第21話
「うわあああああああああ!?」
水が、滝のように横穴から流れ込んできて、三人はとうとう悲鳴を上げた。
「ま、まさかこれが、水責めってやつなの!?」
「そんな! おいらあんまり泳げないっすよお!」
「泳げたってどうせ窒息するだけだ! それより早くここから脱出するんだよ!」
ジンは素早くそう告げると、キュルのリュックに差してあった斧を二本、抜き取った。そして灰色の方をキュルに投げ渡すと、すぐさま近くの壁に張り付いてまた叫ぶ。
「壁を壊せ! そうすりゃとりあえず、水は抜けるだろ!」
勢いを増した水は、早くも踝どころか、脛の辺りに到達しようという水位になっていた。
それをかき分けて急ぎ壁に張り付くと、交互に同じ場所へと斧の刃を叩き付ける。
がんっ、がんっ! と、まるで鉄を叩くかのような音が数度、部屋――というよりも、もはや罠のための落とし穴だろう――の中に鳴り響く。
しかしそれでも……ジンはともかく、怪力を誇る獣人のキュルですら、壁にひび割れの一つ作り出すことができていないようだった。さらには不運にも、キュルが意地になって斧を叩き付けると、べぎっという音を立てて木製の持ち手がへし折れてしまったのである。
「あぁっ、や、やっちゃったっす!」
「何やってんだよ! というか……ここまでやってもダメなのか!?」
壁は異様なほど頑丈に造られているらしい。壁の埃を払うと、やはりそこは僅かに引っかいたような痕が付いただけで、とても破壊できそうにはない。
そもそも、そうする間にも水位はますます上昇しており――ジンがヤケクソになってさらなる一撃を加えようとした時、斧の刃が水に触れた。苦心して付けた引っかき傷は腰ほどの高さにあったのだが、それが今まさに、水の中へと沈もうとしているようだった。
「って、もうこんなになってるんすか!?」
キュルがいまさらに両手を上げて、水を見下ろし驚愕に叫ぶ。
ジンも足の踏ん張りが効かなくなり、身体が浮遊感を抱き始めていることを自覚した。こうなっては、ただでさえ困難な斧による破壊は到底不可能だろう。
(こりゃ、本格的にまずいぞ!)
離れていく床の感触に名残惜しさのような焦りを抱き、ジンは胸中で悲鳴を上げた。
ここから逃げ出す手段が必要だった。天井は高いが、有限である。これはある種、天井が落ちてくる罠のようなもので、時間制限のある恐怖は焦燥感ばかりをかき立ててくる。
横穴から入り込んでいるのだから、水が溜まってきたところで横穴から脱出することは真っ先に考え付いた。しかし激しい水流の中、それを逆走できるほどの力はない。獣人たちにしろ、泳ぎが得意な種族ではないのだから、それを成功させるのは困難だ。
水が完全に溜まりきって、水が流れ込まなくなってからならば泳ぐこともできるが、その時にはもう遅いだろう。なにしろ、水責めというのは脱出させないことが基本である。つまりは水が溜まった時点で、横穴も塞がれてしまうに違いないのだ。
蟻の巣に熱湯を流し込み、直後に巣の入り口を石で塞いだのと同じ理屈であるため、幼少期に窮屈な暮らしの腹いせとしてそれをやっていたジンには、容易に想像が付いた。
「って……これ、何かしら?」
その時、ミネットが水の中から何かを拾い上げた。
緑色をした、飾りの付いたロープのようなものである。近付いてよく見てみると、
「なんかの植物の蔦、みたいだな」
飾りに見えたのは、いくつもの葉だったらしい。ロープのように太く、長く、かつ頑強そうに見えるが、引き千切れたものが水と一緒に流れ込んできているようだった。
ミネットは、なぜかそれをじっと見つめて……ハッと閃いた顔を見せる。
「そうか、わかったわ!」
「な、なんだ? まさか……」
脱出方法を思い付いたのかと期待の眼差しを向ける。すると彼女は、自信満々に頷いた。
「ええ。そのまさかよ」
そして蔦をピンと張って見せながら、
「あの時ボスが転んだのは、この蔦が足に絡み付いたせいだったのよ!」
「どうでもいいわっ!」
