第11話

「風に強い種族じゃなかったのかよ」

 爽やかなそよ風を頬に浴びながら、ジンはキュルに向かって呻いていた。

 当人はバツが悪そうに頭をかき、照れた苦笑を浮かべながら、

「よく考えたら、それはロバじゃなくてラクダ族の話だったっすよ」

「自分の種族さえまともに把握できてねえのか、お前は」

 呆れて言うと、横からミネットも嘆息する。

「まあ、あんたはロバ族にしては無闇に図体がでかいし、雑種なんじゃない?」

「そんなことないっすよう」

 キュルにも一応、誇りというか自尊心があるらしい。が、それはそれとして。

「とにかく。風に強い種族がいないってことは、やっぱり対抗策が必要になるわけだ」

 ジンはぐるりと辺りを見回した。

 拠点である廃屋から西へ進んだ先。国境も越えたかもしれないが、どうせまともな侵入方法をしないジンたちにとっては無関係の話である。

 ともかくその国には、シオコポスという川があるのだが、ジンたちが歩いているのは、まさしくその川に沿って広がる森の中だった。

 立ち並ぶのは枝を遥か頭上に付け、節くれ立ったような木肌を持つ、背の高い針葉樹である。一本一本はさほど太くもないが、数が多いために木々の隙間はかなり狭い。ところどころ木の根が地面から顔を出し、低い草葉を押し退けているのが見て取れた。

 それでも地面は腐葉土により、僅かに足がめり込む感覚がある。しかし特有の悪臭は濃緑の匂いと混ざり合って軽減されるか、あるいは別種の味わいある香りへと変化していた。

 まばらに差し込む木漏れ日は、森全体を神秘的な明暗に染めている。特に奥へと目を向けた時、薄暗いにも関わらず明るいと思える感覚は、奇妙極まりない。

 ジンたちが歩いているのは、まだしも明確に明るい場所だった。なにしろ今は昼の只中である上に、すぐ隣に流れる川の手前には、街道が走っているのだ。

 人目を避けるのならば、わざわざそうしなくとも、素直に夜を待てばいいに違いないが、これは”今から”を考えればやむを得ないことだと言える――

「それにしても親分」

「あん?」

 キュルに話しかけられて。ジンは振り向かず先頭を歩いたまま声を返した。

 先に乗り越えた太い木の根を、彼も大袈裟に飛び越えてから、続けてくる。

「風に対抗するって、今度は何を狙うんすか?」

「アジトで話しただろ。聞いてなかったのかよ」

「あの時はまだちょっと目が回ってて」

「ぅ……し、仕方ないでしょ! 空中で動けるはずないんだから」

 背後でミネットが、バツ悪そうに口を尖らせたらしかった。このやり取り自体、再び遺跡から逃げ出した後、何度も行われたものだが。

 あの時――竜巻に飛ばされたジンたちは、最終的にはキュル上の降ることになった。

 おかげで衝撃はかなり和らげられ、このロバの部下が頑丈であったこともあり、全員が大した怪我もなく済んだのである。キュルは遺跡を出るまで気を失っていたが。

「まあ、とにかく。それならもう一度話しておくか」

 心底に残る宙を舞わされる感覚の余韻に身体をさすりながら、ジンは話し始めた。

 語るのは一つの伝説である――

 シオコポス川は小さな名も無き湖を経由して海へと流れていくのだが、その昔、ひとりの木こりが湖の畔で木を切っていた際、誤って伐採用の斧を湖へ落としてしまったのだ。

 湖は底が見えないほどに深く、木こりは「このままでは仕事ができない」と困り果てた。

 しかしそうして湖を覗き込んでいると突然、湖の底からごぽごぽと泡が立ち始め、やがて水面を強烈に盛り上げたかと思うと、噴水のように何かが姿を現したのである。

 それは見るだけで気が触れてしまいそうなほど、木こりの視線を釘付けにする――無数の触腕と無限の恐怖を備える無貌の女神だった。そして彼女は世にも珍しい、恐るべき神性、あるいは恭しき邪悪の力を秘める黄色の斧と灰色の斧とを一本ずつ持ち、木こりが落としたものはこのどちらかであるかと問いかけてきた。

 木こりはまさか彼女に対しなんらかの虚偽を吐くどころか、邪な打算的考えを微かにでも臭わせてはならないと竦み上がり、震える喉で早口に、黄色でも灰色でもない、なんの変哲もない斧であることを白状しなければならなかった。

 すると驚くべきことに、無貌の女神は木こりに対して手にしていた二本の斧を授けると共に、世界外の暗澹たる混沌生物を大陸へ召喚する悪辣極まりない冒涜的な儀式を執り行う役目を担う、自身への永遠の忠誠を誓う敬虔な臣下へと変貌させてしまったというのだ。

「斧が増えてお得だった。という話だ」

「違うでしょ、たぶん……」

 満足そうに締め括ったジンに対し、なぜかミネットは疑わしげな呟き声を向けてきたが。

「ともかく、その伝説に出てきた二本の斧を盗み出すんだよ」

「ほ、ほんとにあるんすか、そんなの?」

「ガラスのパンプスと同じだ。お宝があってから、伝説が作られるんだよ」

 半信半疑のキュルにそう答えていると……三人はその頃、木こりの家に辿り着いた。

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