二章

第9話

■2

「いやー……まさか罠があるなんてな」

 ジンは呟きながら、手にした瓶に口を付けた。

「ほんと、驚いたっすねえ」

 ロバの部下が同調しながら、向かいの椅子でぼんやりと天井を見上げている。

「そりゃあるでしょ……」

 呆れた口調で半眼を向けてきたのは、猫の部下だった。

 ――いつかと同じように。

 三人揃って、共に廃宿の椅子に腰掛けながら、ジンは空になった瓶をテーブルに置いて。

「けど、あんな罠だとは思わなかったし」

 これもいつかと同じ言葉。

 しかし今回、目に映る部下の姿はいつかとは違った。

 衣服はくちゃくちゃの皺まみれになり、マントは身体に纏わり付き、マフラーはほとんど首を絞めている。体毛という体毛は逆立ち、あるいは逆巻き、全員が首を傾げていた。

 ただし疑問を抱いているわけではない。寝違えた時のように、癖が付いてしまったのだ。

 そうして傾いた視界の中、ジンはまた思い出す――


 メイネリア遺跡。

 その奥には旧文明の生み出した怪物が、今もおぞましく徘徊しているのだと言う。

 遺跡の前に立つだけでも聞こえてくる重低音のうなり声が、その噂を作り出している。ジンはそう確信していた。

 しかし仮に、もしも本当に怪物が存在しているとすれば。

 それは、遺跡に真の秘宝が眠っている証ではないだろうか。旧文明が秘宝――つまり獣人を作り出した宝石『エクセリス』を守るために、怪物を置いたと考えられるのだ。

 もちろん怪物などというものが存在していた時点で、既に秘宝にも並ぶ大発見なのだろうが――人間であるジンにしてみれば獣人の時点で怪物と大差ないとも言えた。

 だからこそ、ジンは竦み上がるキュルを強引に引きずりながら、遺跡の中を響くうなり声の根源目指して進んでいったのだ。

 どうやら複雑に入り乱れているらしい通路の中、分かれ道のたびにミネットの耳を利用して反響を聞き分け、怪物の声を探っていく。

 石造りの道は破損のない入り口付近から一度大きく荒れ果て、僅かに端麗さを取り戻し、また古びた遺跡らしい荒廃を見せていった――つまりは一度遺跡の奥まで進み、入り口の近くまで戻ってきて、再び奥へと進むことになったわけだ。

 途中、左右に大きな溝のある開けた道や、またしても水音の流れる部屋、あるいは石が擦れるような危うげな音が足元から響くの聞こえる通路を歩くことになったが、幸いにして罠らしい罠とは遭遇することがなく、目印を付けながら進むことができた。

 石と砂埃と黴の入り混じる異臭は、未だに意識すると鼻を押さえなければならないが、それでも遺跡の凸凹した石の道には慣れてくる。と同時に、奥から聞こえるうなり声も、どんどんと大きくなってくるのを認識できた。そしてその結果――

「まあ、こんなもんだと思ったよ」

 ゴーグルの付いた帽子を手で押さえながら、ジンは苦笑気味に呻いた。しかしその呟き声は、ひょっとしたら近くにいる部下たちにすら聞こえなかったかもしれない。

 辿り着いたのは――見た目にはなんの変哲もない部屋だった。

 四角く、さほど広いわけでもなく、民家の居間といった程度だろう。床は丹念に掃除でもされたように、瓦礫どころか砂埃一つない。そしてその部屋だけは、今まで感じていた異臭がすっかり消えているようだった。

 もっともそれは、古めかしい遺跡の中において、それだけで異質に違いなかっただろう。そして加えるなら、それはもっと明確に異質だったのだ。

 ジンたちは遺跡の中にある扉の失われた部屋の中に足を踏み入れた時――いや、正しくはそれよりもいくらか前の通路を歩いている時から感じていた。

 室内に一切の物が存在しないことでも、壁や天井が削られ、抉れていることも、そうした明らかな異質によって説明が付けられるに違いなかった。

 その部屋には、屋内にも関わらず暴風が吹き荒れていたのである。

 さらに正確を期するなら、風は部屋の右にある通路から吹き込んでくるようだった。

 それも並大抵のものではない。例えるならばそれは横向きの竜巻であり、ジンたちは部屋の前に立つだけでも凄まじい風圧を受け、身体が引きこまれるか、あるいは飛ばされるかという感覚を味わわされることになった。

「な、なんなのよ、これは!」

「マントが……ぶぇっ! も、ものすごく、邪魔っすよぉ!」

 マフラーごと自分の身体を抱き締めて縮こまるミネットと、マントに顔を覆われたキュルが、それぞれに非難がましい声を上げるのが、辛うじて聞こえてくる。

 ジンも帽子が飛ばされないよう必死に防ぎながら、状況を理解するため頭を回した。

(これは、風の罠か? 部屋が削れるほどの竜巻で、先に進ませねえってのか)

 よくよく見れば、風の侵入路の近辺も風圧によって削られ、口を広げているらしい。ひどく杜撰だとも思うが、ともかくジンはそちらへ向かって歩み出した。

「お、親分、こんなところに入るんすか!?」

「罠あるところにお宝有りってんだよ!」

「ちょっと前に、罠だけでお宝無しってことがあったじゃない!」

「お宝あるところに罠有りだ!」

 適当にやり込めながら、ともかく部屋の中へ入り込む。

 すると風は今まで以上に縦横無尽に、ジンたちの身体をばらばらに引き裂こうとでもするように吹き付けてきた。大きく身体を揺さぶられ、平衡感覚すら失いそうになる。

「くそ、壁だ! とにかく壁にくっ付け!」

 指示を出しながら、自分もその通りに壁に張り付く。そうすることで、多少は暴風の脅威から遠ざかることができた。それでもなお凄まじい風圧を感じて冷や汗を垂らすが、それすら風にさらわれる中、ジンたちは壁伝いに通路の側までやって来る。

 近付けば近付くほど、その圧力に身震いさせられた。少しでも気を抜けば飛ばされてしまうどころか、既に風によって肌が切り刻まれているのではという錯覚に陥り、思わず自分の手足を見下ろしてしまったほどである。

 背中を付けているひび割れた壁は頼りなく、風音はもはや、地鳴りや群集の雄叫び、あるいは爆音に近いだろう。すぐ隣にいるはずのミネットが、口を開くのも億劫そうに何か言っているようだったが、ほとんど聞き取れなかった。

 そうした音が遺跡の中を反響し、怪物のおぞましいうなり声となっていたのかもしれない。しかし間近に歩み寄った今は、その方がよほどマシだったと思えたが。

(この先は、やっぱり通路になってやがるな。それもそこそこに長いみたいだ)

 風圧で目も開けにくい中。壁に張り付いたまま、そこに伝わってくる衝撃や音、あるいはなんとなしの勘によって、ジンはそう判断した。

 そして通路の奥に風を発生させる罠の装置があり、その奥に宝――つまり大秘宝『エクセリス』の隠された部屋があるに違いなかった。

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