怒り任せに叫び、蔦にチョップを叩き込んだ。ぶちりと切れるそれを見て、ミネットはなぜかショックを受けたようだったが、無視して思考を巡らせる。
そんな話をしている間にも、天井はますます近付いていた。
もはや部屋――というより罠である穴のうち、半分をとっくに過ぎ、横穴と同じ高さにまで到達しようとしている。そしてそれはほぼ、天井に触れる間近であるのと同義だった。
「くそ、どうすりゃいいんだよ!」
しかしそうした切迫した恐怖と混乱によって、妙案が生み出されるはずもない。
水責めは必ず排水があるから、それまで息を止めていれば助かるが、排水がいつ始まるかわからないし、排水の水流に巻き込まれたらどうなるかもわからなかった。
「ど、どうするんすか、親分!」
「このままだと溺れちゃうわよ!」
「さっきまでどうしてもいい話をしてた奴が言う台詞かっ」
とりあえず言い返し、しかしともかく、ジンは決意しなければならなかった。
「こうなったら……いちかばちか、やるしかない。全力で泳ぐぞ!」
水流を逆走する他になく、ジンはそれを部下のふたりに告げた。
困難だろうが、それでも今は自分が意外にも泳ぎの才能に溢れ、獣人たちも類稀な身体能力でそれを達成することに賭けるしかなかったのだ。
獣人たちも、自分の頭だけが辛うじて水上に出ているという状況では、もはや反対しようとも思わなかったことだろう。彼らは苦渋の顔をしながらも、了解を告げて頷いてきた。
それを確認し、ジンはタイミングを見計らった。やがてほとんど天井すれすれで、頭頂部が天井に触れているのではないかと思えるほど接近した時――その機は訪れた。
「今だ!」
叫び、全員一斉に水に潜ると、雪崩れ込んでくる水流へと向かっていく。
その勢いは凄まじく、水中でもほとんど目も開けていられないほどだったが、ジンは辛うじて薄目で行く先を見据えた。
すると――その眼前に何かが現れ、ぺちんっと顔にぶつかった。
それは奇妙な感覚だったものの、今は無視して懸命に足で水を蹴る。進んでいるような、いないような、もどかしい水中の風景が視界に映り続けるが――
またしてもその時、そこに何かが現れた。
細いものだ。それが自分に向かってきて、またぺちんっとぶつかる。振り払って進もうとすると、さらに同じものが現れる。苛立ちの中でさらにそれを振り払って……次には。
ごんっ、と異様に硬いもの――鋼鉄の板のような硬さのものが額に激突した。
「ぐぼあ」
水中で悲鳴を上げて、ジンは瞼の裏に火花が散るのを見ながら、意識を失いかけた。
ただし、それはどうにか堪えたものの、悲鳴の拍子に大量の空気を失って、酸欠の中で已む無く顔を上げずにはいられなくなった。
ついでに、その時には気付くことがあり、それを確かめる必要もあった。
ざばあっと水中から顔を上げる。息を荒げながら目元の水を拭い取ると、視界に映ったのはそれなりには近付いた気がする横穴と、頭上にはやはり天井である。頭だけが辛うじて入る程度の隙間を空けて、頑強そうな石の天井が覆い被さっている。
ただ――それは今までの水位と変わっていなかった。
きょとんとして見回せば、キュルとミネットも同じような顔で、水上に顔を出していた。
「水が……止まってる?」
誰かがぽつりと呟いた。
横穴を見ると確かに水の流れが途絶え、たゆたうだけになっている。代わりに、
「なんだ、これ?」
ジンは手元を漂う細いものを発見し、手に取った。
それは先ほど、何度も自分の顔にぶつかったのと同じものだろう――植物の蔦だった。それも今まで流れ込んできた、千切れたものとは違い、横穴の先から伸びているものだ。
三人は顔を見合わせた。
そして無言でまた蔦の方に向き直ると、恐る恐るだがそれを伝い、水の中を進んでいく。
横穴は閉じていない。そして水も流れていない。
結局、ジンたちは呆気に取られたまま、しかし水中からは脱出することができた。額に激突した硬いものの正体はわからなかったが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます