけるのは珍しいことだった。

「お前、何してんだ?」

「あぁっ……」

 リカオン男が呼びかけると、”それ”――というかミネットは吐息混じりの声を上げた。

 彼女は道の真ん中に足を投げ出した格好で倒れ込み、艶かしく地面に両手を付いていた。さらには俯いて、儚げに小さく首を振り、

「すみません……少し、足を挫いてしまって」

 そうしていると、恐らくは荷車が止まったことに疑問を抱いたのだろう、リカオン男の仲間と思しき男たちが数人、荷台から御者台の方に顔を出した。それぞれにカバ、狸、鼠の顔をした、当然だが誰しもが獣人である。

 彼らは誰しも――リカオン男や馬男も含めて――素肌に革鎧や革ベルトという姿だった。中には棘の付いたショルダーアーマーを装備している者もいる。

 それは紛れもなく奇怪だと思えたが、露出量で言えばミネットの方が上だろうし、粗末なボロ布を着ているだけのキュルよりはまともな装備だと言えるかもしれない。

 いずれにせよミネットはそれら全員に、潤ませた流し目をちらちらと向けると、片手を頬に当て、妖艶な様子で小指を唇の端に触れさせながら続けた。

「よろしければ、町まで乗せていっていただけませんか? お礼は……私にできる限りのことでお支払いします。足を挫いて満足に走ることもできない私に、できることがあれば」

 顔を僅かに赤らめながら、頬に当てていた手をゆっくりと、自分の首筋から、ジャケットを肌蹴させた胸元へとなぞらせていく。男たちはしばし、それをじっと見つめて――

 やがてリカオン男が、口を開いた。

「轢け」

「なんでよ!?」

 無情な言葉に、ミネットは抗議めいて叫び声を上げた。さらに荷車を引く馬の獣人があっさりと頷き、指示に従うのを見て、たまらず飛び起きると怒りの形相で詰め寄った。

「こういう時は普通、下心を持つものじゃないの!? 見たところ男ばっかりなんだし、変な想像して二つ返事で従うもんでしょ!」

「ふッ……」

 まくし立てると、なぜかリカオン男は不敵に笑ってみせた。

 腕を組み、目を瞑り、口の端を吊り上げて、

「俺は最近な、無毛ってやつに目覚めたんだよ」

「無毛……?」

「猫族でいうと、スフィンクスとか、あの辺りだろうな。あとは――」

 そしてリカオン男は、カッと目を見開くと、勝ち誇った大音声で叫ぶ!

「人間の女とかな!」

 その瞬間、周りの男たちが面白そうに騒ぎ始めた。

「で、出たぞ! 御頭のニンゲナー宣言だ!」

「流石は御頭、初対面の獣人に堂々と言っちまうなんて!」

「もういっそ格好良いでやんすよ!」

 それらに取り残されたのは、ミネットである。唖然として数度、大きく瞬きする。

 とりあえずできたことと言えば、首を傾げることくらいだった。

「に、にんげなー?」

「御頭みたいな人間の女が好きな変態のことを、最近じゃこう呼ぶんだよ!」

「変態すぎるでしょ! どんな脳をしたらそういう趣味になるのよ……」

 ミネットは呆れと嫌悪に忌避の顔を向けた。しかし彼らはむしろ堂々と付け加えてくる。

「しかも御頭は、中でも二十歳くらいの女がいいなんていう、ド変態なんだぜ!」

「オイラたちはその特殊性癖を尊敬して、御頭の部下になったでやんすよ!」

「どんな結託方法よ!?」

 なおさら叫ぶも、やはり彼らの心には響かなかったらしい。きょとんとしながら、

「だって変な性癖ほど偉いって風潮があるだろ?」

「ないわよっ!」

「けどそういう意味じゃ、身体が薄っぺらいお前みたいなのも、特殊のうちに入るよな」

 ――その言葉に、ミネットは一瞬固まった。

 ぴしりと何かにヒビが入るような音を聞いたかもしれない。それはひょっとすれば理性だとか、そういった類のものが決定的に壊れていく音だったのか。

 ともかくミネットは一度俯いた。さらには男たちが本気で励ます調子で「発情期は大変だろうけど、その手の特殊性癖は必ずいるから諦めるなよ」などと言ってくるのを聞き、

「誰が……」

 呟くと――次の瞬間には弾け飛んだ。

「誰がリバーシブルボディよおおおおおおお!」

 尻尾も含めて全身の毛を膨れ上がらせると、彼女は叫びながら飛び上がった。

 鋭い爪を立て、シャーッと牙を剥き出しにして、真っ先に狙ったのは馬の獣人である。それがギャアと叫ぶ間に、顔中に無数の引っかき傷を作り出す。

「うわ、な、なんだこいつ!?」

「やろうってのか!?」

「うっさい馬鹿! 全員八つ裂きにしてやるわ! ――キュル、あんたも来なさい!」

「任せるっすよー!」

 彼女が崖の上に声を上げると、ロバらしき獣人、キュルがその急斜面を滑り降りてきた。

「くそ、敵襲だったのか! お前ら、やっちまえ!」

 リカオン男が慌てて号令を出す。するとすぐさま荷台の獣人たちがすぐさま飛び出し、さらにリカオン男も自ら腰に帯びていた三日月形の剣を抜き、ミネットの前に降り立った。

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