第36話
「親分! ちょっと、気付いたんすけど!」
キュルだった。ミネットとは逆方向の隣を走りながら、深刻そうな、しかし焦って上ずった声を上げてくる。
ジンがそこに何か嫌な予感を抱くと、彼もまたちらちらと後ろを振り返りながら、薄暗いランプの灯りに照らされた、不安そうに眉を下げた顔で言ってくる。
「あれならランプを投げなくても、マッチでよかったんじゃないっすか?」
「そういうことは気付いても心の中にしまっとけ!」
肩透かしと照れとで、顔を赤くしながら犬歯を見せて叫ぶ。
しかしキュルはそれに一度首を仰け反らせたが、また懲りずに言ってきた。
「そういえば、あともう一個気付いたんすけど」
「またくだらないことだったらお前をあの石像と戦わせるぞ」
「だ、大丈夫っすよ! その……あの石像、命がどうとか言ってたっすよね?」
そう言うと、彼は顔を青ざめさせて、
「ひょっとしてあれ、お化けによくある、お前の命をよこせってやつじゃないっすか? つまりあの石像は、お化けが乗り移ってたんすよ!」
「ミネット、これは戦わせるべきだろうか?」
「個人的には別にそれでもいいわよ」
「なんでっすか!?」
不服に叫んでくる。ジンは多少本気で、それを実行しようか否か考えたが――
その時。言い合う声の途切れた通路内に、別の足音が混じるのをはっきりと聞いた。
それは他のふたりも同じだっただろう。一瞬だけ顔を見合わせて、全員で青ざめる。
紛れもなく、その音は獣人のものではなく、ましてや人間のものなどでもなく、重々しく、それでいて不愉快に擦られるような……石の足が立てるものだった。
三人ともがそれを聞き、それからは三人ともが口を閉ざして逃げることに集中した。
途中、いくつかの分かれ道を、迷う暇もなく選択して進んでいく。いくつか部屋の扉や、それが崩れて埋まっている箇所も見えたが、今は無視して駆け続けた。どこかに隠れてやり過ごすよりも、見知った通路に合流し、遺跡の外へ脱出した方が確実だと思えたからだ。
しかし――その選択が間違っていたことを、三人は間もなく思い知らされた。
頑なに逃げ続けた先に待っていたのは、壁だった。
「い……行き止まり?」
認めたくはなかったが、ジンはそう呟いた。
キュルがランプを掲げると、それがますますもって露になる。
ひび割れや、端々の欠けを見せながらも、堅牢そうな壁だ。周囲と比べてやや白み掛かっているのは、元の壁に新たな一枚の板を付け足したためだろう。それも壁や床のような石ではなく、巨大な鉄板かもしれない。少なくともそうと思える強固さを醸し出していた。
そうした気配を感じたのは他でもなく、眼前を塞ぐこの壁の最も特徴的な、おぞましく、忌々しい、不気味な彫刻のせいだった。
しかしジンは、それを単純に彫刻と呼ぶのは気が引けると、胸中で感じていた。それほどまでに、一種の邪悪な生命力に溢れる、怪異的なものだったのだ。
そこに彫り出されているのは、獣人の顔と腕だった。
頭の位置はキュルよりもさらに高く、腕の位置も含めて、かなりの巨体だろう。
人間めいた――というより獣人らしい筋骨隆々の腕は深い体毛に覆われているが、一本一本が針のように尖り、鋭い凶器と化していた。今にも掴みかからんと広げられた手には強靭な爪が伸び、石像の剣と同じく、触れるだけでも切り裂かれそうな恐ろしさがある。
顔は狼に近いが、頭部から二本の角が生えている。体毛に覆われた眉間に深い皺を寄せ、鋭い眼光を作り出している。僅かに開かれた口からは異様に湾曲した長く鋭い犬歯が覗き、その隙間から体液がだらだらと滴るような演出まで施され、不気味さを増させていた。
後頭部が異様に大きく、首と合わせて壁の中にめり込むように沈んでいる。
「これって……」
その異様な姿を見て、ジンはふと思い出すものがあった。
ここまで駆けてくる途中の壁画に描かれていた、怪物めいたおぞましい生物の姿である。それに酷似しているような気がしたのだ。 もちろん壁画を見たのは一瞬だけのことで、はっきりと心に留める余裕などなかったため、正確なことは言えなかったが。
まして今もまた、その類似性を確認している余裕などなかった。
「お、親分、どうするっすか!? 早くしないと、あの石像が来ちゃうっすよ!」
「どうするもこうするも、引き返すしかないでしょ! さっさと行くわよ!」
「でも、引き返してる途中であいつに会ったらどうするっすか!?」
「ここにいたって、どうせ再会することになるわよ!」
そうした言い合いの中で――ジンはふと、また奇妙な音を耳にした。
それは石像が駆けてきたものとは違う。もっと近くで、もっと僅かな、しかし恐ろしい事実をほのめかす音だった。
例えば石を擦るような、例えば石の上で何か引きずるような。
例えば――壁が動くような音だ。
それが、壁に背を向けて今にも引き返そうとする三人の背後から響いたのである。
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