第15話
相手はリーダーなのだろうリカオン男も含め、四人。馬の獣人は既に倒れているので、数に含めずともよいだろう。キュルにも引けを取らないほど大柄なカバは棍棒を、小柄な鼠と狸はナイフを構えていた。
「ここで活躍したら、マグロ復活っすよー!」
息巻きながら、御者台を乗り越えて山道に立ったカバたちに向けて、突進していったのはキュルである。武器は普段ならば持っていないが、今は近くから引っこ抜いてきたのか、太い木の根らしき曲がりくねった棒を持っていた。
それを思い切り、まずは目の前にいた鼠へと叩き付ける。
ばぎゃんっ! と乾いた音を立てて、地面に触れた根っこの先端が折れ曲がった。鼠は種族特有の異様に素早い動作で、既にその場から離脱していた。ただし逃げたわけではない。彼は身体を小さく縮めながら前に飛び出し、そのままキュルの背後へと回り込んでいた。そこで振り返ると、やはり小さく素早い動作で、足の腱を狙ってくる。
「のわあああっ!」
キュルは辛うじてそれを察知し、足を上げることで回避した。通り過ぎるナイフの煌きに嫌そうな顔を見せ、しかし片足でも器用にバランスを取ると、避けられたついでに足の下を潜り抜けようとする鼠の背中を、思い切り蹴り付けた。
「ヂュウッ!?」
珍妙な悲鳴を上げて、鼠はごろごろと転がり、倒れている馬にぶつかって止まった。
しかしすぐさま、それと入れ替わるように、今度はカバの方がキュルへと向かってくる。「おああああああ!」と大口を開けて叫びながら棍棒を振り回す様は、まさしくカバらしい力強さがあった。
鈍重なのはお互い様である。キュルは斜めに叩き付けられる棍棒の一撃をあえて避けず、自分は反対に木の根を振り上げることで受け止めた。
めきめきめきっと音がしたのは、どちらの武器か。いずれにせよキュルは、ぶつかり合う視線の端で何かが動くのを見つけ、そちらへも注意を向けなければならなかった。
狸が先ほどの鼠のような動きで、キュルの右足を狙っていたのだ。
再び足を上げてそれを避けるのと、遂にけたたましい音を立て、木の根が半ばから砕け折れるのとは、ほとんど同時だった。唐突に体重の拠り所が失われ、キュルはバランスを崩し、仰向けに倒れそうになった。
しかし。そのおかげでカバの棍棒は、キュルの眼前を通り過ぎていった。凄まじい風圧を感じさせながら、それは地面――いや、足を狙っていた狸の頭に叩き付けられる。
「だぬすっ!」
やはりまた珍妙な悲鳴が上がり、狸はその場に倒れ込んだ。
反対にキュルはどうにか踏ん張り、体勢を立て直すことに成功していた。武器は失ったが、既に数は一対一。戦況はほとんど五分に近く、キュルとカバは睨み合うことになった。
それを横目に――
頬に刃の風圧を感じ、歯噛みしたのはミネットである。
「ふっふっ。さっきまでの威勢はどうした」
「くう……リカオンのくせにジャッカル軍団とか名乗ってる分際で!」
後退したところで挑発してみるが、余裕を湛える彼は意に介さないようだった。
それどころかニヤニヤと笑いながら言い返してくる。
「力もなければ胸も色気もない。まさにアピールポイントゼロの女に言われてもなあ?」
「絶対殺すッ!」
吼え猛り、ミネットは突進した。
体格差のある相手に対し、指を丸めた拳を下から上へと跳ね上げる。相手はこれを、僅かに身を退くことで避けた。ミネットはその直後、即座に手首をひねると、今度は指を立て、鋭い爪を伸ばして腕を振り下ろす!
距離感を狂わせる一撃だった。それでもリカオン男は気付いたのか、はたまた単に慎重だったのか、さらに飛び退いてこれを回避した。が、武器と体格差を考慮すれば距離を空けられるわけにはいかず、ミネットは即座に地を蹴って追いかけた。
今度は腕を少しだけ広げ、腰の辺りに組み付くような低い体勢を取る。さらにリカオン男が迎撃しようと剣を持ち上げると、ミネットはそれを見て、身体を左へと振った。
次の瞬間、機敏に反応した男が、即座にそちらへ剣を振り下ろすのが見える――同時にミネットは、最初から右足に残しておいた体重を利用し、反対側へと身体を滑り込ませた!
「なっ!?」
驚愕の声を上げたのは――
しかし実際には、裏をかいたはずのミネットだった。
死角を取ったはずが、リカオン男は全く遅れず、ミネットを正面に見据えていたのだ。どうやら彼はフェイクを見切り、剣を振りながら身体を回転させていたらしい。
そして彼の剣は軌道を変え、下からすくい上げるようにミネットを狙っていた。
(死ぬ――)
その直感がミネットの心底に走り、怒りとは違う意味で総毛立つ。銀色の刃は陽光を反射させ、腰から肩、あるいは首までを切り裂こうとしていた。
的確で、早く、避ける術はない。
(こんなところで、こんな奴に……)
それでも口惜しさから、ミネットはせめてもの抵抗にと強引に身体をひねって……
ぶぉんっ――と。剣による風が眼前を通り過ぎた。
ただし銀色の光は、銀色のまま。おぞましい赤が混じることはなく、ミネット自身、なんらの痛みや、血の抜けていく寒気を感じることもない。
きょとんとしたのはミネットも、リカオン男も同じである。しかし剣を振り上げた格好のまま、気付いて声を上げたのはリカオン男の方だった。
「しまった、胸の前を素通りしたのか! アピールポイントの無さがここにきて――」
「だらっしゃああああああああ!」
絶叫と共に、ミネットの拳が男の顔面に突き刺さった……
男は悲鳴を上げて転がりながら、御者台にぶつかって止まる。
「くそ……ま、まさか」
流石に気絶はしなかったらしい。鼻血を流しながら、彼はよろよろと立ち上がった。
そして怒りを湛えると、今度こそはと剣を構えてみせる。
「まさかこのための身体だったとはな。なかなかやる」
「うっさい馬鹿!」
「だが二度目はないぞ。無いなら無いで、無いなりの狙いをするまで!」
「だーまーれー!」
ほとんど涙目で喚く、ミネット。
しかしその間に割って入ったのは――荷車から聞こえる別の声だった。
「キュル、ミネット! 目的は達成した、逃げるぞ!」
荷車の後方から顔を出し、二本の斧を掲げてみせた、ジンである。そして彼は言うが早いか身体を反転させ、山道の奥にある下り坂の斜面へと身体を投げ出したのだ。
「な……まさか、伏兵がいたのか!?」
喫驚したのはリカオン男である。彼は状況を確認しようと御者台に飛び乗り、荷車の中を覗き込んだようだった。そこで、積んでいた盗品の斧が無くなっていることに気付いたに違いない。自分たちが戦いに夢中になっている間に、伏兵が忍び込む作戦だったのだと。
だがその頃には、既にジンは崖の中へと姿を消していたし、カバの棍棒を白羽取りしていたキュルも「あ、あんなところに空飛ぶ巨大なスイカが!」などという嘘で注意を逸らした隙に、同じく崖を滑り降りていた。
そしてミネットもまた、リカオン男が向き直った目の前で、崖に足をかけていた。
「今日のところはこれで退いてあげるわ! けど、今度会ったら必ず殺す!」
そう吐いて、「待て!」と追いすがろうとするリカオン男を無視して崖下へと姿を消す。
木々の林立する斜面は、獣人にとってはさほどの駆け下りにくさもない。それ以上に、木々に紛れて姿をくらましやすいという利点が圧倒的に勝っていた。
おかげでジャッカル軍団も、崖下まで追いかけることはしないようだった。
木の奥へと消えていくふたりの獣人を見送って、口惜しそうに毒づいただけだ。
「くそ! あんな奴らに出し抜かれるなんて!」
そうして、しかし他にどうすることもできず、気を失っていた部下たちを起こし、渋々と山道を歩き始めるのだ――ジンはその一部始終を、山道に程近い大木の陰で聞いていた。
(あいつら、自分が獣人だからってひょいひょい降りていって……こっちは人間だっての!)
そう胸中で毒づいて。
ジャッカル軍団がいなくなった頃、ジンはようやく、恐る恐る崖を降り始めた。
……途中で足を滑らせたので、結局悲鳴を上げながら滑り落ちることになったが。
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